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プリクラ

作者: Saturn

 これでいいのだろうか。

 大学に入学後、興味がある分野の独学で使う為の本や電子工作で必要な部品、測定器や工具などを買いたいが、先立つものがなければ、ないものねだり。しかしそれが降ってくるわけでもなく、特段裕福でもなかった僕は、入学して3か月経ったころ、近所にあったゲームセンターでバイトを始めた。


 徒歩圏内にあり、給料も高い。高校時代は大学に合格するためにはバイトをする余裕はないんだと正論に怠惰を混ぜてバイトはしていなかったので、どんなバイトが自分に合うかなんて分からない。もっとまじめに考えればよかったが、バイト自体に興味があるわけではなかったため、悩むことはなかった。


 しかし、やり始めてさっそく後悔した。賃金の額に不満はないが、ずっと引っ切り無しにあちらこちらで大きな機体から音が出ている。今はもう慣れて、この場で寝ることは容易いが、そうなるまでに時間はかかった。


 それにゲームセンターは当然だがただ突っ立ていればいいというものではない。ゲームセンターは接客業であり、それに様々な筐体のメンテナンス、清掃など、今考えれば当たり前の業務であるのだが、一つ一つ覚えていった。始めは全ての業務を満足にこなすことはできず、クレームや相談が客からあればほぼ反射的に他の歴が長い店員や店長に振って、その対応を見て少しずつ覚えるしかなかった。コンビニは激務と聞いていたのでバイト先の候補としては即刻除外していたが、もし今の知識が過去の自分にあるのなら、ここでは働いていないかも知れない。


 まぁどんなバイトでも慣れないうちは辛いものだと知ってはいるのだが、分かっていても辛いものは辛く、辞めようと思ったこともあったが、給料で欲しかった本やオシロが買えた嬉しさが忘れられず働いている。他のバイトをすればいいのかもしれないがせっかく慣れたので続けている。それに中学高校と一緒でよく話していた濱井が僕がここで働き始めてから二か月経ったころにここで一緒に働くようになったというのも辞めなくなった原因の一つだろう。もう更新されなくなったクラスロイン、そこから個別のアカウントを辿れば、知り合いに声をかけることはできる。だが、できるだけだ。実際は脈絡もなく、連絡を送ることは難しい。大学に入学してから、完全に今までの知り合いと疎遠になってしまっていたため僕にとって、また喋り合うことができると言うのは幸せだった。


 しかし、冒頭で言ったように僕はこれでいいのかと言う呪いに近い念は未だ消えない。バイトを始めて約一年。もう通常の仕事は慣れて必要以上の緊張を消費しなくなり、個別の筐体、僕はプリクラを任せられた。プリクラの筐体が壊れていないかを点検したり、清掃したり、プリクラで撮られた写真をたまに確認したりする。写真の確認は必須と言うわけではないが、ただ興味本位で眺めている。新しい筐体だと見れないのだが、それ以外の筐体は撮影履歴を確認することができる。基本、撮影履歴は一定以上溜まると古い写真から消されていく。最初は気まぐれで見ただけだったのだが、最近は消される前に見るようになった。僕はこの仕事を始めるまで、このゲームセンターに行ったのは家族と数回と、友達と二回限りで数えるほどしかなく、遊ぶとしても格闘ゲームや、太鼓を気まぐれに叩き、他の任意の音ゲーをするぐらいで(クレーンゲームは一度財布の金を全て吸い込まれてから採算性が悪いと一度も手を付けなくなった)、プリクラ関連の無駄に派手な領域に自然と立ち入らなかったためか知らなかったのだが、プリクラの筐体にはカップルのみ使用可能との張り紙が貼ってあった。初めてそれを目にしたときは自分でも少し驚くほどのどこから出たのか分からない怒りが湧いて引っぺがしたいと言う欲が突然湧いたが、生きてきたうえで無自覚に身についた自制心が働き、張り紙は今も筐体右横に張られている。そんなことで、撮られている写真はカップルか女性の恐らくカップルではない二人から四人の集団の写真が多い。これを見ていると、中学の時一度同じクラスになった、性格はよくなさそうで顔も自分よりは悪そうな奴が、どこかの工場で出荷されたかのような服装と髪型で、その男よりは幾段か美人の見たことがない女性と笑顔の写真があったりする。他にもそういう写真はあって(ごくたまに証明写真かのような男一人の写真があって、心が数分息を止めることはある)、皆この写真では窺い知ることのできない悩みや諍いを抱えているのかもしれないが、僕からすると遥か天上の人生を歩んでいるのではないか、僕は何も歩んでいないのではないかと言う気になってくる。否、自分の好きな数学や物理に対しての知的好奇心はそこらの男よりは満たされていて、その意味では恵まれているなと思うのだが、それでも、何か重大なミスをしているのではないかと脳内の違う自分がたまにボソッと聞こえる大きさで言うのだ。そもそも工学部に女子はあまりおらず、勉強もレポートもそれなりに忙しく、出会いの場などもはやないのだ。僕の行動が極端に悪いわけではないだろうとは思うのだが、だとしても辛いものは辛い。高校で好きな女性はいたものの、その女性は高校では彼氏を作る気はないと公言しており、もはや僕にそれを知って迫る勇気はなかった。こうやって働いていることにより、通帳の小さな数字の値が増え、欲しいものがそれなりに買えている事は理解しているのだが、何か時間を生ごみ入れの屑籠に流し込んでいると錯覚させるかのような焦燥感が自分を働いている時折、不意に感じてしまう。勉強もっとできるのでは積んでいる本をもっと読めるのではと言う焦燥感もあるが、やはり今まで人生で誰とも付き合っていないこれからは研究や院試、院の研究生活も考えると忙しくなくなることはないし、もはやもう積んだのではと言う殆ど合っていると思ってしまう事実が焦燥感に延々と火をくべてしまっている。これは僕の力では消えないものだと自然と分かってしまうので手に負えない。そう、現状がつらいのだ。


 「ぉーぃ、もういいんじゃないか、そのぐらいでその掃除」


 「あー、そうか。もう帰る時間か」


 「いや二分過ぎてる。もったいないぞ。早く次の人もう働き始めそうだし帰るぞ」


 「あぁ、片づけてくる」


 「早くしろよー。俺外で待ってるから」


 「うん、分かった」


 帰り際の清掃をしつつ、思考に耽っていた僕に濱井が声をかけたことで僕のモップを動かす手が止まった。作業にはすっかり慣れてしまい、考えていても接客でない限りは他のことを考えていても問題なく済ませることが下手にできてしまうので、無駄に考えてしまうのだが、それはそれで問題だった。


 まぁともかく、ごみを塵箱に全てきちんと入れ、モップを所定の位置に戻し、タイムカードを切り、制服をロッカーに入れ、僕は外に出た。


 濱井はスマホの画面の光を顔に当てながら、そこの自販機で買ったであろう缶コーヒーを飲んでいた。


 「それじゃ帰るか」


 濱井は缶コーヒーを丁度飲み切ったらしく、ごみ箱の口に缶を滑り込ませた。落ちる音がした。


 「缶コーヒーって高くない?」


 「まぁ、これぐらいの余裕はあってもいいんじゃないか」


 「…そうか」


 そういうのは積もり積もると結構な額になるんではなかろうかと思ったが、余裕を楽しむことは重要ではあるなと思い、僕は適当な言葉を返した。


 「んでそういえば何飲んでたの」


 「エスプレッソ。最近嵌ってんだ」

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