蝙蝠の頭
次の日の夕方に目的の村に辿り着いた二人は、すぐに村長の家を訪ねた。
ヴァイツはともかくとして、女のセルビアが現れたことに村長は驚いたようだ。
セルビアはその反応には慣れているのか出しゃばりはせず、ヴァイツに聞き取りを任せて、自らは殺された村人の死体を見に出かけた。
「なるほど…」
魔獣に殺された村人の死体をじっくりと観察するセルビアは顎に手を当てて、考え込んだ。
村の教会に安置されている死体を見たい、と言い出したセルビアを案内してきた女性は遠くから気味悪げにこちらを見ているが、セルビアは無視している。
「どうだい?何か分かったかい?」
一人で教会に入ってきたヴァイツは、セルビアに近づいた。
「ええ、一応は」
セルビアは死体の腕を手に持った燭台で照らした。
「吸血蝙蝠の牙の痕です。これを見る限り、蝙蝠達は10匹以上の群れで行動しているようですね」
一定の間隔で残された痕は、まるで穿たれた穴のようだ。
「血を失って衰弱したところを更に襲われたようです。吸血蝙蝠にしては、かなり攻撃的ですね」
淡々と説明するセルビア。跪いて死体の首を触って傷の数を確かめるその姿は、かなり異様だ。
「やっぱりこの魔獣たちは異常ですね。普通の吸血蝙蝠は、人を殺すまで攻撃するなんてほとんどありませんから」
セルビアは立ち上がると胸に手を当て、死者に黙祷を捧げた。
黙祷を終えると、セルビアはヴァイツに質問してきた。
「ヴァイツ様は神を信じますか?」
「祈りはするが、心の底から信じてるっていうのとは違うな。そういうお前は?」
「私は母が死んだ時にから神に祈ったことはありません」
セルビアはそう言い切ると、教会の奥にある祭壇に視線を向けた。
「私にとって、神は遠くにありすぎて、信じられないものなんです」
「そういうもんか?」
「そういうものです」
苦笑したセルビアをヴァイツは不思議な気持ちで眺めていた。
「じゃあ、お前は何を信じてるんだ?」
そう聞かれたセルビアは即答した。
「自分です」
ヴァイツは呆気にとられた後、腹を抱えて大きく笑った。
「じゃあ、行くか」
「はい、よろしくお願いします」
村長の家に泊まった二人は次の日の朝、薄靄が漂う中で魔獣が出没する山へと入っていった。
山には村人が作った獣道があり、道自体には困らない。
死体は全て山の頂上付近で見つかっているらしく、ひとまず山頂まで登ることにしたのだ。
「なあ、お前には吸血蝙蝠の異常の原因に考えがあるのか?」
「色々な仮説は立てられますが、直接見ない分にはなんとも言えません」
「だろうな」
山道を歩きながらの会話だが、二人の息に乱れはない。
それは山頂のすぐ近くでのことだった。
「!ヴァイツ様!」
セルビアは叫んでヴァイツに注意を促すと、抜刀した。ヴァイツも剣を構えて、セルビアと背中合わせになる。
「どうした?」
「来ます」
セルビアの視線が鋭くなり、ヴァイツも周りを警戒する。
その時、ヴァイツは上から襲いかかってきた吸血蝙蝠を叩き斬った。
断末魔すら響かせない剣速だ。
それと同時にセルビアにも、木立の陰から蝙蝠が飛びかかってくる。
こちらは口に電光石火の突きをまともに受けて、絶命した。
黒い体に口から突き出た二本の牙。翼を広げると大人の腕ほどもある大きさ。
なにより魔獣の証である赤く染まった目玉。
「間違いありませんね、吸血蝙蝠です」
二つの死体を一瞥してセルビアは断言した。
ヴァイツもその考えには同意するが、疑問も口にする。
「にしても二匹だけか?少ないな」
最初に襲いかかってきた二匹の他に何の気配もないのだ。
あの死体の傷から見ても10匹はいなければおかしい。
「ですね。探してみましょうか」
そう提案したのはセルビア。
セルビアは刀を鞘にしまうと、立ったままで深呼吸をする。そして呪を唱え始めた。
『糸を伸ばして四方に散らせ。震え、鳴り、知らせろ』
魔術が発動する。
セルビアの体から視認するのが難しいほどの細い糸が何百本と伸びていき、四方八方に広がっていく。
「すみません。私はこの状態だと動けないので、護衛をお願いします」
「了解した」
集中するために目を閉じたセルビアの横でヴァイツが油断なく剣を構えた。
「ギャアアアアアァァァッッ!!」
セルビアが魔術を発動させて5分経った頃、唐突に人のものではない叫びが静かな森の空気を引き裂いた。
「っ!」
その叫びを聞いたセルビアが魔術を解いて地に膝をつく。
糸は空気に溶けて消え、セルビアは額に汗を浮かべて震える体を抱えている。
「おい!どうした?」
尋常ならざるセルビアの様子にヴァイツは慌てるが、そんな心配を吹き飛ばすかのように森の奥から吸血蝙蝠の鳴き声が聞こえてくる。
10、20ではきかない。100かもしくはそれ以上の大群だ。
「ヴァイツ…さん」
息も絶え絶えに言葉を紡いだセルビアは震える足で立ち上がった。
「お前…」
「私のことはお気になさらず。魔術妨害を受けただけです」
「?」
覚束ない手つきで刀を抜いたセルビアはヴァイツを睨みつけた。
「頭です。魔術を乱されますからね。使わないようにしてください」
「?なんだって?」
「質問は後です。来ますよ!」
その声と同時に、何匹もの蝙蝠が一斉に襲いかかってきた。
腕に噛みつこうとした蝙蝠を突き殺し、そのまま剣を振り回して、他の蝙蝠も吹き飛ばす。
「きりがねえ!」
叫んだヴァイツの周りには30匹以上の吸血蝙蝠の骸が転がっているが、森からは際限なく蝙蝠達がわき出してくる。
このままでは数の暴力で押し切られてしまう。
セルビアと言えば、無言で吸血蝙蝠を一刀両断していた。
最初に聞いた叫び声のせいで本調子とは言えない体。それを押して刀を振るっているが、自らの身を守るのが精一杯と言ったところだ。
「…ヴァイツ様、大きいのが近付いてきます」
小さく呟かれた言葉が、ヴァイツの耳に届いた。
「これは露払いにすぎません。今から本隊が来ます」
「これが『露払い』だあ?冗談にしては、面白くないぜ」
今も吸血蝙蝠達は空を舞っているが、襲ってくる気配はない。様子見というところだろう。それだけでも20匹はいる。
「吸血蝙蝠には亜種が存在します。それが頭と呼ばれる個体です」
蝙蝠を睨みつけることで牽制するセルビアは言葉を続けた。
「頭が現れるのは幾重もの偶然が重なってのことです。そして、その頭がいる群れは数を増やしていき、時には100匹以上の群れを作ります」
「おいおい…」
ヴァイツは浮かんできた冷や汗を拭った。
「…手はあるのか?魔術は使えないんだろ、そんなもんにどうやって対抗する?」
「一つだけ、手はあります」
セルビアはそう言うと、ヴァイツと向き合った。
「それにはヴァイツ様にこれから見ることを、誰にも漏らさないことを誓っていただけなければなりません」
「いいだろう、この剣にかけて誓う。俺はこれから見ることを決して誰にも話さない」
ヴァイツは事も無げに誓うと、驚きで固まったセルビアに笑いかけた。
「俺は生きて帰らなきゃならん。その為にはなんだってするさ」
あっけらかんに言われたセルビアは顔を引き締め、刀を鞘に収めた。
「分かりました。しかし、誓いを破った時はお覚悟を」
その時、セルビアは容赦なくヴァイツの首を刈り取るだろう。慈悲などそこには存在しない。
「ああ。俺の命は、お前が好きにしろ。おっと、来たみたいだな」
木々が大きく揺れた。吸血蝙蝠が一斉に鳴き声を上げて、上空で乱舞する。
風が強くなり、にわかに空も暗くなる。
そして、それは姿を現した。
影は空から降ってきた。
被膜で出来た翼は片翼だけでも、ヴァイツの体より大きい。体の造り自体は普通の吸血蝙蝠と変わらないが、大きさだけは桁違いだ。
頭は大きく口を開けた。鋭く突き出た牙が怪しく光る。
「ギャアアアアァァッッ!!」
咆哮と共に、数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの吸血蝙蝠が、二人に襲いかかった。
それは死の踊りだった。一歩でも間違えば血を吸われ、動きが少しでも鈍れば噛みつかれて嬲り殺しだ。
それをかわし、逆に剣でもって応える。
二人はそんな踊りを踊りながら、確実に取り巻きを減らしていった。
獲物を仕留められないことに苛立ったのか、頭が唸る。
それを聞いたセルビアは、手を止めて顔を上げた。
「そんなところに浮かんでないで、下りてくれば?殺してあげるよ」
笑顔とともに言い放たれた言葉に、頭は反応した。
「グッ、ガアアァァッッ!!」
叫びを上げて、そのまま急降下してくる。
セルビアはそれと向き合うと、刀を水平に構えた。
「白緋。全てを、斬れ」
刀の柄を握って、セルビアが呟く。
淡い燐光が刀を覆う。
近づいてくる頭を見て、セルビアは下段に刀を下げる。
頭の牙がセルビアの体を貫く寸前、燐光を纏った刀が一閃した。
斜め下からすくうように振るわれたそれは頭の喉を斬り裂き、そのまま頭まで辿り着いて、片目を抉って振り切られた。
「ガッ、グッ…」
頭はそう呻いた後、呆気なく地に落ちた。
セルビアは残心の姿勢をとって、それを冷静に眺める。
ヴァイツは呆気にとられてセルビアが持つ刀を凝視していたが、セルビアの体が崩れ落ちたのを見て、慌てて駆け寄った。
「ほら、飲め」
泉の畔でヴァイツは椀を使い、水を汲んで、傍らに寝かせたセルビアの口へと近づけて傾けた。
「すいません…」
体が動かせないセルビアは、小さい声で謝りながら、ゆっくりとそれを飲む。
頭が死んだ後、吸血蝙蝠は散り散りに散っていった。これで吸血蝙蝠の被害もなくなるだろう。
「にしても、あんな魔獣がいるとはな。俺もまだまだだ」
「あれは例外中の例外です。鳴き声には魔術を妨害する働きもありますし、頭が発生するのは、ほとんど奇跡みたいなものですから」
それだけ言うとセルビアは目を閉じた。
頭を斬った後、倒れたセルビアは疲労困憊のせいで、一歩も動けなくなってしまったのだ。
ヴァイツが泉まで連れてこなかったら、その場で寝こけていたに違いなかった。
吸血蝙蝠の死体に囲まれて、というのはぞっとするが。
「なあ、お前が持っている刀は…、『魔剣』なんじゃないのか」
先程からずっと気になっていたことをヴァイツは聞いた。
魔剣。それは大昔に失われた秘法の産物であり、強大な力を持った武器。
実在はするものの、ほとんどお伽噺に近い幻の剣。それが魔剣だ。
「そうですね。これは魔剣というより魔刀と言うべきでしょうが」
軽く言ってのけたセルビアは、片手に握っている刀を撫でた。
「魔刀、銘は白緋。持ち主の力を吸い取り、その力を使って全てを斬る刀です」
「…」
ヴァイツは顔を引きつらせながら、魔刀の説明を聞いていた。
その刀の前では盾も鎧も何の役にも立たないということだからだ。
ヴァイツの顔から言いたい事を察したのか、セルビアは目を細めて言った。
「そんなに便利というわけではありません。発動させても、私の魔力では一振りが限界ですし、それを外せば、返り討ちに合うのが落ちです」
水面を渡る風に目を細めたセルビアは全身の力を使って上体を起こした。
「陛下は知ってるのか?」
「ええ。お教えしたら、驚いてましたね」
その時のことを思い出したのか、セルビアは顔を綻ばせた。
「陛下のことだ。知った時は子供みたいにはしゃいでたろ」
「そりゃあ、もう!どこからどう見ても、珍しいものを見つけた子供そのものでしたね」
くすくすと笑いながら、セルビアは立ち上がった。その背筋はぴんと伸びて、立ち姿には凛々しさすら漂っている。
「行きましょうか、日が落ちる前に山を下りたほうがいいでしょう」
「お前はもういいのか?」
「歩くぐらいなら、大丈夫です」
「ならいい。行くか」
ヴァイツも立ち上がり、剣を腰に差し直した。




