6.お城の案内
さて、ダブルベッド騒動からしばらく経った後、シリアはどうしていたかというと。
「ふあぁ……」
何故か広すぎる湯船に一人、身を沈めていた。
*****
「そういえば夕食までに城の案内もしないといけませんでしたね。食堂や浴場、あとは……」
ルナは先程の切羽詰まったような状態から打って変わって楽しそうに笑いながらそう言う。そのハリキリ具合に少し苦笑しそうになったシリアだったが、そのタイミングで見計らっていたようにノックの音が部屋に響いた。
「お嬢様、ユーベルでございます」
そして扉越しにキリッとした女性の声が聞こえる。何事だろうとシリアは不思議に思ったが、ルナには思い当たる節があったらしくハッと慌てて扉に駆け寄って行った。
「そうでした!すっかり紹介を忘れていました」
ルナがそう言って扉を開けるとそこにはメイド服を着た大人の女性が静かに立っていた。宝石の様に輝く銀色のセミロングヘアーをサイドテールにしているのが特徴の女性だ。彼女は一拍置いて静かながら優雅なカーテシーを決める。
「シリアに紹介しますね!彼女はユーベル。このお城の執事長です!」
「ユーベル=キリッシュです。以後お見知りおきを」
「あ、シリアです。えっと、よろしくお願いします」
シリアはルナの紹介と相手の挨拶に合わせて頭を下げる。
どうにも礼儀作法を極めていると思われる相手にはまだちゃんと応答が出来ていないような気がする。これは後々改める必要があるなとシリアは心の中だけで痛感していた。
そんな風にシリアが自身を戒めているのを知ってから知らずか、ルナは彼女の紹介を始める。
ルナ曰く、彼女はこの城で働く使用人や従者を束ねて管理する業務や、城の屋内外での仕事を殆ど管理しているらしく、つまるところこの城で働く人の中では偉い場所に位置する人間だ。
勿論、今日の会食の段取りも彼女がメインで取り仕切っていた。
「あのスープを作るのもわざわざ手伝ってくれたんですよ」
「お嬢様のためですから」
ユーベルはまた、ルナが幼い頃からのお世話人でもあった。同じ女性でもあるし、勉学から礼儀作法を学ぶ相手としては彼女は適切すぎる人材であったのだ。
「雑事に時間を取られてしまい挨拶が遅れてしまい申し訳ありませんでした」
「いや、そんな……」
年上の者から頭を下げられることになれていないシリアは若干困惑気味に返事をする。
「ところで何か用だったんですか?それとも挨拶のために?」
ルナにそう問われるとユーベルは一瞬、その目を光らせた。
「挨拶もですが、先の会食でチラッとだけシリア様を拝見させて頂きましたが、ちょっと申したいことがありまして」
「えっ?」
突然名指しをされてシリアは驚いた。
先の会食の時、料理の入った食膳を並べるときから彼女はいたようだが、もしや自身の行いで何か間違ったことをしていただろうかとシリアは振り返ってみる。しかし、彼女には何も思い当たる節はない。気づいてないだけの可能性も十分にあるが。
「無礼をお許しください」
彼女はそう言うとルナに一礼すると部屋に入室。そのまま呆然と立っているシリアに向かってくる。
「え、えっ」
シリアにとっては何が何やら、要件なら先に言って欲しいだとか色々と思うが口に出す勇気も隙もユーベルには無い。
そしてしばらく、石像の様に固まっている彼女の周りをゆっくりと調べ歩いていたユーベルはピタッと立ち止まり、そこで宣言するように提案した。
「シリア様、お風呂入りましょう!」
*****
そして、現在に至る。
「まさか湯に身体を沈められる日が来るとは……」
ルナに苦笑されながら手を振られ、部屋からユーベルに連れ去られた彼女はあれよあれよという間に浴場まで案内された。
「ひ、一人で入れますから!」
浴場に備え付けられている脱衣所にて複数のメイドに囲まれたシリアは思わずそう叫んでいた。
どうやら服を脱ぐところから再び着るところまで世話をするつもりだったらしいが、流石に恥ずかしさもあるしそんな仕来りに慣れていない身であるが故、何度も何度も大丈夫だと告げることで何とかそれは回避することができた。
流石に裸を見られるのは女性同士とはいえ恥ずかしい。
「…………」
広すぎる湯船は少し身体を動かすだけで、起きた波の音が静かに響く。その音を聞きながらシリアは自分の身体を見回していた。
今まで戦うことを生業としてきた身ではあるが、奇跡的に大きな傷跡を残す出来事はなかった。しかし、それでも小さな傷はあり、シリアと同年代の一般的な少女と比べればお世辞にも綺麗な肌とは決していえなかった。
これが見られたくないから断ったという部分もある。
「待ち構えてなければいいけどなぁ」
一度メイド達が脱衣所から出て行ったのを見たが、また戻ってきている可能性もある。というより戻ってきているのだろう、先程から何となく脱衣所に人が出入りする気配がある。
「まぁ、しょうがないか」
別に隠し通そうと思っているわけでもないし、しっかり髪も身体を洗ったおかげか、当初はボサボサで少し脂ぎっていた黒髪も少しは艶が戻ったし、肌も今は潤いを持っている様な気もする。
湯気の立ち込める浴場の天井を眺めながら、あとどれくらい入っていようかと心地よさと身体がのぼせる境界線上を見極めながら、シリアは湯船に深く浸かっていく。
(幸せー……)
今までのシリアの入浴事情といえばよろしくはない。
今まで泊まってきた宿屋は出来るだけ安くすむところを選んでいたため、当然、風呂などの設備があるはずはない。よくてお湯で温めた布で身体を拭くだとか、暑い日限定にはなるが川などで行水である。
傭兵として雇われた場合は夜通しの任務もあり、身体を洗えないことが普通でもあるのだ。その中には稀に魔法でお湯やら水を用意してそれで身体を洗う者もいたが、シリアにはただそれを羨ましく思う事しかできなかった。
(それが、今はこうだもんなぁ)
疲労と緊張がかなり溜まっていた身体が湯に包まれた瞬間の解放感といえば、他に比べることがないほど素晴らしいものだった。
誰かに狙われることもなく、心から弛緩させることが出来る環境がこんなにも幸せな空間であることを彼女は知らなかった。
(一生入っててもいいかも……)
肩まで浸かっていたいた身体がさらに少しずつ沈みだす。喉が沈み、次は顔の部分までも少しずつ浸かっていく。
(あ、あれ……?)
そして、何故か力が入らないまま湯船に身体が埋まっていく感触と同時に、シリアはプツンと意識を手放していた。
*****
「ほら、腰が入ってない」
「い、たっ!?」
背中にバシッと木の棒が叩き込まれ、そのままシリアは地面に倒れ込んだ。
「その剣を振る時は腰を回した遠心力の延長でって言ってるでしょ」
「そ、そんなこと言われたって……まず持つことすら……」
「筋力がないことを嘆くなら鍛えなさい。ほら立つ」
「う、うぅ」
地面に一緒に投げ出された大剣の持ち手に手を掛けてシリアはゆっくり立ち上がる。そして剣を前に構えるため持ち上げようとするが、既に腕は限界なのかプルプルと震えるだけで、力が出ない。
「うぐ、ぐぐ……」
「ほら、頑張れ。あと5秒したらまた試合開始だからね」
木の棒を持ったその女性は大剣に悪戦苦闘するシリアを楽しそうに見ながらカウントダウンを始める。
「5、4、3……」
「うううっ……!」
「2、1……」
「う、ああっ!」
聴覚的に伝わる宣戦布告。シリアは既に絞り切った雑巾からまだ水を絞るような気持ちで渾身の力を発揮し、震えている足を無理矢理踏ん張らせると、腰に力を入れて漸く大剣を掲げることに成功した。
「や、やったっ!って……あ、ああ!」
しかし、その上げた勢いが強すぎたのか。そのまま大剣ごと後ろに大きく仰け反ってしまう。その流れに逆らうのが間に合わず大剣はそのまま後ろに先から突き刺さりシリアは万歳をするような情けない体勢になった。
そして、耳に女性の楽しそうな声が嫌にはっきりと響いた。
「開始」
次の瞬間腹部に衝撃が伝わるところまでがシリアの覚えている記憶である。
*****
「ん、んんっ……」
「し、シリア!大丈夫ですか!」
「……あ、あれ?師匠は……特訓は?」
「えっと……」?大丈夫ですか?私がわかりますか?」
滲むような視界が、少しずつ安定してくる。シリアの視界には脱衣所の天井と金髪の少女が心配そうに目の前で小さな手を振っていた。
「あ、あれ……」
「私の手が見えますか?」
「う、うん」
ホッとルナが息を着いたのを認識して、漸く何が起こったかを悟った。
「のぼせちゃった……?」
「使用人からシリアがしばらく浴場から上がってこないって連絡がありまして、慌てて駆けつけたらびっくりしましたよ……」
一人で入りたいと言っていた手前、無許可に入るわけにもいかずルナに相談が言ったとのことだ。何とも気をつかわれているらしい。
「もう……本当にびっくりしたんですから」
「その、ごめん。今までこんな豪華なお風呂に入ったことなくて、つい」
ルナは少し呆れたように笑って息をつくと、首に掛かっていた冷たいタオルを取り換えながら水の入ったコップを差し出していた。
「水は飲めますか?というより飲んでください」
「ん」
ルナからそれを受け取ったシリアは横になっている姿勢のまま何とか飲んでいく。身体に冷たい水分がゆっくりと浸透していき、おかげで脳が多少覚醒したらしく、ルナにお礼を言う。
「ありがと、少し楽になったよ」
シリアはゆっくりと息をついて少し身体を落ち着かせた。視界も完全に回復し意識も覚醒した。
「それならよかったです。でも急に起きると危ないので、もうしばらく安静にしてましょうか」
その後でお城の設備を案内しますね。と優しく言う彼女に申し訳なさも込めて微笑み返す。
(ん?)
そして、この時点でシリアは状況のおかしさを感じ取った。視界的にルナの顔を見上げるようになっている状態、後頭部を支えている柔らかい感覚。
「え、おうわっ!?」
「きゃあ!し、シリア!?」
膝枕。シリアも15歳でまだ子供とはいえ、それ如きで別に慌てふためるほど初心でもない。ただ何故だろうか、それが『妻』であるルナであると変に意識してしまうのか、その初心の精神年齢が著しく低下してしまうのであった。
そんな初心満載のシリアは慌てて身を起こそうとし、そのまま情けなくバランスを崩したと思えば、脱衣所の休憩用に供えられた木の長椅子から転げ落ちた。
「だ、大丈夫ですか!?」
そこに腰かけていたルナも慌てて立ち上がりかけよる。
「い、いたた……」
「あ、その」
駆け寄ってくれたルナは倒れているシリアを見て少しだけ赤面して珍しく歯切れを悪くする。
シリアはこの城に来てから情けない姿しか晒していないような気がして、いっそのこと泣き出したくなっていた。やはり剣を握って外を駆けまわる方が向いているのか。
幸いだったのは身に纏っていたタオルが転げ落ちると同時に広がったおかげで多少クッションになってくれたことだろう。ただ、それの意味するところはシリアが一糸纏わぬ姿になるということで──
「あの、その……」
ルナが赤面している意味も、自分の素肌が外気に晒されていることも瞬時に理解したシリアは、再び脱衣所で転がりまわることになった。
*****
「あの、大丈夫ですよ。あそこには私しかいませんでしたし……誰にも言いませんから」
「う、うぅ」
浴場のひと悶着から一転、相変わらず恥ずかしそうにしながらもシリアはルナの案内で城の内部を歩いていた。
「あ、もうすぐ食堂ですよ」
ただ、シリアが恥ずかしそうにしている原因は先程の件だけではない。
「あのさ、ルナ」
「はい?」
「やっぱりこれ、私には似合わないよ……」
そういってシリアは自分の服装を指し示していた。
今までの彼女の服装は如何にも身体を動かす用の格好だった。簡素な下着の上から冒険者用の動きやすさに特化した上着とズボンだ。
それが今はどうだろうか。
「そんなことありませんよ!とってもお似合いです!」
脱衣所で全裸であることに気づいた彼女は、慌てて着替えようとした。しかし、今まで使っていた愛着のある服は全て洗濯という名目でなくなっていたのだ。そして、その変わりにと用意された物が今恥ずかしそうに着ているものである。
見た目はシンプルながら上質だとわかる明るい色の下着。そして軽く装飾の入った質感の良い黒いワンピースと、白を生地としたロングスカート。
今、シリアはそれらを着て身を縮めながら歩いていた。当然、使い慣れた汚れたブーツも輝くパンプスに様変わりしている。
「だって、こんなスカート穿いたこともないし、アクセサリーだってつけたこともないのに」
首から下げたシンプルなネックレスも妙に落ち着かない。お洒落をしたいと思ったことはなくはないが、やはり自分の身に合った物を着るべきだと思うばかりである。
「こういうのは慣れですよ。スカートや靴が変わると確かに動きにくいかもしれませんが、その内身に着いてくるものですから」
「うーん……」
納得したようなしていないような、結局いくら慣れたとしても馬子にも衣裳ではないだろうかと思ったが、シリアはこれ以上文句を並べてルナを困らすのも申し訳なく思い口を閉じた。
「さ、ここがこれから食事をする時に使う食堂ですよ」
とりあえず今はこの城の構造を把握することに専念しようとシリアはスカートに躓きそうになりながらも決心した。
ルナの案内の長さはそのまま城の大きさに直結する。
「ここは、応接間ですね。他国との会議や、この国の会議で使われるのが殆どでしょうか」
パンプスを履きなれていない足は結構あっさりと悲鳴を上げていたがシリアはそれを隠しながら説明を聞き続けながら、ルナの後に続いていく。
「ここは書斎ですね。王城の人なら立ち入り自由なのでシリアも好きに使ってください。あ、でも持ち出しは厳禁なので気を付けてくださいね」
今まで城という城は外から見ることしかなかったシリアはその内部の複雑さに舌を巻きだしていた。
「ここから見えるあそこの建物は兵舎です。何かあった時すぐに出てこれる様に控えてもらってるんですよ」
他にも城のエントランスやら、緊急用の避難口まで何から何まで説明をもらった頃にはすっかりシリアの足を疲れさせていた。
そして今は城の屋上に出ていた。
「テラスから眺めるよりも良く見えるでしょう?」
「おぉ……」
ルナの言う通り、そこからは城下町が一望出来る場所だった。今日、馬車に乗った時は小さな窓からしか外を見ることが出来なかったため、詳しく確認できなかったがここから見るだけでも思っていたよりずっと大きく活気に溢れているようだった。
「夜は街の灯りでより綺麗なんですよ。身体が冷えるからってあんまり長くは見させてもらえないんですけどね」
確かにここから見る夜景は綺麗だろうと眼下に収めながらその光景を想像する。
「ふぅ、とりあえず今はこれぐらいでしょうか。ひとまず部屋に戻って夕食まではゆっくりしましょう」
中々強行軍でしたからね。というルナの提案にシリアは頷いて答えると共に屋上を後にした。
しかし、まだシリアとルナに休息は訪れなかった。
「お嬢様!こちらでしたか!」
「……ユーベル?」
部屋に戻っている最中、彼女らの後ろから声が掛かる。それに反応して振り返るとユーベルが肩で息を切らしていた。
「どうしましたか?貴女が息を荒げるなんてらしくない……」
ルナはそう言いながら心配そうに近寄るとユーベルは少し取り繕って調子を戻しているようだった。
「すいません、急な要件がありまして」
「要件?」
「……エンリ家の者がおいでになりました」
「今、ですか?まだ婚姻のことは……」
「いえ、それとは関係なく"いつもの"です」
「はぁ、そうですか……」
シリアの隣でルナは心底嫌そうな表情をすると呆れたようにため息をついた。
シリアは何事だろうかと成り行きを見守ることしかできない。
「お父様なお兄様は?」
「既に応接間の方に」
「わかりました。すぐに向かいましょう」
もう一度ため息をついたルナはシリアの方を向くと申し訳なさそうに頭を下げた。
「シリア、すみませんが少し所用が出来てしまったので先にお部屋に戻って頂いてもいいでしょうか?」
「え、う、うん。それはいいけど……」
シリアとルナとの関係はまだまだ浅い。だが、それでも何となくルナが今目の前で起きている件に関して疲弊と嫌悪を感じていることをシリアは何となく察していた。
「その、大丈夫?」
「……ふふっ、心配してくれてありがとうございます。でも大丈夫ですよ。すぐに戻りますから」
ルナはそう言うと小さく笑ってユーベルと共に歩いて行ってしまった。
「…………」
その場にはポツンと一人だけ佇むシリアだけが残った。
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一章に関しては、どうしても説明や人物の紹介が入るため少し展開がありませんが、二章からは動き出す(と思います)のでお付き合い頂ければありがたいです。




