2.馬車でのお迎え
馬車に揺られながらシリアは備え付けられた窓から外の風景をぼんやりと眺めていた。
ブレナークと呼ばれるこの国は今までシリアが訪れてきた国の中では大きい部類だった。国の中には商業区や居住区、工業区から、まだ彼女は見たことはないが歓楽街まであると言われ大きな国内地図を見せてもらったシリアが唸るほどには広い。
さらに居住区には平民の住む区画と貴族の住む区画、そこからまだ細かい区分もあるらしいがシリアはそれ以上は詳しく学ぼうとは思えない程に複雑だった。
さて、その国内で今馬車が進んでいるのは商業区の大通りだった。ルナの通っている学園はこの大通りを真っすぐ進んだ国の中心に近い位置に建っている。
「平和だなぁ」
馬車の窓から賑やかな外を眺めながら彼女はポツリと呟いた。時間帯は日の傾きだした夕方で、これから晩御飯を作ろうと食材を買いに来た主婦を、店の店員が活発な声で呼び込んでいた。
「…………」
話し相手がいないと当然ながら沈黙する。別に一人が嫌いなわけではないが、この馬車に一人で乗るのはシリア的に何となく好まなかった。
(やっぱり見られるよねぇ)
馬の蹄と車輪の音を響かせながら整備された道を進む。そしてその馬車を街の人々は興味津々の目で見つめていた。
商業区の広い通りは業者の馬車や観光用の馬車もよく通るから珍しいわけではない。それでも注目を集める理由は単純で、シリアの乗っている馬車が王家用の物だからという他ない。
「あはは……はぁ」
中には頭を下げたり手を振ったりする者もいる。シリアはそんな彼等に見えているのかわからないが、合わせるように小さな窓から軽く手を振り返し、そして小さくため息をついた。
「慣れないなぁ、これは」
この馬車に乗ってルナを迎えに行くのは初めてではない。それこそ初日はあまりにジロジロ見られるから何事かと身構えたのが少し懐かしく恥ずかしい。
「そろそろ到着します」
「あ、はい」
そんな初日のことを思い返していた彼女に、馬車の操縦士から声が掛かった。いつの間にか馬車はかなり進んでいたようで、学園のある地域に既に入っていた。
ポツポツと学園の制服を着た者が窓から見え始めた時に、ガタと音を立てて馬車は停まった。
「それでは、こちらでお待ちしています」
「わ、わかりました。行ってきます」
指定された場所に停まった馬車からシリアは地面に降り立つと、そのまま歩き出す。行く先は勿論学園の正門だ。
シリアの乗ってきた馬車以外にも他の馬車はたくさん停まっていた。この学園は国の中でも富裕層、所謂貴族関係の子供が多く通っているらしく、その迎えの為にたくさんの馬車が下校時間に集まるのだ。
その中を歩いていくシリアに擦れ違う学園の生徒や、その関係者の視線はやはり集中していた。
それもやはり仕方のないことで、数日前に行われたルナとシリアの婚姻の発表と、さらにそこから行われたエンリ家との決闘。あの場には当然だが多くの貴族が出席しており、誰もがシリアの容姿を明確に覚えていた。
そんな彼女が学園にルナを迎えに来れば、注目されないはずはない。
あまり経験のないその興味の視線に晒されて身を少しだけ縮めながらもシリアは歩き続ける。別に悪意や害意があるわけではない、単純に珍しいだけなのだろうと思えば止めてくれと言う事も出来ない。
シリア自身も第三者であれば珍し気に見ていたに違いない。そう思ってしばらく耐え忍んでいた彼女に救いの様な明るい声が掛かった。
「シリア!」
聞き慣れたその声の方向にシリアが視線を向けるとルナが微笑みながら駆け寄ってきていた。彼女はこの学園の特徴的と言える白を基調にしたブレザーに身を包んでいた。
「ん、おかえり」
「ただいま戻りました、お待たせしました?」
「全然待ってないよ。じゃあ帰ろっか。鞄持つよ」
「あ、ありがとうございます」
色々な教材の入った鞄をシリアは受け取る。ルナはそれにお礼を言った後に学園の方に振り返っていた。
「それでは、また明日!」
そう言って手を振る先には恐らく門まで一緒に歩いてきたのであろう二人の女生徒がいた。彼女らもルナに対して手を振り返していた。
「じゃあ行きましょうか」
シリアはそれに頷いて答える。周りからの視線の集中具合からやはり注目の的となっていたが、どうやら気になっているのはシリアだけらしい。
(やっぱり慣れているんだろうな)
横に並んで自然と歩いているルナを見ながらそう考えてみる。生まれた頃から王の子であった彼女はきっと昔からそういう好奇の目を向けられていたに違いないのだから。
「足元気をつけて」
「はい」
先に馬車に乗り込んだシリアはルナに手を伸ばしていた。その手を握ったルナはゆっくりと馬車に乗り込む。
「それじゃ、お願いします」
「かしこまりました。出発致します」
操縦士がシリアに返事をしてから、ゆっくりと馬車は動き出す。
「今日も書斎で勉強を?」
「うん、ユーベルに付き添ってもらいながらずっとだったよ」
自身から何かしたいと言った手前、苦言するわけにもいかなかったが元々『本から何かを学ぶ』という習慣がないシリアには苦労することが多い。わからない文字があればユーベルから学ぶ必要もあるのだ。
その少しだけ疲れた感じの物言いにルナは小さく笑う。
「ふふっ、お疲れ様でした」
「ルナは今日は何をしてたの?」
「私ですか?今日は一日魔法学の座学と実技でしたよ」
「あー、魔法かぁ」
残念ながらシリアのわかる話ではなかった。一応、護身として簡単な剣術を学ぶこともあるらしく、それに関してならシリアも話を合わせられるのだが魔法となれば全くと言っていいほど話がわからない。
そしてルナもそんな彼女の気持ちを察したのか少しだけ話しを変える。
「シリアはもう15歳ですけど、学園に通ってみたいと思いますか?」
「うーん……興味はあるけど今から魔法とか色々と学ぶってのはいいかなぁ」
行ったことのない学園という場所に関心はある。しかし、シリアはそこまで望んで行ってみたいと思うことはなかった。そもそも魔法が主流のこの国の学園に通っても出来ることは限られてくると思ったのもある。
「そうですか……もし私とシリアの歳が同じだったら一緒に通えたかなーって思うと少し残念です」
「あー、私もルナがいるなら、まあ、その……一緒に通いたいなって思ったかも」
言いながら何となく恥ずかしくなってシリアは少しだけ目を逸らした。そもそも夫婦なんだから別に一緒にいたいと思うことは恥ずべき事でもないのだが、如何せん恋の過程を吹き飛ばした上、経験不足なシリアにはそういう言葉を発することも難しい事であった。
「そ、そうですか……」
そしてそれはルナも同じようであった。お互いに顔を少し赤くしているのをお互いがわかっていなかったが妙な雰囲気が馬車の中に漂っていた。
あたりは夕食時だろうか、商業区にはたくさんの食事処もある。これからの時間に備えて料理をしているようで客寄せも兼ねた良い匂いが馬車の中にも入ってくる。
そして最早お約束なのか。
くぅ、と小さく可愛らしい空腹の音が馬車の中だけに響いた。
「あっ」
ルナは小さな声を上げて思わずお腹を抑えていた。そしてシリアも音に反射するように彼女をキョトンと見つめる。
そしてルナはその頬を恥ずかし気に染めていた。
「……ふふふ」
思わず年相応の可愛らしさとおかしさにシリアは自然と表情を緩めていた。
「う、あ、わ、笑わないでくださいっ……」
「いや、そのごめん……でも、ふふ、あははっ」
勿論馬鹿にするつもりはない。ただ妙な空気の中に響いたその音のおかしさがツボに入ってしまったらしい。
そして、ルナもまたそのおかしさを認識したのか、シリアにつられる様に笑っていた。
「ふふっ、シリア、ひどいですよっ。笑わ、あは、笑わないでくださいっ」
「だ、だって、ルナも、笑う、からっ、あははは!」
しばらく操縦士にも聞こえるようなお互いに笑い合うことが馬車から響いていたという。
そんな帰路から数時間後。先程とは打って変わって自室で愛用の大剣と王家の剣を真剣に見つめているシリアの姿があった。
談笑を交えながら贅沢で美味しい夕食を済ませれば、入浴までは自由時間となる。
シリアはその時間を剣の稽古にあてることにしていた。というのもこの国に来て今の状況になってからだいぶ鈍っているのではないかと自責していたからだ。
「シリア、お待たせしました」
自室の扉からルナが入って来たのを確認してシリアは大剣を背に、剣を腰に帯びた。
この大剣は元々この城の倉庫に預けていたのだが、あのフィーユの襲撃とクリークとの決闘からやはり手に届く範囲にあった方がいいと判断され、今は自室の剣を立てる台座が用意され、そこに飾ってあるように置かれていた。
シリアにとってもその剣は今まで共に生きてきた相棒である。それが近くにあるのと遠くにあるのではやはり精神的にも大分差が出る。
「じゃあ、行こうか」
「はいっ」
ルナにそう声を掛けてシリアは自室から城の裏庭に向かう。そこは騒動のあった例の庭でもあった。
「やっぱり夜は寒いね」
「そうですね。もう少ししたら少しは夜も過ごしやすくなると思うのですが」
庭に吹く冷たい風に少しだけ身を震わせながらシリアは準備運動を始める。ルナは持ってきたブランケットを広げるとそこにチョコンと座り込む。
このようにルナがシリアの稽古に付き合う必要性は特にない。外はまだ寒いこともありシリアも最初の内は柔らかく断ろうとした。
だが、どうしても見たいというルナの謎の熱意と、夜の数時間といえどもルナが一人広い部屋にポツンといるよりは今のように一緒にいた方が警護的にも、そしてシリアのやる気的にも利があった。
それにこの稽古が終わった後はシリアにとっては入浴というご褒美もある。ルナが一緒である以上緊張もするが、一日の最後に入浴することの幸せを知ってしまったシリアにとって入浴は至福の一時であった。
「よし、始めるね」
シリアは準備運動を終え、まずは素振りをするために剣を抜こうとする。
しかし、その瞬間だった。
「こんばんは」
静かな声が静まりかえった夜の空間に響く。それは勿論、シリアとルナの声ではない。
「……フィーユ?」
ルナの後ろからやはり何を考えているのかわかりずらい無表情で、しかしその腰には二振りの剣を携えているフィーユが現れた。
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