76 - 棚からエッセンシア
「おい、佳苗。起きろ」
「……んー」
「んー、じゃねえよ。起きろ」
まだ寝てたいんだけどなあ……。
ふぁああ、と大きくあくびを一つ。
僕を揺り起こしたのは当然のように洋輔で、しかし洋輔は普段よりも一段と不機嫌そうな表情だった。
あれ? なんか悪いことしたかな?
「お前さあ。身体痛くねえの?」
「んー……なんかちょっと、背中と肩と首が痛いけど……」
なんでだろう。
「なんでだろう。みたいな顔してるんじゃねえよ。そりゃそんなところでそんな恰好で寝りゃ痛くもなるだろ」
「…………」
言われて、僕は自分の体勢と居場所を確認。
体勢、椅子に座って机につんのめっている。
居場所、寝室の勉強机。
……どうやらベッドに移動しようしようと思って、そのまま寝てしまったようだ。
「ったく。起きてみたら隣に佳苗がいなくて、もう起きてるのかなーと焦ったらなんてところで寝てるんだ」
「面目ない……」
「今度から気をつけろよ」
と言いつつ、洋輔は僕の額にこつん、と拳を当ててきた。
瞬間、僕の体を何か、温かいものが包み込む、ような錯覚。
「これでよし」
「……何したの?」
「回復魔法。どうだ、痛みは無くなったか?」
「うん……違和感一つなくなったけど、え? 回復魔法ってこんなどうしようもない痛みとかも消せるの?」
「だって回復魔法だぜ。当然だろ」
当然……当然なのかな……?
ううむ、わからん。でもなんか理不尽だぞ、それ。いやそうでもないのか……椅子で寝て背中が痛い、とか、ようするに筋肉痛なんだろうし……。
「で、そんな場所で寝てるくらいだ。何か収穫はあったのかよ」
「そこそこはあったかな。洋輔の言った通り、血は作れたよ」
「へえ」
ガラス瓶に密閉する形で保存しておいた錬金血液を棚から取り出して見せると、洋輔は恐る恐る手を伸ばしてきた。
「大丈夫だよ、触っても。厚さ一センチのガラスで保護してるから、そうそう壊れない」
「じゃあ、遠慮なく……ふうん、血を作る、ね。輸血問題は解決できそうだな」
でもこの世界、そもそも輸血って概念あるのかな、と洋輔は続ける。ごもっともだ。
まあ、外科医療が全くないわけじゃないから、一応概念的にはありそうだけどね。
「で、エッセンシアと凝固体は、三種類作れた」
「うん?」
次いで、僕は棚の奥に置いた別の箱を取り出して開封。
中に入っているのは、橙色、紫色、灰色のエッセンシアとそれぞれの凝固体となる。
「これは……、もらった箱に入ってたやつか?」
「ううん。昨日の夜作ったやつ。橙色の石は熱の篭石、紫色の石は揮毒の石、灰色の石は地の魔石……って、あの紙には書いてあった」
「効果はわかってるのか?」
「昨日の夜確かめた限りだと、熱の篭石は魔力を流すと熱を帯びて、揮毒の石は魔力を流すと毒消しが発動。地の魔石は特に何も起きなかったから、錬金術のマテリアルにしたときにどんな効果が出るか、ってところ」
「へえ……。昨日の今日でよくそこまで調べたな」
「あんまり時間をかけた感じじゃないんだけどね。でも、ここで寝てたってことは夜中までやってたのかも。熱中しちゃったよ」
「佳苗らしいといえば佳苗らしいが、寝るときはベッドでな」
「はーい」
一晩で三種類。
これが多いのか少ないのか……全十八種、で一つは最初から作れてる状態だったのだから、まあ、ちょっと少ない感じかな。
紫色のエッセンシア以外は、案の定、血プラスアルファで作ることができたので、方向性は間違ってないはずだ。
マテリアルに想像がつくような名前がついてるやつはまあ、なんとかできるかもしれないけど、それ以外は偶然に頼らないとだめかもしれない。
複数のプラスアルファが必要とかだと、特にね。
「ちなみにさ」
朝、起きた後の僕たちの行動はおおむねルーチン化されているのだけど、お互いの作業が一通り終わったところで僕は言う。
今日は雨の気配もないので、洗濯物は外干しだ。
「洋輔が言ってた、黄色いエッセンシアだけど。とりあえず、エッセンシア……液体のほうは、実は作れたんだよ」
「うん?」
寝間着から制服に着替えつつ、洋輔は首を傾げる。
「でも、さっき見せてもらったやつの中にはなかっただろ?」
「それがね。どんな感じの効果なのかなー、ってちょっと小分けにしたら、蒸発しちゃって」
「……蒸発?」
そう、と僕はうなずく。
具体的に言うと、エリクシルやエッセンシアは通常、器に収まった状態……そしてその器には蓋もされた状態で完成する。
黄色いエッセンシアもその例に漏れず、だからふたを開けて小分けにするべく、別の器にちょっとだけ移そうとしたのである。
が、その時にほんの少しだけ、僕の肌に黄色いエッセンシアが付着したかと思うと、エッセンシアが一気に消えた。
蒸発した、というのは、だから比喩的な表現となる。
「付着って……大丈夫なのか、毒とかあったら大変だろ」
「僕もそれは警戒して、直後に特級品の毒消し薬と、二級品のエリクシルを飲んだから、毒性については大丈夫だと思う。ただ、それのマテリアルに使うの、魔力なんだよね」
「魔力……?」
そう。黄色いエッセンシアのプラスアルファは魔力なのだ。
血と魔力をマテリアルとして認識することで、しかし『ふぁん』の方の音でそれは完成した。
「音が何か関係するのか?」
「前もちらっとだけ言った気がするけど、『ふぁん』は普通の錬金術。魔法をマテリアルとするときは『ふぃん』の音がするんだよね」
「ふうん……そういやそんな話がちらっとされてたな。で、それは『ふぁん』の方だったと」
「そう。魔力を使ってるから、魔法と言えないこともないし、『ふぃん』、の方かなと思ってたからさ、ちょっと意外だったんだ」
「まあ、魔力を使ってるとはいえ魔法として行使したわけじゃねえんだろ? ならそういうもんじゃねえの?」
そういうものだろうか。
僕は改めてエリクシルの材料を一式そろえてみる、と、「あれ、」と洋輔が首を傾げていた。
「どうしたの?」
「いや……ちょっとまて。佳苗さ。魔力を材料……マテリアルだっけ? それにした時、具体的にはそれ、どうやった?」
「どうやったって言われても……」
魔法を魔法として発動するのではなく、単に魔力を認識して、その魔力の一部を切り離して発現させるだけだ。
そこに発想とか連想を加えなければ、魔力の塊としてそれは表面化させることができるし、あとから発想と連想を追加することでその魔力を用いて魔法を発動することができる。……と言えば使い勝手もよさそうだけど実際には結構悪くて、あとから発想や連想を追加するとき、魔力に対して不釣り合い……具体的には不足してたりすると、魔法は発動せずに魔力が消滅する。
それでもあえて僕がそれを明確に手順化したのは、例の『切り札』のためだ。あれは外部に魔力がある方が使いやすいし。
「いやいやいやいや。おかしいだろ……。魔力の外部リソース化って、それこそタクラのお家芸じゃねえか。え? じゃあもしかして、あの黄色い賢者の石って、タクラの魔石なのか?」
「タクラの魔石? ……ていうか、お家芸って何?」
「……ミュゼは魔法的に世界に触れたりするのが目標だったって話はしたよな。シヴェルの刻印とか。それの流れで、タクラは『魔石』だ。魔力を物理的に切り離して、持ち運べるようにする技術こそが、まさしくタクラがかつて目指し、現代においてはすでに至っている場所だ」
魔力を物理的に持ち運ぶ……?
えっと……、
「ごめん、何かに例えてくれると嬉しいんだけど」
「そもそも魔力って寝て起きると消し飛ぶだろ?」
「うん」
「だから運用できる魔力には、どうしたって限界ができてしまう。それの解決法もかねて、利便性向上をするべく魔力を物質化して、保存しちゃおうとタクラは考えた。そうすれば持ち運びもできるし、膨大な魔力を一気に要求されても何とかなりうる。それになにより、『魔力として物質化』されてるから、他人に魔力を渡すこともできる……『かもしれない』、それがタクラの発想だ」
なるほど。
「でも、『かもしれない』って強調されてるのはなんで?」
「そこにはまだ至れてない、ってだけさ。技術的に、『魔力の物質化』まではすでに達成してるけど、今のところはまだ、自分が物質化した魔力を自分で使うことができるだけなんだと」
頑張ればいつかはできるようになるかもしれない、けれど今のところはまだできていない。
そんな感じかな。
しかし、魔力の物質化か……。
「で。俺が見せてもらった物質化された魔力は、あの黄色い賢者の石にそっくり、だったんだよな」
「僕が譲ってもらったあの箱のメモによると、あれの名前は『金の魔石』だね。黄色いエッセンシア……エリクシルの変質体は、カプ・リキッド」
「カプ・リキッド? また妙な名前だな……」
「名前については、まあ今更だよね。世界も違うし」
「違いない。で、それの効果は?」
「効果までは書いてなかった。だから、わかんない……けど」
材料をきちんと集め、洋輔から血入りの瓶を返してもらい、マテリアルたちを魔法で作った器に投入。
ふぁん、の方の音がして、黄色いエッセンシアの完成だ。
「これが、カプ・リキッド。これを二つに中和緩衝剤で、黄色い賢者の石、金の魔石が作れる」
「ふうん……液体の時点でも、なんか光ってねえか?」
「ほんの少しだけ、ね。光源になるほどじゃないけど」
「触ってもいいか?」
「んー、ちょっとまって」
ならば、と棚からエリクシルと毒消し薬を取り出す。
まあ、念のためということで。
「いいよ」
「……ああ、いざという時用か」
「うん」
「じゃあ、遠慮なく」
洋輔はカプ・リキッドの入った瓶を手に取ると、ふたを開けて一滴、手の甲に垂らす。
手の甲に一滴が触れた瞬間、器の中身も含めて、黄色い液体は消え去った。
昨晩と同じ現象だ。
「はい、毒消し薬と、エリクシル。一応飲んでおいてね」
「……いや、その必要はねえな、これ。これの効果わかったぞ」
「え? ……どんな効果?」
「『魔力を増やす』だ」
魔力を増やす……?
えっと……どういうことだろう。
「『魔力を回復するアイテム』と言い換えてもいいかもな……」
「ああ。ゲームだと結構あるよね、そういうの」
「うん。一滴に触れた瞬間、ごっそり魔力が増えた。たぶん『最初に触れた者の魔力を回復する』、だな。瓶の中身が全部消えたのは、そもそも分割できねえってことなんだと思う」
「使い勝手いまいちだね……」
品質で調整する感じかなあ……。
それと、ちょっとでも肌に触れたら消えるというのは結構不便だ。
「もしかしたら、改善できるのかな。だとしたら、マテリアルを追加する感じだろうけど……」
「いや、その前にさ、佳苗、悪いんだけどさっきの黄色いエリクシル……えっと、カプ・リキッドだっけ? それを二つ作って、黄色い賢者の石も作ってみてくれねえかな?」
「別にいいけど……どうして?」
「いや、ちょっと仮説ができた」
仮説?
まあいいや。頼まれたので材料をかき集め、ふぁん、とカプ・リキッドを二個作成。
中和緩衝剤とあわせて錬金、ふぁんと音がして完成したのは黄色い賢者の石こと、金の魔石である。
やっぱりちょっと光ってる。
「はい、できたよ」
「うん……」
洋輔に手渡すと、洋輔は金の魔石を少し明りに透かすようにして、次に握りしめる。
そして、笑った。
愉快に、というよりも、ほかにその感情を表す手段がないから、という感じに。
「これ、使ってみてもいいか? 場合によっては、無くなっちまうかもしれねえ」
「いいよ。材料費はそんなにかからないし」
「すまん」
そう言って洋輔は、握りしめた石に魔力を流している……のかな?
表情には笑みと、そして困惑が浮かんでいる。
「……なあ、佳苗。お前のイメージで、これの材料にした魔力って、どのくらいだ?」
「えーと、僕は魔力のイメージが紙の面積なんだよね。で、錬金術一回で、百平方メートル分くらい増えるから、マテリアルにしてるのはそのくらい」
「防衛魔法の維持コストは?」
「六秒ごとに四平方メートルくらいだけど」
まあまあ妥当か、と洋輔は言う。
そして、拳を開けた――その拳の中に、金の魔石はない。
どうやら消費したらしい。
「うん。俺の仮説でよければ、ちょっとした解説をするけど、どうする?」
そんなのは決まっている。聞かない理由などどこにもないのだ。
こうして、僕たちは意図せず、一つの到達点を見出したのである。




