1.動き出す日々
三章開始です。百合成分濃いめでいければなと思います。よろしくお願いいたします。
闘技場でのクリークとの決戦。あれから数日が経とうとしていた。
「うー……」
時刻は正午過ぎ。そしてシリアは難しい顔をしながら書斎の椅子に座っていた。
「難しいなぁ」
険しい表情の彼女の目の前には分厚い本が開いてあった。見るからに文字がビッシリと書かれたそれは読み切るだけでも大変そうである。
「大丈夫ですか?」
「ん、あ、ごめん。大丈夫、うん」
そんなシリアを見て、ユーベルは心配そうに声を掛ける。それにシリアは慌てて笑いながら返事をした。
そもそも、何故彼女がその分厚い本の数々と戦うことになったかというと──
『何か働きたいと思うんだけど』
『えっ?』
闘技場での一幕を終え、ルナから何か望みはないかと聞かれたシリアは真面目にそう答えていた。
元々、シリアは生きるために身を粉にして傭兵稼業を務めながら生きてきた。それが彼女の歳にして悲しい事なのかどうなのかは別として、とにかく彼女の身体には何かしら働くという事が身に染みている。
そんな彼女はここ数日でどこか居心地の悪さを感じ始めていた。
(何もしてないのにこんな贅沢が出来るなんて……)
ルナの言った一ヶ月の間、という期間中はその贅沢に溺れてもいいと考えていたシリアだったが、残念ながら今までの人生の中でそういった経験がなかったシリアにはその味わい方がわかっていなかったのである。
だからこそ、何か働きたかった。当然、深い学があるわけではないので、必然的に身体を使った労働を彼女はルナに望んだ。警備でもボディーガードでも何でもいい。とにかくそう思っていた。
ルナはそう言われて回答に困っていた。既にシリアは彼女の為に十分働いてくれてると言っても間違いではない。だったら今のままでもいいと思うのだが、シリアは珍しく譲らなかった。
『それなら何かないか明日聞いてみますね』
ルナは苦笑しながらそう約束をしてくれた。
そして、現在の状況に至る。
「……」
刻々と時間だけがゆっくりと過ぎていく。シリアが今読んでいる本はこの国の歴史やグリード家の成り立ちについて書かれた本だった。
数日前に『勉強』と称して、ユーベルとルナと一緒に学んだあの内容をさらに色濃くしたものである。
「一応、追加分を置いておきますがあまり無理なさらないよう……」
「ん、ありがとう」
ユーベルは手に持った分厚い本を机に追加した。ちなみにユーベルから敬語で話す必要はないと言われ、シリアもその方が話しやすいのでここ最近では彼女とも普通に話すようになっていた。
「でもさ、これを読んでいるだけで働いてるってことになるのかな」
ふと疑問に思ったことを口に出すと、ユーベルはそれに返す。
「周りの環境を学ぶということは重要ですよ?特にこれからお嬢様と一緒にいるなら必要になってくる可能性は高いですし」
「そうかな……」
「そうですよ。私が保証します」
てっきりシリアは城の警備だとか、そういう武力的な部分で仕事が出来ると思い込んでいた。しかし、そういうことにはならなかった。
というのもそもそもだ、身分的に王女の夫となっている彼女が城の警備隊に入るということは常識的にもありえないし、さらにいえば逆に城を警備する者達が混乱してしまう恐れがあったからだ。
だから、彼女にあてがわれた仕事というのは『ルナの夫としての教養を身に着ける』という少しシリアが首を傾げそうになるものであった。
「少し休憩しましょうか。何かお茶菓子をお持ちしますね」
ユーベルはそう言って頭を下げて書斎から一度退室する。するとそこにはシリアだけが残り、ひどく静かになった。
「ルナは今何をしているのかな」
ポツリと呟いたその言葉が誰かに聞こえることはなく、少しだけ書斎に響くと空気の中に消えていった。
今、ルナはシリアのそばにいない。さらにいえば王城にすらいなかった。
『明日からまた学園に通いますので、日中は離れ離れになってしまいますね』
突然、そんなことを言われたシリアは目を点にしていた。よく考えればこの大きな国にそういった施設がないわけないのだが、忙しさにかまけて考えたこともなかったのである。
そして、そこで初めてシリアはルナからこの国の学園のことを知ることになった。
学園は国の中に数ヶ所あり、身分やら立場やらで通う場所は変わる。そして大体の子供は15歳まで通い、それ以降は家を継ぐために働くか、さらに学ぶ道を選ぶか、そこは人それぞれ選択するらしい。
ルナは今13歳、つまり後二年間は通うことになる。
それでは何故今まで行っていなかったのか、シリアがそう聞けばどうやら婚姻関係のことは先に学園側に話しを通していたらしく、しばらく休学となっていたらしい。
そして、今回でひとまず落ち着いたので、再び通学することになったということだった。
「学園って何するんだろ」
シリアは当然、学園に通った経験はない。通うお金もなく、何よりその年の時には既に剣を握っていたからだ。
別に今から通いたいと思っているわけではない。そもそも15歳のシリアにその権利はないし、勉強が特別好きという訳でもない。
ただ、ルナが日中いないということは何となく寂しさを感じていた。
灯りになっているランタンの火を見つめながら、ルナが何をしているのか気にしていたシリアは書斎の扉が開く音でハッと顔を上げた。
「お待たせしました」
そこからはユーベルともう一人、薄い桃色のショートな髪と着慣れていない新品のメイド服が特徴的な少女がお菓子とお茶を持って入ってきた。
その少女はお茶菓子の持った皿を持ちながら、器用に頭を下げると静かに口を開く。
「お疲れ様です。お茶菓子をお持ちしました」
「あ、う、うん」
書斎の机の空いたスペースに手際よくその少女は持ってきた物を並べていく。
その姿にシリアは若干警戒したような、それでいてどう対応したものかとわからないような複雑な表情を作っていた。
「シリア様、その」
そこに掛かったユーベルの察したような口調に、シリアは少し考え込むように俯いたがやがて苦笑して「大丈夫」と返した。
桃色の髪の少女は二人の会話の意図がわからなかったのか、小さく首を傾げているようだった。
ただ、シリアが自然と警戒してしまうのも無理はなかった。なにせ、今目の前にいるそのメイドの少女は、数日前の夜、シリアにナイフを向けてきて向かってきたあの相手だったからである。
彼女の名前は、フィーユと言うらしい。何でもあの襲撃のあったその夜中に訪ねてきたというのだからシリアにとっては驚きだった。そしてそれを知ったのが闘技場での後だったからなおさらである。
普通なら門前払いどころか捕らえてもおかしくはないが、そもそも彼女の容姿はその時まで誰一人として知る者はおらず、さらにいえば丸腰の小柄な少女であったため、ひとまずその場で荒れることにはならなかった。
その少女の対応に出たのがユーベルだったのだが、それがまたちょうどよかった。何故なら彼女はそのフィーユという少女と既に面識があったのだ。
フィーユはシリアと同じく各国を渡り歩きながら、色々な仕事をして生計を立てている身であった。収支もシリアと同じく不安定でこの国に辿り着いた時も殆ど身銭は持っていなかったという。
仕事を探す前に飢えをどうにかしないといけなかったが、それを補うためのお金もない。そんな時買い出しに出ていたユーベルと出会うことになった。
ユーベルはフィーユを見てすぐに何か困っている事を察した。そして親切心で「どうしたのか」と優しく声を掛ける。
フィーユはフィーユでまさか声を掛けられるとは思っていなかったらしく、少し慌てながらも仕事を探していることと、情けないことに自身がひどく空腹な事を話していた。
世の中には彼女のような少女に善意で施しをくれる者がいないわけでもない。
フィーユは目の前のユーベルがそうした善者ではないのかと推測しており、そしてそれは見事的中していた。
ユーベルは執事長といえでも雇用までに関しては一存で決めることはできない。だが、少女一人分の一回の食事代くらいは出せる。
タイミングよくその時はちょうど正午の食事時で、ユーベルは単純な厚意だけでフィーユに食事を奢っていた。関わった以上見放して餓死されても夢見が悪いという思いもユーベルにはあったのだが。
そんなユーベルにとってはたった一度食事を奢っただけだが、それがフィーユにとっては命を助けてくれた相手といって間違いはない。
その後別れてからしばらく会うこともなく、無事に仕事が見つかっただろうかと心配はしていたが、因果というものはわからないもので、ユーベルが助けたことにより王城は彼女に襲撃され、またユーベルが助けたからこそ、彼女の方から訪ねてきたのである。
そして、結果からいうと彼女は王城のメイドとして雇われることになった。というのもあの夜彼女に王城を襲撃させた、その雇い主に問題があったからだ。
誰しもが心のどこかで思っていた通り、やはり彼女はエンリ家に裏で雇われた人間で、多額の報酬を提示されて受けたのだという。
その報告を受けたジエンは、あっさりと彼女を生き証人として囲う事を即決した。今回の件は発覚すればエンリ家の評価や立場を極端に落とす事態である。
だからこそあえて、その手札を持っていることだけを相手に示しておいてその動きを封じたのだ。
勿論、シリアに負けたこともあるがおかげでエンリ家はあの日以降、ルナに接触してくることはなくなった。
「フィーユ、運ぶのを手伝ってくれてありがとう。これからは何の仕事?」
「はい、これから王城の廊下の掃除に入ります」
「そう、それじゃよろしくね」
「はい……失礼します」
フィーユはゆっくり頭を下げると部屋から出て行った。その姿を見届けてユーベルは申し訳なさそうに言う。
「すみません、やはり気になるでしょう?」
シリアはゆっくりと顔を横に振って否定した。
「ううん、彼女の境遇は私的には凄く共感できるし、しょうがなかったことだと思うよ。それに今はここで働いてるんだから、大丈夫だよ」
「そう言って頂ければありがたいです。しっかり私も見ていますので、どうかその面については安心してください」
シリアもそうだが、ルナも最初は彼女を雇うことに難色を示した。シリアにナイフを向けた相手だと知れば当たり前でもある。
ただ、シリアが納得したことと、その彼女と境遇が酷似していること、またその境遇の話を聞いていたルナは強く拒絶する気が起きず、フィーユに害意がなければ良いと判断した。
それに彼女は良くも悪くも真面目で、要領も良かったのかたった数日でメイドの仕事をテキパキとこなしているようだったから、実際に王城で雇い入れたことは今のところ正解であったと言える。
「そろそろお迎えの時間でしょうか」
それから再び、分厚い本と格闘していたシリアだったが、ユーベルのその言葉で顔を上げた。
「もうそんな時間?」
「はい、そろそろ終わる頃ですね」
気が付けば既に日が傾きだす時間になっていたようだった。
「じゃあ、ちょっと準備してくるね」
「はい、こちらの片づけはやっておきますので、どうぞ余裕を持って行って下さい」
「ありがとう、じゃあ行ってくるね」
お礼を言ったシリアは書斎から自室まで早足気味に戻り、外向き様に用意されていた服に急いで着替えると、そのまま王城の門に行く。そこには既に馬車が停まっていた。
「すみません、お願いします」
馬車に乗り込んだシリアが前の御者にそう声をかける。
「はい、出発します」
すぐに返事が返ってくると、そのままゆっくりと景色が進みだした。
勿論、向かう先はルナの通っている学校だ。
シリアからルナに望んだことは『仕事が欲しい』ということだけではない。もう一つ、とある願いをシリアはルナに対して頼んでいた。
『折角婚姻を結んだのだから、もう少し夫婦らしく過ごしてみたいな』
シリア本人も曖昧なイメージしかない物であったが、何となく自然とそう口にしていた。ルナも恐らく同じであったであろうが、何も言わずそれを快諾してくれた。
だからシリアは学園まで彼女を迎えに行く。果たしてこれが夫婦らしいことなのかどうかはわからないが、お互いをより深く知りその仲を深めるために、今彼女はゆったりと馬車に揺られていた。
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