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rainy day  作者: 高山小石
2/3

2.耳に残る雨音

「猫ぉ?」

「ずぶ濡れね」


 百人目がしゃがんで俺に傘をかかげた。もう一人の女も仕方なさそうにしゃがんだ。


「にぃぃ(そうだよ。かわいそうだろ? だから早く名前を呼んでくれよ)」


 俺は百人目に近づいた。さぁ、ここからが勝負だぜ。飼われていた時と同じ仕草で、しゃがみこんだ百人目の膝に……。


「ダメ。スカートが汚れちゃう」


 百人目は俺をブロックしやがった。

 この一大イベントにスカートの汚れなんかどうでもいいだろ! とは思うが、汚れるのが嫌な気持ちはわからないでもない。こいつらが着ているおそろいの服は、制服とかいう服で貴重らしいし。

 仕方ない。まだまだ思い出の仕草はある。別の手でいこう。

 俺は一緒にいたときよくやった仕草――きちんと座って小首をかしげる――で百人目を見上げた。


「かっわいいじゃん」


 百人目じゃない女が歓声を上げた。


「にゃああ(おまえはいいんだって。早く思い出せよ、百人目)」


 必死で鳴く俺を見て、百人目は何か考えているようだ。


「あれぇ? 濡れててわかんなかったけど、この猫、昔ユイが飼ってた猫と似てない?」


「にゃ(いいぞ、百人目じゃない女)」


「そう?」


 百人目は、渋い顔で俺を見ている。


「そうだって。この、よくわかんない柄とか、シッポの曲がり具合とかぁ。昔、見たとき、珍しいって思ったもん」


 俺サマの美しく黒光りする灰色のシマ模様を『よくわかんない』とは失礼だが、よくぞ言ってくれた。お礼に、尻尾を触られるのはむちゃくちゃ嫌いだが、特別に触られるままになってやった。


「そうかなぁ」


 百人目は少しも納得していないようだ。


「ユイ、雨の日に拾ったって言ってたじゃん。これって、戻って来たんじゃないのぉ?」


 いいぞ。あと一押しだ。

 俺は百人目と二人だけの時によくやった特別な甘え方――靴に額をこすりつける――をした。ちゃんとスカートには当たらないように配慮してな。


「そう……かも」


 よっしゃ。とりあえず認めたぞ。後は俺サマの名前を呼ぶだけでいいんだ。さぁ、呼んでくれ!


「ユイの猫ちゃんの名前って、確かぁ」


「みゃみゃ!(その調子だ!)」


「シマだっけ?」


「違う」


「あれ、トラだった?」


「違うよ」


「あぁ、シマトラ」


「怒るよ」


「えー? こんな感じだったじゃん。単純な名前って思ったんだけどなぁ」


 だったら、ちゃんと覚えとけよ!

 まぁ、百人目に呼ばれなければ意味がないんだけどな。この流れを維持して、なんとしても呼んでもらうぞ。再会してから一時間しかチャンスはないんだ。もうカウントダウンは始まっている。

 百人目、早く呼んでくれ。

 切実に見上げる俺から、百人目は目を逸らして立ち上がった。


「帰ろう。ドラマ見るんでしょ」


「み?(え?)」


「あっぶない。忘れてた。宿題すませないと、テレビ見せてもらえないんだった。猫ちゃん。バイバ~イ。いい人見つけなよぉ」


「みゃ? みゃみゃあ!(マジかよ? ちょっと、おい!)」


 どれだけ鳴き叫んでも、二人は振り返りもしなかった。

 呆然と見送る俺の隣にスズメが降りてきて、楽しそうにステップを踏んだ。


「チッチ(これは予想外。フラれちゃいましたね)」


「…………」


 いつものスズメの軽口、なんだけどさ。今は相手する元気も出ねぇ。


 なんでだ? なんで失敗したんだ?

 完璧なシナリオだったじゃねーか! なにが悪かったんだよ、コンチクショウ。


「チュン?(どうします? まだ時間が残っています。家にも行ってみますか? 住所は変わってないのでしょう?)」


 よもやスズメからそんな意見をいただけるとはね。


「チュンチュン(ほら、お友達の前だから照れていたのかもしれませんし)」


 スズメの気遣いは嬉しいが、昔飼っていた猫の名前を呼ぶのになにをテレるって言うんだよ。

 俺の長年の経験から考えても、今回は失敗だ。きっと何度行っても同じ。百人目が俺の名前を呼ぶことはない。百人目は俺を覚えているのに、あえて呼ばなかった。何か理由があるんだ。理由まではわからないけどな。

 はっきりしているのはただ一つ。

 俺のこの十年間は無駄だったってことだ。


 あ――…………。


 いつもなら、これほど落ち込まないんだが。今回は最後だし、失敗するとは思ってもいなかったから、同時進行もしてなかったんだよ。あー、またターゲットを探すところから始めるのか。

 とにかく雨のかからない場所に移動しよう。このまま雨の中に立ち尽くしていても仕方ない。

 そう思うのに、小道から一歩も動けなかった。


「チッ?(どうしました? もう次の候補者のことを考えているのですか?)」


 そうだ。やらなきゃ終わらないんだ。

 俺は、重い足を踏み出した。

 新しい百人目はどこで探そう。この町で探そうか。いっそ別の国に行って探そうか。


 もし、十年かけて、またダメだったら?


 この千年の間、打ち消し続けていた、嫌な考えが這い上がってきた。

 本当に百人クリアしたら人間に戻れるのか? 初めっから、絶対に達成できないようになってるんじゃないのか? 俺はずーっと永遠に猫の姿のまま…………


「チィッ!(危ないっ!)」


 鋭い声に顔を上げた。

 視界に飛び込んできたのは、勢いよく回転するタイヤ。目前に迫った車。

 俺はいつの間にか道路の真ん中にまで出ていたようだ。

 そうか。こういうことだってありえたな。手間ヒマかけずに俺を抹殺。そのほうがスズメだってラクだろうよ。きっと今度は、新しい身体も用意してくれないんだろう。

 それもいいか。

 俺は目を閉じた。普通に死ねるのなら、ラクになれるのなら、それでいい。

 激しいブレーキ音と衝撃が俺を襲った。

 身体が宙に浮くのがわかる。

 やがてべちゃりと冷たい道路に落ち、打ちつけられた瞬間、息が止まった。手も足も動かない。目を開けているのか閉じているのかも、わからない。

 視界はただ暗かった。

 顔に落ちる雨粒の感触から、顔は上を向いているのだとわかった。

 道路にへばりついた俺を洗い流したいかのごとく、冷たい雨が降りそそぐ。跳ねる雨音が、耳に近いからか、妙に大きく聞こえる。この音、以前にも聞いたな。

 俺がまだ人間のガキで、最下層で暮らしていた頃だ。

 あの時の俺は、何をやっても文句を言われことあるごとに殴られていた。殴られた俺は、薄暗い街角の隅に、ゴミのように転がされた。そこは本当にゴミ置き場で、散らばったゴミから生臭い臭いがしていた。

 顔をそむけようにも、痛くて動けなかった。目に映るのは、囲むように建つレンガの壁に、小さく切り取られた灰色の空だけ。雨さえも俺をゴミだと言っているようだった。

 そうだ。それで俺は誓ったんだ。

 絶対、勝ってやるって。誰にも、なににも、負けないようになってやるって。その一心でのし上がってきたのに、王様になっても裏切られ、今もこんなザマかよ。

 のぼりつめた、はずだったのに。

 俺は、あの時から、なにも変われなかったのかな。


 思い出したかのように全身に痛みが踊り狂う。

 長いだけだった俺の命も、ここで終わり……か。

 痛みの中で、意識が……遠く…………


「大丈夫? しっかりして。目をあけて!」


 ……なンだ?


「お願い。起きて!」


 大きな声で叫ばないでくれ。

 そう言いたいのに、口が動かない。


「起きて! 目をあけて!」


 女はひたすら叫び続ける。

 黙らせるには目を開けるしかないらしい。目を開けようにも、痛くてたまらないのだ。くそぅ。まぶたがこんなに重いものだとは。もどかしさにイライラする。


「目をあけて!」


 わかったってば。動けよ俺の皮!

 ようやくまぶたに指令が伝わったらしい。視界が細く開いた。


「良かった……」


 俺もだ。やっと静かになった。

 口に出したつもりなのに、まだ口は動かず声にならなかった。何度かまばたきすると、普通の視界に戻った。

 目の前、濡れた道路の隅に座り込んでいるのは、さっき行ったはずの百人目だった。なんでこんなとこに座ってるんだ?

 百人目をよくよく見ると、腕やら足やら、顔までも傷だらけだ。気にしていた服も汚れている。

 俺の頭の中に、スズメの声が聞こえた。


『あなたを車の前から突き飛ばして、助けてくれたのですよ』


 俺を助けた?

 そう言えば、俺の身体、車にひかれたにしてはスプラッタじゃないな。落ちついて力を入れると、なんとか身体を起こすことができた。まだガクガクだけどな。

 よろよろと百人目の膝に乗った。ここまで汚れていれば俺が触っても構わないだろう。肩に前足を置くと雨と傷で汚れた顔をなめてやった。


「痛っ」


 百人目は顔をしかめたけれど、俺はなめ続けた。百人目は俺を払いもせず、されるままだった。

 冷たい雨に混じって、暖かい粒が落ちてきた。


「……良かった。無事で。本当に良かった。もう、失いたくないよ」


 しょっぱい粒は大嫌いな雨とは違った。俺を濡らす水なのに心地良く感じる。

 百人目はボロボロと涙を落し続けた。


「みゃあ(おい、こいつ大丈夫なのか?)」


『大丈夫ですよ。きっと緊張が解けたのでしょう。それに、どうもこの十年の間に何かあったようですねぇ』


 スズメの読みに俺も同感だ。何かなければ、たかがノラ猫のために車の前に飛び出したりはしない。俺はあらためて百人目を見た。

 成長した身体には、十年前と変わらない面影がある。でも十年前、「こいつなら大丈夫」と確信させた『何か』が消えている。いったい百人目に何があったんだ?


 随分としてから、落ちついたらしい百人目は俺を下ろすと言った。


「一緒に来る?」


 返事を期待して言ったのではないのだろう。百人目はすぐに歩き出した。俺は何も言わず、歩き始めた百人目の後ろについて行った。

 激しかった雨は、いつの間にか上がっていた。

 百人目の家の前まで来ると、百人目は初めて振り返った。俺を見つけると微笑んで、俺を大事そうに抱き上げた。濡れた毛を通して、百人目の体温が伝わる。


 ――暖かい。


 俺は、自分の身体が冷えていたことを知った。

 約束の百人まで、あと一人。

 百人目に失敗した今、新しいターゲットを探したほうが得策だってわかっている。

 けど、もう少しだけこの姿でもいいよな。

 百人目に何があったのかが知りたい。俺の名前を呼べない理由、車の前に飛び出した理由。それを確かめてから新しい百人目を探しても、遅くはないよな。


 いつもなら聞こえるはずのスズメの声が聞こえなくなっていたのに、俺はしばらく気づかなかった。


ありがとうございました。


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