再会と恋心
「ディレオーネ殿下の護衛にお前をわざわざ指名するとはな。陛下はカーテナによほど気を使っているらしい」
「ヴァイツ様は私のことを少し買被り過ぎです。陛下は賓客に対して敬意を払っているだけでしょう」
二人が今居るのは、アイズバーンの北の国境付近の天幕だ。
風には秋の気配が感じられ、木の葉も色づくようになっている。
カーテナの第三王女の迎えとして派遣されたのは、ヴァイツとその配下だった。一応、セルビアもヴァイツの部下であるので、嘘ではない。
ヴァイツとしては、こんな扱いにくい部下は拒否したい気分だったが。
セルビアも分かっているのか、ある程度はヴァイツを立てている。(あくまで『ある程度』だ)
そんな二人が立ち話をしている天幕に一人の隊員が入ってきて、王女が到着したことを告げた。
王女の馬車の周りにはカーテナの騎士達が控えている。
ヴァイツは馬車の横に立ち、王女が出てくるのを頭を下げながら待つ。セルビアはその後ろで礼の姿勢を取ったまま、動かない。
華奢な少女が馬車から降りてきた。
「ようこそ、アイズバーンへ。ディレオーネ・パトゥープ殿下。私は国軍第三隊隊長、ヴァイツ・ダミヤと申します。ここから貴女様の護衛をさせていただく者です」
「ありがとうございます、ヴァイツ隊長。どうぞ、よろしくお願いいたします」
王女とは思えないほど腰の低く、少し頼りない雰囲気がある。
ヴァイツはそこでようやく頭を上げて、相手の顔を見た。
薄茶の髪に、同じ色の瞳。優しく可愛らしい顔立ちをしている。小柄な体躯はどこか守りたくなる雰囲気があった。
表情は固く、緊張しているのがよく分かる。良くも悪くも感情が表情に出やすい、素直な性格なのだろう。
その時、王女の後ろから大きな影が近付いてきた。
大きな影を持ったその人は、ディレオーネを庇うように前に出てくる。
「貴殿がヴァイツ・ダミヤ殿か。お噂はかねがねお聞きしている」
その影は大柄な男だった。
男の中でもそう小さくないヴァイツが見上げなければいけない背の高さに、騎士服の上からでも分かる筋肉の厚さが、相対する相手に更に圧迫感を与えている。
彫りの深い顔立ちで、短く刈り上げられた茶髪。青い瞳は鋭い光がある。
まさしく武人というのが相応しい風格だ。
まだ20代の若い男だったが、纏う空気には若々しさがないかわりに、厳格さや雄々しさがあった。
「…そういう貴方はカーテナ国騎士団副団長、ウォルター・デセオ様とお見受けする。お会いできて光栄だ」
ウォルターは口の端を少しだけ上げて、一礼した。
ヴァイツがそれに礼を返そうとした時、後ろで息をのむ音がした。横目で音の発生源であるセルビアを見ると、口を大きく開け、呆然としてウォルターを見つめている。
ウォルターもセルビアと同じように目を見開いて、呆気に取られている。
「━━━…」
ゆっくりと何かを小さく呟いたセルビアの声に応えるようにウォルターの口も動く。
「セルビア…か?」
その低い声を聞いたセルビアは安心したように、ふにゃりと笑った。
「やっぱり、ウォルだ」
「…こんな所で会えるとは思っていなかったぞ」
「それはお互い様だよ」
親しげに言葉を交わす二人の間に挟まれたヴァイツは、居心地の悪い思いを感じながら、視線を微妙にずらした。
その時、ウォルターの後ろにいたディレオーネの表情が、ヴァイツにははっきりと見えた。
強い衝撃を受けた人の顔。
視線が定まらない目がディレオーネの前に立つウォルターの背中を彷徨い、不安げな表情をしている。
(ああ…そういうことか)
ヴァイツがディレオーネの抱える想いを見抜くにはそれだけで充分だった。伊達に30年以上生きていない。
二人の間に割って入る算段を付けることにしたヴァイツは内心で苦笑した。
王女の道中の宿として手配していた伯爵の館で食事を取ったセルビアは、中庭にあった石の長椅子に座った。
ヴァイツの尋問を逃れるために自分の部屋から逃げ出したのだ。
(まあ、後ろ暗い所はないんだけどね…。あの人って、人の機微に鋭いからなあ。あんまり昔のことは話したくない)
今日のことはセルビアにとって、驚天動地と言って過言ではないほどのことだった。
普通なら昔の知り合いに会ったほどのことで動揺はしないが、それがあの『ウォル』なら話は別だ。
なんとか昔の知り合いということでその場を逃れたが、そのうち詰め寄られるだろうと想像して、セルビアはさらに体を重くさせた。
「はあ…、疲れる」
「セルビア」
ため息をついたセルビアは、その声に跳び上がった。
「ウォル!?」
慌てて振り返れば、そこに立っていたのはウォルターだった。
ウォルターはそのままセルビアの隣に座る。
「…驚いたぞ、お前が軍人とはな」
「そっちは…意外でもなかったね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だけど?」
セルビアは話題を変えた。
「何年ぶりだっけ?」
「2年ほどだな」
「ああ…、そんな経つんだ。王女殿下には何か聞かれた?」
「一応な。昔、少し知り合った程度だと答えておいた」
「お!私と同じ答え方だね」
軽妙なやり取りだ。付き合いの深さが感じられる。
「そうだ、ウォル。迷いは消えた?」
唐突なセルビアの問いに、ウォルターは視線を宙に彷徨わせた。
とても分かりやすい反応に、セルビアは肩をすくめる。
「そういうお前は?目的は遂げられたのか?」
「そうだね…。ここはうん、と言っておこうかな」
「なんだ、それは」
ウォルターが眉をひそめると同時に、セルビアは長椅子から立ち上がる。
「私の旅は終わったよ。やっと見つけられたから」
嬉しげで、どこか切なげな表情だった。
「ねえ、ウォル」
「…なんだ」
自分の愛称に半拍遅れて反応したウォルターは、自分のすぐ前に立ったセルビアを見つめた。
セルビアはゆっくりと身を屈めて、自分の顔をウォルターに近づける。
「ウォルはいつになったら、覚悟を決めるの?」
「何の話だ」
「ごまかさないで」
至近距離で囁きを交わす二人。
セルビアは左手でウォルターの肩を掴んだ。ウォルターが座ったままなので、セルビアが見下ろす形になる。
「あの時、私の言葉を遮って、あそこから去ったくせに。一体、何を躊躇ってるの?」
鼻先が触れ合いそうになるほどの至近距離だ。
ウォルターは眉間に皺を作ったが、セルビアはむしろ楽しげに喋り続ける。
「ま、結局決めるのは、ウォルなんだけどね」
「離れろ」
「酷いなあ、こんな美女に迫られてるっていうのに。もう少し嬉しそうにしなって」
「…」
ウォルターは笑っているセルビアの両肩を掴み、ひっぺはがした。
「きゃっ」
棒読みの甲高い悲鳴にウォルターは頭が痛くなった。
額を押さえたウォルターを楽しげに眺めていたセルビアは、人の気配を感じ取り、首をひねって後ろを見た。
中庭への入り口。半身を壁に隠すようにして、小柄な少女が立っていた。
衝撃を受けた顔と見開かれた目。体が細かく震えていた。
セルビアに見られていることに気付いた少女は、体を強張らせる。ウォルターはそれには気付かない。セルビアの陰に隠れて、肝心の少女がウォルターには見えていないようだ。
セルビアはすさまじい怒りに襲われた。しかし、完璧にそれを隠し通す。
それから極めて自然に微笑んだ。可愛らしく、そして美しく。
「?セルビア?」
呼ばれて、顔を前に戻す。
後ろの気配が遠ざかって消えた。
「大切なものがいつまでもそばにあると思ってたら大間違いだよ」
「何の話だ?」
セルビアはウォルターの疑問には答えず、踵を返した。
宿を出発した王女の馬車は、山道をゆっくりと進んでいく。
「ねえ、ウォル」
「…何だ」
「うわ、不機嫌だね。何かあった?」
その傍で馬に乗りながら会話をするセルビアとウォルター。
ウォルターは上機嫌なセルビアとは違い、仏頂面だ。
本来ならセルビアの位置はもっと後方なのだが、なぜかセルビアが勝手に前に出てきているのだ。
つまりはウォルターの隣に。
「まあ、どうでもいいけど」
自分で聞いておいて質問をうっちゃったセルビアは、本題を切り出した。
馬上でありながら、その姿勢はぶれない。それはウォルターも同じだったが。
「ウォルはターロンっていう名字に聞き覚えがある?」
「ターロン?確か…カーテナの貴族に、その家名があったはずだが…」
「やっぱりね」
一人で頷いたセルビアは、視線を上の方の森へと投げた。
その視線をたどったウォルターの目に白い鹿が見えた。
「あれは…」
「『聖獣』だね。珍しい」
白い角と同色の滑らかな毛皮。他の動物とは明らかに違う空気。ここからは見えないが、瞳は青色だろう。
聖獣は魔獣と対をなす存在だ。神が魔獣を作った後、救いとして人にもたらした獣。
瞳が青く、自然に魔術を使え、寿命は100年とも200年ともいわれている。
言語を理解し、人のいない場所で静かに暮らす。この世界に聖獣がいる限り、魔獣が世界を覆う事はないと伝わっている。
その姿は様々で猪や狐、海では鯨が確認されている。
「運がいいね。何か良いことがあるかもしれない」
セルビアがそう言った後、鹿は森の中に戻っていく。
その姿は悠然としていた。
セルビアは聖獣の後ろ姿を見ていたウォルターに話しかけた。
「懐かしい?」
「…少しな」
「私も見るのは久し振りだよ。ガナ様のビャクが懐かしいな」
「そうだな、お前によく懐いていた」
「ウォルは嫌われてたね。近づこうとすると逃げられてたし」
「……」
「あ、結構気にしてた?」
「うるさい、黙れ」
セルビアはけらけらと笑い、ウォルターは眉間に皺を寄せた。二人の間の空気は、どこか穏やかだ。
ウォルターは会話を切り上げて、王女の馬車へと馬を寄せた。
「姫様、お加減はいかがですか?悪いようでしたら、休憩を入れますが」
「いえ、大丈夫です」
馬車の窓から顔を出して答えた王女を見て、ウォルターは少し眉をひそめた。
明らかに顔色が悪い。肌には血の気がなく、語気にも力がない。具合が悪い人の典型的な姿だ。
ウォルターは振り返って、セルビアに声をかけた。
「セルビア、少し休憩出来るか?」
「分かった。ヴァイツさんに相談してくる」
セルビアは後方にいるヴァイツの方へと馬を走らせようとした。
その時、セルビアの感覚に何かが引っ掛かり、手綱を操る手が止まる。
ぞわりと、寒気が背中を伝う。ある意味では、慣れた気配だった。
セルビアの目線が、道の横にある崖の上に流れる。
そこに真っ黒な毛皮と、鋭く長い角が見えた。
「ウォル!」
「ブォォォォゥゥゥ!!」
セルビアの叫びに被さるようにして、雄叫びが響き渡る。巨体の牛が崖の上から駆け下りてくる。
その目は鮮血の赤だった。
牛が駆け下りる先には、王女の馬車がある。
その時、ウォルターが馬車の前に出た。
「ウォルター!?」
王女の悲痛な声に、ウォルターは振り返った。
「ディレオーネ様。どうぞ、ご安心を。我が身に代えても、お守りいたします」
『盾は血より濃い水。さあ、立ち塞がれ。全ては一つの心によって』
ウォルが呪を紡ぎ、魔術が発動する。
透明の水の壁が、勢いよく立ち上がった。子供の身長ほどの厚さがある壁だ。
ドン!と、牛が壁と激突する。
しかし、水の盾は破れない。ある程度削れたが、ウォルターはまったく焦らずに目を横に向けた。
そこにいたのは、馬を疾走させるセルビアだった。
足だけで体を固定させて、刀を抜いたセルビアは、牛に迫る。
牛がそれに気付いて、方向転換しようとしたが、ウォルターがそれを止めた。
『形なき紐は縒り合わさり、獲物を縛りあげろ』
水の盾が裂けて、10本以上の紐に分かれる。紐は牛に一斉に襲いかかって、胴体を足ごと縛り上げた。
「オオォォォッッ!!」
暴れる牛にセルビアは突進していく。
そして、
「ハァッ!」
気合一閃。
血が宙に弧を描き、牛の首が地面に落ちた。
「これは狂牛みたいだね」
「そうだな」
セルビアとウォルターの前に横たわっているのは、魔獣の遺骸だ。
身長はセルビアほどで、体の長さはセルビアの2倍はある。
「どうする?放っておいても、問題はないと思うけど」
「いや、燃やそう。腐るのが早いといっても、限度がある」
セルビアは無言で頷いた。
火が瞬く間に狂牛の体を覆っていく。
角も骨も、火にのまれて塵になる。
「いつ見ても不思議だね。生きていれば、こんな簡単な火に焦げることすらないのに、死んだ途端にこんなに脆くなる」
「そうか?」
セルビアはウォルターの言葉に苦笑して、弔いの火に背を向ける。
立ち昇る煙は風に流されて、消えていった。
「殿下、お加減はいかがですか?」
かけられた声にディレオーネは顔を上げた。そこにいたのは、穏やかに笑うセルビアだ。
折りたたみ式の椅子に座っていたディレオーネは跳び上がるほど驚くと、しどろもどろに大丈夫だということを伝える。
魔獣に襲われた後の休憩中なので、最低限の護衛以外は周囲で歓談している。セルビアは最低限の護衛の一人だった。
「あの…セルビア様」
「はい。なんでしょう?」
周りには誰もいない。侍女も少し離れた場所で控えているだけだ。
そのことがディレオーネの背中を押した。
「あの…、貴方はウォルターと、どういうお知り合いなのでしょうか?」
「え?ええと、ですね…。兄弟子と妹弟子、でしょうか。もう一年以上前の話ですけど」
「弟子…?」
怪訝そうなディレオーネにセルビアは驚いたように言った。
「あれ、聞いてないんですか?それはちょっと、まずかったかな…」
ちょっと眉根を寄せてセルビアは呟くと、無表情になった。
「申し訳ありません、殿下。これ以上は本人にお聞き下さい」
ディレオーネは呆気に取られた。
「え?」
「ウォルが話していないということは、貴方様には知られたくないということです。それを私が話すわけにはいきません」
「…」
絶句するディレオーネに、きっぱりと言い切ったセルビアは深く一礼すると、その場から離れた。
「…で、何故、それを俺を言う?」
「いや、私も余計な波風を立てるつもりじゃなかったんですよ。それがなんかおかしな方向に向かってて…」
ヴァイツは頭痛を感じて、ため息をついた。
小休憩中にヴァイツのところにやってきた(押し掛けてきたともいう)セルビアは先程の会話を報告して、愚痴を言い始めたのだ。
「あ!なんですか、その顔は!」
「…いや、な。結局お前たちは、同じ師匠についていたってことか?」
「ええ。一年ほど一緒に住み込みで」
「…住み込み?」
「ええ。なにか変ですか?」
「いや、そういう問題じゃない」
本人はあまり意識していないらしいが、中々の爆弾発言だ。ヴァイツはいつも以上に疲れた面持ちで、ため息をついた。
セルビアは困り切って眉を下げている。自業自得の感があるが、本人は大真面目だ。
「まあ、これ以上首を突っ込んでややこしくさせたくないので、後は放置です」
「放置かい!」
思わず突っ込んだヴァイツに、セルビアはぬけぬけと言った。
「積極的に助ける気にはなれないので」
「…」
どうも昔に何かあったようだ。切り捨て方に容赦がない。
「お前なあ…」
「あ、出発みたいですね。行きましょうか」
聞き出そうとしたヴァイツの言葉を遮って、セルビアは自分の馬へと歩いていった。
「ただいま帰りました」
「はい、お帰りなさいませ」
塔の部屋で帰還の挨拶をしたセルビアに席を勧めると、レーナは茶と菓子を差し出した。
「どういう方でしたか?ディレオーネ様は」
「そう…ですね。控え目で優しい方でしたよ、あまり強いものは感じませんでしたが」
「…。セルビアさんは殿下がお嫌いですか?」
「いいえ、むしろ好感の持てる方です」
そのわりには言葉に、ほんの少しの悪意が感じられるのだが。
レーナはそれには触れず、話題を変えた。
「セルビア様は舞踏会には、お出になるのですか?」
「あー…、陛下からお誘いはいただきましたけど、出れないと思うんですよね」
「?それはまた何故?」
セルビアは苦笑しながら言った。
「衣装がないんです。さすがに正装でないと、舞踏会には相応しくないですし」
「それなら平気です」
「え?」
断言したレーナはにっこりと笑った。
「私の衣装があります。手直しすれば、セルビアさんにも合うでしょう」
「しかし…」
反論しようとするセルビアに、レーナは穏やかに言う。
「私は出席できないのです。ですから代わりに」
「…」
セルビアは押し黙った。そうするしかなかったからだ。
自ら選び、塔の上で暮らす王女。美しい笑顔と上品な仕草を崩さない人。
それがレーナ・マリア・ライトワイツだった。
自分自身を閉じ込め、誰かの為だけに祈る。そうやって何年も一人で過ごしてきた、孤独な女性。
そんな人にセルビアが返す返事は、一つしかなかった。
「お言葉に甘えさせていただきます」
レーナは花のように笑った。