聴覚障害者の日常 イントネーション編
話しことば、つまり、リアルに話している言葉には、イントネーションというものがあるんですよね。このイントネーションというものは、目には見えないわけです。声色も声の調子も読み取れない。ポーカーフェイスでやられたら、その人の考えていることが、その台詞の通りなのか、おべっかなのか、あるいは我慢しているのか、さっぱりなわけです。聞こえない人は表情をつけることで疑問や感情を付加するので、表情豊かだといわれるのですね。
脱線しました。イントネーションの話をしたかったんです。アタシは一応、発声することができる、と書いていました。でも、イントネーションは疑問や感情が高ぶったりする以外あまりなく、フラットなんだそうです。なぜか?知らないから、です。そして、覚えられないから、です。
幼いときに失聴したのは確かですが、どうして発声することができたかは、未だに謎です。日本語の獲得はおそらく姉が通っていたことばの教室についていって見ていたので、幸運にも身に付いたのかな、としか思えないのですが。そのことばの教室ではイントネーションの訓練はありませんでした。
イントネーション、難しいですね。
同音異義語の多いこと、それをイントネーションで区別してるのだと。わからないのでお手上げです。
ある日のヒトコマです。
「ムスメよ~。カキたくさん届いた~。」
「お母さんがいうと果物の柿が来たかと思ったわ……。」
「海のカキ……。」
「そう、海のカキね。」と言いながら指差し状態で下へ下げる動作。
「か、き(下げてるつもり)」といいながら顔を下へ向ける。
「顔を下げても下がってないから……。」
「か、き(オーバーな低音)」
「ん、まぁ……、そんな感じ……かな……。」
大変です。自分の声が確認できないから覚えられません。そして牡蠣の季節になって、 また、注意されるのです……。
まあ、大抵は「何々の何々」といういい方で切り抜けていますけどね。……面倒くさいねぇ。