8.結婚式前夜
何度も何度もシリアは心の中で毒づくように思っていた。一週間で準備というのは本当に無茶だと。
「……疲れたね」
「そ、そうですね……」
ハッと気が付いたら既に結婚式の前日で、しかも日はとっくに落ちており夜が周囲に降りていた。
そんな時間、シリアとルナはつい先ほどまで式の予行で何度も何度も念を入れて打ち合わせを行っていた為か疲労を隠せない。
(でも、何だかんだ明日か……)
シリアは疲れた様子を見せながらも隣に座って一息ついている少女をチラリと盗み見た。
短めの綺麗に輝く金髪から覗く純白なうなじが目に映り、別にそんなわけもないのにいけないものを見ている様な気分になり慌てて目を逸らす。
「ん?」
そんな挙動不審な動きに本人のルナが気づかないわけもない。
「どうかしたんですか?」
ついっ、と座高の差で自然と上目遣いに覗き込まれ、シリアは思わずその眩しさに仰け反りそうになった。
この少女はしっかりしている反面、こういうところはあまりにも無防備なとこが散見することが多く、シリアは対策も取れず度々それにやられそうになっていた。
「ん、いや、ちょっと疲れてボーっとしてた、かも……」
「大丈夫ですか?明日が明日ですから今日は大変でしたもんね……響かなければいいのですが」
「あ、いやっ、大丈夫!うん、ただ緊張もあってさ」
真と偽を半分にしてシリアは心配させまいと誤魔化しながら笑みをつくる。疲れているのは真実だ。明日を失敗させないためにも本気で取り組まないといけなかったし、小規模になるとはいえ関係者として他の貴族も招かれているのでそれ用のマナーを一から覚える必要があったのも関係している。
そして、緊張しているのも勿論事実である。思えばルナとの出会いからして何もかもが急であった。
『というわけで、このルナがお主の妻となる』
目を閉じればまだ鮮明に脳裏に浮かぶ。大会で優勝して賞金があると勝手に勘違いしていたシリアの前に現れた一人の少女。
『ルナ、と申します……よろしくお願いします』
出会った時から目を奪われたのも、その控えめで透き通る声に心を傾けたことも全然覚えている。
それからポンポンとシリアが何か言う前に婚姻が結ばれ、そこにどんな思惑があるのか、何を企んでいるのか最初は警戒心を最大限に膨らませていたのもまた懐かしい。
結局、確かに腹に含んでいることはあったし、国として、国家としてのある思惑もあった。ただ、それはシリアを陥れようとするものではなく、ルナの助けを求める声だったのだ。
「シリア……?」
いつからだろうと彼女は思う。ルナに惹かれ彼女を一人の女性として好きになっていたのは。
自身の贔屓目を除いたとしてもルナは綺麗で可愛いと断言できた。奥ゆかしくそれでいて慈悲深く慎まやかな彼女は誰しもが是非とも伴侶にと欲しがるに違いない。
そんな女性と自分が婚姻を結んでいる。それが不思議で困惑して、それでいて謎の優越感があったのもまた事実だ。
「シリア?」
そんな彼女を悩ませる原因と闘った記憶もまだ薄れていない。クリーク=エンリ、彼の家に雇われて夜に襲撃してきたフィーユと剣を交えたことも、その後に彼と闘技場で雌雄を決っしたのも、まだ鮮明に頭に残っている。
危なかったところは何度もあったに違いない。それでもその頃にはルナに心を寄せていたシリアには苦ですらなかった。
「シリア!?」
「っ!!」
そんな走馬燈に思えるような記憶の旅をしていたら、その想い人の声で現実に引き戻された。慌てて隣を見るとルナが心配そうに見つめている。
「本当に大丈夫ですか?今日はもう休みます?」
その提案にシリアはうーんと悩む。段取りを終えて夕食を取り、入浴まで済んでいる。寝ようと思えばすぐに寝れる状況だがいかんせんまだ時間的には少し早い。
というより、シリアは心の準備がまだ出来ていなかった。
「もうちょっと起きてようかな。心配かけてごめん」
「いえ、大丈夫ならいいのですが……でも」
「何か寝るのが勿体なくてさ」
言葉を続けようとしたルナの言葉を遮る。
「え?」
「別に何かが変わるってわけじゃないけど、明日からまた関係が少し変わるでしょ?だから、今の私達にとっては最後の夜だから、だから寝るのが少し勿体ないってそう思うんだ」
「……そう、そうですね」
結婚式、というのは一つの区切りだ。元から婚姻は結んでいるから実際の所変わることなど殆どない。それでも、やはり式をする前と後では意識に違いが出てくるだろう。
「それと、本当は自分の着る式用のドレスがどんなものかって考えるとあっさり寝れないというか」
「え?シリアは知らないんですか?」
「えっ?」
そこで初めてシリアはルナはとっくに自分の着るドレスを把握していることを知る。てっきり自身と一緒で「当日の楽しみよー!」とアイリかティアナに言われていると思っていたからだ。
だから驚いた。
「し、知ってたの?」
「え、ええ……一応、完成品ではなくてデザインの絵でしたが……」
そしてルナは見せられたその紙面を思い出して僅かに顔を赤くした。そこに宿るのは羞恥なのか、それとも別の何かなのか。シリアにはそれを察する以前に自身はまだ知らされていないことに焦りを感じていた。
(そうだ、もし用意されたドレスが全然似合わなかったらどうしよう……!)
婚姻の発表をした日は男性用の礼装に身を包んでいた。しかし、今回はウェディングドレスだ。それも恐らくは物凄く華やかな物になるだろう。そんなものが自分に似合うのか、いや似合うわけがないとシリアは顔を青くしていた。
「シリア?さっきからどうしたんですか……?やっぱりもう今日はベッドへ……」
「今更になって……ごめん、やっぱり不安かも」
ここに来てシリアは自身の状態がやっと把握出来た。
シリアは不安だったのだ。何もかもやったことのないことで必死にリハーサルも行ったがその時は夢中だったおかげで何とかなったことを今になって思い知る。
(情けない恰好でルナをがっかりさせたら……)
外出の為に多少服を見繕った(見繕ってもらった)ことはある。だが、結婚式で着るようなウェディングドレスなんて着たことがあるわけはない。
しかもそのデザインはわからないときている。
無理だ。というつもりはない。それでも煌びやかなドレスを着たルナときっとみすぼらしいであろう自分を対比すると心にモヤモヤと雲が掛かる。
「……もう!」
「うわっ!?」
自然と不安で俯いていたシリアは突然引っ張られた衝撃で驚きの声を上げる。
ポフッと頭が柔らかい何かに載った感触が伝わり、それはソファーかと思ったがそれにしては不自然な暖かい柔らかさだ。
それが何なのかは目を開けてから理解する。
「ルナ……」
グイッとルナはシリアを自分の方に寄せ倒したのだった。つまりシリアの頭は今彼女の膝上に存在している。それが膝枕だということぐらいはルナの顔を見上げている状況で理解できる。
「らしくないですよ。シリアは自分を卑下し過ぎです」
「でも……」
ルナは少しだけ悲しそうな怒ったような顔をした後、ゆっくりと安心させるように微笑む。
「いつだってどんな時だってシリアは素敵ですよ。貴女が思っている以上にずっと、ずっと」
「……そんなこと、そんなことは」
それを否定しようとして、しかしそれは遮られた。ルナがシリアの頭に手を置いてゆっくりと撫でたからだ。
「いつも助けられている私が言えることではありませんが、もっと自信を持って良いと思います。それに……」
それに?と声には出さずシリアは目で問いかける。ルナは言い出した手前引っ込めることはできなかったが、しばらくしていつもより顔を赤くしながらボソッと答えた。
「私だけが……楽しみで浮ついているのが……申し訳なくなります……」
小さな声の答えだった。ルナはすっかり羞恥で顔を染め、その視線は泳いでいる。
そして、それを見てシリアはやはり後悔をするのであった。
(相手が、ルナが目の前にいるのに、私は自分のことばっかり……情けない!)
シリアはゆっくりと手を持ち上げてルナの頬に手を添えた。その予期せぬ感触に彼女はピクッと身体を震わせたのが膝から伝わってくる。
ルナがゆっくりと泳がせていた視線を戻すと、その時にはシリアの瞳にはいつもの、彼女が好きな輝きが戻っていた。
「ごめん。それと、その、ありがとう」
言葉は上手く選べなくて変な言い方になってしまったが、ルナには十分に伝わったようで、彼女は頬を赤くしたまま微笑んだ。
「明日、楽しみですね……」
「……うん」
微睡みの様なゆっくりとした夜が過ぎていき、そして遂にその日が訪れるのであった。
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