85 - あるいは最初の試練とも
図鑑のボリュームは膨大で、一日二日でどうにかなりそうな分量ではなかったので、解読は早々に切り上げてちまちまと読み進めることに。
どこかしらに例の緑っぽい液体についても記載があるかもしれないので、それまであの液体は隔離、放置することに。
毒性がないとはいえ、安全とは別だしね。
それと、図鑑で発見したエッセンシアとエッセンシア凝固体を作成。
今回見つけたのは青紫色、エルエッセンシア。効果はエリクシルを余裕で超える回復、これは身体的・病気・毒のすべてにおいてである。
ただし、時間制限付き。特級品ならば一時間ほどその効果が持続し、効果が切れると服用前の状態に戻ってしまうらしい。
また、効果時間の上書きは不可。連続で服用するにせよ、かならず怪我や病気、毒を受けている状態に戻ってからなので、毎回毎回結構つらい目にあう。結局のところ、先延ばし用のアイテムって感じだ。
一方、エルエッセンシアの凝固体は賢聖の石。それが持つ特異マテリアルとしての性質は、『自動修復機能の付与』。
便利そうだったので、洋輔にあげた短剣に追加で付与しておいた。
どの程度の速度で自動修復するのかわからないけど……。
そんなこんなで一日は過ぎ、翌日の朝早く。
まだ日が昇った直後といった頃合い、僕は奇妙な振動に気づいて目を覚ました。
振動。というか、地震……?
珍しいな。カナエ・リバーとしての人生において、地震は経験したことがなかった気がする。
日本での生活的には、切っても切り離せないんだけどね……。
「しかも結構、大き目か……ふぁあ」
あくびをしつつも僕は無理やり上半身を起こす。
洋輔も一応起きたようで、しかし「地震か。珍しーなー」と眠たげだ。
まあ、危機感がないのは、この程度では『ああ、ちょっと大き目だなあ』と思うけどそれだけだから、だろう。
震度四くらいかな。五はなさそうだ。
棚のものも全然落ちてないし。食器が落ちる音もしてないから大丈夫だと思う。
「震源地はどこだろうねー。テレビつけないと……」
「いや。ねーからな。それ」
「あ」
ラジオ……もないしな。
ううむ、地震があったら震源地を確認して、別に理解できていないけどわかった気になるという普段のルーチンができないのはなんだか落ち着かないなあ……。
そして中途半端に目が覚めてしまった。朝は朝なので二度寝も危険だし起きてしまおう。
大きく伸びをしてベッドから降り、一応棚の確認をするか、と思ったその時だった。
ぐら、
と、視界が揺れるというか、姿勢が崩れるというか、足元が揺らぐ。
寝起きだから立ちくらみでもしたのだろうかと思ってしまうくらいに明確に――明白に、揺らいで、しかしその後の『揺れ』を身をもって感じることで、これは地震だと判断。
地震。それもさっきの地震よりも明らかに大きいと思う――けど、これ、もしかして初期微動ってやつ?
だとしたらすぐに本震が来る。さすがにやばい気がするぞ。
「洋輔」
「わかってる」
洋輔は防衛魔法を展開し、部屋の中の棚を固定。
僕も防衛魔法を行使、僕と洋輔を護る形で広げてベッドに戻った。
ほどなくして、大きな――そう、先ほどとは本当に比べ物にならない揺れが来た。
幸いにして、突き上げるような縦揺れではない。横揺れだ。震源はかなり通そうかな……初期微動の揺れを感じてから本震が来るまでかなり、時間が空いていた気がするし。
「震度いくつくらいだろう。七はなさそうだけど……」
「六弱か五強くらいじゃねえかなあ……」
ベッドの上で僕と洋輔はそんなことを話し合う。
結構動揺していて、雑談でもしないとやってられないのだ。実際、さっきのさっきまで眠たそうだった洋輔も、ぱっちりと目を開けているし。
耐震補強した方がいい気がするな。今度鉄材でも用意して作るか。
結局、揺れは三十秒以上続き、なんだか揺れているんだか揺れてないんだかもわからないような状態になりつつも、恐る恐る防衛魔法を解除し、ベッドから降りる。
「本棚……は、まあ、整理すればいいとして。うわあ。錬金術用具入れてた棚がどえらいことに……」
「毒薬とか入ってたんだろ。大丈夫なのか?」
「なんとか。毒薬とかの直接危険な奴は頑丈に隔離しておいたし、モアマリスコールみたいな超危険物はそもそも、取り置いてないしね」
もしそれを作ったままだったら……と思うと、ぞっとしないな。
やれやれ。
「こっちの棚は、じゃあ大丈夫なんだな? なら、俺は本の整理しちゃうけど」
「うん。お願い。僕は食器棚かな?」
「いや、そっちも俺がやる。お前は物置どうにかしてこい。俺、錬金術の材料は扱えねえぞ」
「あー」
それもそうだ。
「じゃあ、お願い。錬金術用具の棚は、もし湿ってたらそのままおいといて。ほとんどポーションとかだけど、念のため」
「おう。ダイニングはどうするよ」
「グラスが割れる音はしたんだよね。……んー。割れたやつは、なんか適当にまとめておいてくれる?」
「捨てるのか?」
「いや、錬金術で作り直す。その材料にしちゃう」
「オッケー」
洋輔にこの場とダイニングを任せ、僕は物置へと向かう。
物置部屋にも本棚はある。その本棚の中身は半分ほどが床に散らばっていたし、板材や金属材もなんかあちこちに落ちている。
幸い、錬金術の材料系はそこまでひどくはなっていない。毒薬とかはまとめて箱に入れて、鍵のかかるところに固定するように配置してたから、そこまで心配は無し。いざとなったらポワソンイクサルの出番ということで。
そうして一通り整理を終えたころである。
りりりりりん、と呼び鈴が鳴らされ、扉がノックされた。
何事だろうか?
と、僕は箱に荷物を詰め込み、それを運ぶついでに応対。
扉を開けると、そこには焦りきった表情で、食堂の受付さんが。
「あ、受付さんですか。おはようございます」
「……おはようございます?」
「どうしましたか。さっきはびっくりしましたね」
「えっと……」
世間話をしに来たわけじゃないよね?
何か要件だとは思うけど……。
「とりあえず、中にどうぞ」
「あ、うん。すまない……あれ?」
とまあ、とりあえず部屋の中に招き入れ、そのままダイニングへと到着。
すでに洋輔はダイニングの掃除に着手していて、割れた食器類をてきぱきと片していた。
ううむ、酒場とかもろに、食器が割れそうな環境だしな。処理には慣れているのかもしれない。
「あれ、受付さん? おはようございます」
「ああ、おはよう。…………。って、君たち、もう少し驚かないのかな?」
「いやあ、さすがに驚きましたよ。俺もカナエも、一緒にベッドの上で防衛魔法張ってましたし」
「そうか……」
受付さんはなにやら困った様子で頷いた。
「それで、要件は? 何かあったから来たんですよね?」
「いや、先ほどの揺れで動揺してないか、とか、その確認もあるのだが」
それはまあ、わかる。
わかるけど遅い。
僕にせよ洋輔にせよ一通り作業を終えたころに来たのだ、この人は。
時間にしては十分はないけど、数分はあった。そのタイムラグは、いくらなんでも長すぎる。
「先ほどの揺れについての情報を、君たち二人とは共有しておけと。教員側の決定だ」
「俺たちとは……? 総代の、ってことですか」
「うん。そうなる」
揺れについての情報、震源地とか……?
それとも、それとはまた別の何かだろうか。
「先ほどの揺れ、地震は、震源がこの国の首都から少しだけずれたところだ」
うん?
ほぼ直下……なのか? にしては揺れ方が横揺れだったけど。
「だから、この首都が最も揺れを感じている。他の町や村は、多少の揺れは感じただろうが、そこまで大きな揺れにはなっていないはずだ」
…………?
「当然だが、自然災害ではない」
「え?」
当然なの?
「首都から北東へわずかに外れた場所に、大規模な迷宮の発生が確認された。先ほどの地震はそれに伴うものと推測されている。地震の規模から、迷宮の規模は極めて大……、おそらく、歴史的な規模になるだろう。位置も悪い。首都から近すぎる――早期に騎士団の投入と冒険者への布告があるはずだ」
騎士団と冒険者の共同による迷宮探索。
ふむ、正直渡来佳苗としては惹かれるところがあるけど、カナエ・リバーの持つ知識から、それの尋常ではない事件っぷりを読み取ってしまい、なんとも言えない感情が。
別に騎士と冒険者の仲が悪いわけではない。ただ、指揮系統がきちんとしている騎士と、各々がある程度自由に動く冒険者。この二つはかみ合いにくいのだ。
それでも全く共同戦線を張らないというわけでもなく、歴史的に見ても大事件だとか、そういう場合は結構行われている。それでも、例を挙げようとするとそんなに数が出ないし、珍しい。
それこそ、最近の例をあげるなら、カリンが言っていた『森そのものが魔物になった』というような大惨事に対して位ではないだろうか。
「第四学年以上の生徒には知らされる。第五学年以上で、ある程度力量があるものは実際に作戦に参加することもあるだろう。だが、第三学年以下の生徒には詳細が知らされない。大体何が起きている、という話は出されるが、詳細の開示はされないことになっている」
まあ、妥当だろう。ある程度力がはっきりしている第五学年……年齢にして十七歳くらいなら、もう一人前だし、使えるならば使うべきだ。
アルさんとかジーナさんは使われるだろうなあ。
「ただし、詳細が知らされないのは一般の生徒であって、総代である君たちには情報の共有が行われることになる」
「具体的には?」
「迷宮の広さや内容、作戦概要も含めたすべての情報だ」
「なんで新入生、それも正式な授業を一度も受けてない僕たちに、そこまで?」
「君たちが総代だからだ。総代である君たちには、何かあった際に緊急回避的な意味合いではあるが、他の生徒を指揮しなければならない。その時、情報を知らなければどうしようもないだろう?」
何か、って……。あえて僕たちが指揮しなきゃいけない状況って、それ、学校壊滅してない?
「まあ事実、君たちにはさほどやるべきことはない。情報は私を介して渡されたりするから、その都度きちんと聞くこと。そういうことの確認をしに来たのが、まず、一つ」
てことはほかにも話題がある?
「こちらも正式な通達、決定だ。カナエ・リバー。魔法科学長サンドル・クラウド、及び錬金科学長イスカ・タイムが連名で、対策会議への参加を求めている。その場にはヨーゼフ・ミュゼの同席も認めるとのことだ」
「…………」
「…………」
僕と洋輔は、黙り込む。
その『求める』は、命令だ。従うしかない。
そしてそれを求めたのはイスカさんの方だろうな……だけど、イスカさんだけで呼び出すとバレバレだから、魔法科の学長を巻き込んだってことか。
洋輔の同席を認めるというのは、隠すだけ無駄と判断したのか……あるいは、隠せないから呼んでしまえと判断したのか。
前者ならまだ楽そうだけど、後者だと大変そうだなあ……。
「わかりました。速やかに向かいます、けど、僕たちは何処に行けばいいのですか?」
「学区中枢、『セントラルアルター』。学区の中央に、時計塔のついた大きな建物があるだろう。あそこの二階に大軍議場がある。セントラルアルターの入り口で名前を名乗って、その後本人確認を終えれば、そのあたりは案内されるはずだが」
「なるほど。わかりました。ヨーゼフ、そういうことだから、片づけは帰ってきてからにしよう」
「ん。仕方ねえな。しかし、あの時計塔。セントラルアルターなんて名前だったのか……」
セントラルアルター。
中央の祭壇……みたいな感じかな?
日本語的に訳すと。
祭壇の中央と比べて、なんかイメージがいいような、悪いような……。
まあいいや。
「じゃあ、確かにお話は聞きました。受付さん、ありがとうございます」
「ああ」
…………。
「…………」
いや。ああ、じゃなくって。
「僕たちは出発の準備をしなければなりません。出て行ってください」
「おい、カナエ。直球過ぎるぞ」
「だって、着替えの邪魔だもん。それに最低限、ごみはよせるくらいのことしないと、また揺れたら困るでしょ?」
「まあ、そうだけども」
「……いや、すまない。色々と。じゃあ、私はこれで」
ひきつった笑みを浮かべつつも、なんとか受付さんはそう答えて部屋を出ていった。
それを見送って、ふと邪推。
ま……大丈夫だとは思うけど、念のため保険はかけとこっと。




