8.豊穣祭に向けて
前夜祭の翌朝。
用意された部屋のベッドにはそれなりに大きな球体が出来上がっていた。
「ルナ、もう起きなきゃ……朝食も摂らないといけないし、今日は祭りが始まる前に会合があるんでしょ?お風呂にも入らないと」
「……私の事は忘れてください。一生こうして丸くなって過ごしますから」
その正体はルナがベッドの布団を巻き込んで埋まるように丸くなっているもので、それを前にしているシリアはどうしようもできず佇んでいた。
「そんなこと言ったって……うーん、困ったなぁ」
あの夜。
自室に戻ったシリアは抱いていたルナをベッドに優しく寝かせた。元々寝ていた彼女は素直にベッドに沈むとそのまま穏やかに眠り続けていた。そして、それにつられてか疲れていたのか、シリアも眠気に襲われるとその隣にパッタリと倒れるように眠りについた。
それで起きてみたら大きな球体が出来上がっていたわけである。
「うううううう、何でお酒を……何であんなことを……」
どうやらルナはお酒を飲んで潰れた後の記憶を覚えているタイプらしい。あのお店で酔いに任せて陽気に振舞っていたのも、そして馬車の中で起こったことも全て頭の中で鮮烈に残っているようだった。
「ご、ごめんって。私もちょっと酔ってて自制ができなかったからお互い様だよ」
「シリアは何も悪くないです……お酒を飲んでしまった私が悪いんです……」
「いや、あれは私もお酒だってわかってなかったししょうがないよ。だからベッドから出よう?」
「う、うぅ……」
丸まっていたルナはシリアに何度も促され、漸く顔だけを外気に晒す。その顔はいまだに昨夜の羞恥を思い出しているのか赤く染め上がっていた。
「大丈夫だって。昨日の事は(たぶん)私しか知らないし、誰にも話さないしさ」
「誰にもっていうより、私はシリアにあんな姿を見せたことが何より恥ずかしいんですよ……」
流石にルナもずっと我儘を言っているわけではないと思ったのか、球状態を解除してベッドに腰かける姿勢になる。しかしその視線は下を向いていた。シリアの顔を見るのが恥ずかしいのだ。
「私は気にしないよ?」
「私が気にするんです!」
今日の予定は少しだけ忙しい。豊穣祭の開始は正午に予定されているが、それまでに昨日入れなかった入浴と朝食を済ませ、その後はこの国の貴族たちや来賓との会合があるのだ。
そしてシリアだって、昨日の記憶がないわけじゃない。馬車の中で起こったことは間違いなく刺激的であったし、今思い出すだけでも心臓の音が高まるのを感じている。
(私も意識しないようにしないと……)
一緒に入浴する時に、それが悟られないようにと思いながらシリアはルナと一緒に浴室へと向かうのだった。
*****
「え?それは本当ですか」
シリアとルナが入浴している時、カエンは珍しく驚いた声を出した。彼の前にはジエンが考え込むように座り込んでいた。
「うむ、すまないが今日の昼の馬車で戻る予定だ」
「しかしまた突然に……」
今朝、急にジエンに呼び出された彼が何事かと思って出向いてみれば何でも祭りが始まる前にジエンは急用で帰国すると言うのだ。
しかもその理由を何故か教えてくれない。
「急用ではあるが何かまずいことが起きたわけではない。だから心配はするな。それにお前ももうすぐ一人立ちの年齢になることだし、挨拶周りも出来なくてはな」
「それは、そうですけど」
「それと大丈夫だとは思うが彼女達の事も任せるぞ」
言われなくてもそれがルナやシリアの事だとはわかる。王であるジエンが帰るとなると当然護衛の兵士も少し割くことになるのだ。
「ルナとシリアには何と説明するつもりですか?」
「お前と同じことを言うつもりだ。ルナは少し心配性だから、上手く誤魔化してくれ」
「誤魔化してくれって……また難しい事を」
一体何があったのか。カエンにはわからないが父のあまり慌てていない様子に今はひとまず考えないことにした。
それを考えるよりは自国を代表して挨拶をすることになるのだから、そちらの方を考えておかないといけない。
ジエンはさっそく気持ちを切り替えた様子のカエンに少し安堵したように息をついた。
*****
シリアにとって挨拶周りとは緊張以外の何者でもない。
入浴と朝食を急いで済ませた後は遂にその時間がやってくる。豊穣祭は正午からだが、その直前に来賓含め様々な貴族が一堂に会するのだ。
グリード家一行もその大勢の中にいた。
「これはこれは、お久しぶりですな。ご健勝でありましたかな?」
「ええ、グレイル公爵もお元気そうで何よりです」
カエンの言葉にグレイルと呼ばれた中年の男は関心したように朗らかに笑う。
「ほほ、前に会った時はまだ子供だと思っていたのに立派になりましたな。時間という物は恐ろしく早い」
「いえ、私なんか父上と比べればまだまだです」
「そう謙遜なさらずとも、カエン殿は十分に立派ですよ」
そう言ってグレイルはカエンの斜め後ろに控えるように立っているルナとシリアに目を向けると優雅にお辞儀をした。
「ルナお嬢さんもしばらく見ない間にずっと美しくなられましたな」
「い、いえ、そんな恐れ多いです」
「そして、貴女がシリア殿ですね?お噂はかねがね、グレイル=ウルヴァン、ウルヴァン家の当主をしている者です」
「は、初めまして。シリア、シリア=グリードを申します」
このグレイルという男。ブレナークやエネリアよりもずっと大きいとある王国の公爵という立場の者だ。その階級は高く立場もずっと偉いのだが、そういった貴族にありがちな他者を見下すような雰囲気をあまり出していない貴族だった。
そんな彼は習った通りに礼をするシリアにもにこやかに微笑む。
「こちらも見た目麗しいお嬢さんですな」
彼はそう言うと一度コホンと咳払いをして、少しだけ声量を落として慎重に窺う様な声色で尋ねる。
「尋ねるのは失礼だとわかってはいるのだが、ルナお嬢さんとシリア殿は……」
尋ねきる前にカエンが答える。
「ええ、妹とシリアは婚姻を結んでおります。挙式はまだですが」
「おお、やはり噂は真実だったんですな!」
「噂、ですか?」
疑問の声を上げたのはシリアだ。グレイルはそれに頷いて答える。
「ええ、我が国と貴方達の国とは交流がありましてな。色々と情報が流れてくるのですよ。その中でも最近賑わいを見せているのが貴女方の婚姻についてなのです」
「そ、そうなんですか?」
少し驚いたように声を上げたルナに対して、グレイルは詳しく説明をしてくれた。
「何せ王族のお姫様が位を持たない少女と結婚するなど普通は考えられませんからな。噂でしか聞きませんでしたが、何でもルナお嬢さんにしつこかった貴族の男と闘技場で決闘したとか、暗殺者を撃退したとか、お姫様を守るために魔物の群れを殲滅したとか」
色々な噂が飛び交っているのですよと男は楽しそうに話す。シリアはその様々な真偽の混じる噂に苦笑するしかない。それと同時にまさかルナとの関係がそんなに広がっているとは思わず、その事には驚いていた。
「是非とも馴初めからお話を……といきたいところですが」
グレイルは公爵だ。そんな彼には繋がりを持ちたいのだろう遠巻きながらもその機会を窺っている者達が多数いた。
「残念ながらゆったりとお話する時間もないようですな。誠申し訳ない」
「いえ、こちらこそ貴重な時間を頂いてありがとうございました」
カエンが締めるように頭を下げる。
「陰ながらお二人のことも、勿論カエン殿の事も応援させて頂きますぞ。もしもこちらの国に来るときは是非とも我が家をお尋ねあれ」
「その時はよろしくお願い致します。では……」
会釈をして別れる。まだまだ挨拶回りは始まったばかりのようで、カエンやルナはともかくシリアは慣れない環境への戸惑いを隠すので精一杯だった。
そして、そんな彼女が落ち着けたのはそれから数時間後だった。
「それでは、これより今年の豊穣祭の開始の音頭を取らせて頂く」
エネリア国王が王城の一室、その壇上に立って高らかに宣言する。それを期に王城の方に集まった面々は一時解散となりシリアも漸く解放されることになった。
「……ふぅ、疲れた」
「お疲れ様でした。大変でしたね」
「うん。ちゃんと出来てたかな……」
心配そうにするシリアにカエンとルナは大丈夫と答えた。出来る限り粗が出ないようにあまり前に出ようとはしなかったが、それでもグレイルの話した通り噂にでもなっているのか、挨拶という形で近づいてくる者が多かったのも事実だ。
「でもお父様がいないと私も少し不安でした」
シリアにもそれは同感だった。カエンと会ってその事を聞いた時は何があったのかと慌てたのだ。心配事ではないと本人が言っていようが理由もわからず挨拶もせず帰っていったジエンに対して不安にならないわけもない。
「俺では頼りなかったか?」
ただ、それでも何とかなったのはカエンの立ち回りのおかげだった。彼は上手く彼女達を遠ざけないようにそれでも挨拶をしっかりと済ませる器量を見せていた。そこにはブレナークの将来の王の姿がある。
そしてそんな彼にルナは慌てて否定するように首を振った。
「い、いえ!そうではなくて、いつもこういう場ではお父様がいたものですから」
兄妹の会話を聞きつつ、シリアはカエンが『俺』という人称を使っていることに気づいた。そして若干彼の頬が赤くなっていることも。
(そういえば結構飲んでたなぁ)
当然、招かれた一室には立食形式で食事から何まで用意されていた。そこには当然お酒も用意されておりカエンは隙を見てはそれなりの量を飲んでいたように見える。どうやらルナとは違い彼はお酒に強いらしい。
そんな彼の今の口調は素が混じっているのだろうとシリアは納得した。ちなみにルナはお酒には目を向けようともしていなかった。寧ろ逸らしていたのかもしれない。
「俺は少し部屋に戻って休むが、お前たちはどうするつもりだ」
カエンに問われ、それにルナが答える。
「私達は一度部屋に戻って準備をしてから祭りを見に行くつもりです。ね、シリア?」
シリアが頷くのを確認して、カエンは一言だけ「変に羽目を外すなよ」とルナだけを見ながら忠告した。その顔はまるで揶揄うようで、思い当たりのある彼女は顔をお酒以外で赤くしてしまっていた。
その後、カエンと別れて自室に戻ったシリアとルナは少しだけ休息を挟んだあと、すぐに着替ると飛び出すように城を出た。
豊穣祭は前夜祭から始まり、今日一日と明日の後夜祭まで通しでずっと行われる予定だ。
正式な開始時間は今日の正午と決まってはいたが、街の中は昨日の夜から騒がしいままなのである。
「いっぱい楽しみましょうね!」
そういって笑いかけるルナに「明日の事も考えて動こう」と言う気持ちはなくなった。シリアだって祭りは嫌いではないのだ、それなら精一杯目の前の彼女と楽しもう。
そう思って、シリアはルナの手をしっかりと握った。
仕事で執筆の時間が取れず、更新が遅くて申し訳ありませんorz
ブックマークや評価、感想などありがとうございます!
次回から豊穣祭本番の話になっていきますので、良かったらお付き合いください!
次の更新は10/12を予定しております。どうぞよろしくお願い致します!




