東より来る
舞踏会から三日後の昼間。
王と宰相は謁見の間にいた。
天井が高く、広々とした空間だ。外国の使者との会見に使われることもある部屋なので、室内の調度も実に洗練されている。
王は装飾が施された椅子に座り、ラザムスはその横で紙束をめくっていた。
「オト、か。あの国が我が国に使者とはな。一体何事だ?」
「分かりかねます」
答えたラザムスは、謁見を申し込んできた相手国の情報を王に伝える。
「オト。南東の外海、シリゾイから快速船でも10日はかかる距離にある島国です。国土の広さはアイズバーンの四分の一、首都はキョトウ。30年以上前は交流もありましたが、現在の王が変わってからは交流が途絶えて、ほとんど断絶状態です」
「その国の使者が入国したことを、三日前に知らされた時は驚いた」
アイズバーンで一、二の権力を持つ二人の会話に、柔らかな女性の声が割り込んだ。
「それで私が呼ばれたということですか」
壁際に控えていたのはセルビアだ。いつもの男装姿で、髪を一つに縛っている。
表情はどこか固く、不機嫌な様子が伝わってきた。
「確かに、私は一年前までオトにいました。しかし、こんな場面で役立つような情報は何も持っていませんよ」
「そう言うな、セルビア。こちら側でオトに居たことがあるのは、お前だけだなのだ。少しだけ協力してくれ」
「…分かりました、陛下がそうおっしゃるなら」
王には従順なセルビアは、大人しく引き下がった。
その時、侍従と共に使者が謁見の間に入ってきた。
オトの使者は二人だけだ。一人が前に出て、もう一人は後ろで控えている。
前に出てきた男は、その場で跪いた。
装飾は少ないが、最高級の絹地を存分に使った高価な服を纏っている。ある程度の動きやすさを考慮しているのだろう。
「お会いできて光栄です、アルフレッド陛下。私はオト国王家の長子、リバルと申します」
「わざわざお越しくださって感謝する、王子殿下。お顔を上げられよ」
顔を上げた男はまっすぐ王の顔を見つめた。そして、立ち上がる。
あまり背は高くない。セルビアより拳一つ高い程度だろう。
その代わり、体には厚みがある。鍛えられていると一目でわかるほどだ。動きにも隙がない。
鷲鼻で唇は薄い。目も細く、正直言って悪人面である。あまり人好きされる顔ではない。20代と分かる若さがあるが、それが顔つきの悪さをさらに助長している。
髪と同色の暗い赤色の瞳にはぶれがなかった。
「今日はある物を探す為に、貴国に足を踏み入れた次第です。用件が済めば、すぐにでも国へ帰らせていただきます」
「つまりは…探し物をしていると?」
「はい」
きっぱりと頷いたリバルは、その探し物の名を口にした。
「我が国の国宝である刀、銘『白緋』を探しております」
「白緋…?」
宰相は首を傾げた。自分の知識の中にそのような名前はない。王には覚えがある名だが、今は黙っておくことにした。
しかし、宰相が何か言う前にセルビアが動いた。
堂々と壁際から歩いてきたセルビアはリバルの前に立つと、腰に差していた刀を鞘ごと引き抜いて、床に突き立てる。
「まさか…」
リバルは言葉をのみ込んだ。
赤く塗られた鞘と使いこまれた柄。抜かずとも刃の美しさと鋭さが分かるような一品だ。
「ええ、これがお探しの白緋です」
そう言って、セルビアはリバルを睨んだ。
銀の瞳が物騒な気配を漂わせている。
「殿下、一つお伺いします。これはオトの国宝などではありません。武人たちの手によって受け継がれてきた、ただの刀です。それをわざわざ一国の王子が探しにくるなど、不可解極まりないのですが?理由をお教えください」
「…貴様には関係ないことだ。それを渡せ、オトに返してもらおう」
「お断りします」
気持ちいいほどの即答であった。
セルビアは刀を自分の腰に差し直す。一国の王子に対して不敬にもほどがある振る舞いだが、本人はまったく気にも留めずに、言葉を続ける。
「これはわが師、ガナから譲られたものです。たとえ誰になんと言われても、その資格がない御仁にお渡しするわけにはまいりません」
きっぱりと言い切って、セルビアは部屋の外に通じる扉へと向かった。
「お分かりになりましたら、殿下の国にお帰りください。私はこれで失礼させていただきます」
「待て!」
呼び止められたセルビアが振り返って、少しだけ眉をひそめた。
そこに帯刀していた刀に手をかけたリバルがいたからだ。
「納得できん。あのガナ様が、お前のような女にその刀を譲るなど」
セルビアはその言葉を聞いて、楽しげに笑った。
「そっちの理由のほうが私は好きですね。野獣と呼ばれたガナ様には多くの弟子がいたでしょうし、あの強さに憧れた者もたくさんいたはずです」
「…そうだ。あの方に認めてもらうために、どれだけの人間が努力したと思う?俺とて、その内の一人だ。そのガナ様が自らの愛刀を女に形見として譲ったなどと…。侮辱にもほどがある」
「侮辱とは、また酷い言い草ですね」
さして痛痒を感じているとも思えない声でそう言って、セルビアは唇の端を吊り上げた。
「男の嫉妬は見苦しいですよ、殿下」
次の瞬間、降りかかってきた刃を後ろに下がってかわしたセルビアは、さらに距離をとった。そして腰の刀に手をかける。
リバルはゆっくりと振り切った刀を構え直した。
どちらも睨み合ったまま、お互いの間合いを探る。
「待て!二人とも!」
「すいません、陛下。後で土下座でもなんでもしますから」
「いや、そういう問題ではないぞ!?」
勢いよく突っ込んだ王の言葉など聞いていない二人は、同時に動いた。
切り結ぶ音が響き、お互いの位置が入れ替わる。
セルビアは、頬につけられた浅い傷から流れ落ちた血を拭った。
「かすりましたか」
「お互い様だ」
そう言うリバルの上着の腕の部分は裂けていた。
(これは…ちょっと危ないかな…)
セルビアは胸の内でそう一人ごちた。
技と速さはこちらが上。腕力と経験はあちらが上。魔術で差をどこまで埋められるかは未知数だ。
しかし、その不利を分かった上でこの状況に持ち込んだのは、セルビアだった。
あちらの狙いが、白緋なのは分かった。しかし、その理由に見当がつかない。
リバルはガナに憧れているようだが、それだけで海を越えて、この国に来るのは難しい。他に理由があるはずだった。
だからこそ、セルビアはリバルを挑発したのだ。そこから何かを掴めれば恩の字だったのだが、少しやり過ぎてしまった。自分も大概頭に血が上っていたらしい。
後悔はしていないが。
「まあ、あなたを納得させるには、このやり方では少し物足りないですかね。久し振りにあれをやりますか」
セルビアはそれだけ言うと、腰に差していた赤の鞘を抜く。
その構えを見たリバルの表情が、憤怒のものへと変わった。
セルビアは右手に刀、左手に鞘を握っている。見慣れない構えだ。
両手はだらりと下がり、ただ立っているだけ。顔も無表情となり、瞳も凪いでいた。
「きっさま…!それを俺の前で使う気か!?」
怒りの叫びにセルビアは答えなかった。
光の粒子がセルビアの手足を薄く取り巻く。無詠呪が発動したのだ。
そして、その体が動いた。
「!」
早い。普通の人間では決して見切れない速度で刀が振られる。残像すら見えるほどの速度だった。
リバルはほとんど勘だけで腕を動かして、斬撃を防いだ。しかし、刀と同時に襲いかかってきた鞘はかわしきれなかった。
「っ!」
顔面を突き刺すように突き出された鞘は、リバルの耳朶をかする。
そこからはセルビアの猛攻だった。いつもとはまったく違う動きだ。
鞘が腹を狙い、刃が首に襲いかかる。暴力的なまでに、苛烈な攻撃。
なにより表情が違う。まったくの無表情で、能面のような顔。いつもの好戦的な笑みは、一欠けらたりともない。
リバルは必死になって、刀と鞘の攻めをいなしてかわす。
刀が上から振り下ろされ、鞘が薙ぎ払い、猛攻という言葉すら生温いような動きだ。
王はいきなり始まった決闘を見ながら、椅子の上で頭を抱えていた。
宰相は顔色を赤や青に忙しく変えながら、王に話しかける。
「陛下!今すぐ、止めなければ…」
それに、王は沈痛の面持ちで首を振った。
「無理だ…。今、あの二人の割って入ろうものなら、こちらが斬られるぞ」
「まさか…」
「見ろ、あちらを」
王が示したのは、後方の壁際に控えている使者のもう一人だった。使者の男は、両手でその顔を覆っている。ほとんど死にかけの態だ。
リバル王子を止める様子はまったくない。
「あの御方の様子を見る限り、リバル殿下が我らの話を聞いてくれることは、ないように思うのだが…。今のセルビアを止めることなど、私には出来ん」
宰相は愕然とした後、低く呻いた。
限界を超えた力を引き出す魔術。そのせいでセルビアの体は軋んでいる。
セルビアの精神は、そのことを冷静に知覚していた。しかし、表情はまったく動かない。すべてが抜け落ちた顔で、刀と鞘を振るう。
それがセルビアが無詠呪で発動させた魔術の効果だった。
その時、リバルの姿勢が大きく崩れる。セルビアの攻めをさばききれなくなったのだ。
後ろに仰向けになって倒れたリバルの体にセルビアが飛びかかり、馬乗りになる。
首を挟みこむようにして、刀と鞘が床に突き立てられた。
「ぐっ…」
セルビアは感情が浮かんでいない目で、リバルを見下ろす。
体を動かせないリバルの顔は悔しげに歪んでいる。
セルビアがゆっくりと口を開いた。
「…降参していただけますね?」
念を押す口調。
リバルは唇を固く閉じていたが、ゆっくりと首を縦に振った。
「先程の事、一体なんとお詫びしてよいか…」
「いえ、先に斬りかかったのは私です。謝罪すべきなのは、私でしょう」
その日の王の晩餐に招待されたリバルは、王と差し向かいで食事をとっていた。相変わらずの仏頂面だが、本人に悪気はない。
部屋には衝立が置かれ、鮮やかな幕が下ろされている。客を歓迎するための装飾だろう。
「私も考えを改めさせられました。いい経験ができたと思っております」
「そう言ってくださるとありがたい」
王は安心したようだ。柔らかい笑みを浮かべて、リバルに酒を勧めた。
「貴殿の国、オトとはどういう所なのか聞いてもよろしいか?」
リバルは酒を一口飲んでから、答えた。
「険しい山々が連なる地域の多い国です。夏は暑く、冬は寒い」
「それは厳しい気候ですな」
「ええ、牛や豚より羊の方が多いぐらいですので」
「セルビアも言っておりました。羊の乳には癖があって、あまり美味しく感じられなかったと」
リバルはそこでほんの少し唇を緩めた。
「陛下、私はセルビアに感謝しています。どうかセルビアを責めることは止めてください」
「そういうわけにはまいりません。どんな形であれ、賓客に傷を負わせるなど、看過できることではありません」
王は厳しく言った後、苦笑した。
「とは言っても、本人が開き直っていては、あまり意味のないことかもしれませんが」
食事が進み、もうそろそろお開きというところでリバルは手を止めた。
「一つ、陛下にお聞きしたいことがあります」
「なんなりと」
リバルは迷っているようだった。王にはそれが何かを計りかねているように感じられた。
「陛下がこの国の中で自分の思い通りにならないものはありますか?」
「そうですな…。色々とありますが、やはり人の心でしょうか」
「心…」
王はリバルに穏やかに言う。
「国を変えたいと思うのなら、まずは味方を集めることです。信頼でき、背中を預けることのできる者たちを作るといいでしょう」
穏やかに言っているが、どことなく不穏な雰囲気が漂う言葉だ。
リバルの顔が緊張に染まる。自分が今、向かい合っているのは賢王の名が知られている男だと思い出したらしい。
「殿下、私も貴方にお聞きしたいことがありましてな」
「…なんでしょう?」
王は柔らかな表情のまま、自然に言った。
「あの刀は武人の手に受け継がれてきているものだと聞いています。それを国の名を出してまで、何故奪おうとするのですか?私には理由が一つしか思い浮かびませんでしたが」
リバルは王にそれ以上言わせなかった。唐突に席を立って、頭を下げる。
「申し訳ありませんが、旅の疲れがありまして…。退席してもよろしいでしょうか?」
「おう、それは気がききませんでしたな。どうぞ、お休みください」
足早に部屋を出て行くリバル。王はそれを見送ってから、杯にゆっくりと口をつけた。
「もう出てきてかまわんぞ」
誰もいない虚空に向けて言われた言葉に答えがあった。
「…陛下」
衝立の裏から出てきたのはセルビアだった。
セルビアは固まった体をほぐしながら、王に胡乱げな視線を向ける。
「どうしてあんな真っ正直に聞いたんですか?あれで話すわけがありません」
王はセルビアの苦情を笑って受け流した。
「元々話すわけがないからな。ああ言った方が反応が読める。それに殿下も素直な方のようだからな」
「…おかわいそうな殿下ですね」
「なに、いつかは人の上に立つ御方なら、いい経験になるだろう」
笑っている王は手酌で酒をついだ。まだ飲む気らしい。
「セルビア、お前も飲むか?」
「遠慮します。これでも疲れてるんです」
セルビアはふう、と息を吐いた。かなり疲れているのか、いつもの凛とした雰囲気はない。
「私はこれで失礼します」
「そうか、ゆっくり休むといい」
一礼して退室したセルビアは首を回して、周りを見回した。
暗い廊下には等間隔で明かりが灯され、清められた壁や床を照らしている。
「…まあ、しょうがないか」
ほろ苦い笑みをこぼしたセルビアは、腰に差している白緋の柄を叩いた。
「先生もきっと許してくれるよね」
その独り言は誰にも聞かれることなく消え、セルビアは一人で歩き出した。
「…で、何故お前がここにいる?」
「そんな顔をしないで下さい。私はあなたにお話ししたいことがあったんです」
翌朝、王城の門の前で帰国するリバルを待っていたセルビアは、可愛らしく首を傾げた。リバルは馬上で苦い顔だ。
セルビアは顔を上げてリバルをしっかりと見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「いつか私が剣を置く日が来ます。これでも女ですから、男性と同じようにはいきません」
「私に勝てるような者が女とはな」
「なにかおっしゃりました?」
「…いや、なにも」
リバルによく見えるように白緋が突き出された。使い込まれた艶のあるそれを両手で掲げたまま、セルビアは大きく息を吸う。
「この白緋は戦うために作られたものです。あと二十年もすれば、私は白緋を振るえなくなるでしょう。その時に殿下にこれをお渡しいたします」
「!お前…」
驚くリバルをセルビアはじっと見つめる。
「戦士の誇りとこの白緋にかけて、今の言葉を誓います」
「…」
絶句したリバルを無視して、セルビアは白緋を腰に差し直した。
「殿下、驚きすぎです。口が開きっぱなしですよ」
「!いや、待て!」
我に返ったリバルは馬を下りて、セルビアに詰め寄った。
「どういうことだ!」
「言った通りですが。今日はお渡しできませんが、20年ほど経ったら、これを殿下にお渡しいたします」
リバルはあまりにあっけらかんとしたセルビアの言葉に呆気にとられた。昨日の剣幕は一体なんだったのかと言いたくなるほどだ。
「まあ、それほど意味があるってわけじゃないんです。オトの方が良い使い手がたくさんいますからね。もしこの刀を使うなら、そういう方に使ってほしいと考えただけです」
「…本音か?それは」
「疑り深いですね。誇りにかけたんですから、信用してくれてもよさそうなものですが」
「そういうことではない」
眉を顰めたリバルは、首を横に振った。
「昨日はあそこまで拒否しておいて、一日でそこまで考えが変わるものか?」
「あれは殿下が剣を抜いたからです。もともと前から考えていたことですよ」
セルビアの笑顔がとてもうんくさく見えるリバル。しかし、今更白緋を取り上げようとは思っていないので、一応信じようと考えたらしい。
「分かった。なら次に会うのは、20年後か」
「ええ、そうなりますね」
最後にリバルはふっ、と笑みを浮かべた。
「では、またな」
「はい。またお会いできる日を楽しみにしています」
セルビアは腰を折って礼をし、馬に乗って去っていく背中を見送った。
数秒経った後、頭を上げたセルビアは王城の壁の方を睨んだ。
「で?いつまでそこにいる気ですか」
その声に応えるように壁の裏から出てきたのは、申し訳なさそうな顔をしたヴァイツだった。
「…悪いな。立ち聞きするつもりはなかったんだが」
謝罪と共に軽く頭を下げたヴァイツは、セルビアに話しかけた。
「別に構いません。聞かれて困るような話なら、こんなところではしませんし」
「なら、よかった…と、言いたいところなんだが」
「?」
「お前、調子が悪いのか?」
セルビアは分かりやすくぎくりとした。それでも素知らぬ顔で視線を逸らす。
「何の話でしょう?私は元気ですよ」
ヴァイツは深々とため息をついた。よく見れば、セルビアの顔色は少しくすんでいる。
本人も気づいているはずだが、周りに気づかれないように振る舞っているらしい。
(周りというよりも、陛下やレーナ様に心配をかけたくないっていうところか)
ヴァイツはいつもの疲れた顔で、セルビアを自分の家に誘った。
「?なんでまた、ヴァイツさんのお屋敷に?」
「マヤがお前のことを気に入ったみたいでな。女冒険者の話を聞きたいと言ってきかないんだ。飯も用意するぞ」
セルビアは頬を緩めて頷いた。
ヴァイツはその笑みを見て、どこか引っかかるものを覚えた。しかし、それがなんなのかわからない。
「どうかしましたか?」
ぼうっとしていたヴァイツは、声をかけられて我に返った。セルビアが不思議そうな目でヴァイツを見上げている。
「いや、なんでもねえよ」
ヴァイツはそう言いながら、セルビアの銀色の瞳を見つめた。
その後、ヴァイツの屋敷を訪れたセルビアはマヤと使用人たちから歓迎されることになる。どれだけヴァイツが周りに心配されているのかを理解して、セルビアが苦笑したのは余談というものだろう。