プロローグ
ここ最近は随分と退屈で、金も無いとなるともはや散歩ぐらいしか選択肢がないように思われた。幼稚園児の頃にすら自発的に散歩なんてしたことなどないのに、何故そんな発想に至ったのかは分からない。
そもそも散歩ってなんだ?歩いて何すんの?楽しいの?ゲートボールと並ぶお年寄りの趣味じゃないの? なんて少々失礼な疑問を浮かべているうちに、身体は飲みかけのコーラを冷蔵庫に仕舞い、玄関へ向かっていた。
特に気に入っている訳でもない真っ黒のスニーカーを履き、特に気に入っている訳でもない真っ赤なパーカーを羽織って、ドアをガチャリと開ける。
目の前に広がるのは生まれてから幾千と見た変わらない景色。特筆すべきことは何もない、ただただ閑静な住宅街が永遠のように広がる。だからこそ眼下には圧倒的な違和感が漂っていた。
──人が横たわっていたのだ。
白状しよう。5分前、僕は今と同じように散歩に行こうと決意、外に出たのだ。するとなんだ、足もとには人が倒れているではないか。普通ならここで声をかけ介抱、若しくは状態によっては病院へ緊急搬送なんてことになるのだろう。無論、僕だってそうするだろう。
しかし、僕はその人を見たとき、完全に萎縮してしまっていた。別に面倒に関わりたくないということでもない。倒れている人を見て無視する人がいるのであれば、そいつは人の皮を被った鬼だろう。では何故か?
──いや、前言撤回しよう。僕は一目で、これは確実に面倒になる、と思い、ドアをバタンと閉めたのだ。そこに思考の介入はほとんどない。半ば本能的な判断だ。ああ、人でなしでも鬼でもゴミでもなんとでも言ってくれ。実際に、混乱した頭を落ち着かせるために、冷蔵庫で冷やしておいたコーラをひと口飲んだ後、さすがにあれはまずいだろと思い直し、こうして外に出たのだ。
ただ、ひとつ弁明したい。ここに倒れている人の見てくれについてだ。うつ伏せなのであまり見えなかったが、空軍のような大層なヘルメットを被り、僕のパーカーも真っ青な真っ赤なマントを羽織り、恐らく鉄、或いはそれに匹敵する質量を持つだろう金属で作られたブーツを履いていた。……おまけに黒い液体が周囲を這いずりまわっていた。
申し訳ないが訳が分からなかった。服装はまだいい。こんな何もない住宅街でも、コスプレをして集まる場所があるのかもしれない。若しくはなんらかのイベントの帰りかもしれない。または完全に私服の可能性もある。
問題は周りの黒い液体だ。さすがにそこまでは脳が追いつかなかった。何度見ても理解できそうにない。本当に「液体が自我を持ってる」としか形容のしようがない光景である。
「……声かけるか。」
やっと気持ちの整理が3割程ついた。かなりの葛藤があったが、やはり放っておくことはできない。黒い液体に細心の注意を払い、恐る恐る近付いて声をかけようとしたその時だった。
「ふぁあ……」
それは声になるかならないかの微妙な吐息であった。普通なら気に留めることもないだろう。しかし、今の特殊な状況ではそれは違った。疑心暗鬼になっている僕は反射的に華麗な後転を決めて、あるのかも分からない身の危険を回避した。
しかし、それは失敗であった。いつ触れたのか全く気付かなかったが、どうやら僕の身体は植木鉢にクリティカルヒット。そのままそれは何に阻まれることなく地面へと倒れていく。瞬間、脳には走馬灯が、この植木鉢への思い出を映し出す。僕はそのひとつひとつの思い出をしっかりと反芻していた。
昔、隣に住んでいた鏡花ちゃんが引越しする時にくれたんだよな……。もう顔もはっきりと覚えていないけど……。野良犬に掘り返されそうになったこともあったっけ……。あ、そういえばあの時……
全てを思い返す前に、時は動き出した。
「ガシャン!!……」
轟音とともに、植木鉢は砕け散り、走馬灯は何処かへと消え去った。ああ、大切にしていたのに……。
そして同時に気が付く。もっと大事なこと。植木鉢の走馬灯なんかより大事なこと。確かにこの人は、吐息を漏らした、端から亡くなっているとは思っていなかったが、生きていることが分かった訳だ。すると、今の音で気付かないはずがない。僕は即座に振り返る。
既にその人は立ち上がり、黒い液体をかき集めていた。さっきまでは見えなかったが、サングラスをかけていて、おびただしい数のネックレスを着用。さらに、童話に出てくるような、いつ何処で使用されていたのかも分からないような所謂、王様の服を着ていた。相対的にその人への警戒心は爆上がりせざるを得なかった。
どうやってこの場を逃れようとかんがえていると、あろうことかその人はゆっくりとこちらへ近付いてきていた。何故か上手く立てない。これが腰が抜けるということだろうか。サングラス越しでも目が合っていることが分かる。どっと汗が吹き出ていた。
もし、僕はこの話を聞いた時、それを信じられるだろうか。とてもじゃないが無理だ。突飛すぎるもん。
そんなことを考えていると、
その人はいつの間にか目の前にまで迫っていた。
人生は選択の連続である。ひとつ、選択をすれば他の人生は歩めない。その考え方が並行世界の基礎となる。僕は何を選択していれば、これから起こる奇妙な出来事に巻き込まれず済んだのだろう。散歩に行こうなどと柄にもないことを考えなければ、コーラを飲んでそのまま部屋に引きこもっていれば、いや、そんな直近の選択ではどうにもならなかったのかもしれない。僕じゃない別の誰かが巻き込まれていったのかもしれない。若しくは、どんな選択をしようと僕は巻き込まれる「運命」だったのかもしれない。……思考を巡らせたところで何も変わらない。僕はあの一言になんと応えれば良かったのか。いずれにせよ、あの一言が崩れかけていた世界を完全に狂わす、終わりの始まりであったことは確かだ。
「はじめまして……!フーライ様!!」
「……え?」
文書の練習として始めました。慣れないことも多く、見るに耐えない拙文ですが、どうぞよろしくお願いします。