終着点と初めまして
冬から春に変わるまだ肌寒い日、行きかう人々の中で一人の旅人が立ち止った。
薄汚れた外套を着込み、顔は陰になって見えない。服はボロボロだが、それは長い旅をしてきた者には共通の服装だ。
「ここがダレバ…」
呟いた旅人の側を、商人やら農民やら着飾った婦人が通り過ぎていく。多種多様な人々が城門をくぐり、行き来をする。
さすがは東半島一の大国、アイズバーンの首都、ダレバ。様々な人種が集まる一大都市だ。
アイズバーンの王の居城、首都の中心にあるダレバ城は美麗城と謳われるほど、優美な外見を誇り、今まで一度も落城したことがない堅固な守りも兼ね備えた名城でもある。
旅人は深く息を吸って吐くと、その城から見下ろされている整えられた町並みの中に、一歩踏みだした。
「はぁ…」
ダレバ城の一角にある丁寧に彫刻が彫られた扉の前で、男が大きなため息をついた。
黒を基調とした制服に身を包んだ男は、整った顔立ちにどこか疲れた表情を浮かべて、目の前の扉を叩く。
「入ってくれ」
中から響いてきた明朗な声に促されて、男は扉を開けた。
広い室内には、何人かの侍従と机と向かい合う一人の男がいるのみだ。調度品は落ち着いた色合いで統一されており、洗練された印象を受ける。
「わざわざすまんな。呼び出して」
書類に署名をしていた50ほどの男が顔を上げた。
長身でがっしりとした体に、輝く金色の髪と同色の瞳。人好きのする顔立ちに愛嬌のある笑みを浮かべている。
この男の名はアルフレッド・デバイ・ライトワイツ。
このアイズバーンの十五代目の国王。その外見の色彩から『金の王』と呼ばれる優れた王だ。
武勇では隣国のシリゾイの侵攻を防ぎ、内政では民に対して慈悲深い政治を執り行っている。
「いつも以上に疲れているようだな、ヴァイツ」
「3番隊の隊長っていうのは、結構な激務ですから」
ヴァイツと呼ばれた男は、肩をすくめて答えた。
こちらは30歳ほどに見える。
墨を流した様な黒髪に思慮深い光を宿した薄茶の瞳。整った顔立ちだが、その顔には疲れが浮いている。
細身だが、見る者が見れば剣を振るう為に鍛えられた体だと分かる体躯。腰に差した剣が、その姿にはしっくりと馴染んでいた。
「それで?お話というのは?」
ヴァイツの質問に答える前に、王は側に控えていた侍従に目をやった。侍従達はその目配せの意味を汲み取り、次々と部屋を出ていく。
最後に出て行った侍従は、丁重な礼と共に扉を閉めた。
広い部屋には男二人しかいない。扉の向こうには侍従達が控えているだろうが、よほどの大声で話さなければ聞こえないだろう。
「何かあったんですか?」
ヴァイツの眼光が鋭くなる。周りの雰囲気が変わり、抜き身の剣の様な鋭い空気が辺りに漂う。
「そう固くならんでくれ。これは私個人の頼みだからな」
「陛下個人、ですか…」
するとまた空気が変わる。ヴァイツの顔から真剣そうな表情が消え、心底嫌そうな顔つきになった。
「あのですね、陛下。こっちも魔物退治で忙しいんですが?陛下の我が儘に付き合っている暇はないんです」
「い、言いたい放題だな。お主、私が王であることを忘れていないか?」
「ついこの間、お忍びだとか言って、警護の者を騙くらかして街に行ったのは、どこの誰ですかねえ?」
臣下であるヴァイツの返しに、王が明らかに視線を泳がせた。分かりやす過ぎである。
「あれはだな…」
「言い訳は聞きたくありません。それで?ご用件は何です?」
反論を封じられた王は、話題が変わったことで途端に元気になった。
「そうだな、早く呼ぶか」
ヴァイツはその呼ぶという言葉に、怪訝な顔になった。
王は椅子から立ち上がると窓に近寄る。
窓からは暗くなりかけた空が見えた。つい先程までは夕日が赤く輝いていたが、今の空では月と一番星が輝きを放っている。
窓を大きく開けた王は、外に向かって白い何かを投げた。
「陛下…?」
「そういえば」
王は外を眺めながら呟いた。
窓枠に手をかけたまま話し続ける。
「このライトワイツ家は、夕闇を見守る一族なのだと聞いたことがある」
「夕闇、ですか」
「この世界が終る時まで夕闇を眺めながら生き、世界の終わりまで続く一族なのだと」
なんとも気の長い話だ。ヴァイツは内心でそう思いながら、自分に背を向ける主君を見つめた。
「それを私に聞かせてくれた人はもういないが、不思議な感覚だったな。私の知らない何かが、この血に流れているような気がしたよ」
静かで深い声が部屋に響き、燭台に灯された火が風に煽られて揺らめいた。
その時、小さい音がして窓枠に縄が付けられたかぎ爪が引っ掛かった。
それに驚くヴァイツとは対照的に、王は平然と縄の先を見る。
「ああ、来てくれたな」
王は笑ってそう言うと、窓に近寄って手を下に伸ばす。王の手が引き戻されると、それを握っていた人間が窓の枠を乗り越えて、部屋の中に入ってきた。
これにはヴァイツも度肝を抜かれた。
どこからどう見ても不法侵入だ。しかも手引きしているのは、この城の主である王。
さすがのヴァイツも呆れて物が言えなかった。
「さすがだな、もう少し待たされるかと思ったが」
「いえ、それほどでも」
若々しい声が朗らかな調子の王に答えたが、外套の下の顔は見えない。
呆気に取られていたヴァイツは慌てて感情を抑え、侵入者を観察した。
王の肩のあたりまでしかない身長と、外套の下から覗く手足の細さ。男にしては高い声から、少年かとヴァイツは推測した。
「それで、そちらの方は?」
侵入者は厳しい顔でこちらを見ているヴァイツに、顔を向けたように思えた。外套に隠されたままなので、表情が読めない。
「この男はヴァイツ・ダミヤ。王国の盾とも呼ばれる忠義の士だ」
それを聞いた少年は姿勢を正した。
「お噂はかねがねお伺いしています。私はセルビア・ハースと申します。以後、お見知りおきを」
まるで女のような名前だとヴァイツがそう思った時、セルビアが頭を覆っていた外套をずらした。
最初に目にとび込んできたのは、漆黒の髪だった。肩を少し過ぎた辺りで切り揃えられたそれは滑らかで美しい。
瞳は銀色で、星の輝きを閉じ込めたかのような煌めきと抜き身の剣にも似た鋭さがあった。
頬は女性らしい薄紅色。しかし、引き結ばれた唇はどこか強張っている。
顎の線は柔らかく、硬質な顔に優しげな印象を与えていた。
その姿は、どう見ても可愛らしい女性のものだ。
ヴァイツは今度こそ顎が外れそうになった。しかし、同時にどこか納得してしまう。
そう、目の前で呑気に笑うこの王に常識は通用しないのだと、改めて思い知らされただけだ。
そんな風に考えている時点で、型破り過ぎるこの主君にかなり毒されているという点はこの際、棚に上げておくことにしたヴァイツだった。
「陛下?早急にご説明していただけますか?」
かなり引きつった笑みと共に放たれた言葉に、王は慌てた。これは猛獣の唸りだ。早く対処しなければ噛みつかれてしまう。
「い、いや…これはだな。レーナの侍女に、と思って連れてきたのだぞ?だから、そう怒らんでくれ」
「レーナ様の?」
意外な名が出てきて、ヴァイツは怪訝そうに眉根を寄せた。
レーナ・マリア・ライトワイツ。王の長女であり、この国の第二王位継承者でもある王女だ。
その姿はアイズバーン一の美貌を誇り、心根は優しく温かい女性。
その存在は『国の至宝』とまで言われる程だ。その王女に何かあったのか。
瞬く間に顔色を変えたヴァイツを安心させる為、王は言葉を続けた。
「ヴァイツ、そう心配するな。これはあくまで防止が目的なのだ。このところレーナに対して不埒なまねをする輩が多くてな、その護衛に男だと何かと問題がある」
「この女が姫の護衛ですか?」
不安げな顔をしたヴァイツはもう一度、王の隣に立つ女を見た。
なるほど、意思は強そうだ。この部屋に不法侵入のような形で来たことからしても、度胸も人一倍あるのだろう。
だが、それだけで生き抜いていける程、この城は甘くない。それを一番良く知っているのは王のはずだ。
それを口に出そうとして、視界が何かに覆われた。
それを女が着ている外套だと認識するより早く、素早く後ろに下がる。
腰に吊るされた剣の柄を握って反射的に抜いた瞬間、鋭い斬撃が襲いかかってきた。
「っ!」
それを下からはね上げて、逆に斬り込む。その刃は引き戻された刀に防がれた。
「陛下!?」「何かございましたか!」
部屋の外から侍従の声がかけられた。さすがに今踏み込んで来られたので困るので、王は急いで言う。
「大丈夫だ。お前達は離れていてくれ」
さすがに王本人に頼まれては、臣下である侍従は引き下がるしかない。王自身もそれだけ言うと部屋の隅に下がった。
心の中では、部屋の天井が高くて助かったと思いながら、唐突に始まった戦いを部屋の隅でのん気に眺める。
無言で睨みあう二人は、お互いの間合いを探っていた。
セルビアは東方の島国の武器である刀を下段に下げる。斬るということに特化した片刃の剣だ。
対してヴァイツは手に馴染んだ両刃の大剣を上段に構えた。
先手を取ったのは、セルビアだった。足音すらさせずに、風切り音だけを伴って、白刃がヴァイツに襲いかかる。
ヴァイツは下から襲いかかってきた刃を防ぎ、薙ぎ払うように真横に剣を振る。
その斬撃よりも先にセルビアは後ろに下がり、不安定な体勢のまま、もう一度振り下ろされた剣を刀で受け流す。
それだけの攻防をほどんど一瞬でこなすと、二人はお互いに離れた。
セルビアは笑っている。そんなセルビアをヴァイツは厳しい顔で睨んだ。
この女は強い。一軍を率いるヴァイツに攻撃を仕掛け、その反撃すらも回避した。
剣技だけでも達人の域に達している。
「お前…、『旅団』の奴だな」
ほとんど断定の口調で言われた言葉に、セルビアは笑ったまま答える。
「ご明答です」
ヴァイツは心の中で舌打ちした。
旅団とは傭兵や旅人が籍を置く組織の名だ。国の中で動く軍とは違い、国境を越えて活動している。
一国に匹敵する兵力を持っていながら、どの国の味方にもならない、互助組合。ある意味、とても厄介な組織だ。
「あ。一応もう脱退したので、今は違いますよ。ただの旅人です」
セルビアは弁解したが、ヴァイツの視線は緩まない。
それに王が割って入った。
「ヴァイツ、少し落ち着いてくれ。なぜ私が彼女を連れてきたのかは、分かってもらえただろう?」
「それは納得できますよ。この女であれば、レーナ様の身もお守り出来るでしょうし、この城でも上手く立ち回れるでしょう」
旅団に所属する傭兵や旅人は、その多くが腕の立つ兵であり、森羅万象を操る魔術を扱える魔術師もいる。
魔術とは呪を唱え、自らの精力と自然の力を混ぜ合わせる術のことで、魔術師とはその術を持つ者の総称だ。
魔術は生まれつきの才能がなければ扱えない代物で、魔術師本人も二種類の魔術の内、片方しか扱えない。
二種類の魔術は、それぞれ攻撃魔術と補助魔術に分かれている。その系統は根本から違う為、両方扱えるのは、神話の中に登場する人物達だけだ。
「お前も魔術師なのか?」
「ええ、私は補助系ですが」
にこやかに言ったセルビアは、顔を輝かせながら言った。
「今度、お手合わせする機会がありましたら、魔術も使わせていただければ嬉しいです。ヴァイツ様のようにお強い方は、久し振りなので」
「……」
いつの間にか、この城にいることが前提で話が進んでいるが、ヴァイツは逆らわなかった。結局のところ、ヴァイツも王を信頼しているということだ。
それに彼自身も剣を交えて、セルビアに関する意識が変わった。
あの流れる様な動きも、音がしない足運びも、斬撃の鋭さも、修羅場を潜り抜けてきた者にしか出来ない物だ。
そういう者は自分の信念に従って生きる者が多い。
信頼は出来なくとも、信用は出来ると判断した。
「陛下、セルビアはどこに住まわせるおつもりですか?」
「ああ、それならもう用意は出来ているぞ。南塔の下にちょうどいい部屋がある。これで問題無しだな」
王はそれだけ言うと笑った。子供のように無防備で明るい笑みだ。その笑顔を見たヴァイツは、心の中で『この天然人たらしめ』と舌打ちした。
それほどその無邪気な笑みには力があるのだ。
事実、セルビアはそれにつられて表情を柔らかくしている。
ここにも犠牲者が一人か、と考えたヴァイツは自分もその一人だということに気づいて、苦笑した。
セルビアは侍従に案内され、部屋を出ていった。
既に空には三日月が昇っており、城のあちらこちらで蝋燭が灯されている。
「陛下」
「分かっている」
ヴァイツの固い顔で王を見つめ、王は重い息を吐いた。
「レーナ様に言い寄る輩など、今までもごまんといました。いまさら外から人を招く必要はない」
「そうだ。しかし、食事に毒が盛られていては、仕方あるまい」
王のその言葉を聞いたヴァイツは、片手で髪を掻いた。
食事に毒、それが示す物は一つしかない。
「暗殺…ですか」
「幸い、毒味役の人間は軽症ですんだが、これで終わるとも思えん。セルビアはその点も承知の上で、この仕事を引き受けてくれたのだ。彼女には感謝しなければならんな」
王の瞳に紛れもない怒りが浮かぶ。その怒りは業火のように燃え盛っており、向けられた者に思わず同情してしまうほど激しい。
王は温厚そのものだ。優しく、大らかで寛容の一言に尽きる。
しかし、逆麟に触れると決して容赦しない。完膚なきまでに敵を叩き潰す。
だが、彼がその怒りを露わにすることは、ほとんどないといっていい。
ただ淡々と自らが決めたことをやるだけだ。表面は冷静に見える分、余計に恐ろしい。
そんな人物の愛娘を毒殺しようとはなんとも命知らずな行動である。
ヴァイツは心の中で、下手人の冥福を祈ってやることにした。
「にしても、セルビアはなぜそんな危険な仕事を引き受けたんですか?アイツにはなんの関係もないでしょうに」
「そこは取引をした。彼女にも彼女なりの目的があるからな、それにはこの城にいたほうが都合がいい」
王はセルビアの目的については言葉を濁したが、ヴァイツはそれで納得しなかった。
むしろ、ますますセルビアへの警戒を強めた。たとえ、王が見込んだ人物だとしても、それだけでは信用できないということだ。
王にもそれが分かっているのか、何も言わずにヴァイツを部屋から退出させた。