占いの結果
サイスは腕に抱えていた蟷螂の首を無造作に落とす。それは他の金切り蟷螂の死体の上に落ち、軽く跳ねた後、そのまま動かなくなった。
出来上がったのは、蟷螂の死体が堆く積み上げられた山。
「終わったぞ」
声を上げたサイスの周囲には、いくつか大きな炎が上がっており、その中で魔獣の死体が崩れていく。そのすぐ近くに立っていたセンがサイスの声に気づき、歩いてきた。
「これで最後か?」
「ああ。ターロンは?」
「休んでいる。傷は治したが、血が足りない。当分は安静にしておくことだ」
センはそれだけ言うと、山に手を翳した。
『さあ、炎よ。天高く舞い上がれ』
向けられた手のひらから小さな火の玉が飛び出し、死体の山にぶつかり、大きく燃え上がる。
それを見届けた後、二人は木の下に座っているセルビアとターロンの元へ足を進めた。
セルビアはこちらにやってくる二人を見て、無言で固く水で絞った布を二枚差し出す。
二人はそれを受け取ると、両腕についた魔獣の血を丁寧に拭っていく。服にも幾らかの血がついていたが、それはすでに染み付いてしまっていた。
二人だけで百匹ほどの蟷螂の死体を集めて燃やしたのだ。多少の血痕は仕方がないと言えた。
センは血を拭い終わるとセルビアの隣に座り、横になっていたターロンを優しく撫でる。子猫に戻ったターロンの体に巻かれた包帯の白と毛皮の黒の対比が痛々しい。
とはいっても、傷自体はもう既に治っている。包帯は傷口が開かないようにするための処置だ。
血を多く失ってしまっているので、ターロンの動きは鈍い。それでも小さく鳴いて、センの手を舐める。丁寧な動きには感謝と親しみが込められているように見えた。
サイスはそれを静かに見ていたが、センをまっすぐ見つめて頭を下げた。
「ターロンを助けてくれて感謝する」
セルビアも同じ様に座ったままで一礼する。
「私からもお礼を言わせてください。ありがとうございました」
センは虚を突かれたように目を丸くしている。そして、慎重に口を開いた。
「お前たち、私の力について聞かないのか?」
サイスは苦笑にも似た笑みを浮かべた。
「気にはなっている。だが、私にはお前が何者かどうかより、お前がターロンを助けてくれた事実のほうが重いというだけだ」
「右に同じです。それにその力について聞いたところで、あなたが教えてくれるとは思えないですし」
セルビアは明るく言う。とはいっても、その目には隠しきれない好奇心の色がある。それでもそれを口にする気はまったくないらしい。
センは目を丸くして、二人の言葉を聞いていたが、その『詮索しない』という態度も見て、穏やかに微笑んだ。
懐から小さな箱を取り出し、箱の中から何枚も手札を出していく。
「これも何かの縁だ。少しお前たちの運勢を占ってやろう」
「占いだと…?」
センは手札を軽やかに切っていく。その手つきは鮮やかで慣れていることを感じさせた。
「まあ、騙されたと思って聞いておけ。損はさせない」
センは草の上に三枚の手札を置き、それを引っくり返していく。セルビアとサイスはそれをただ眺めることしかできない。
旅人、弓矢、小さな家。それを見た瞬間、センの顔が不可解そうに歪む。
そしてもう二枚手札を抜き、草の上で裏返す。そこに描かれているのは、逆さまになった一人の男、そして大きな椅子の絵柄が描かれた札だ。
「何か悪い結果が出たんですか?」
「いや、そう訳じゃないが…」
センは言葉を切ってすぐ、サイスを見た。
「まず、サイスとセルビア。お前たちは狙われることになる。かなり危険だ」
「それはある程度覚悟していた。やはり今回の黒幕か?」
「ああ。その黒幕を示したのは『愚者』の手札。今回の場合は、馬鹿とも阿呆ともとれるが。同時に出た手札が権力。黒幕は身の丈に合わない力を求めているようだな」
サイスは怪訝な顔をしたが、セルビアは思いっきり顔を顰めた。その表情は嫌悪を隠そうともしていない。
「…どうやら、心当たりがあるようだ」
サイスの言葉に、セルビアは苦虫を噛み潰したような苦々しい声で答えた。
「ええ、私をこんなところに放り込んだ馬鹿貴族ですよ。あの野郎…!畜生、殺してやりたい…!」
猛獣の唸り声のように周囲に危険を感じさせる声だ。それには殺気すら籠っている。
「落ち着け、セルビア」
「サイスも一度会えば分かるよ。あんなに人に嫌悪感を与える人間には、そうそう会えないから」
「…」
「ハッハッハッハッ!」
サイスは黙り込み、センは大声を上げて笑う。セルビアの言い方がつぼに入ったらしい。
10秒ほど笑い続けたセンは腹を抑えながら、占いの説明を続ける。
「サイス、お前はこの国で大切なものを得るだろう。自分の感情に正直になることが幸せへの近道だ」
「?どういう意味だ?」
セルビアはにやりと笑ってその疑問を流し、サイスからセルビアに視線を移した
。
「セルビア、お前は弓矢に気をつけろ。どうも悪運の気配がある」
「…それって絶対、怪我をするってことですよね?」
「さあな、そこまでは分からない。だが、油断していると痛い目にあうぞ」
占いを終わらせたセンは、手札を箱の中に仕舞っていく。
その動きを眺めながら、セルビアとサイスは、静かに話し合あった。
「師匠はこれからどうするの?私はあの馬鹿を叩き潰す証拠を探しに行くんだけど」
「協力しよう。私もターロンの借りを返さなければいけないからな」
セルビアの過激な言葉にサイスも同意する。どうもターロンを傷つけられたせいで、心中に怒りが渦巻いているようだ。
「そういうことはお前たちに任せるぞ。私には手が出せないことなのでな」
センはそう言うと、立ち上がった。その姿は先程までの明るい様子とはまるで違う。
世俗を捨て去った隠者のような自由と孤独を纏っている。
サイスとセルビアは何も言わずに、センを見ている。センは二人の前に立った。
緑の瞳が全てを見通すように静かな色をして、二人を見つめている。
「お前たちに安寧の時が訪れんことを」
それは厳かな祝福だった。
突風が吹き、炎と灰が舞い上がる。煙と灰は辺りを覆い尽くし、思わず二人は目を瞑ってしまう。
そして二人が目を開けた時には、センの姿はどこにもなかった。
「馬鹿も休み休み言え!」
怒声を張り上げたのは、50匹以上の金切り蟷螂を討伐し、ロバン城に戻ってきていたヴァイツだった。
その怒声を浴びせられたのは、ロバン城の主であるドイットだ。その顔には嘲笑が浮かんでいる。
「信じられない気持ちは分かるが、イジェ公爵家の当主である私に対して、いささか無礼ではないか?」
「お前に敬意を払う必要はない!『セルビアが村一つを皆殺しにして逃げた』だと?有り得ない!」
「しかし、それが真実だ。私も部下から聞いた話だが、村は酷い有様だったらしい。痛ましく悲しいことだな」
沈痛の面持ちを作っているが、その口元は笑いを堪えるように小さく震えている。
(お前に民のことを語る資格があると思っているのか!)
ヴァイツは心の中でそう吐き捨てる。
自分の体面を優先した結果、領民が何人も金切り蟷螂に殺された。そんなことになっても、ドイットは責任も悲しみも何も感じていない。その男がセルビアに何かを押し付けようとしている。
ヴァイツは息を大きく吸って吐く。体の力を抜き、自分の怒りを抑える。今必要なのは憤怒ではない。冷静さと迅速な行動だ。
「分かりました。お話がそれだけなら、すぐに城へ戻らせていただきます。陛下に早急にお伝えしなければならないので」
「…ふん、せいぜい気をつけることだな。馬から落ちぬように」
紛れもない侮辱だったが、ヴァイツは何の反応も返さない。無表情のまま頭を下げ、退室した。
部屋の外に控えていた部下に指示を出しながらヴァイツは胸の内で繰り返し願った。
(死ぬんじゃねえぞ、セルビア…)
ダレバ城の執務室。そこで王はドイットから送られてきた書簡に目を通していた。
「なんと書かれておりましたか?」
宰相であるラザムスの問いに、王は心底呆れた声で答えた。
「紙の無駄以外の何物でもない。魔獣のことを知らぬ存ぜぬで押し通すつもりらしい。公爵家だから何をしても許されると思い上がっているようだな」
ラザムスは顔を顰めて呟いた。
「先代の公爵は分別がある御方でしたが…」
「全くだ。今回の失態は看過できるものではない。それに…、ここを読んでみろ」
書簡の示された部分を読んだラザムスは、唖然となった。
「これは……。まさか本気で言っているのですか?」
「ああ。これほど小賢しく、人を苛立たせる策を弄するとはな」
書簡の示された部分に書かれていたのは、セルビアの名だった。
『セルビア・ハースと思われる女が一つの村を壊滅させ、男ともに逃げた』
遠回しに書かれていた『報告』。それは王とセルビアに対しての侮辱でしかない。
ラザムスはあまりの馬鹿馬鹿しさに頭痛すら感じ始めた。
王は静かに怒っているようだ。その証拠に、声には冷たい何かが混じっている。
「ですが…、これでは理詰めで追いつめることができません。こちらに他の目を向けられてしまいます」
「構わん。相手に口を開く間など与えず、叩き潰せばいいだけの話だ。ラザムス、隠密を動かしても構わん。決定的な証拠を掴め」
「かしこまりました」
ラザムスは一礼してから部屋を出る。そして、自らの仕事を果たすために歩き出した。
魔獣騒動が起きてから二週間ほど経ったある日、ロバン城の中を一つの人影が動いていた。
全身黒尽くめで、目と耳以外は黒布で覆われている。どこからどう見ても怪しい以外の何物でもない。
影は細く身軽な体を生かして、見回りの騎士が来た時は、廊下の天井や柱の影に張り付いてやり過ごし、確実に城の奥の方へと進んでいく。
そして、鍵のかかった一つの部屋の前にたどり着いた。
その扉の前には兵が一人いる。影は廊下にある鎧の影からそれを観察していたが、それもほんの数秒だった。
影がしたことは簡単だ。鎧の影から音も無く滑り出し、兵の視界の死角である真横から迫り、鳩尾を隠し持っていた刀の鞘で突く。
急所を打たれた兵は、声を上げる暇すら与えられず、その場に崩れ落ちた。
影はその体を支えながら、懐から鍵を取り出して扉を開けると、兵を引きずり込む。
部屋の中は真っ暗だ。窓も無く月明かりすらないが、影は全く動揺せず、淡々と呪を唱える。
『闇を見通すのは、獣の目。光はなくとも、瞳は全てを捉える』
魔術の効果で影の目が獣のように鈍く光る。
気を失った兵を床に転がした影の目に部屋の中が映った。
大小の金庫がいくつかと、規則正しく並べられた棚に綺麗に積まれた書類の束。
影はその中の一つの金庫の前に立つ。他の金庫よりも小さく、鍵が二つも付いていた。
影は刀を抜いて上段に構えた。その刀に光の粒子が集まっていく。
光と共に振り下ろされた刀は、金庫の分厚い扉を両断する。鈍い音と共に扉の残骸が床に落ちた。
中に入れられていたのは、何枚かの書類だけだ。
影はその書面を手早く確認していく。そして、その中から二枚の書類を取り出し、丁寧に油紙で包み込んで懐にしまう。
床に伸びている兵士を放置して、影は部屋を出る。そして、一気に走り出した。
「と……!」「は…!い…げ!」
人の声が影を追いかけるように聞こえてくる。城側の人間は侵入者の存在に気づいたのだろう。
影はひたすら外へと繋がる門を目指して駆けていく。姿を隠す素振りすらなく、廊下を一直線に。あまりの異常事態に兵たちも呆気に取られて、その姿をただ見送った。
そして、塀にたどり着くと、予め用意していた縄を掴んで、一気によじ上った。両腕の力を上手く使って、素晴らしい早さで登る。
兵士たちがそれに追いついたのは、影が塀の上に手をかけた時だった。
「射ろ!殺しても構わん!!必ずここで仕留めろ!」
騎士の命令と共に兵士たちの持っている弓から矢が放たれる。影は体全体を捻るようにして矢を躱すと、縄を掴んだまま、反対側に飛び降りた。
さすがに塀からそのまま飛び降りるのは危ないと判断したのだろう。縄が一瞬伸びきり、影はその瞬間に手を放して、地面に着地した。
上から降り注いできた矢が、影の体すれすれに通り過ぎていく。
影は休む間もなく走り出す。そして、すぐ近くに準備していた馬に飛び乗ると、町の通りを駆け抜けていく。
それを追いかけるために城門から何騎かの軽騎兵が飛び出した。
ドドッ、ドドッと馬は地面を抉るような強さで道を駆けていく。
「追え!射落とせ!」
騎士の叫びが町の中に響き渡る。
石畳を蹴って走る何頭もの馬。
後方から射かけられる矢に、影は舌打ちして、鞭を振るって速度を上げていく。
真夜中といっても、町中で騎士が矢を矢継ぎ早に放つ。民がいないとも限らない状況でだ。
守るべきものを見失っているとしか思えない暴挙だった。
そんな時、グサリと、鈍く、それほど大きくない音が響いた。
影の手から鞭が落ち、その姿勢が大きく傾ぐ。
「ぐう…」
低いうめき声が影の口から漏れる。右手で左肩の辺りを探ると、一本の矢が肩甲骨の辺りに深く突き立ち、血が流れ出していた。
影は片手で必死に手綱を取り、まっすぐ門へと向かう。いつもなら厳重に閉じられている門は大きく開けられている。
門の内側には鉄の落とし格子があり、それがゆっくりと落とされていくのを、追う者と追われる者は見ていた。
影は速度を緩めず、一気にその下を潜り抜ける。
騎士たちは間に合わず、慌てて手綱を引いて馬を止める。その直後に鈍い音とともに、鉄格子が落とされた。
「何をしている!はやく格子を上げろ!!曲者を逃がすな!!」
騎士の怒号を追い風にするように、影は背中に弓を突き立てたまま、暗闇の中に消えていった。




