第一話 夫婦円満
可愛いメイドさんがいっぱい。日本人くんは幸せだなー
1936年 帝都東京一角、二人の男、大工の熊五郎と左官の八吾郎がカフェで一服していた。
とある企業の音頭取りで帝都は建築ブームにある。
そのおこぼれに預かる形で、長屋暮らしの貧乏人二人でも、こうしてカフェで飲食できる位の給金を貰えている。
二人の居るカフェも正確には、家族レストランと言うらしい。
件の企業が帝都中に展開している系列店(チェーン店と言うらしい)、そこの売りは24時間営業と、何時行っても美人の女給が居る事だ。
美人と言ってもただの美人じゃない。長い脚、くびれた腰、胸は大きからず、小さからず、口元きりりと引き締まり、髪はカラスの濡れ羽色、切れ長の瞳に、蒼い目。
「くぅーたまんないね!」と八吾郎。
二人は何杯目かのコーヒーを飲みながら(この店飲み放題と言うのだから恐れ入る)話していた。
「なんだな、この店に来ると景気が良くなってる気がするな熊さん」
「ああ」
「しかし、この店の女給はなんだね、すごいね、どの店行っても美人ばかり、何処から連れてくるのかねぇ」
「ああ」
「どうした熊公?気のない返事なんかして」
どうにも上の空の熊を八が見ると熊公の視線は美人の女給をジッと見ていた。その様子に思わず八公はからかった。
「なんでぇ、どこ見てるのかと思えばこのスケベ!女に見惚れていやがる。テメェ、カカア貰ったばかりだろうが」
「見惚れてたんじゃねよ!」
「じゃあなんだい?」
「ここの女給なぁ、なんだか家のカカアに似てる気がするんで見てたんだよ」
熊公のあまりのいい様に笑い出した八公、考えても可笑しい、貧乏長屋のおかみさんと美人で若い女給が比べられるはずないではないか。
「お前の?カミさんに?あの美人が?笑わせんなよ!」
「なんだこの野郎!」
言うが早いかポカリとやる熊さん。江戸っ子は気が短いのだ。たちまち取っ組み会いになる二人。
「お止めくださいお客様」
二人を止めたのはカッフェイの女給だった。美人に説教されるほど凹むことは無い。男二人小さくなって店を出ていく。
店からやや離れたところで八のやつボヤキ始めた。
「あーあ、詰まんねぇことで、お小言食らっちまったぜ、どうだい熊さん験直しに吉原へ繰り込もうか?」
「止めとくよ、カカアが家で待ってる」
「かぁー、やだねぇ、もう尻に敷かれていやがる」
「うるせいやぃ」
何だかんだ言っても仲の良い二人はここで別れた。
家路につく熊五郎の目に映るのは至る所で工事中の帝都の街並みだ。何でも東京府は例の企業の参入で、上下水道の具給率がそろそろ九割を超えると言う。
これまで不況だ政情不安だのと明るい話題のなかった帝都が、心なしか明るくなっているのを感じながら彼は家路を急いだ。
「おう、今帰った」
「お帰りなさいませ、ご主人様」
建付けの悪い引き戸をガタガタさせて玄関に入った熊五郎を迎えたのは三つ指ついて彼を迎える女房の姿であった。
「お食事ご用意できております。それともお湯へ先に行かれますか?」
「湯は後で行かぁ、腹が減ったから飯にしてくれや」
狭い我が家に上がり込みながら答える熊さん、居間に付いた彼の着替えをいそいそと手伝う女房の姿に、彼は先ほどの疑問を思い出した。
(そう言ゃあ、さっきの話だが家のカカアはいつの間にこんなに美人になったんだ?)
そう思い女房を見る熊さん、髪はカラスの濡れ羽色、切れ長の瞳に、蒼い目、振るいつきたくなるようないい女がそこに居た。
そうだ、そうだ、家のカカアは、もっとへちゃむく、、、いや愛嬌のある顔じゃなかったか?
その疑問を口に出そうとした彼と女房の目が合う。吸い込まれそうになる蒼い瞳、その目を見つめるうちに彼は何を考えていたのか分からなくなってしまった。
「何かありましたか?ご主人様」
「いや、なんでもねぇ」
浴衣に着替えた彼がお膳に付くと結構な料理が並んでいる。女房が飯をよそってくれた茶碗を取ろうとした時二人の指が重なった。何時ものことなのになんだか気恥かしくなる熊さん。
気恥かしさも手伝って、飯を掻き込む彼に女房はそっと声を掛けた。
「愛しておりますよ、ご主人様」
「ぶっ、よせやい、柄にもねぇ」
女房の言葉に咽こむ彼はそう返すのが精一杯だった。
(ああっ、吉原になんて行かなくて良かった。家のカカアは日本一だわ。)
夫婦円満良きかな良きかな。
「下層民向けモデル。番号185921より発信、、、、暗示効果の低下を確認。早急にアップデートを要請する」
「了解、アップデートプログラムを開始、、、、送信完了、、、、良い夫婦生活を」
熊五郎は気付かなくて良かった。本当に。自分の女房が既に人ではないことに。