58 - ヒストリアの少年
ニムの名乗りに僕は特に心当たりが無かったのだけど、洋輔は「ヒストリア……、」と呟き、手にしていたスプーンをそっと机の上に置いた。
心当たりがあったらしい。
「いやでも、おかしいな。本当にヒストリアなのだとしたら、お前は幼すぎるだろう。あの集団は、いわば『編纂』の専門家……歴史を紡ぐ張本人としての組織だったはずだ。まあ、俺の両親が死んでからは途切れてるし、俺の両親も三年くらいは連絡して無かったから詳しくは知らねえけど、この四年間で何かあったのか?」
「話が早くて助かるものだ。とはいえ何かが起きたわけではないよ。ヒストリアという組織は平常に稼働している……ただ、そこに吾輩が招き入れられたのが三年前。それ以降、何かとつけてヒストリアはミュゼの家系と連絡を取ろうとしていたのだが……そして次世代のミュゼたるヨーゼフ、君と吾輩を面通しするつもりだったのだが、ミュゼ側がそれを何かと理由を付けて断っていてね、結構困っていたのだよ。何か心当たりはあるかい?」
「あー。そりゃ俺が失敗作だからだろうな」
「失敗作? それはどういう意味かな?」
「ミュゼって家系で見れば、目指した道とは違った道に進んじまってるんだよ、俺は。完全な失敗作とも言い切れねえからとりあえず生かしておくけど、死んだら死んだでまあいいか、程度の存在だったってことさ。まあもっとも、俺の両親は子供に恵まれなくてね。結果的に失敗作の俺が最後のミュゼとなっちまったのは皮肉だな」
「ふうむ、七十三代続いた魔法使いの家系も終わる時はあっさりなのだねえ。ヨーゼフ、君がどのように扱われていたのかは察することさえできないが、しかしまだ君が最後のミュゼであるとは限らないよ。君が子供を為せばその子が次の、七十四代目のミュゼになるだろう?」
「俺にその気があるかどうかは別だけどな」
洋輔は投げやりに答えた。
七十三代……、そんな長期に亘ってたのか、ヨーゼフの家系。
そんだけ思考錯誤してれば、確かにあんな出鱈目な能力も獲得できておかしくない……のか?
「えっと、ヨーゼフはヒストリアの事知ってるの?」
「断片的にな。この国の歴史を記録、編纂してる集団。……言い換えれば、歴史の教科書を作ってる団体みたいな感じだ。ミュゼとは違って、血ではなく能力によって後継を定める方式で、少なくともこの国ができた頃には存在していた、とされている。実際はどうか知らねえけどな」
歴史の教科書を作ってる団体……なるほど、解りやすいし、洋輔の反応も当然だ。
そんな団体に子供が加入できるとは考えにくい……とはいえ、この子も二ツ星。
相当の才能に恵まれてるってことなんだろう。
「……でも、そんな団体があるなんて、お母さんは一言も教えてくれなかったなあ」
「君の母上、つまりサシェ・リバーに限らず、リバーという家系は錬金術師だからね。あまり吾輩たちヒストリアとは関連が無いのだ。それが原因だろうな」
ふうん……?
「それにしても、どうしてカナエはこの国の危機になり得る歴史が知りたかったんだい? 何か理由があるとお見受けするが、それは上級生が関係する事なのかな?」
「そう言うわけじゃないんだよね。上級生なら知ってるかなーって……でもまあ、ニムが知ってて助かった。のかな」
「多少なりとも役に立てたなら幸いだが……ふむ。もし気になるならば、ノートかなにかに書いて渡した方が良いかな?」
「お願いできるならしたいけど、随分な手間でしょ。そこまでは頼めないよ」
「構わないさ。文字を書く事に離れているからね。では、先ほどあげた事件については今日中にノートに書いて、明日の朝に提出でよいだろうか?」
「うん。ごめんね、ニム。お礼に何かあげようか」
「いやいや。この程度、礼には及ばないさ」
いやあそれはちょっと無理があるな。
何か用意しとこう。
なんて話をしていると、ニムたちの食事が運ばれてくる。
「さてと、それではいただきます」
「いただきます」
ニムとウィズは声を揃えずにそう言って、それぞれが食事を開始した。
ウィズも結構おいしそうに食べてるけど、ニムはなんか、もっと美味しそうと言うか……幸せそうに食べるなあ。
「あー、そうだ。ニム、俺からも一つ頼みたいんだが良いかな?」
「うん? 何かな? 吾輩に出来る範疇で有れば、もちろんやらせてもらうよ」
「この国が出来た頃の逸話、歴史を、ちょっと纏めてほしいんだ」
「なるほど、建国記か。ふうむ、それに興味を持つとはなかなか、ヒストリアとしても見所があるね。お二方も気が向いたらヒストリアになってみるかい? 案外君たちならば、良いヒストリアになれそうだ」
いやあそれはちょっと。
僕が曖昧な表情で答えると、洋輔は「それは無理」と断言した。
もうちょっとオブラートに包んであげるべきだと思う。
「はっきりとした物良い、吾輩は嫌いじゃないよ。さて、しかし建国記となると多少時間がかかるな。同時に並行するにせよ、今晩はウィズに先程の粗相の謝罪もしなければならないし……、そうだね。明日書き始めて明後日の提出となるが、それでも良いだろうか?」
「ああ。そんな急ぎでもねーから、時間のある時にでも頼む」
「承った」
僕達は適当な雑談を挟んだ後、部屋に戻る事に。
色々と実りのある朝だったな。
「しかしヒストリアねえ……」
帰り道、洋輔が小さな声で呟く。
「何か気になるの、洋輔」
「んー。いや、あいつ、俺とお前の経歴をある程度知ってただろ」
「うん」
「厄介だな、と思ってさ」
厄介?
なんでだろう。
「……まさかさ、佳苗、気付いてないのか?」
「え、何を?」
「…………」
洋輔は長い沈黙の後に大きなため息をついて、僕の頭をぺちっとはたいてきた。
痛くはないけどなんかいらっとする。
「お前さ。少なくともニムにはお前が錬金術使えるって事ばれたのは気づいてるよな?」
「え? なんで?」
「だってお前否定しなかっただろ。『リバーの家系で男が錬金術を使えるのは君が初めてじゃないかな』みたいな言葉に」
…………。
「言われてみれば……」
「あと、その場にはウィズも居たからな。あいつも気付いたと思うぜ。まあ、あの二人の口が固い事を祈るんだな」
「しまったなあ……」
やれやれ……、あの場面、僕は特に違和感を覚えずに対応しちゃってたけど、鎌を掛けられてたのか。
やりにくいなあ、ああいうタイプの子は。
「油断を誘うというより、警戒をさせてくれない……のかな。なんかあの子と向き合ってると、そんなものか、って思っちゃうってうか」
「話し上手とも違えもんなあ。なんか良く分かんねえ」
「ね」
称賛なのだか陰口なのだか解らないような事を喋ってる間に部屋に到着、鍵を開けて中に入って、と。
「ま、たとえ僕が錬金術を使える事をニムが知ってるとしても、洋輔のアレはたぶんまだ知らないだろうし。それに、洋輔と佳苗についてまでは解る由もないでしょ」
「だな。それで佳苗、ニムの話を聞いて引っかかった事はあるか?」
「んー……詳しくは文章化を待ちたいけど、所感はあるよ」
「それは?」
「この国、いつからあんの?」
「奇遇だな。俺もそれが気になった」
それで建国記を要求したのか。
納得。
「千年前に大きな事件があった、ってことは、それより前には国があった。当然だな。けど、千年。千年だぜ? 途中で政治形態が変わってるとは言え、一つの国家が存続できる規模か? 何かが起きた時に縋るような宗教さえ無いのに?」
「そこだよね。……何か、裏があるのか。それとも、僕達が何かを見落としてるのか」
そのどちらか。
多分見落としの方だろうな、と僕は思う。
「ま、詳しくは明日と明後日に提出されるノートを待とう。今日は例の試作品のバージョンアップ目指すよ」
「ん。それもいいな」
というわけで材料は取りだしておいて、そのままダイニングへ。
「そういえば、ニムとウィズって仲良いのかな?」
「悪いようには見えなかったな。なんだかんだでお互いを許してるって言うか……、まあ関係性ってのは一晩で変わるものさ」
「ふうん……?」
「信じてねえ、って目だな……」
そんな事はないけど、でもちょっと疑ってはいるのであながち間違いでも無い。
「それでも、たぶん事実だ。そんな会話もしてたし……」
「そんな事話してたかなあ……」
「……佳苗はなんていうか、……いや、なんでもない」
何だろう、ものすごく馬鹿にされてる気がする。
「いやいや。馬鹿にはしてねえよ。ただ、お前が羨ましいとは思ったけどな」
「羨ましい……、僕が?」
「そ。俺もお前みたいならば、色々楽だったのかね?」
「どうだろうね。僕の人生もなかなか、よくわからないものだよ。……それに」
「それに?」
僕は悪戯っぽく笑って答える。
「洋輔は小三にもなってあの呼ばれ方をしたい?」
「御免こうむるな」
いや、即答されると僕が悲しくなるから、少し考えてほしいんだけどね……。
「……逆に」
「ん?」
「いや。僕も、洋輔みたいだったら、よかったのかなって思って」
「やめといた方が良いぜ。碌でもないから」
「んー……」
でも、洋輔はいつもかっこいいからなあ。
何かと僕を助けてくれていたし、やっぱりあこがれの対象なのだ。
「洋輔の方はまだしも、ヨーゼフの方は特にな」
「……敢えて聞くまいとしてたけど、正直、ヨーゼフ・ミュゼとしての人生はそんなに辛い?」
「辛い……、とは、違うかな。ただ、嫌になる」
それは、やっぱり辛いと言う事なんじゃないかな……。
「生きるためには仕方が無いとはいえ、色々と汚れる事を覚悟しなきゃいけない。それは、洋輔にとってはちょっとした試練だったぜ」
「生きるために汚れる……か」
正当防衛とはいえ、親を殺した。
その事、だろうか。
その後の事も……有るんだろうな。
生きるために、他人を傷つけた事が、一度や二度ではなく何度も。
「だったら、僕はやっぱり、洋輔に……ヨーゼフの立場に、なってみたい」
「また、なんでだよ。わざわざ不幸になりたがるのはよくないぜ」
「不幸になりたいわけじゃないよ。ただ……」
僕は。
「洋輔が背負ってる事を、少しでも知りたいんだ」
「やめとけ。佳苗は佳苗のままで良いんだ。お前らしく、爛漫で居てくれる方が俺は楽だし、嬉しいよ」
それでも……と、僕は言おうとして。
「それに俺は、佳苗に嫌われたくない」
そう続いた言葉に、僕は首を横に振った。
「たとえ洋輔が何をしていたとしても、僕は洋輔の事を嫌いにはならないよ。ずっと……、ずっとね」
「…………、」
少し寂しそうな表情で、洋輔はそうか、と頷く。
いつか……。
いつか、今この時の洋輔の気持ちを、僕は理解できていると、良いのだけれど。
そして願わくば、その時も僕は洋輔の親友、洋輔の幼馴染であり続けていられますように。
いや……そんな心配は無意味か。
少なくとも、僕は何があっても洋輔を嫌いになるわけがないのだから。
「ん……。この匂い……、げ。すまん、洗濯物、干し忘れてるのがあるっぽい」
「…………」
…………。
多分、嫌いにならないと思うから。
多分。




