02 - 僕について
お母さんの言っていた事は偽りなく、朝食からすさまじい御馳走だった。
カリカリに焼いたベーコンを贅沢に使ったパンのグラタン、スープはあっさり目だけど牛肉の味がほんのりと。
サラダも色彩ゆたかで新鮮で、どれもこれもが実に美味しい。
うーむ。でも朝御飯なんだよな。ちょっと食べ過ぎた気もする。
「今日はよく食べたわね、カナエ」
「へへ……うん。おいしかった」
「それはよかった」
キレイに完食したからか、お母さんも嬉しげだ。
お母さんはお皿を下げるとそのまま洗い物を開始。
うん……なんだか、ちょっと特別な、けれど普通の一日って感じだな。
そして満腹になったからか、色々と考えたくなってきた。
まず、僕について。
僕は結局、誰なのか?
少なくとも身体は、カナエ・リバーのものだと思う。
記憶もきちんとあるし……何処に何があるのかも、今まで何が起きたのかも、鮮明に曖昧に思い出す事が出来る。
思い出す事が出来る、と言っても、それはカナエ・リバーが覚えていた事は、だ。
何もかもを覚えているわけが無い。だから、町の中の地図だって、思い出せるのは大まかなものだけで、詳細までは無理。
だけど、それを言うならば渡来佳苗としての記憶も同じだ。
渡来佳苗。地球の、日本に生まれた、普通の子供。
小学校を無難に卒業して、中学校に入学した、ところまでは覚えている……その先は曖昧というか、覚えていない。
中学校に入学した後、渡来佳苗が何をしたのか、そしてどうして今カナエ・リバーとしてここに居るのかは解らないし、渡来佳苗としてだって、覚えていることもあれば覚えていない事もある。
例えば、家の形は覚えている。家の周囲の地形も覚えているし、家族や友人の顔や名前だって覚えている。
だけど小学校に上がる前、幼稚園の頃の記憶だとかはすごく曖昧だ。小学校低学年でも結構あやしい物が多い。学芸会とか、何やったっけ……。
ボーイスカウトのことも曖昧だなあ……、つい最近までやってたような、そんな感じはするんだけど。
意外と記憶と言うものは、しっかりとはしていないようだ。
そして、答えが出ない。
うーん……。
僕は、カナエ・リバーなんだけど……でも、やっぱり渡来佳苗としての経験も、記憶も、あるわけで。
なんなんだろうな、僕って。
そんな事を考えていると、洗い物を終えたらしいお母さんが僕の前の席に座った。
「カナエも無事に十一歳ね。喜ばしいわ。ねえ、カナエ。あなた、この前の話は覚えてる?」
「この前の話?」
「十歳の誕生日の時に言ったことよ。ほら、十二歳の間だけ受験の資格がある、国立学校のこと」
ああ、そういえばカナエ・リバーの記憶には確かにある。
それについてかなり悩んでたんだっけ。
国立学校。
カナエが知っている学校はそれ一つだけで、この国が運営している学校だ。
渡来佳苗が知っているそれとは違って、勉強をする場というよりも訓練をする場としての側面が強く、体術、魔法、錬金術だとかも学ぶことが出来る。
もちろん、算数や歴史についての勉強もあるらしいけれど。
で……カナエ・リバーとして、何故これの受験を悩んでいたかと言うと、それは受験が簡単ではないし、その後の事もあるからだ。
そもそも、十二歳の間にしか受験の資格はない。つまり一生に一度だけということだ。
受験にお金はかからないけど、受験が出来るのは首都に限り、その交通費は自腹。
この町から首都までは、どんなに馬車で急いで貰っても二週間はかかる。
二週間ならば、三食付きだと……金貨二十枚くらいかな?
僕の両親は共働きをしているから払えないって事はないのだろうけれど、手痛い出費には違いがない。
で、受験に失敗したら帰りにもまた金貨二十枚。合わせて四十枚ほどをどぶに捨てることになる。
それに遠慮をしていたというのが、カナエ・リバーの悩みの一つ目。
もう一つは、万が一受験に成功した場合……つまり、合格してしまった時の話だ。
国立学校の受験で合格すると、国立学校に入学する権利を与えられる。
入学金とかは無し。教育関連は国が負担してくれるのだとお母さんが言っていた。
ただし、国立学校は全寮制。
一年に一度だけ、年末年始には実家に帰ることができるけれど、それ以外ではよほどの事情が無い限り学校内の寮で生活することになる。
で、国が負担してくれるのはあくまで教育に関連することだけで、寮での生活、消耗品やご飯だとかには当然お金がかかる。
結局、経済的な負担は大きい。
その経済的な負い目、遠慮が二つ目……。
最後の悩みは、要するに、一年に一回しか両親に会えなくなると言う寂しさだ。
親元を離れて見知らぬ場所で生活することが、はっきりと言えば怖い。
それは……どちらとしての僕も、思っていることで。
「お金のことなら気にしないでいいのよ。そのために、かなり貯金はしてきたの。それに、私も旦那も、受験はしてるのよ。二人とも落ちちゃったけどね」
「そうなの?」
うん、とお母さんは頷く。その事は知らなかったな。
結構記念みたいに受けることが多いのかもしれない。
考えて見れば、受けるだけならタダだし……。
「……もし、合格したら。僕は一人で首都暮らしなんだよね」
「そうね。寮だから、相部屋かもしれないけれど。寂しい?」
「うん」
素直ね、とお母さんは笑って僕の頭を撫でてきた。
なんだかんだで……安心するのだ。
「でもね、カナエ。一生に一度だけの、自分試しの機会よ。それを逃すのはもったいないわ」
「お母さんは……僕に、受験して貰いたいの?」
「まあ、正直に言えば。もしも合格したら、それはあなたの誇りになるから」
誇り、か。
それは僕のでもあり、お母さんやお父さんの誇りにもなるのだろう。
だから僕に、強く勧めてきている。
「……あと、一年か」
「そう。もしあなたが決めたならば、来年には、受験をすることになる。そのためにも、少しでも合格しやすいように、私が錬金術を、旦那は体術をあなたに叩き込むわ」
うーん……。
…………。
って、え?
錬金術?
「お母さん。ちょっと待って。今、さらっと聞いたこと無い事を聞いた気がする」
「え?」
「お母さんって、錬金術使えるの?」
「そりゃあ、使えるにきまってるじゃない。私がやっている道具屋さんは、錬金術で作った道具を売っているお店よ?」
初耳だよそれ!
「といっても、私が使える錬金術は、初歩的なものだけだけれどね。もしかしてカナエ、あなた、錬金術に興味あるの?」
「そりゃ……うん。あるけど」
にたりとお母さんは笑う。
いや、実際興味は惹かれるよ。錬金術。なんかすごそうだ。やっぱり金作れるのかな?
それとも現実的な解釈で、理科みたいなものかな。
だとしても、僕、理科の実験大好きだからなあ。やりたい。
「ならば、こうしましょう。あなたがお金について心配ならば、これから一年間、私のお店でお手伝いしなさい。働いた分だけお給料をあげるわ。そのお給料で、あなたは受験をすればいい。どう?」
「そう言う事なら。……お手伝いって、具体的には?」
「最初の内は、商品の名前と値段を覚えてもらうわ。最初の内は商品を並べてもらったり、調達して貰ったりかしら。並行して、錬金術の基本を教えてあげる。それと、計算ね……。おつりを出すくらいの計算が出来るようになってくれると、店番も任せられて安心だわ」
うん……それなら、悪くないどころか、良い。
最終的に受験する事になるにせよ、あるいは受験をあきらめるにせよ、稼いだお金は手元に残るし、錬金術を学ぶことは出来ると。
断る理由は無い。
「じゃあ、そうする!」
「解ったわ。それじゃあ、……そうね。でも、今日は折角の誕生日なのだから、お勉強は明日からにしましょう」
「うん。……ところで、お父さんはお仕事?」
「そうよ。でも、お昼頃には帰ってくるって」
ああ、帰って来てくれるのか。
なんだか嬉しいな。
結局、この日は一日、町全体で僕の誕生日を祝ってくれた。
大きなケーキも食べて大満足、きっと僕は、この日をずっと、覚えてるんだろうなあと思った。