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手合わせ。後、本音

演習場の中心で二人は向かい合った。

「おい、お前らは離れてろよ。巻き添えを食うぞ」

隊員達にそれだけ言うと、ヴァイツは剣の長さが小柄な女性の身の丈ほどもある大剣を構えた。

紛れもない殺気がその体を取り巻く。


対してセルビアは足を肩幅に開き、片足を少しだけ引いた。刀を鞘から抜かずに、柄を握っただけの体勢で動かない。

女性特有の細い体躯からは陽炎のような揺らめきを立ち上る。


そんな二人の対峙を遠くから見守るのは、忠実な副官と真面目で型破りな王女だ。

「ヴァイツ様があの大剣を持ちだすなんて、余程セルビアさんはお強いのでしょうね」

のん気にそう言うレーナとは違い、クリフは冷静に呟いた。

「あの人は一体、何が狙いなんでしょうね…」

その声は誰にも届かず、空気に溶けた。


「なあ、賭けをしようぜ」

「賭け?」

怪訝な顔をしたセルビアにヴァイツは言う。

「俺が勝ったら、お前の目的を話せ。なぜ王に近寄って、命を危険に晒してまで王女を守ろうとするのか、その理由を教えろ」


旅人、特に旅団の者は決して無謀なことはしない。必ず勝算があることしかせず、利益があるからこそ、躊躇い無く死地にとび込むのだ。それと照らし合わせれば、セルビアの行動はひどく不自然に見えた。

まるで王に忠誠を誓った騎士のような行為をしている姿は、旅団の札持ちからは遠くかけ離れている。


「分かりました」

拍子抜けするほど、あっさりとセルビアは頷いた。大したことはないと言いたげだ。

「じゃあ、私が勝ったらいいお酒を奢って下さい」

「…おう」



その軽い掛け合いが終わると、周りの空気が一気に研ぎ澄まされた。痛いほどの緊張感がその場を支配し、二人の顔も必然的に険しくなる。


強い、とヴァイツは心の内で考える。女だからと甘く見れば、手痛いしっぺ返しを食らうだろう。

凄い、とセルビアは思った。正面にあるヴァイツの体は年月を経た大樹のように揺るぎない。



二人が動いたのは同時だった。

『走れ、誰よりも早く走れ。この手に勝利を掴む為に』

『地に潜む我らが眷属よ。この声に答え力を(ふる)え』


その呪を唱え終わると、セルビアは間を置かずに飛び出した。それとほぼ同時に、セルビアが居た場所に大きな土の柱が何本も勢いよく生える。一歩でも遅れれば、突き上げられ、撥ね飛ばされていただろう。


それはセルビアの後を追うように突き出てくるが、セルビアはそれを追いつかせず、最短距離でヴァイツの懐に飛び込んだ。


鞘から放たれたそれは刀最速の斬撃、居合い。ヴァイツは大剣を盾にすると、そのまま後ろに下がった。

大剣をそのまま振り下ろすが、当たらない。セルビアは既に横に跳んでおり、もう一度跳びかかってくる。次の瞬間から至近距離での攻防が始まった。


ヴァイツはやりづらいと心の中で舌打ちする。

自らの武器である特注の剣は剣身が長く、その分重い。一撃の強さは申し分ないが、動きは遅くなるのは、どうしようもない。


その点では、セルビアの戦法との相性が悪すぎた。

彼女の戦い方は、相手に合わせて変えることができる、多彩な技を駆使する器用なものだ。一歩間違えば器用貧乏ともなりえるそれを、セルビアは上手く使いこなしていた。

しかも距離をとろうとすれば、すぐさま近寄られどうすることも出来ない。

先ほどの魔術で脚力を強化したらしく、動きが速すぎるのも原因の一つだが。


魔術を使おうにも斬撃がひっきりなしに襲いかかっきて、とても集中出来ない。

魔術を発動させるには集中力が必要になるが、この苛烈な打ち合いに手を抜けば、それこそ斬られる。


その時、熾烈な攻撃をくり出していた刀が一瞬だけ止まった。セルビアの技の切れ目だ。


常人では分からないほどの一瞬。しかし、ヴァイツがその隙を逃すはずがない。すかさず後ろに跳び下がり、腕の力一つで剣を薙ぐ。

これにはセルビアもたまらず、足を止めて防戦した。


それだけで十分だった。


『さあ、宴の始まりだ。鋭き針の乱舞よ、客人を存分にもてなせ』

ヴァイツとセルビアの間に身丈を優に超える岩が生える。

セルビアはヴァイツから離れるように走り出した。

その判断は正しかった。


なぜなら、そこから更に地面から突き出たのは、巨大な岩の棘だったからだ。




「凄いですね、ヴァイツ様が奥の手を使いました」

遠くから眺めていたレーナは穏やかにそう言ったが、比較的手合わせの近くにいた隊員は青くなって逃げ出している。

いつ巻き込まれるか分からないからだ。

「あの人はまったく…。自制を忘れているとしか思えません」

レーナとは反対にクリフは渋い顔で手厳しい評価をつけた。



後ろから迫る圧迫感にセルビアは慄いた。魔術で強化した走りに追いつくというのは、常識を無視しているとしか思えない。

このままでは串刺しにされるだけだと判断して、セルビアは走るのをやめた。

体の向きを変えて、そのまま棘と真っ向から向き合う形で呪を唱える。


『空は飛ぶことは出来ないが、地を蹴ることは出来る』

小さな光の粒子がセルビアの足を包み、太股の半ばまでを覆い隠す。膝を深く折って、跳躍力を溜めるセルビアに棘が迫る。


ダンッ!!


力強い音を発して地面を蹴ったセルビアの体が宙を舞う。

それはまさに舞い上がるとしか言えないような跳躍であり、岩の棘さえも軽々と跳び越えてしまうほどだ。

セルビアはそのまま棘が密集する地帯へと跳び込む。

一歩間違えば即死確実の危険な行為だが、セルビアは驚異的な身のこなしで、わずかな隙間に着地した。ただし無傷とはいかず、いたるところにかすり傷をつくったが。


たった一度の跳躍で足を覆っていた光は霧散し、セルビアは崩れ落ちた。額にはおびただしい汗が浮かび、荒い息を整えながら立ち上がる。

それは傍目から見ても辛く苦しそうに見えた。


しかし、その眼光は鋭くいっそ冴え冴えとしていて冷たい。抜き身の刃のような光が宿り、静かな闘志がその体から湧き立っている。


セルビアは棘の間の隙間をゆっくりと移動し始めた。気配を殺し、足音もたてずに歩きだす。その姿は熟練の狩人にも、野生の猛獣にも似ていた。

ほんの少しだけ開けた場所で目を閉じて、下段の構えをとるセルビア。何かを待ち受けるかのようなその姿勢は揺るがない。

嵐の前にも似た静寂は一瞬で破られた。


甲高い音が鳴り渡り、その中心で二人の戦士が睨み合う。


一人は防がれた大剣にそのまま力を加えていく。もう一人は刀を横にして、それに対抗する。

しかし、それは危うい均衡だ。セルビアの手が震え、足が負荷に耐えきれず少しづつ後ろに下がっていく。


セルビアは心の内で悪態をついた。

このままでは力負けして押し切られる。それはまったくいただけない負け方だ。

何より自らの誇りがそんなことは許さない。


セルビアはほとんど使い果たした体内の力をかき集めた。そして、気力だけを頼りに途切れ途切れに呪を呟いた。

(かいな)はその力を奮い、守るべきものを守れ。強き力は戦う為にあるものと心得よ』


抵抗の力が強くなり、ヴァイツが慌てて距離をとった瞬間に、セルビアは猛然と駆け出した。

身の軽さを活かし、障害物である棘の隙間をすり抜け、わずか数秒で棘の森の端に辿り着いた。


柵のように高くそびえる岩を前にして、セルビアは刀を鞘にしまうと手合わせの最初の姿勢、居合いの構えをとる。


「斬れ、白緋」

一言。そして、一振り。


ヴァイツはその刀の一閃をセルビアを追いかける途中で目撃し、瞠目した。


それは光。

刀の軌道に残されるように光るのは、魔術師の中でも高度な者しか扱えない二重唱や無詠呪の証である光の粒子。


「ナッ!?」

驚いて足を止めたヴァイツの目の前で、涼やかな音ともに納刀したセルビアが岩を軽く蹴った。それと同時に岩は外に向かって倒れていく。

魔術が破られてヴァイツは一瞬棒立ちになったが、すぐさま我に返って外へと駆けていく背中を追いかけた。



荒い息を整えながら、セルビアは刀を正眼に構える。その向こうから、険しい顔をしたヴァイツが自らの魔術の外側に出てくる姿が見えた。

ヴァイツがセルビアに近づくにつれて、後ろの棘が徐々に崩れていく。崩れた岩は地面に吸い込まれるように消えていき、後に残ったのは荒れている地面だけだった。



セルビアの眼光は手負いの猛獣のそれだ。

傷だらけのセルビアとかすり傷一つないヴァイツ。

この勝負の行方は既に見えていると言ってもいいが、その場がはらむ空気はおさまるどころか更に加熱していく。


二人は笑った。

お互い野蛮で荒々しい笑みを浮かべたまま、大地を蹴って前へ出る。

そこには勝算や損得など一欠けらたりともない。ただ自らの全てを相手にぶつける為に刃を振るう。


観客達は息をするのも忘れて、その戦いに見入った。

達人同士の命懸けの剣舞。火花が散りそうなほど白熱した攻防。鬼気せまる闘志。

その全てが周りを圧倒した。


しかし、その死闘にも終わりがくる。

疲れが激しいセルビアの動きが鈍った。

その瞬間、ヴァイツの大剣が風切り音とともに襲いかかる。



「…………」

互いに微動だにせずに睨み合う二人。

セルビアは大剣を防ぐかのように構え、ヴァイツは相手の首を切ろうとした状態で剣を止めている。


ほんの数秒、そのままの体勢で動かなかった二人の内、最初に動いたのはセルビアだった。


「降参です、負けました」

そう言って、セルビアは刀を下ろす。

ヴァイツは無言で頷くと、大剣を鞘にしまった。


セルビアは刀をしまうと、目の前にいる男にふわりと笑いかけた。

「手合わせ、ありがとうございました」

それを言い終わった瞬間、ヴァイツがセルビアの方に手を伸ばした。セルビアの肩を掴み、崩れそうになる体を支える。


「あはは…、すいません。ちょっと魔術の使い過ぎです」

「当たり前だ。強化の連続に二重唱をやるなんざ、馬鹿のすることだ」

「いやー、分かってはいるんですけど」


魔術は便利な力だが、使い過ぎれば動けなくなることもある。度を超すと命を落とすことにもなりかねない。


「分かってるんだったらやるんじゃねえ」

「ごもっともです」

神妙な顔でそう言う割には反省の色が見えない。


「大丈夫ですか?!」

駆け寄ってきたレーナは慌てて後ろからその体を支えた。セルビアはまだ自らの力で立てないのか、ぐったりとしている。


ヴァイツは大きく息を吐くと、その体を担ぎ上げた。


「「「!!!」」」

周りが驚倒する中、担ぎ上げられた本人はまったく動じていなかった。唖然とする面々を置き去りにして、二人はなごやかに言葉を交わす。


「すいませんね、わざわざ」

「まったく世話の焼ける…。あの王女殿下?」

呆けていたレーナは我に返った。俵担ぎされたセルビアと細い体を担ぎ上げるヴァイツを見て、途方に暮れるレーナに二人はまったくの平常心のまま話しかける。


「申し訳ありません、あなたの護衛をこんなことにしてしまって」

「いえ、それは私のせいです。少々大人げなかった」

「お前みたいな奴に大人げなんてものがあってたまるか」

「失礼ですね。こう見えて22歳なんですよ、私」

「世も末だな」

「…その言い方はひどすぎると思います」


それを見ていたレーナは嬉しげに言った。

「お二人とも仲良しですね!」

「「はい…?」」

そのままレーナは、二人を先導して歩きだした。その足取りは軽く、とても嬉しげに見えた。





自分の部屋の寝台に乗せられたセルビアは、掛けられた毛布と、それを丁寧に直すヴァイツを見比べた。

「なんか手慣れてますね」

その感想にヴァイツは肩をすくめた。


「娘がいるからな」

「へえ、何歳なんですか?」

「10だ。この頃はませてきて困ってる」

「まあ、女の子はそういうものですよ」

「…お前も昔はそうだったのか?」


その問いにセルビアは虚を突かれたかのように驚いて、目を見開いた。

「どうでしょうね。学術院に入ったのが10歳の時でしたし、ませる暇もなかったような気がしますけど」

どこか懐かしむ表情になったセルビアは、すぐにそれを引っ込めた。

かわりに真剣な顔になると、ヴァイツに向かって言う。


「それで私が王に従う理由でしたっけ?」

「なんでお前は見ず知らずの他人の為に、そこまで命を張る?理由がさっぱり分からねえ」

そこまで言われてセルビアは、寝台の中で器用に肩をすくめてみせた。


「私はあの人の願いを叶えたいと思ったんですよ。旅の目的を達成した私としては渡りに船でしたね、あの依頼は」

旅の目的を果たした。報告書にも書いてあったそれが、ヴァイツの頭をよぎる。


「理由なんてどうでもよかったんですよ。ただやったことがないことが出来れば、それで」


「…嘘をつくんじゃねえ」

「あれ、ばれました?」

最初から隠す気もなかったのか、セルビアは軽く笑った。対して、ヴァイツは苦虫を噛んだような顔で脇にあった椅子に座る。腰を据える姿勢だ。


「別に嘘ってわけでもないんですけどね。半分ぐらいは本当ですよ」

「残りの半分はどこに行きやがった」

「さあ、って大丈夫ですよ。ちゃんと話しますから、そんな怖い顔はしないで下さい」

あくまで軽い口調で話すセルビアの表情には、色濃く疲労が浮かんでいる。それを押し隠すかのような振る舞いを、ヴァイツはただ黙って見ていた。


「私は単純に王のお役に立ちたいと思っただけです。その点は刀にかけて誓います」

その言葉にヴァイツは眉を顰めた。それを気にせず、セルビアは話し続ける。


「私は王の願いを叶えてあげたかった。娘を守りたいという思いを無視できなかった。王を支えたいというあの人の想いを捨てることが出来なかった。私の命なんて絆や約束と比べたら、安いものですよ。私は王が願うのだったら、簡単にこの手を血に染めます。あの人との約束を守る為だったら、なんでもしますよ。それが私の道ですから」


それはセルビア自身の血にまみれた捨て身の言葉だった。重く苦しい羅列の中には哀切と捨て切れない愛情が混じっている。

その目は焦点が合っておらず、話の脈絡すらない。


「過去に囚われているのは私の方だ。あの人の目は一度だって私を映したことなんてない。忘れることなんて出来るわけがない。生きている限り忘れることが出来ないから、私は旅に出たのに。こんなところで見つけてしまう。なんで見てしまったんだろう。まるで操られているようにしか思えなかった。あの目はあの人と同じだ。私はあの…目が…」


そこで言葉は途切れた。

話している最中にセルビアは眠りに落ちたのだ。その無垢な寝顔に、ヴァイツはがらにもなく安心してしまう。

魔術の使い過ぎで精神の均衡が崩れたのだろう。さきほどの言葉は決して表に出ることのないセルビアの本音だ。


あの人、それがセルビアが王に力を貸す理由のようだ。彼女の中で大きな位置を占めるその人物は王を支えたいと思っていた。だから、セルビアはその願いを叶えようとして、ここにいる。

ヴァイツは大きく息を吐くと、立ち上がった。


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