01 - おはよう
妙な夢を見ている。
家具から何から真っ白な部屋、扉は一つ、窓は無し。
誰も居ないのに僕はそこに居て、誰かが僕に話しかけてくる。
そんな妙な夢を見ている、のだと思う。
なのになぜだろう、奇妙な実感がここにはある。
奇妙な現実感がここにはある。
奇妙な納得感がここにはある。
ふと気が付けば、僕はその部屋の真ん中にいた。
少し考える。
ここは何処だろう。
僕は何故ここにいるのだろう。
僕は……。
白黒昼迄夢現
01 - おはよう
「…………」
とりあえずここに居ても仕方が無い。
夢の世界なら、きっと扉の向こうには何かがあるんだろうし、扉を開けてみる。
その先には白い廊下が続いていた。
延々と続く白い道。
恐る恐ると歩いてみる。
どれほど歩いただろうか、暫く歩くと、分かれ道。
向かって右に続く道と、向かって左に続く道。
どっちに進んでも大差はないだろう。
僕は右の道を選んで歩き出す。
延々と、延々と。
暫くすると、何かを思い出した。
それは見なれない景色だった。
灰色の壁が沢山あって、地面も灰色、そんな妙な道だった。
いいや、違う。別に奇妙じゃないんだ。これは普通の道だから。
そう、僕はこの道をよく通っていた。
この道をよく歩いていた。
ランドセルを背負って居た頃のことだ。懐かしいなと僕は思う。
そう、それはとても懐かしい、小学生の頃の記憶だ。
けれど、と思う。
ランドセル?
小学生?
……それは、何だっけ?
思い出そうとすると、黒い革の箱のようなものが思い浮かんだ。それにはベルトが二つ付いていて……そうだ、これがランドセル。
箱じゃなくて背負い鞄。かなり丈夫に作られた、けれど六年もすればぼろぼろになって、くたびれてしまう鞄だったっけ。
その中には本や筆記用具を入れていた。時々、両脇に付けられた金具に別の袋を紐で付けて、その袋ごと移動させたりもしたんだっけ。
でも、なんで六年なんだっけ……。
……そうだ、小学生、それが六年だからだ。
六歳からの六年間、通うことになる学び舎。
沢山の友達と先生と、広く囲われた狭い場所で、切磋琢磨をするように、色々な事を学ぶ場所。
それが小学校と呼ばれる施設で、小学生とはそこに通う生徒のことだ。
一度思い出せば後は早いもので、小学生がどんなものなのか、そして小学生だった頃の僕はどんな事をしていたのか、そんな様々な事が浮かんでくる。
そう。悪戯をして怒られたことがある。
そう。テストで満点を取って褒められたことがある。
そう。体育で怪我をして泣いたことがある。
そう。音楽で歌って笑いあったことがある。
そう。そこには沢山の友達がいた。
なんで僕は、そんな当然のことを忘れていたのだろう。
僕はそこで六年を過ごし、無事に卒業することができた。
更に大半の友達と一緒に同じ中学校へと進学した。
入学式は大変だった。全然着なれない学生服に困惑しつつ、首元が痛いなあとか窮屈だなとか、動き難いなあとか文句を言いつつ、僕は楽しんでいた。
心の底から楽しんでいた。
なんで僕は、こんな自然のことを忘れていたのだろう。
なんで僕は――
「カナエ?」
――ぐっ、と。
意識が引っ張られる。
「カナエ、どうしたの?」
僕は、あれ、と。
目を、覚ます。
そこは見知った、いつもの部屋。
僕の部屋……ベッドの上。
「大丈夫、ずいぶんとうなされていたようだけれど」
「……うん」
僕は答えて、ぐるりと周囲を眺めた。
木造住宅、二階建て。
二階に上がって一番手前の、少し広めの僕の部屋。
ベッドとテーブル、椅子から棚まで、全ては僕のお父さんが手造りをしてくれたもの。
窓から外を眺めて見れば、今日は快晴、朝日が差し込んでいた。
そして、僕に声をかけていたのは、僕のお母さん。
「おはよう、お母さん」
「ええ、おはよう。今日はお寝坊さんね」
「ごめん……」
「いいのよ。毎日は困るけれど、折角のあなたの誕生日くらい、ゆっくりとしなさいな」
お母さんは笑って僕の頭をなでてくれた。
心の底から、安らいでゆく。
そう。これは日常だ。
これが僕の日常だ。
「さてと。着替えたら朝御飯を食べにいらっしゃい。あなたの十一歳の誕生日のお祝いに、朝からごちそうを用意して待っているから」
「うん。ありがとう、お母さん」
「二度寝はしちゃだめよ」
なんて言って、お母さんは部屋から出て行き、扉を閉める。
「二度寝……か」
僕は何となく呟きながらも身体を起こし、ベッドから降りて棚へと向かう。
適当なシャツとズボンを手に取り、寝間着にしていたローブを脱いで、きちんとシャツとズボンを着用。
脱いだローブは裏返しておき、最後に鏡で自分の姿を見る。
我ながら寝癖が酷いなあ……洗面所でどうにかしよう。
扉に手をかけ部屋を出て、階段を下りて洗面所。
洗濯籠にはローブを入れて、水桶から少し水を拝借し、顔を洗うついでに髪を梳かす。
なかなか強情な寝癖ではあったけれど、とりあえず修正完了、とかしている間に、目も完全に醒めたのだった。
改めて鏡で、おかしなところはないかを確認。
髪の毛、寝癖無し、こげ茶色。
目周り、ごみ無し、こげ茶色。
肌、ちょっと薄めの肌色。
身長、目測だけど、百三十センチくらい。
…………。
「…………」
ズボンを広げて、下着の中身を確認。うん、ついてる。
けど……あれ?
僕ってこんな髪の色だっけ? いや、光の当たり具合が悪いのか?
目の色も何か違う気がするし、肌の色も心なしか全体的に薄くなってるような気がする。
それに身長は絶対に縮んでいる。僕はもともと身長がそれほど高くは無かったけど、それでも平均的にはあったのだ。具体的には百四十四センチくらい。
そもそも、顔が違う。これ僕じゃないよ、誰?
タレントさん?
なんか、ドラマに出てくる子役みたいな顔なんだけど。いや、顔のみならず全身がか。
それに、半分寝惚けてたからさらっと流したけど、今日は僕の誕生日らしい。
いや、それは良いのだ。いや全然良くないけど、それはまだ妥協できる。
けど、十一歳の誕生日、それがいただけない。
だって僕、少なくとも小学校は卒業したよ。皆で歌ったもん、旅立ちの日に。男子パート覚えるの、結構大変だったんだぞ。
なのにその先の記憶があいまいだ。中学校の入学式は……なんとなく覚えている。
威風堂々の流れる体育館を、見知った友達から初めましての同級生までと一緒にならんで歩いたのだ。
まあ、僕は特に成績が優秀だったわけではなかったから、入学生代表とかとは無縁だったけれど。
それでも、あの学生服のカラーが首に当たって痛いなあという感想は切実だった。『いつか慣れるよ』と、幼馴染の親友、よーすけは僕に苦笑しながら言ってたっけ。『ていうか、制服に着られてるよなあ、かなえは』とも。
ああ、なんだか色々と思いだしてきたぞ。
そうだ、僕はカナエ。渡来佳苗。
区立第七中学校、一年四組、出席番号三十三番。
お父さんはサラリーマン、お母さんはパートタイマー、僕は一人っ子につき兄弟はいないけど、鶴来洋輔とは家が隣で、カーテンを開けて居れば僕の部屋からよーすけの部屋が、逆によーすけの部屋からも僕の部屋の中が見えたし、普通に会話もできたから、全然寂しくはなかったんだよ。
僕の家とよーすけの家は昔から仲がよくって、どっちかの家の親が遅い時とかは、もう片方の家で面倒を見たり見てもらったりもよくしてたっけ。懐かしいなあ。
懐かしい……、なつかしいけど……。
おかしいな。
なのに、今の僕はカナエ・リバーなんだ。
カナエ・リバーとして、僕にはこの家で育った記憶がある。
道具屋さんのようなものを経営する母親と、大工さんをしている父親。僕の部屋にある家具のほとんどが、この家にある家具の殆どは、お父さんが自ら作ったものだ。
で、僕はお母さんのお手伝いをしたりしながら、この町ですくすくと育っている。
この町には子供が少なくて、僕と同年代の子は一人だけいたんだけど、三年前にはやり病で亡くなってしまい、僕はとても寂しくなったものだ。
うん……こっちは、すんなり思い出せる。カナエ・リバー、そう、鏡に映っている僕は、カナエ・リバーだ。間違いない。
じゃあ、渡来佳苗って僕の記憶は何だろう。いや、それは僕なのだ。
でも、カナエ・リバーが僕なんだよね……鏡に映ってるのも、カナエ・リバーだし、う、ううん……?
訳が分からない……。
そんなふうに鏡の前で唸っている時だった。
「カナエー、まだかかるのー?」
と、お母さんの声。
ああ、そうだ。朝御飯。御馳走だって言ってたな。
言われてみれば僕の好物、ベーコンの匂いがする。ああ、よだれが……。
「すぐ行くー!」
僕はとりあえず、朝食を優先する事にした。
腹が減ってはなんとやら。