70 - 一般錬金術のすゝめ
『一般錬金術』、『発展』。
僕が小隊指揮発展の次に向かったのは、その授業である。
その授業が行われるのは講堂の中でもちょっと特殊な、設備のそろった実験室のような場所である、と資料には書いてあったので、理科の実験室のようなものを想像しつつ向かったのだけれど、いざ入ってみるとそこは、お母さんのお店の裏手……つまり、僕が錬金術を学んだあの空間のほうが近かった。
ほかに訪れている生徒はまたもや二人。
色からして、片方は第三学年だろう。もう一人はアルさんやジーナさんと同じ色だから、第五学年かな?
授業の開始まで例によってあと十分ほどあり、その間手持無沙汰だなあ、とりあえず何が置いてあるのかくらいは確認するかな、と思った時のことである。
「ん……、新入生が見学に来てる。珍しいこともあるのね」
と、女性の声。
なんだか鋭い声だな、と思う。突き刺さるような声というわけではない。ただ、なんか鋭い。
先輩だろうか?
声のした方に視線を向けると、しかしそこに立っていた女性は制服を着ていなかった。
派手な印象はなく、しかし決して地味でもない、そんな絶妙のコーディネート。
ほとんど膝のあたりまで伸びている長い黒髪は先端のほうで軽く纏めているだけで、なんだか重たそうだ。
なんか、聞いていた話とはだいぶ印象が違うけど、もしかしなくてもこの人が……?
「えっと。この授業の先生、ですか?」
「ええ。あとで改めて自己紹介はするけれど、マリージアよ。よろしくね」
はい、とお辞儀で返すと、女性、マリージアさんは少しうれしそうにして、部屋の中央に置かれた錬金鍋へと歩みを寄せる。
「授業開始まで、まだもう少し時間があるけれど、たぶんこれ以上は生徒もこないでしょうし、簡単に確認させてもらうわ。あなたたちはちゃんと、現代錬金術の授業を受けたうえでここにいるのよね?」
「はい」
「もちろんです」
マリージアさんの問いに先輩二人が即答する。
一方、僕は答えることができなかった。現代錬金術、結局概念的にそういうものがあるよ、とかは知ってるけど、実際にどういうものかは知らないんだよなあ……。
「そこの新入生は?」
「すみません、現代錬金術は受けてません。まずいんですか?」
「んー……そうねえ、一般錬金術の授業は、一番ランクが低いこの発展の授業でも、存在しないけど現代錬金術の昇華と匹敵するか、あるいはそれ以上の難易度になるのよ。だから、現代錬金術の授業が前提になるの。ていうか、現代錬金術の授業を担当してるイスカ……彼から推薦があって初めて、この授業の見学を行う。それが本来の形ね」
「そうなんですか……。特に、渡された資料にはそのあたりが書いてなかったので、大丈夫だと思い込んできちゃったんですよね。大体、一般なんて名前がついてるせいで、こっちのほうが基本に近そうですし」
「あー。そうか。あの本、そういえば書き換えてないのよねえ……。ごめんなさいね。次の見学用の資料までには直しておくわ」
はい、とうなずきつつも、僕は視線を二人の先輩に移す。
すると、二人の先輩はちょっと気の毒そうに僕を見ていた。
ううむ。
「そういうわけで、そこの新入生は見学する意味ないわよ。現代錬金術の授業、今から行けば間に合うし、そっちに行ったほうがいいわね」
「いえ、この授業の見学をさせてください」
「……話、聞いてた? この授業は、現代錬金術を習得していて、イスカから推薦を受けている前提で話が進むのよ。まあ、どうしても見学したいというならば別にいいけれど、時間の無駄になる可能性が圧倒的に高いの。これは親切心から言っているのよ」
そりゃあ、わかるんだけど。
マリージアさんが本当に僕のことを考えて言ってくれていることも、伝わっては来るのだけれど。
「まあ、いいわ。あなたが受けたいなら受けていきなさい。ただ、ついてこれなくても知らないわよ」
「はい。ありがとうございます」
彼女は苦笑しつつ、錬金鍋に何かを投入し、ふぁん、と何かを錬金。
ふぁん、ということは普通の錬金か。
「さてと。授業の開始前に、自己紹介して頂戴。年長者からね」
「はい。第五学年、魔法科在籍、イーベイ・カルスです」
まずは最年長の男子生徒。イーベイ・カルスというらしい。
第五学年で魔法科ということは、ジーナさんと知り合いだろうな。
「第三学年、普通科、クォーレル・ポート」
第三学年の女子生徒はクォーレル・ポート、と。こちらは特に知り合いがいなさそうだ。僕、第三学年との間に絡みはないし。
あるとしたら今日吹っかけられた決闘だけど、そういえばあの人たちの名前聞いてなかったなあ。
「第一学年、普通科。カナエ・リバーです」
最後に僕がそう名乗ると、あれ、と、二人の先輩が首を傾げた。
「あ。新入生総代の片方をやってます」
補足で続けると、なるほど、とクォーレルさんはうなずき、イーベイさんは複雑な表情を浮かべた。
もしかして僕のことを知ってるのかな? だとしたらジーナさん経由?
ううむ、わからん。
そして最後に、マリージアさんがしばらく動きを止めて、思い出したかのように動きだすとゆっくりと僕を振り返り、僕の頭の先からつま先までをまじまじと眺める。
「カナエ・リバー……、あなたが?」
「はい。マリージアさん、初めまして。えっと、マリージアさんのお話は、お母さんから時々聞いていました」
「……なるほど。なるほどなるほど、納得よ。確かに似てるわ、あなた。そしてさっきの忠告も撤回するわ、あなたならばこの授業を時間の無駄にはしないでしょう」
わかってもらえたようだ。
「でも、現代錬金術の授業は別口で受けたほうがいいわよ。あっちはあっちで、結構便利な面もあるしね」
「はい。相部屋の子が、現代錬金術に興味があるみたいなので、一緒に見に行こうかと」
「賢明ね」
と、雑談をしている間に、ジリリリリリリリ、と授業開始を告げるチャイムが鳴る。
それに合わせるようにマリージアさんは居直ると、こほんと咳ばらいを一つ。
「それじゃあ、改めて。一般錬金術発展の授業を開始するわ。まず、前提として一般錬金術と現代錬金術の違いについて説明しましょうか」
さて、きちんと覚えないとな。
「まず前提として覚えておいてほしいのは、現代錬金術とは一般錬金術の劣化版である、ということよ。現代錬金術にできて一般錬金術にできない錬金は理論上存在しないわ。現代錬金術には存在しない応用技術がたくさんありふれていて、決まった方式が存在しないことも特徴ね。何よりも違うのは、『マテリアル』という概念ね」
うん?
「現代錬金術において、『レシピ』という概念があるのは当然、知ってるわね。たとえばポーションを作るためのレシピは、薬草一つに蒸留水を計量用瓶に一単位。それを特別な錬金鍋に投入し、錬金を行うことで現代錬金術が発生、レシピに従いポーションが完成する。イーベイにクォーレルにとっては、これが錬金術の基本的な、そして同時に究極的なことだ……と、イスカに散々教えられているでしょうし、承知しているはずよ」
レシピ……?
そっか、現代錬金術はそもそも、あらかじめ決まった通りの組み合わせで決まったものを作る仕組みなのだから、マテリアルの組み合わせとか、そういう考えがないのか。
「けれど、一般錬金術には『レシピが存在しない』。まあ、大体の目安として、何と何を組み合わせれば何ができる……というものはあるし、特定のものが錬金術の結果に干渉をすることも判明しているけど、厳密な『黄金比』、『これをこうすればこうなる』という画一された規格が存在しないの。そこで、一般錬金術においては、『マテリアル』という概念を用いるわ。マテリアル――材料と言ってもいいわね。『薬草』や『水』や『毒薬』や『布』、錬金術はありとあらゆるものを材料にできるわ。けどまあ、魔法を使うような錬金術は応用や昇華の授業でやることになるわね。この発展の授業では、とりあえず『適性を知る』ことを優先するわ」
適性を知る?
えっと、錬金術が使えるかどうかということだろうか?
「さて、ここまでで質問は?」
マリージアさんの問いかけに、三人が一斉に手を挙げた。
彼女は一瞬悩み、とりあえず年功序列ということにしたのか、まずはイーベイさんに発言を促す。
「現代錬金術においては、錬金術を発動するための指南書として教科書が存在していましたが、こちらにはあるのですか?」
「ないわ。さらにいうと、現代錬金術のほうには『レシピ本』、つまり現代錬金術で錬金できるものをすべて記載したリストがあったと思うけど、それに相当するものも存在しないわね」
「えっと、では、発動方法はどうなのでしょうか。現代錬金術と同じような感覚でよろしいのですか?」
「うーん……」
おや?
マリージアさんは少し考え込む。
「そうね。こう答えるしかないわね。『逆ならば、それでいい』わ」
「逆?」
「一般錬金術の感覚がつかめているならば、あとはレシピ通りにすればすべての現代錬金術が成立するの。ポーションだろうが毒消し薬だろうが、現代錬金術において最高難易度とされる瞬間麻酔剤まで一切躓きなく、レシピ通りにそろえることができれば、全部できるわ。でもイーベイ、あなたが言っているのは逆よね。つまり、現代錬金術の感覚で、一般錬金術が成立するか、というものよね?」
「はい、そうです」
「残念だけど、それはちょっと厳しいわ」
んっと……、互換性の問題、みたいな感じで受け取ればいい、のかな?
というより、やっぱり試用体験版と完全版みたいな感じか。
完全版を持ってれば、試用体験版でできることは全部できるけど、試用体験版では完全版のファイルを読み込むことすらできないみたいな意味で。
「錬金術の感覚は、人によって違う。だから絶対にそれでは不可能だ、とは断言ができない。でも、基本的には無理ね」
「では、ヒントがない……ということですか?」
「いえ、一般錬金術の発動を助けてくれるヒントはあるわ」
イーベイさんの困惑に、マリージアさんは笑みを浮かべて言った。
「『レシピ本に存在するすべての現代錬金術を同時に成立させる感覚』。それにマテリアルという概念を加えることで、錬金術が発動できることが多いの。まあもちろん、現代錬金術を極めているという前提は必要だけど、その前提さえクリアしていれば、一般錬金術を扱う才能を待っているはずよ」
「…………」
普通に笑みを浮かべるマリージアさんに対して、イーベイさんとクォーレルさんは乾いた笑みを浮かべている。
つまり、無茶ぶりがされたようだ。現代錬金術を知らない僕にはそれがどんな難易度なのか、まるで想像がつかないので、反応に困るな。
「……それって、難しいことなんですか?」
勇気を出して聞いてみると、そうねえ、とマリージアさんは首を横に振りながら答えた。
「そこまで難しい話じゃないわ。ただ、右と左と前と後ろと上と下とを同時に見る……程度の難易度かしらね?」
えっと……右と左と前と後ろと上と下を同時に見る?
…………。
「確かに、そのくらいならなんとかなるか……」
「でしょ?」
僕のつぶやくような納得の声に、マリージアさんは大きくうなずき。
「え?」
「は?」
と、二人の先輩は僕とマリージアさんを、呆れるように見てきていた。
いや。
魔法使えばどうにでもなると思うよ、それくらいなら。




