3.近寄って遠のいて
シリアに悪寒が走る。フィーユの思惑は何もわからないが、とにかく彼女は得物を持っている。そしてルナとの距離が近い。
しまった、と自身の考えが甘かったことをシリアは知る。彼女がこちら側の隙を窺うために、あえて組み込まれた刺客である可能性もあったのだ。いくら何でも危機意識が低すぎた。
しかしシリアに悔いている暇はない。とにかくルナが危ない状況に違いはなく、とにかく助けなくてはならない。足に力を入れて一息に飛び込もうとシリアは身構えた。
が、それは一人の声で急に制止されることになった。
「フィーユ!待って!待ちなさい!」
珍しく大慌てで現れたのはユーベルだった。髪が乱れるのも気にせず彼女は駆け寄ってくる。
「ユーベル、さん?なんでしょう……?」
そんな彼女に対して抑揚のない声でそう答えるフィーユだったが、対するユーベルはゼェゼェと息を切らしていた。余程走ってきたらしい。
「いえ、貴女のことだから誤解を招くかもしれないと思って、既にシリアには説明をしましたか……?」
「……まだ、何も」
やっぱりか、という風にユーベルはため息をついた。シリアとルナは彼女らのやり取りについていけずポカンとするばかりだ。
そんな彼女らに気づいたユーベルは頭を下げると今回の事について説明を始める。
「実はシリア様が自主的に稽古をなさっていると聞いて、フィーユが何かお手伝いをしたいと言いまして」
「手伝い?」
問い返したシリアにフィーユが返す。
「はい、稽古であれば相手がいた方がずっと捗ると思ったので……」
フィーユはシリアに近づくと持っていた二振りの剣の一つを差し出す。受け取った彼女がその剣を抜くと、それは刃引きされたまさに稽古用の剣であった。このためにユーベルにわざわざ用意してもらったというのはフィーユの言葉だ。
「本当は食事をされた後にこの件について提案しようと思っていたのですが、思っていた以上に雑務に時間を取られてしまい伝え忘れてしまって……」
ユーベルは申し訳なさそうに言う。
元々今日は稽古の時間にユーベルとフィーユの二人で尋ねる予定だった。それだったら誤解を招く心配もないという判断だ。
しかし、先程彼女が言った通り今日は雑務が多く中々に手を離せない。全て取り掛かっていたらシリアの稽古の時間は終わってしまうだろう。
「一人でも、大丈夫です……」
フィーユはそんな彼女を見てそう言った。ユーベルもその時はかなり忙しかったため、ちゃんと説明すれば誤解も起こらないだろうと了承をしてフィーユを見送った。
しかしその後で何となく嫌な予感が彼女を襲う。
(フィーユは物静かだし、もしかしたら何か荒れ事になってしまうのでは……)
そしてその予感は殆ど的中していた。
ユーベルから見たフィーユの性格は物静かで大人しい。それは決して悪い事ではないが、今回の様な状況だと危険な誤解を生む可能性が高かった。
実際に一触即発でもあったのだ。
「と、とにかくそういうことなら安心したよ……」
肩の力がガクッと抜けたシリアは安堵の息をつく。ルナも同じく緊張していたようでホッと息をついていた。
「すみません、私が先に、ちゃんと言えばよかったのですが……」
フィーユはそう言って視線を落とす。何となくこの場の全員が察していたが彼女はあまり感情の表現やコミュニケーションが得意ではないようだ。
ただ、それは彼女なりの処世術でもあったし今更変えられるわけでもない。シリアはフィーユなりの苦労があってそうなっていることを何となく察して、慰めるつもりで少しだけ笑って言う。
「まあ、これから気を付けれくれれば良いと思うよ。じゃあ、折角だから相手お願いしようかな」
「……はい」
少しだけ落ち込んでいた雰囲気が明るくなった──ような気がした。
(やっぱりまだよくわからない子だなぁ)
シリアはそう思いながらも刃引きされた剣を持ち、身構えた。
*****
「お仕事は大丈夫なんですか?」
断りを入れてルナの隣に腰を下ろしたユーベルを見て彼女は声を掛ける。
「少しだけ休憩も兼ねて見学していきます。少し不安もあるので」
彼女らの前ではシリアとフィーユが既に何合も打ち合っている。実力的にはシリアの方が上のようだが、フィーユも持ち前の運動神経を存分に発揮しているようで稽古といえどその戦いぶりはさながら試合をしているようでもある。
刃引きとはいえまともに当たれば怪我だってするだろうし、当たり所が悪ければ危険に違いない。
だというのにどこか熱が入ったのか、彼女らは中々に激しい戦いを繰り広げている。それを目の前で見ているルナはヒヤヒヤオロオロとそれを見て表情を変えていた。
そんな彼女にユーベルは声を掛ける。
「シリア様とはどうですか?」
突然横からそう聞かれルナはキョトンとなった。
「え?シリアと、ですか……?それは、どういう」
「そのままの意味ですよ。私から見てもだいぶ親睦は深まっているようですが、実際お嬢様のお気持ちはどうなのかなと」
昔ルナのお世話役だったユーベルの姿がそこにはあった。いつもルナを気に掛け見守ってくれていた存在だ。
そんな彼女のその問いに対して、ルナは少しだけ表情を暗くして少しだけ俯いて、ボソリと答えた。
「私には……わからないんです」
「わからない?」
ルナは言葉を続ける。
「シリアのことは素敵だと思います。私にはない物をたくさん持っていますし、毎日話していて楽しいと感じます。ですが」
一拍言葉を置く。次の言葉が言いにくいのか詰まっているようだったが、ユーベルは何も言わず待つ。
「元より今回の婚姻は私と関係を持って国の政治に横槍を入れようとする者を牽制するためのもの……政略的、といっても間違いはないでしょう?」
「それは」
ユーベルは言いかけて、止まる。それはルナの言い分が正しいことを示していた。「それは違う」と真っ向から嘘の否定をすることはユーベルには出来なかった。
「私はシリアを利用しているだけなんじゃないかと、たまにそう思うことがあります。只々便利だからと……もちろんそんなつもりはありません……ですが、事実だけを見るとそうなのではないかと」
二人がそう話している間も、彼女らの先では二人の少女が剣を振るい、打ち合う音がずっと響いていた。
「わからない、とはそこなんです。私はシリアとどうなりたいのか、利用したいのか、そうじゃないのか、他になにかあるのか……一緒にいる時はそんなことを思ったりはしないのですが、ふと一人になると考え込んでしまいます」
何だかおかしいですよね。とルナはユーベルに悲しく笑いかけた。
そしてユーベルはその悲しい笑みに微笑みながら優しい口調で返す。
「そうやって悩んで悩んで悩み続けることはとても大事なことだと思います」
ただ、と一言置いてユーベルはルナをじっと見つめる。ルナは戸惑いの混じった瞳で見つめている。
「語る程の経験が私にあるわけではありませんが、最後に必要なことはその人とこれからずっと一緒にいたい。そう思うかどうかだと私は思います」
「一緒に、いたい?」
「まだまだ私から見ればシリア様やお嬢様はお若く未来があります。これからも沢山の事が周りで起こるでしょう。その中でお嬢様が思い描く未来の中にもしもシリア様がいるなら、それはきっと……」
その時、一際大きな金属音が響き渡った。ルナとユーベルがハッと視線をそこに向けると、剣を構えたまま肩で息をつくシリアと、手に持っていた剣を弾き飛ばされたフィーユの姿があった。
「流石、お強いですね……」
「そ、そっちこそ、思っていたよりずっと強かったよ……」
お互い息がすっかり上がっていた。どうやら相当集中して打ち合っていたらしい。
剣を拾ったフィーユとシリアが歩いてくる。ルナもユーベルも立ち上がり彼女らを迎えた。
「お疲れ様でした。お互いとも怪我はありませんか」
ユーベルが心配そうに尋ねるが、二人とも疲労だけで何かを負った様子はない。
「……大丈夫です。多少手は痺れていますが」
フィーユはユーベルの問いに素直にそう答える。その手は剣が弾き飛ばされた時に少し打ったのか、確かに赤くなっていた。
「ちょっと打っちゃったかしら……少し冷やした方がよさそう」
ユーベルはそれを確認するとそう呟いて、シリアとルナに頭を下げた。
「放っておくと悪くするかもしれないので少しお先に失礼しますね。入浴の準備も出来ていますので、どうぞお二人ともお先に」
「う、うん」
「ユ、ユーベル?」
何だか性急なユーベルの口調にシリアもルナも呆気に取られていたが、彼女はそれを気にせずフィーユの手を取ると、スタスタと歩いて行ってしまう。
そしてルナだけは気づいた。ユーベルが一瞬だけチラ、と振り向き微笑んだことを。
(ユ、ユーベル!)
悩み続けることも必要、と言った彼女の思惑を察してルナは慌てた。違う、そういう二人きりの時間を沢山作りたいという意味ではない。そう思ったが当然テレパシーで伝わるわけもなく、ただその思いはルナの中だけで完結する。
「あらら、行っちゃったね」
シリアは彼女らが歩いていった方向を呆然としばらく眺めていたが、ふと左手が何か柔らかい感触に包まれたのを感じて、少し驚いてそこを見る。
「……ルナ?」
そこには何故か顔を俯かせながら、シリアの手を両手で包むルナの姿があった。
(え、なに?なに??)
シリアは困惑していた。
何故ルナが突然手を握ってきたのか、そして何故俯いているのか。その理由が全くもってわからない。
「ど、どうしたの、急に」
シリアがそう問いかけるとルナは一瞬だけ身体をピクッと反応させる。しかしそれ以降はまた石の様に動かなくなる。
シリアは只々困っていた。だが、ルナもまた同じくらい、いやそれ以上に困っていた。
(ど、どうしましょう……!?)
きっかけはわからない。ユーベルの言葉に触発されたのか、他に何か思う所があったのか。
ただ、気が付いたら何故かシリアの手を握っていたのである。突発的にやってしまったその行動にルナ自身も収拾がつかなくなっていた。
(な、何か、何か話さないとっ)
気持ちだけが上乗せされて手を握る力がただ強くなる。いよいよシリアは訳がわからなくなり、頭が混乱し始めていた。
どうしよう、何か声を掛けるべきなのか。そう悩んでいたシリアに突然勢いのある声が飛び込んでくる。
「シ、シリア!」
「は、はい!?」
反射で背筋がピンと伸びると同時に返事をする。相変わらずルナは俯いたままである。
「あ、あああの……その……」
ルナがここまで狼狽している姿は珍しい。というよりもこういう状態の彼女を見るのはシリアにとって初めてだ。故に対処の仕方がわからずとにかく次の展開を待ち構えることしかできなかった。
そして、少しだけの間を置いてルナは静かに言うのであった。
「…………お風呂、行きましょうか」
「……え?あ、うん……?」
思いつめていた理由はお風呂だったのか!などと理解するほどシリアは単純な思考をしていない。きっと別の何かがあったものの、言い出せずにそうなってしまったのだろうと、そう考えた。
(わ、私ったら、何を……)
そしてその考えは殆ど当たっていた。
そもそも何か言いたいことがあってシリアの手を握ったわけではない。突発的な行動に答えがあるわけはなかったのだ。
(だからって、散々溜めたあげく「お風呂行きましょう」なんて……うううぅ)
シリアは訝し気に思っているに違いない。そう思っても変に顔が熱いせいで視線を上げて確認することもできない。。
結局、俯いたままのルナに先導されて入浴場に向かうシリアという謎の構図が生まれることになるだけだった。
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