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虚ろと刀

ダレバから馬で1時間ほどの森。

そこにシーカーとレーナ、幾人かの護衛が訪れていた。

この森は王族専用であり、歴代の王たちが狩猟場としていた場所だ。定期的に騎士が巡回し、王族の許可無しでは入ることさえ許されない、。



レーナはどこかぼんやりとした目で、木々の間を通り抜ける。

「姉上、どうかされましたか?」

少し無口になった姉を気遣う言葉をかけたのはシーカーだった。


「ごめんなさい、少し懐かしくて…。この森に来るのは何年ぶりなのか考えていたの」

二人とも馬上での会話だ。

お供である護衛も、全員が馬に乗っていた。


レーナは初夏の木漏れ日と木々の緑に目を細めながら、穏やかに微笑んだ。その美しい笑顔に周りの騎士達が一瞬、見惚れる。


今日のレーナは動きやすい乗馬服を着ていた。片手には鞭、腰に剣を佩き、背中には矢筒と弓を背負っている。

そんな姿でも、美しさは衰えることを知らないらしい。

むしろ、活動的な衣服が体の線を強調し、その見事な曲線を露にしていた。


「ありがとう、シーカー。誘ってくれて」

「いえ、気分転換に、と思ったまでです」

どことなく似通った顔で笑い合う二人に周囲が和む。



その時。


「レーナ様!」

一人の女が叫びながら、木々の隙間からとび出してきた。


一介の狩人のような服装をした女だ。腰には短剣を何本か提げ、ところどころに木の葉をつけている。その背中には一本の刀が背負われていた。

女はそのままレーナに近寄ろうとしたが、護衛達に阻まれる。騎士たちは剣を抜き、女を威嚇するが、女はまったく気にせず、その場で跪く。



レーナは殺気立つ護衛を制して、女に声をかけた。


「セルビアさん、一体何があったのですか?」

「!セルビア…?」

驚きで声を上げたシーカーは女の顔を凝視した。

薄汚れてはいるものの、その顔は間違いなくセルビア・ハースだ。


「レーナ様、今すぐお逃げ下さい。この森は危険です」

緊迫した口調でそう言って、セルビアは周りに視線をやった。その目が困惑しているシーカーの上で一瞬止まり、すぐに逸らされてレーナとしっかりと向き合う。


「シーカー様をお願いします。狙いはそちらのようですから」

「…分かりました。シーカー、皆さん!至急、城へ帰還します!」


馬首をかえしたレーナは、まだ混乱しているシーカーを急かすと、そのまま馬に鞭を当て、一気に速度を上げた。護衛達もレーナに遅れまいと、馬を走らせる。

瞬く間に騎影は小道へと消えた。



それを見送ったセルビアは安堵の表情を浮かべて、刀を抜き放ち、刃に親指を当てる。そのまま強く押してつけて、傷を作った。

滲んだ血が地面に一粒だけ落ちる。


『我が血をその印に。力は最後の壁となり、何者もそれを破ることは出来ず』








「姉上…、姉上!」

全力疾走する馬上で、シーカーは声を張り上げた。

少しだけ先行していたレーナが振り返る。その顔は厳しく引き締まり、汗が浮かんでいた。


「姉上!一体どういうことですか?」

「危険が迫っているんです!貴方に!」

焦った口調と怯えた目。


その時、森の方が一瞬強く光った。

驚いてシーカーが後ろを見ると、淡く輝く光の壁が森に立ち上がっている。

「なっ…!」


驚くシーカーとは違い、レーナの顔には悲痛の色がある。

「…お願いだから…間に合って…!」

唇を噛み締めて、レーナは馬の速度を更に上げた。






その時、視察の為に見張り塔の上に上がっていたヴァイツが何かに気づいた。

目を凝らして、ある方向を注視していたが、隣にいた兵士から望遠鏡を分捕り、それを覗き込んだまま、口を開く。


「なあ、今日は王子殿下とレーナ様が狩りに出掛けていたよな?」

傍に控えていた軍人は「はい!」と歯切れよく答える。

ヴァイツはそれを聞いて、望遠鏡を放り捨てて、身を翻した。


「た、隊長?」

ヴァイツは慌てる部下には目もくれず、階段を駆け下り、厩舎から馬を引き出す。鞍と手綱だけをつけて、すぐに馬に飛び乗ると、門へと一直線に走り出した。



「あ、あの…、一体何があったんですか?あんな慌てた隊長なんて初めて見ました」

「そうか、お前はまだ軍に入ったばっかりだったな」

年嵩のほうの兵士が、まだ若い男に訳知り顔で言った。


「ヴァイツ隊長はな、辺境の方の出身なんだよ。そこに領地も持っている伯爵様なのさ」

「え!ヴァイツ様って、貴族だったんですか?」

「まあ、あの人は偉ぶったところがないからな。で、そういう育ちのせいなのか、元々の才能なのか分からないんだが、ヴァイツ隊長は目が良いんだよ」

「目、ですか?」

年上の方の男は頷いた。

「本人も自覚はないらしいが、遠くの異常を見つける時は誰よりも早いし、どんな些細なことでも見落とさない」

男はそう言いながら、外の方に目を凝らした。


「おい、お前も見てろ。その内、俺たちにも何か見えてくるはずだ」

「は、はい!」

その時、二人の目が舞い上がる土煙を捉えた。






「レーナ様!」

ヴァイツの声に息を切らしたレーナは顔を上げた。


そこは城の主門前。レーナとシーカーの周りには騎士たちがおり、王子と王女を守るよう二人を取り巻いているように見える。



「!ヴァイツ様…」

疲弊しきった護衛と王子の中にいたレーナは馬を走らせてきたヴァイツを見て、すぐさま鞍から飛び下り、その元へ駆け寄った。


「ヴァイツ様、お願いします!セルビアさんが一人であそこに…」

懇願するレーナをヴァイツは必死で宥める。

こんなにも興奮し、冷静さを失ったレーナは何年ぶりだろうか。


「レーナ様、何があったんですか?セルビアは今、どこにいるんですか?」

「あ、あの人がシーカーを守るように言って…自分だけ森に残られて…。暗殺者を止める為にあんな大規模な魔術を!」

ヴァイツはそれを聞いて、顔を顰めた。

「また、無茶なことを…」



「お願いします!セルビアさんを助けて下さい!」

「大丈夫です、必ず助けます」

そう言って、ヴァイツは周りに集まってきた兵達に指示を出すと、猛然と馬を駆った。











自らが作り出した半透明な壁を背にしたセルビアは短剣を5本抜いて、辺りの気配を探る。

木の葉が擦れる音と小鳥の囀り。静かな森の空気がセルビアを包む。


セルビアの姿勢が徐々に低くなり、その姿勢のまま、セルビアは構えていた短剣全てを周囲の木々へと投げつけた。

茂った枝の間に吸い込まれるように短剣が消えた瞬間、いくつかの低い悲鳴と木の上から人の落ちる鈍い音、枝の折れる音にしなる音もそれに続く。


にやりと笑ったセルビアは、姿勢を直した。


周りには木から落ちた地味な服装をした男達が転がっている。弓や矢も転がっており、その鏃がセルビアを狙っていたことは間違いない。


「ふう…」

息を吐きだしたセルビアは一歩、踏み出す。







無音、斬撃、衝突。


「!」

反射で刀を振るったセルビアは、同時に横っ跳びに跳んだ。


戦慄するセルビアにはかまわず、襲撃者は迷いなく剣を振り下ろす。

セルビアはそれを更に跳んでかわし、距離をとる。



襲撃者は背の高い男だった。黒づくめの格好にふちなし帽子、口元も布で覆われている。

手には男の体格に見合った長剣が握られており、他に武器らしきものは見られない。


そんなことより、セルビアが驚いたことがある。

(まったく気配を感じなかった…)

近づいていた時にも。

そして、今こうして向き合っている時でさえも、気配らしい気配が感じられないのだ。

殺気も凄みも、目の前の男からは何も感じない。



男はその灰色で鋭い目をセルビアに向けたと同時に跳躍した。

いきなりの行動に避けることが出来なかったセルビアは、真正面からその攻撃を受け止めるはめになる。


剣と刀がぶつかって、耳障りな不協和音をたてた。

「ッ…!」

その斬撃のあまりの強烈さにセルビアは声にならない悲鳴を上げた。腕が震え、足が萎えそうになる。

それでも全力を振り絞ってそれを横へと流し、懸命に距離を保とうとする。


「はあ…はあ…」

たったそれだけのことでセルビアの息が切れて、汗がうっすら額に浮かぶ。

相手にはそんな揺らぎはなく、剣先にもぶれがない。



その時、男が口を開いた。

「…何故、お前はそこまでして俺に抵抗する?逃げればいいものを。お前では俺には決して勝てん。それが分からない阿呆にも見えないが」

無感動で低く澄んだ声だ。

セルビアは刀を中段に構えて、問いに答えた。


「私がここにいないと、時間稼ぎの意味がないから」

「…理解できん」

「大切だってこと。命を賭けても惜しくないぐらいに」

「やはり…分からんな」



短くそれだけ言った男は、剣を片手で後ろへと回した。

そして右足を半歩、前に出す。


その構えにセルビアは見覚えがあった。

自分が刀を習った場所、そして力を手に入れた国。


「…オト国の人間か。どうりで動きに覚えがあると思った」

男の足がゆっくりと動く。

セルビアはそれに合わせるように前に出た。




交差は一瞬で過ぎ去り、決着は呆気なくつく。それだけ力量が違うということ。


吹き飛ばされ、細い体が木の根元に叩き付けられる。

ガシャンと刀が音を立てて地面に落ち、その傍を少なくはない血が濡らしていく。




「は…ぐっ…」

木の幹に寄り掛かりながら座りこんだセルビアは、斬りつけられた脇腹を抑えた。

かろうじて息を繋いでいるといったところだ。すぐにでも治療しないと、出血多量で死に至るだろう。


そんなセルビアの目の前に男が立った。

だらりと脇に下ろされた剣先からは真新しい血が滴り落ちている。


セルビアは必死で手を伸ばし、傍らに転がっている刀の柄を握った。

持ち上げる力すら残っていない。触っているとしかいえない力だ。

それでも、セルビアは懸命に戦おうとしている。目には闘志があり、体中の筋肉が強張る。


男は無言で剣を振り上げた。

陽光が木々の間に差しこみ、セルビアの顔を照らしだす。

汚れた黒髪のかかった顔には、奇妙な表情が浮かんでいる。


男はその表情の意味が分からなかった。

絶望でも、怒りでもない感情がそこにはある。



「…哀れ…だね。あなたは…」

苦しげな息の下でセルビアは呻いた。

「自分がないから…そんな目をしているんだ…。あなたはきっと…一人で死んでいくんだろうね…。絆も…想いも…何も持っていないから…」

段々と小さくなっていく声に男は少しだけ耳を傾けていたが、それもほんの僅かな時間だけだった。


鋭く空気を裂く音。剣がセルビアの首を狙って振り下ろされる。






その時、セルビアが握る刀から光の奔流が迸った。

目を眩ませるほどの強い光が辺りを照らす。


素早く後ろに跳び退った男は咄嗟に腕を上げ、光を遮る。

その光が晴れた時、男が見たものは白い人影だった。



【下がれ、下郎】

その人影から発された声が男の体を圧し、押し止めた。

高くも低くもない。小さい囁きのようなのに、辺りに響き渡るような、不思議な感覚を覚える声。


「…白緋…、ひさし…ぶり…だね」

苦しげにその人影に声をかけるセルビア。

しかし、人影の返答は素気ない。

【我はこの状況に失望を隠せないぞ、主殿よ】


その人影の細部を、男の目は捉えていた。

中性的な顔立ちは、男女の区別がつかない。

着ている一枚布の裾の長い貫頭衣には余裕があり、体の線は隠されている。

薄く開かれた目から真紅の瞳がのぞき、白を通り越して青白い肌には、生気がない。人肌というよりも、陶器のような質感が感じられる。

そして、なにより異常なのは、その体を取り巻いている光の粒子だ。輝きながら、その体の周りに浮いている。


【人間よ】

人の形をした何かは、男を見据えた。

男は剣を握りなおしながら、いつでも跳びかかれるように体勢を整える。


【退け。貴様に我の主を斬ることは許さん。虚無などが我が主を斬るなど、我が名の名折れ。その身に相応しい中身を入れてから出直すがいい】

静かな、それでいて鋭い声。


それと睨み合いながら、男は少しずつ距離を詰め始めた。

殺気が見る間に膨れ上がり、空気が凍る。

何かの体から光が漏れだし、辺りの影を駆逐していく。神々しさすら感じさせる光景だ。

【虚無よ。忠告を聞かぬのなら、今ここで貴様のその生、終わらせてやろう】


「何なんだ…、一体!」

男は戸惑いながらも、何かを斬りつけた。


しかし、その剣は何かの体に触れた瞬間、溶けて消える。

「なっ…」

慌てて後ずさった男は、半ばまで消えた長剣を呆然と見下ろした。断面は滑らかで折れているわけではない。

『消された』のだ。


その時、森を区切っていた壁に大きな罅が高く澄んだ音を立てて広がっていった。

思わず、視線を上にやった男の目に映ったのは、崩れ落ちていく魔術の壁。


男は迷わず何かに背を向け、走り出す。

何かはそれを追わずに、自分の後ろにいるセルビアを振り返った。


セルビアは目を閉じ、ぴくりとも動いていなかった。

唇は紫色で、肌は段々と血の気をなくしていく。腹の傷からは血が流れ続け、呼吸も浅く早い。

彼女が意識を失ったせいで、魔術が消えてしまったのだ。



何かは無表情で、死にかけているセルビアを見下ろした。

その体はゆっくりと光に変わり、その光はセルビアの傍らに転がっている刀に吸い込まれるようにして消える。

その直後、微かに聞こえてきたのは誰かの呼び声と複数の馬蹄の音だった。


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