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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ある犯罪者の独白

作者: ドラゴン出版

深川事件、で検索すると俺が1981年に起こした犯罪に関する情報がたくさん出てくる。


俺は、法律で禁止されている薬の中毒患者で、事件を起こした時には幻覚、幻聴が酷い状態だった。


赤ちゃん、幼児、その母親、若い主婦一名を包丁で刺して絶命させ、他の主婦を人質にして中華料理屋に立て籠ったがすぐに逮捕された。


四人の命を奪ったので本来は間違いなく極刑になるところ、薬の影響で精神がおかしくなっていたということで無期懲役になった。


俺は茨城県南部、川を越えれば千葉県の銚子市、という町で、貧困家庭に生まれ育ち、中学卒業後、都内の寿司店に就職したが、無口で、器用に働くことができず、苛めに遭ったりして、次々店を変わった。


俺は劣等感著しい人間であり、自分を強く見せるため、刺青を彫った。しかし、それが原因で寿司店を解雇されたりした。


故郷に帰り、家業の(しじみ)とりの仕事などもしたが長続きしなかった。短気で、すぐ他人に暴力を振るうため、度々傷害罪、暴行罪で刑務所入りした。


そして、薬の常用。たびたび幻聴に悩まされた。いわゆる、被害妄想である、誰かが俺の悪口を言っている、と。


深川で事件を起こした日の前日、俺は大手寿司店での面接に行った。面接が終わり、俺は人事部長に尋ねた、俺は採用か?と。


前科者で転職回数が異様に多い俺だ、人事部長の腹の中は不採用で決まりだったと思う、しかし、あえて部長は言った、明日、お電話ください。


翌日、深川の公衆電話から寿司店に電話した俺は不採用と聞き、絶望した。そして世の中を強く、強く恨んだ。


カバンに入れていた仕事用の包丁を取り出し、乳母車を押しながら近付いてくる親子の方向に、少しふらつきながら、静かに歩いていった。



刑務所で秋葉原事件、大阪の小学校乱入事件、最近の川崎の事件について書かれた新聞を読んでいると、思わず、昔の俺がいる!と叫びそうになる。


恩赦を度々望んだが、俺が塀の外に出るのは難しいようだ。相変わらず短気で、度々他の囚人と揉め事を起こす俺は決して模範囚とは言えない。


刑務所入りして酒、薬を絶ち、毎日毎日、同じことを繰り返している。無期懲役囚として38年暮らし、俺は67歳になった。


親を恨み、同級生たちを恨み、俺を解雇した経営者たちを恨む毎日だったが最近はそのような気持ちも薄れた。


結局、俺が悪いんだ。苦しい現実をいっとき忘れるため、酒や薬に逃げて、ますます現実を苦しくした。


俺は、毎日、亡くなった方々に手を合わせて謝罪している。謝罪したからと言って彼らが生き返るわけではない。しかし、塀の中で俺がいまできることは、日々、仏に手を合わせることぐらいだ。本当に申し訳ないことをした。


家は貧乏、高校にも行けず、短気な性格で、仕事を長く続けることができず、度々逮捕され、ついには深川事件を起こし、無期懲役になった俺の人生は、酷いもんだ。


俺は人生に絶望し、事件を起こした。被害者の方々には本当に申し訳ないことをした。


俺を男として、人間として認めてくれる人は一人もいなかった。


もし許されるなら、もし塀の外に出れるなら、俺は誰かを毎日褒めたり、励ましたりする仕事をしたい。昔の俺に会って、抱き締めて、俺はお前の味方だ、何があっても、ずっと味方だと、言ってあげたい。

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