今朝猫が亡くなった
今朝猫が亡くなった
本日、令和元年五月十五日のことだ。
胆管癌だった猫が、今朝二度寝から起きて寝所を見ると目を開けたまま動かなくなっていた。一瞬、最近は体の具合が良くなくて、目を開けたまま横になっている事が多々あったから、今日もそうだろうと「おはよう、千」と触れた。すると冷たい。硬い。あぁ、そうか、とすんなり「亡くなっている」と受け入れられた心があったことにまず驚いた。
涙は出なかった。
直ぐに、これまで千の病状を心配しあれこれ世話を焼いてくれた母に連絡、SNSで供血猫を呼びかけた時にお世話になったので、Twitterでもまず「千が亡くなりました」とだけ打った。手は震えていなかった。その時、自分でも「そうか」と受け入れて、多分自分はそれほど悲しんでいないのだ、まぁ、闘病生活が長かったから覚悟ができていた。そういうものだろう。とそう判じた。
千は今年、2019年、平成の2月9日に大手術をした。「猫と暮らす。」というエッセイで書かせて頂いたが、胆管に大きなものが溜まり胆汁が流れず色々な所が圧迫されていると、そのことは書いた。
猫にも血液型があるということを、実はその時初めて知った。日本にいる殆どの猫はA型で、血統書付きの外来種や一部の猫はB型であるという。
千は野良猫、雑種だったのでA型だろうと思われたが、検査をしたらBだと判明した。我が家には他に2匹の雑種猫がいたので「どちらかがB型なら…」と期待したけれど、残りの2匹はA型だった。
B型の猫というのは珍しく、その時私の住む神奈川県Y市の動物病院、その近隣の動物病院や大学病院にB型の供血猫はいなかった。
「うちのスタッフの猫にもいなくて……」
獣医の方は「B型の供血猫をこちらが見つけてくるのは無理だった」と私に早々に知らせてくれた。なるほど、無理か。では手術はできないのか。
「いいえ、A型の猫ちゃんの血液の……血小板だけ使用することもできます。ただ、拒否反応が出る危険性が高いですが、ないよりは……」
手術をする、という方向で私はお願いしていた。だから獣医さんも「手術をどうすればできるか」を考えてくれた。
私は家族、親族、知人に連絡したがB型の供血猫さんを見つける事はできなかった。
『B型の供血猫さんを探しています』
私はSNSを多く利用してきた。このなろうで小説を投稿する前から二次創作の漫画を多く書いてきたのでSNSでこういった呼びかけをすることに抵抗はなかった。身バレもあるし、デリケートな問題であるの専用のアカウントを作ってはどうかと助言もいただいたが「3000近いフォロワーさんが、見てくれるこのアカウントで呼びかけたほうが早い」とそう判断した。
インターネットの力とは凄いもので、瞬く間に私のツイートは広まった。応援してくれる声や、自身の猫もかつて手術の為にB型の供血猫を探していたことなど、私はこれまで漫画やゲームでしかSNSの付き合いがなかったが、知らない世界の人たちが千のことを気にかけて声をかけてくれた。
そこで私は、今も多くのB型の猫が供血猫を探している事。B型の猫が見つかっても、血の相性があって輸血は受けられないこと、猫の血液バンクはないこと、供血猫にもリスクのあることなど多くの事を知った。
引用リツイートというのを御存知だろうか。それで態々コメントをつけてくる者もいた。多くは「見つかって欲しい」「頑張って」など私に対して優しい言葉の数々だったが、中にはこんな意見もあった。
『自分の猫が助かる為に、他人の猫の血を寄越せとかこれ何なの?』
『こういうのって、供血する側にもリスクがあるのに……』
『うちの子、B型だけど血を抜かれるとか可哀想すぎて無理』
などなど、態々、私に通知がいく引用リツイートの形で書いてくださった。とても優しい、猫好きな方々なのだろう。
その日のうちに、B型の供血猫を飼っている方から複数人、DMで連絡を頂いた。大学病院に勤められている方や、一般の方、様々だったが、供血猫の活動をしており、Twitterの画像に「B型」である証明の写真を乗せてくださっている方がいた。
都内の、車で一時間はかかるところからの方だった。当日はご夫婦で車で来てくださった。とても感じの良いご夫妻で、奥様は愛猫家。多頭飼いをされていて、私の代わりに姉が先に対応してくれたのだが、その短い時間の会話で「しっかりと猫に対して、責任を持って飼っている方。知識や、保険、出来る事は全て理解している」とわかる方だと姉は後に話した。
その方と、その方の猫さんのお陰で千は手術をすることができた。夜の八時過ぎから始まり、終わったのは十二時を過ぎていた。かかりつけの動物病院の獣医の先生たちでは手術が出来ないとのことで、外の先生を招いての事らしい。
手術が終わった。
無事に。これで、食事は元の通り取れるようになるだろうと、その時は言われた。私はほっとした。これで、少なくとも千は苦しい思いがなくなるだろう。
そう思った。
その後、手術の後に中々黄胆の数値が下がらなかった。
「千ちゃんは、癌です」
その後、手術の後に中々黄胆の数値が下がらなかった。
手術をして一週間程度で退院できると言われていたが、自食しない。少しずつ栄養剤を流してくれてはいたが、体重が落ち続けている。
やせ細って、私が面会しても目を開けないことの多くなった千に「私は今後どうするべきでしょうか?」と先生に相談していた時のことだった。
その時先生は様々な治療方法を提案してくれたが、その10分後、大きな病院からFAXが届き、先日の手術で採った細胞の検査結果が出たという。
「……そうなると、これまでの話とは変わります。余命、長くて二か月。あとはどう過ごすか、という事になります」
胆管癌です。手術では取り除けません。
もうこのまま入院し看取るか、自宅で看取るか選んでください、と言われた。
私は待合室で号泣した。
そうか、絶対に死ぬのか。
いや、わかってはいた。わかってはいたのに、私は嗚咽が止まらなかった。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、私、お母さんなのに、何もしてあげられない」
プラスチックのゲージの向こうで、千がゆっくりと息をしていた。手術をして、お腹の毛はすっかり剃られている。巻かれた布に、たくさんの管が繋がれている。
「千、死んじゃうんだね」
私はその日のうちに、千を連れて帰りますと準備をお願いした。
「お家に帰ろう、千。もういいよ、もう、お家で日向ぼっこしよう。千の好きな場所で、好きなようにしよう」
手術後は胃ろう用のチューブに似たものを、腸に直接つないでいて、そこから栄養を流していた。
自食することができなかったからだ。
針を抜いたシリンジに液体の栄養剤を入れてチューブに流す。最初はぬるま湯、次に薬を混ぜたぬるま湯、栄養剤、そして最後にまたぬるま湯を流してチューブ内に栄養剤が溜まらないようにする。
腹部の毛をすっかり剃られた千は、チューブに栄養を流されるのを嫌がった。
ゆっくり、できるかぎりゆっくりと行っているつもりだが、違和感があるのだろう。手術後の痛々しい、十センチ以上ある縫合跡、やせ細ってアバラが浮いた体。口の周りは自身の嘔吐したもので汚れていて(病院では拭うことはしなかったようで)毛が固まっていた。
数日は「お互いしんどいね」という声をかけながら行ったが、つい私の力が緩み、千が腕から逃げてしまいチューブが抜けた。深夜のこと。当然かかりつけの動物病院は診察しておらず、夜間緊急を受け付けている動物病院に電話した。
結論から言うと、チューブは再度差し込まれることはなかった。肉の壁で塞がっていて、もう一度手術をすれば入れられるが、それには全身麻酔が必要で、今の千の体力ではそのまま目覚めない可能性がある。それなら、もう手術はしない、と決めた。
そうなると、千は食べられない。栄養がない。
蛾死させるのか。
そういうことだ。
口からは拒否があって、自食はできない。
鼻に管を差し込んで流し込むという提案もされた。
それは、苦しいだけだろう。
では餓死させるのか。
蛾死、させるのだ。
私は家の中、いつもの、私の冬のちゃんちゃんこを畳んでおいた上でゆっくりと息をしている。
もうその時、二日何も栄養が与えられていない。水を飲む様子もなかった。
千をじっと見つめて、涙があふれてきた。胆管癌である以上、もうどうしようもない。あとはどう「看取るか」を決めるのだ、とそう獣医さんにも助言された。
二月の末に、私はなろうで連載しているライトノベルが出版される運びとなっていた。その時までもつだろうか。一緒にお祝いをしよう、千、千がいてくれたから、私の人生は良くなった。だから、本も出せて、猫がくれた時間や気持ちが、書く力になっている。だから、もう少し生きてくれ、と思った。
けれど、千は自分で食べられない。
私は「どうやって死なせるか」を選ぶのだ。
癌が進行してあちこち苦しくなっていく中で死ぬか、それともこのまま何も食べられないまま、餓死させるか。
私が選ぶのだ。
私が決める。
一晩考えた。鼻からチューブをさして栄養を流す。そうすれば、千は餓死はしない。けれど、どうだろう。どう、だろうか。
飼い猫にとって、室内でずっと、世界が終わる猫にとって、食事はどんな意味があることだろうか。それがただ苦しいだけの、ものになって、それはどうだろうか。
翌朝、いつものように他の猫たちが朝私を起こす。朝ごはん、朝ごはんと催促してくる。私は起きて、驚いた。
「千さん?」
千も起きてきている。昨日まで寝所から動かなかった千が起きてきている。
「千さんも食べたいよね」
私は千にやわらかい餌を少し温めて出した。
千は食べない。
匂いは嗅ぐ、でも食べない。
体の状態からして、食べられるわけがないのだ。
けれど千はお皿の前で、綺麗に前足を揃えて、ちょこん、としている。体は細く、お腹が空いてるためフラフラしている。食べない。けれど、ちょこん、と座っている。
「そうだよね、千さん、毎朝、ごはん、食べてきたもんね。そういう時間だって思うよね」
ずっと、毎朝、そうしてきた。
千は「朝起きて、ごはん」と覚えている。そういうものだとわかっている。だから、起きてきて「いつも通り」に過ごそうとしている。
それはそうだ。それは、そうだった。
千は自分が病気で、もう死んでしまうことなんか知らない。猫は知らない。わからない。少し具合が悪いな、何か変だな、と思いながらも「いつも通り」にしようとする。
「餓死はさせない」
私は チューブに栄養を流すためのシリンジを使い「強制給餌」を行った。猫を後ろから抱え、片手で顔を抑えて顎を開かせ、そこに無理矢理液体の餌を流しこむことだ。
当然、千は暴れる。嫌がる。最初はさんざんだった。引っかかれる、蹴られる。でも、噛み付いたりはしてこない。暴れるから爪が引っかかるだけで、千は私を害そうとして爪を出したり、牙で噛んできたりはしない。
蛾死は嫌だ。私が嫌だ。餓死はさせない、そう決めた。
強制給餌は段々と慣れた。タオルでくるんで、両足で押さえて、数度に分けて流し込む。千も「一瞬だけ我慢すればいいらしい」と気付いて諦めるようにもなってきた。
そうして三か月。
途中、血を吐いたりしたが、一日四回の強制給餌で、体重が減り続けることはなくなった。1,6キロだった。
五月に入った。もう、宣告された期間を過ぎて「もしかしたら、このまま」なんて思った。時々、少しだけ自分で食べようとする。食べたりもする。だから、このまま、なんて思った。
よく水を飲むようになった。
体がいつも暑くて、冷たいフローリングで横になっていることが多くなった。
五月十四日。五時半ごろ帰宅して、千や他の猫たちを撫でた。私は、出版した本の二巻の原稿を、さすがにそろそろ仕上げないとまずいだろうなぁ、というところだった。
「明日は休みだから……なんとか」
パソコンをつけ、いつも通り「文字を打っていたんだが、気付いたらゲームをしていた」といういつも通りの有様。
猫たちは遊んでいたり、千はいつもの寝所、私とよく目が合う場所で横になっていた。時々起きて、水を飲む。水場に行ったり来たりが面倒なのか、水場で座ったままな時もあった。
二十二時ごろ、千が鳴いた。
「千さん、お腹すいたかな?」
ササミを温めて、ほぐしてあげた。少し食べた。カツオとかササミとかは少し食べる。
「もういらないのか、そっか」
三、四口ほど食べて移動する。他の猫たちがササミ争奪戦を始めるが、それは放って置く。
その後、二十三時くらいに私は就寝した。千はいつもの寝所で横になっていた。
深夜、二度、千は吐いた。
胃の中のものはすっかり出てしまっていて、けれど最近、電気が消えた頃に吐く事はあったからそれほど心配はしなかった。
五月十五日、午前四時五五分、目覚ましのアラームが鳴って起床。
一度起きて、猫たちに朝ごはんをあげる。
「千さんはいらない?」
千は起きてこなかった。寝所で横になっている。頭を撫でる。暖かかった。
私はそのままもう一度寝て、七時半にまた目が覚めた。
「千さん?」
起きてくる猫たち。千はまだ寝ているらしい、と見ると目を開けている。開いているから、またいつものように目を開けたまま横になっているのだろうと思って手を伸ばした。
冷たい。
硬く、なっていた。
「そっか」
すんなりと「亡くなった」のだと受け入れられた。すぐに、今日の予定、これから何をしなければならないかを考えた自分がいた。
もう三か月だ。
覚悟している。もう、千は十分頑張った。
私たちはお互いちゃんと、最後を過ごせた。
だから、大丈夫。
絶望や衝撃などなかった。
亡くなった。今日だったか。そうか、苦しんだ様子はなかったから、うん、よかった。
そう思った。「それだけで済んだ」のだ。
それは千のおかげだ。
そう思って、母に電話をかけた。
いつも何かと気にかけてくれたから、最初に報告すべきだと思った。
「おはよう、あのね、千がね、亡くなった」
それだけ言って、止まった。
あれ?
おかしい。
声が詰まった。
視界がにじんだ。
苦しくなった。
息が苦しくて、苦しくて、涙があふれた。
いやいや、覚悟しただろう。もう三か月だ。もう十分すぎるじゃないか。なんで泣くんだ。なんで出てくるんだ。分っていただろう。ずっといてくれるわけない。死ぬって、死んでしまうって、もう無理だって知ってただろう。
なんで泣くんだ。
嗚咽が止まらなかった。母と話、母はすぐに来る、と言った。
電話を切った。
嗚咽が止まらない、苦しい。いや、なんでだ。わかっていたことだ。
千が死ぬことはわかっていた。
それが今朝だった。
苦しまなくてよかったじゃないか。
何で泣くのか。
驚きもないだろう。
なんで泣く。
元々、あまり存在を主張しない子だった。だから、今後の生活にもさほど変化はない。私はすぐに火葬の手配をして、明日の仕事の休みを貰った。そういうことを、事務的なことを出来る。している。千を猫用の箱に入れて、布を被せた。冷たく硬くなって、動かない千をそうして「準備」する。
死んでいる。もう動かない。
目をはっきりとあけたまま。
口元は濡れていた。
私は「これは千の体」だと思って、触れている。けれど「もう、起きてくれないんだね」と、それが分かって、怖かった。
その後、すぐに母が来てくれて、一緒に悲しんで、あれこれ、部屋の片づけをしたり、私が考え込まないように、と気を使ってくれた。
14時30分に、前もお世話になった神奈川県の動物供養をしているお寺に生き、火葬してもらった。
夜、母とも別れて、一人家で千の写真を見直した。
「毛がふわふわで、こんなに、まるくって。そうそう、夏は暑くて、2012年の、私が練馬のワンルームで暮らしてた時は……洗面台の中で寝てたっけ」
思い返す、思い出す。色んなことを、思い出す。
千はやせ細って、お腹の毛もなくて、口元は汚れていて、でも、普段の千はそんなことはなかった。丸々としていて、毛はいつも綺麗でふわふわしていて、綺麗好きで、外には出ないけど外を見るのが好きで、日向ぼっこが好きな子だった。
二日間かけて、これを書いている。前半は5月15日、今、この文字は16日の夜に書いている。
明日から仕事で、千のいない生活をあたりまえに送っていく。
私は自分が文字を打てる、文を書ける人間でよかった。こうして、千のことを書いて残して置ける。
どれくらいの人がこのエッセイを読んでくれるのかわからないが、少なくとも、読んでくれた人はほんのひと時、千というとても可愛い猫がいたことを覚えていてくれるかもしれない。
私は今、悲しいという気持ちでいっぱいです。
もっと千を大事にしてあげればよかった。
もっと千の好きなようにさせてあげればよかった。
このエッセイを読んで、人に、猫に優しくしてほしいとか何か変わればいいとか、そういうメッセージじみた大層なものはないのです。
ただ、書いています。
千という子が生きていた事実を、書いています。




