微かな予兆
「着きましたね」
二人が首都であるダレバに着いたのは、城を出てから5日目の夜だった。すでに日は落ちており、街灯には明かりが灯されている。
「私は城に帰らなければならないので、これで失礼します」
馬上で律義に頭を下げたセルビアを、ヴァイツは引き止めた。
「報告は後でもいいだろ。今日は俺の家に泊まれ」
「え、なんでですか?」
「いいから来い!」
会話を強引に切り上げると、ヴァイツは馬の足を進めた。
「帰ったぞ!」
城に近い一角にある屋敷の玄関から、ヴァイツの声を聞いて老人が出てきた。
整えられた身なりをしているので、家に仕えている執事だと思われる。
「お帰りなさいませ、ヴァイツ様」
丁寧な動作で一礼した老人は、ヴァイツの隣で困った顔をしているセルビアを見て、慌ててヴァイツに話しかけた。
「ヴァイツ様、そちらの方は…」
「客だ。食事の用意を頼む。それと馬を厩舎に」
「それはそれは…。すぐに用意させましょう」
嬉しそうな笑みを浮かべた老人は、先に立って案内し始めた。
「お父様!お帰りなさい!」
屋敷に入ると10歳ほどの少女がヴァイツに抱きついた。
黒髪の可愛らしい少女だ。
「ただいま、マヤ。迎えてくれるのは嬉しいが、お客様にもご挨拶しなさい」
ヴァイツに言われて、少女はセルビアに気付いたようだ。頬を染めて、可愛らしくお辞儀した。
「いらっしゃいませ。マヤ・ダミヤです」
「初めまして、セルビア・ハースと申します。お嬢様」
慇懃に挨拶をしたセルビアを見たマヤは、セルビアの服装を見て、驚きの声を上げた。
「なんで男の方の格好をしていられるのですか?」
素直な少女の疑問に、セルビアは笑いながら答える。
「こちらの方が動きやすいからです。まさか、ドレスで戦うわけにもいきません」
それを聞いて、マヤが更に首を傾げる。
「女性の騎士様なのですか?」
「いえ。私は騎士ではなく、戦士です」
騎士と戦士の違いが分からず、マヤは混乱する。
ヴァイツはすぐに助け舟を出した。
「マヤ、こんなところでお客様を引きとめてはいけないぞ。先に食堂へ行っていなさい」
「はい」
ちらちらとセルビアに視線をやりながら、マヤは家の奥に入っていった。
「お前なあ…」
「好奇心が強いお嬢さんですね。可愛らしい」
微笑ましそうに言うセルビアに、ヴァイツは苦い顔だ。
「マヤがお前の影響を受けて、剣を振り回すようになったら、どうしてくれるんだ」
「その時は私が稽古をつけてあげますよ」
「却下だ、そんなもん」
気安い会話だが、周りの使用人達は何かを期待する目で二人を見ている。
セルビアが不審に感じて、ヴァイツに視線を向けるが、そのヴァイツは視線から微妙に目を逸らした。
おいこら、なんで逸らす。
食堂に並べられた心尽くしの料理に舌鼓を打っているセルビアに、マヤが話しかけた。
「セルビア様はお強いのですか?」
魚の包み焼きを口にしていたセルビアは微笑んだ。
どこか苦みを含んだ微笑。ヴァイツもセルビアと同じ表情をしている。
「世間の中では強い方に分類されると思います。しかし、ヴァイツ様には負けてしまいましたが」
「嘘を言え。お前が本気を出したら、どうなるか分かったもんじゃない」
「まあ、勝負は時の運とも言いますしね」
ヴァイツに同意したセルビアは、不思議そうに首を傾げるマヤに笑いかけた。
「お嬢様、強さというのは、単純に測れないものです。工夫次第では弱い者が強い者を倒すことだって出来ます。騙して欺いて隙を狙うという戦い方すらあるのですから」
「それは卑怯です!」
子供らしい憤りに、セルビアは懐かしげに目を細めた。
ヴァイツは愛おしげにマヤを見つめている。目に入れても痛くないというのは、こういう事を言うのだろう。
そんな会話をしながら、食事も終わりに近づいた頃、急にマヤが真剣な顔つきになった。
「あの、セルビア様はお父様のお嫁さんなのですか?」
セルビアは目を点にし、ヴァイツは頭を抱えた。
爆弾発言に大人二人が固まっていると、マヤは目を輝かせ始めた。
「まあ、本当なのですね!とてもうれ「マヤ!」
マヤの言葉を遮ったのは、ヴァイツだった。さっきまでとは違い、険しい顔でマヤを睨んでいる。
「俺の結婚相手はお前が決めることではない。下がりなさい」
「…はい、おやすみなさい」
「おやすみ」
食堂を出るマヤを見送って、ヴァイツは大きなため息をついた。
「すまないな、食事中に」
「別に構いませんが…。ヴァイツ様は花嫁探しでも、していらっしゃるのですか?」
ヴァイツは首を横に振って否定した。
「マヤは俺に妻をもらって欲しいのだろうよ。屋敷の奴らも、だが」
それであの視線か、とセルビアは納得した。
「しかし・・・奥様はいつ?」
「ああ、もう10年になるな」
そんな時にセルビアを連れて帰ったら邪推するだろう、とセルビアは他人事のように考えた。
「「乾杯」」
二人は盃を軽く持ち上げて中身を飲み干す。
食事を終えた二人は酒盛りに移行していた。
「おいしいお酒ですね、これは」
「お前にはこっちの方がいいと思ってな」
首を傾げたセルビアにヴァイツは言う。
「この前の手合わせの時に、酒が欲しいって言っただろ」
「ああ…あれですか。よく覚えてましたね」
盃に注がれた琥珀色の酒を一気に飲んで、セルビアが笑う。
「それにこれは礼のかわりだ」
付け加えられた言葉に、セルビアはきょとんとした。
「私、何かしましったけ?」
ヴァイツは笑いを噛み殺しながら言う。
「気にするな、俺の気持ちってやつだからな」
「はあ…」
怪訝そう表情のまま、セルビアは瞬く間に盃を空にして、からりと笑った。
「いやー、久し振りに強い酒を飲みましたよ。やっぱり酒はこうでなくっちゃ」
「強いんだな」
感心しながらも同じような速さでヴァイツも飲み干していく。
どちらも酒には強いのだろう。水を飲んでいるかのように遠慮がない。
これには控えている使用人の方がおろおろし始めた。
なにせ今二人が飲んでいるのは、一本飲めば、大の男でも泥酔するような代物だ。
それを次々と空にし、顔色一つ変えないというのは、ざるもいいところである。
今夜は屋敷中の酒が尽きることを覚悟したほうがいいと使用人一同、腹を括った。
「なるほど、そんな魔獣がいるとはな。吸血蝙蝠の亜種など聞いたことがない」
「とても珍しい現象ですからね。頭が発生する原因には諸説あって、詳しいことは何も分かっていませんし」
ダレバに帰ってきた次の日、いつものように王の寝所を訪れたセルビアは気だるげに眉間を揉んだ。
ヴァイツの屋敷で一日休んだというのに、本調子からはほど遠い動きだ。
「疲れているな」
「そりゃそうですよ。体の魔力を直接乱されましたからね。疲れやすいったら」
そのせいで帰りは行きの倍の時間がかかった、と呟くセルビアは椅子の上で体を伸ばしている。
安心しきった仕草を、王は顔を綻ばせて眺めていた。
「今日は普通に帰りますね。さすがに飛び降りるのは、危ないので」
「ああ、そうしてくれ。怪我だけはしてくれるなよ」
「陛下もです。お疲れのようですよ」
「む?そう見えるのか?」
王は自分の顔を撫でる。それを見て、セルビアは小さく笑った。
「陛下、私は魔力の流れを少しだけ感じ取れるんです。魔獣の気配や魔術の発動、人の体調まで感じ取れます」
「魔力ならず人の体調まで分かるのか?」
「なんとなく、といった程度です。さすがに細かい動きまでは分かりませんし、あくまでなんとなくです」
セルビアの敏感さは諸刃の剣だ。平時ならその能力は大いに役立つが、今回のように魔力を崩されたら、その敏感さがセルビアを狂わせる。
自分の体調よりこちらを心配そうにみる王の視線にセルビアは苦笑だけで答え、戯けて軽く頭を下げた。
「ですから、お気をつけ下さい。大切な御身なのですから」
王もわざと真面目くさった口調で返事をする。
「わかった。気をつけるとしよう」
そこで二人でくすりと笑い、またいつもと同じように気軽に話し続ける。
二人の色気の欠片もない夜は、そうやって更けていった。
その時、城から遠く離れた森の中で、一人の男が顔を上げた。
野宿の途中なのか、傍ではたき火が燃えており、魚が焼かれている。
静かな森の中で、男は何かを見透かそうとするかのように目を細め、神経を尖らせていたが、やがて、ふうとため息をつき、体の力を抜いた。
「おいおい…」
驚きと疲れが半々な声で呟いた男は、こんがりと焼けた魚を手に取った。
しかし、すぐに食らいつくような真似はせず、どこか途方に暮れた顔で思案にふけっている。
「話には聞いていたがなあ…。まさか、本当にあったとは」
嘆息した男は空を仰いだ。
「この方角と距離からすると、可能性が高いのはダレバだろうな。まったく、貧乏くじもいいところだ。しかし、少しは隠せばいいものを。これなら俺ら以外にも気付く奴もいるだろうに…」
ひとしきり虚空に向かって愚痴ると、焼けた魚にかぶりつく。
男は香ばしい匂いを漂わせる魚を手早く腹に収め、火を消すと立ち上がる。
その手には一本の木の棒が握られていた。なんの変哲もない棒だが、それを手に持ったまま、男は闇に覆われた森に分け入っていった。




