12 - 全ての基礎となるものは
お母さんはアルさんとジーナさんの提案を受けて少し考えると、二人を店内に待たせたまま、僕を錬金鍋があるほうの部屋に連れ込み、小声で言った。
「彼らの提案は魅力的よ。実際、毎年試験の内容は全く違う。だから、私も深く教えることが出来ない……だけど、現役の生徒ならば多少の傾向は読めるでしょうし」
「うん……。お母さんは、あの二人、本当に生徒さんだって思うの?」
「ああ、それは大丈夫よ。背負ってるマント、銀色の縁取りがされていたでしょう。あれは国立学校の専門課程に進んだ生徒に与えられる身分証のようなものだから」
なるほど。
「で、私としては賛成よ。あなたにやる気があるならば、是非受けるべき申し出だわ。ただ……一つだけ、守ってほしい事があるの」
「えっと、危ない事をしない?」
「それは普段からお願いしていることよ。……あなたにお願いしたいのは、あなたが錬金術を使えると言う事を秘密にすることね」
それを僕から取り上げられると、カナエ・リバーとしての僕は平凡極まることになるのだけど……。
もっとも、錬金鍋のない状態ならばどのみち錬金術は使えない、か。
「わかった」
僕が頷くと、お母さんは僕の頭をぽん、となでると、僕を連れて店へと戻る。
そして、彼らの申し出を受ける事を告げると、二人は笑みを浮かべて大きく頷いた。
「私たちはこの町にあと一週間滞在します。その間、宿はトーマの宿、という所を取っていますから、朝、ご飯を食べたらそこに来てください」
「わかりました。今日はどうすれば?」
「そうね。……最低限、運動能力は見ておきたいか。良かったらこの後、少し一緒に走ってみましょう」
ふむ。
お母さんに視線を向けると、お母さんは苦笑して行ってらっしゃい、と僕を送り出す。
お手伝い……は、一週間後からだな。
「はい」
僕は頷き、白露草の会計を済ませた二人と一緒に、町のはずれにある宿、トーマの宿へと向かった。
と言っても、トーマの宿自体に用事があるわけでもない。
僕たちはそのまま町を囲う柵を出ると、街道沿いに作られた簡易の運動場へ。
運動場と言っても、学校の校庭とは比べ物にならないほど広い。いつだったか、渡来佳苗が見に行ったプロのサッカー選手達が走りまわっていたあのフィールドくらいだろうか。
「さて、と。あなたのペースで良いわ。だから、この運動場の外周をぐるりと、走ってみて頂戴」
「走るだけ、ですか?」
「ええ。走るだけよ」
了解、と僕は頷いて、言われた通りに走り始める。
長距離走というか、マラソンというか……。
あんまり好きじゃないんだけども。
僕はゆっくりと走り始める。一周で良いならもう少し速度を出しても大丈夫だろうけど、複数週だと困るしね。
無事に一周を終えると、二人が僕を呼んでいて、そのまま僕は走って近寄る。
軽く息を整え、二人に視線を向けると、二人は結構驚いているようだった。
何でだろう。変な事はしてないはずだけど。
「珍しいわね。あなた、毎朝走ってたりするの?」
「いいえ……? 何でですか?」
「『走れ』と言われたら全力で走っちゃう子が多いんだよ。で、一周も出来ずにバテる。その点、君はきちんと外周を走り切った」
ふうん……。
学校でマラソンとかしてたから、特におかしい事をしたイメージは無いんだけど、そういう事が無ければ全力で走ってしまうものなのかもしれない。
「ただ、お世辞にも早くは無いわね」
「……あんまり、運動はしてなかったので。やっぱり、これじゃ駄目ですか?」
「既に最低限はクリア、ってところだな」
あ、そうなんだ。
思ったより簡単なのかもしれない、国立学校の試験。
「ちなみに……だが、カナエくん。君は武器を持った事はあるかい?」
「商品を並べるとかで、持った事はありますけど。持ち歩いたり、使った事はありません」
「そうか」
じゃあこれを、とアルさんはショートソードを僕に渡してきた。
短い剣とはいえ、流石にずっしりと重たい。
こんなもの、片手で振り回せないよなあ……。
「それを少し振りまわしてみてくれ。別に、どう動かせ、とは言わない。君の思うがままで良い」
「はい」
じゃあ、ちょっと離れて、と。
振りまわす……うーん。片手だとすっぽ抜けそうだな。
あ、剣道やればいいのか。
幼稚園に通ってた頃にちょっとやってただけだけど、曖昧ながらに思い出せる。
僕は両手でショートソードの柄を持って、えい、やあ、とう、と面、胴、胴。
篭手ってどうやるんだっけ?
覚えてないな……。
足はどう動かすんだっけ。
確かステップみたいなのが……えーと、こうじゃなくて……、ステップ、かつ降りおろし、すっと戻って構えなおし、ステップ、かつ降りおろし……うん、これでいいや。
何かが違う気がするけど。
暫く続けていると、「これは、また」とジーナさんが声を漏らした。
「拙いけれど、また面白いタイプの子ね……。ああ、もう良いわよ」
「はい」
そんなに長時間をやってたわけじゃないけれど、結構疲れている。
ていうか、腕が重い。
「何かの『型』をなぞっているようには見えたけど、私の知らない『型』ね。アル、見覚えは?」
「無いな。……うん。戦闘を前提にしているようではあったけれど、対人要素が強いようにも見える。重心移動にも癖があったから、なかなか面白い流派かもしれない」
「へえ。ねえ、カナエくん。あなた、その剣術は何処で覚えたの?」
どこ、と聞かれると困るな。
「適当に振りまわしただけですよ。僕、剣術とか知らないので」
「…………」
二人は僕の答えに黙り、なるほど、と頷いた。
うん?
「つまり、君は素質の塊と言う事だ。『走れ』と言われて全力で走らなかった……体力を温存する事を知っていた。『振りまわせ』と言われてきちんと両手で構えた……何かの型をなぞろうとした。この二つが出来ているならば、『全ての基礎になるもの』は既に習得していると言っても良い」
全ての基礎……?
アルさんの言葉を理解できずにいると、ジーナさんが助け船を出してくれた。
「忍耐のことよ。我慢する事。無理をしない事……己のできることを知っている、ということ。闇雲に適当に乱雑にするのではなく、考えながら物事をできると言うこと。それが『全ての基礎』。それを習得できているあなたにならば、私は魔法を確実に教えることができる。戦いの方も、とりあえず、町の近くに出るような弱い魔物ならば倒せるようにはなるでしょう」
魔法!
は嬉しいけど、あんまり魔物的なものとは戦いたくないな。危ないし。
「魔法は、とりあえず簡単なものを用意するとして……明日ね。準備が必要だし。だから、今日はアルから簡単な体術を覚えておきなさい」
「解りました。アルさん、お願いします」
「それじゃあまずはこれを」
うん?
差し出されたのは……さっき受け取った短剣、の鞘?
鞘にはベルトが付いている。
「剣を鞘にしまったら、背負うか、腰につけるかしてみてほしいんだ」
「こう、ですか?」
背負う……だと、剣を取り出しにくいよね。
普通に腰から下げてみることにする。ベルトは……ズボンにベルト用のが無いから駄目かな、と思ったんだけど、簡単に付ける程度ならば大丈夫のようだ。
「ふむ。じゃあ、その状態で一緒に歩こうか」
「歩く……だけで、良いんですか?」
「ああ。それだけで良い。距離も大したことは無いよ。さっきカナエくんが走った距離と同じだけ、この運動場を一周するだけだ。それが出来たら、今日はそれで十分だ」
なんでそんな簡単な事が課題になるのだろう。
いや、簡単な事じゃない……のか。
僕は頷いて、歩きはじめたアルさんについて行く。
するとどうだろう、歩くたびに足に短剣ががしがしぶつかって、ものすごく歩き難い。
ていうか痛い。
ちょっと調整して……こう、でどうかな?
まだぶつかるな。もっと角度を付けて固定して……。
あ、大分マシになった。
けど、ちょっと足を上げると駄目だな。これじゃあ走れない。
更に調整して……うん、オッケー。
「……驚いた。まだ何も説明してないのに、趣旨は理解してくれたみたいだね」
「え?」
「『武器を携帯する時、それが動作の邪魔にならないように調節する』……案外、その発想に至る子が少ないんだ」
…………。
もしかして国立学校の受験って、僕が思っている以上にものすごく簡単なのかな?




