血族/Red ver.〈The next target〉
※後半に補足、部分修正をしました。
人口受精させた二つの卵子にそれぞれ別の遺伝子を組み込ませ、同時に妊娠させた
人類史上初の遺伝子操作双生児
同じ姿にして、能力の違う遺伝子を持つ
一方は知性、第六感に長けた遺伝子を
一方は洞察力に長けた遺伝子を
こうして誕生した二つの命
彼らはレッドとブラッドと名付けられ、互いの存在を知ることは許されなかった
神の創造物でありながら、人為的に作り替えられたものの造形
生まれながらにして罪深き子、レッドとブラッド
――これを記したのはルパート・L・クリザリング。記述に示された双子の伯父、その人である――
「また外した……」
ここはとあるカジノバー。あと一つ絵を揃えられず、スロットマシンに舌打ちする女性の姿があった。紺色のワンピースに似た丸襟のドレストレンチを着て、付属のベルトを腰でリボン結びにしている。金髪の背中にまで届くロングヘアに、活発そうに生き生きと輝くブラウンの瞳と艶やかなピンク色の唇は、可憐かつ、か弱い人形のように繊細だ。
一見して美女。その横から覗き混む、革のジャケットにデニム姿の若い男性は恋人に見えるはずだ。
「何でタイミングを合わせないんだ?」
まるで出来て当然のことができなかったかのような口振りだった。男性のその少し意地悪な問い掛けに女性は皮肉を返す。
「ほどほどにしておかないと出入り禁止になるからね」
「ぎりぎりまでねばるつもりか?……勝負師だな」
男性は軽く笑った。それには悪戯な意味が込められていた。
女性の換金したコインは残り少ない枚数になっている。しかし、二人に焦りの色は見られなかった。それどころか、余裕すら感じさせる。
女性がコインをスロットに投入した。回転を始めると柄が一本の筋に見えてくる。時々見分けが付くが、視覚から動作へと脳が伝える信号は同時にはできない。そしてこのスロットマシン自体にも癖があったりするから厄介だ。
「早く押せよ」
意識を集中させ、なかなかボタンを押そうとしない女性を見て、逸る気持ちを抑えきれなくなった男性が急かす。女性は何も答えずにリズムの狂った不思議なタイミングでボタンを押した。
横一列にチェリーの絵が並んだ。それを見た男性の片方の口角が僅かに上がったが、二人は無言でとくに何の反応も示さない。
再び女性の手が動いた。一瞬と言っても良いだろう。彼女の視覚が動きを捕らえ、同時に手がタイミングを計ってボタンを押していた。
「またチェリーか?……もっと別のを狙えよ」
男性の脱力したもどかしそうなヤジが飛ぶ。適当にも見える動きで女性の手がボタンを押した。
中央、右端、左、左端、右――回転するバーが押した順に速度を緩めて行く。
揃った。横一列の王冠の絵。それを見た男性の瞳が輝いた。
「よ――しっ! いいぞ、次は7かBERだ!」
すっかり興奮した男性は急き立てるように叫んだが
「や〜めたっ」
「え? 何でやめちゃうんだよ!」
期待を裏切るような女性の言動に愕然となり、男性は情けない声をあげた。それを気遣うこともなく、弄ぶように女性は微笑する。その小悪魔的で小憎らしい笑みを見て、両掌を天井に向けてやれやれと嘆息を漏らす男性は、こんな彼女の気まぐれにも実は慣れていた。
「お次はどうします? エリン」
立ち上がった彼女のイスを引き、紳士の所作を真似て男性が言った。
「エリン……? まぁいっか」
疑問符を浮かべながらも納得した彼女の名は――エリンではなかったが、とりあえずそういうことにしておいた。
「ルーレットでもやる?」
「だめだ。それじゃ、ただの“ギャンブル”にしかならない」
彼女の提案に断固として彼は反対した。スロットをしておきながらよく言うなと思うかもしれないが、理由があるのだ。それはエリンに関係していた。
「酒でも飲むか」
フロアの中央に設けたカウンターには、白いウイングカラーのシャツに蝶ネクタイを締め、黒のベストを着た寡黙な男性バーテンダーが食器を磨いていた。客の一人が彼に向かって大袈裟な身振りで武勇伝を語っている。その横にいる男性は隣りの女性を熱心に口説いていた。
「やめとく。飲むと吐くから」
その光景を遠目に見ながら、エリンは怪訝そうに眉を寄せて首を横に振った。実際に吐くまで飲んだことはなかったが、まだ酒が美味しいと感じる域に達していない。あの苦みがどうしても好ましく思えなかった。
「じゃあ、ポーカーだな」
企むような笑みを浮かべ、男性がエリンの肩に手を置いた。カウンターの横を二人が通過する時、女性を口説いていたはずの男性がエリンに目移りしたのは、若い男性にありがちな性だろう。
「うっ……」
ウインクまでされて思わず顔を歪めるエリン。
「具合悪くなった……」
連れの男性もその様子を目撃するが、彼女を気遣うことなく笑った。
「そんな悪くなかったと思うけどな〜、結構ハンサムだったし」
語尾に嘲笑が混じっていた。
「やぁ、お譲ちゃん。随分とツキが回ってるみたいだな」
彼らの目の前にゼブラ・ブロンド(褐色混じりの金髪)の男性が現れた。光沢のある紫色のシャツ、黒いフェイクレザーのズボン、ポインテッドトゥの白い蛇皮の靴が妙にいやらしく、エリンは怪訝そうに眉を潜めた。
「うっ……相変わらず派手な奴」
趣味悪い……毒蛇か?
その顔に見覚えがあった。そして早急に立ち去りたかった。
「こんな所で何してる?」
威圧的に見下ろす彼の視線にエリンは顎を引いて目を逸らす。
災難だった――とは大袈裟だが、どうしてこうも自分の命運は平均して一定なのだろう。一日がラッキーだけで終わったためしがない。せっかく娯楽のひと時を謳歌し、快哉の一日を過ごせたと神に感謝するはずだったのに……台無しだ!
心の中でぶつくさ文句を言い、舌打ちするエリンであった。
「お子ちゃまは、さっさと家に帰ってねんねしな」
男性が詰め寄り、耳元で囁く。
「“イカサマ”なんだからよ」
「!?」
カチンときたエリンは絞め殺さんばかりの衝動に駆られる。拳を堅く握り締め、掌には爪が食い込んでいた。本来、穏和な性格の彼女は動く一歩手前で自己を抑制し、理性と狂気の葛藤を繰り返す。
腕力では敵わない。かといって……こんなに笑顔がムカつく奴はいない! 一発ぐらい“お見舞い”してやってもバチは当たらないはずだ。
エリンは彼ににじり寄った。
「何だ。やるか?」
彼からブルガリ・プールオムの香水が匂い立った。それは女を引き寄せるフェロモンのように空気中を彷徨する。大胸筋を覗かせるシャツの下で首にぶら下がる金色のチェーンネックレスは、盛りの付いた獰猛なドーベルマンに高級な首輪を嵌めてやったみたいだ。
彼の成す総てがいやらしかった。言動、服装、趣味、総てに嫌悪する。見ているだけでも不愉快だったが、黙ってこのまま帰るわけにはいかない――“イカサマ”だと言われたことだけはどうしても許すことができなかった。
「……っ」
殺気立つエリンの髪が文字通り逆立ちそうになる。連れの男性はその心中を察していた。
「帰ろうぜ……」
彼女を制するその声には疲れの色が混じっていた。気怠い表情からもすっかりさっきまでの熱が冷めてしまったと窺える。揉め事を起こすまいと彼女の肩に触れる手に、少しずつ力が加わっていった。
男性がエリンに歩み寄る。警戒したエリンは後退した。
「なかなか上手くなったな」
彼女の髪のフロント部分を掻き分け、額を覗かせる。
「ぅわっ!」
エリンは慌てて額を隠し、頭を押さえた。
「ふっ……」
男性は傾けるように顎を上げ、斜め上から蔑むように彼女を見下ろし、悪気たっぷりな笑みを見せた。
「だが、この程度じゃあバレバレだ。入口で止められなかったことは褒めてやるが、オレにはガキにしか見えない。もっと研究してオレにもバレないようにしろ。騙すなら、まずは“身内から”って言うしな」
「……!」
“身内”
こいつ〜〜っ!?
悔しさでエリンの眉間に皺が寄り、普段は決して見せないような形相になった。ふつふつと込み上げる怒り、簡単に見破られたことへの屈辱が、行き場のない感情の渦となって彼女の中に蓄積されて行く。自制という名の防波堤には既に大きな亀裂が生じていた。
こんな奴が……!
何よりも、思い返すことすら身震いする事実があった。それを知った時、耳は塞ぎ、目は覆いたくなるような極度の悪寒と拒絶反応が巻き起こった。しかし、その事実は永遠に変えられぬことだった。 『死ぬまで変わらない“刻印”』――とエリンは解釈する。
「家までちゃんと帰れるか? お兄さんが送ってあげまちょうか〜〜?」
どこまでもしつこい彼の挑発だった。完全にエリンを煽ることを楽しんでいるとしか思えない。
「っ……!?」
エリンは攻撃する代わりに鋭く彼を睨み返した。
「相手にするな」
連れの男性が嗜め、引きずるようにエリンを誘導した。
「偉そうにしやがって……」
引きずられながら遠ざかる男性に向かって
『ファック・ユー!』
立てた親指を首を刎ねるように横に引き、力を込めて垂直に下ろす――憎しみを込めた反撃のサインだ。(※絶対に真似してはいけません)
出口へ向かうにつれ、店内に流れるジャズのBGMも遠ざかる。ジャズピアノが短く上品にトリルした。サックスのビブラート、コントラバスの緩やかなベース音が混ざり合い――誘惑した。
「っっっ……」
その音を背に、込み上げる怒りを堪えながらエリンは肩を震わせていた。
二人は地下にあった店を出るとエレベーターで地上に上がり、屋外の駐車場へと向かった。
途中、エリンの怒りが爆発する。
ほんの息抜き程度に来ただけなのに。荒稼ぎしていたわけでもないのに。何で追い出されなきゃいけないんだ! 余計ストレスが溜まっただけじゃないか〜〜っっ!?
「あぁ〜〜くそ!」
一言では言い尽くしようのない憤りに、ただ一声上げ、頭をくしゃくしゃにするエリンだった。
「ははは」
連れの男性は乾いた笑い声で受け流す。
連れの男性が乗り付けてきた車の鍵を開けると、すぐさまエリンは後部座席に陣取った。
「やってらんないぜ!」
と勇ましい勢いで、髪を鷲掴みにむしり取る。と金髪の下からココア色の髪が現れた。
「そのメイクで外すと妙だぜ、“レッド”」
男性がバックミラーに目をやった。後部座席に腕をかけて車をバックさせ、ハンドルを素早く切り返しながら苦笑する。
「……」
むくれた表情で黙り込むのは――
エリンではなかった。金髪の女性を演じていた“レッド”という――少年だった。
地面を揺るがす唸るようなエンジンの低音を轟かせ、男性は豪快にジャガーを発進させた。
「思い出しただけで腹が立つ!」
触発されたようにレッドも唸る。
「そう熱くなるなよ。下手なジョークを言われたと思って聞き流してりゃいいんだ、あんなのは」
ハンドルを握る男性はあくまでも穏やかに嗜める。レッドとは同業者の彼はエリックといい、満十七歳のレイト・ティーンだ。五歳下のレッドのことは生まれたときからよく知っている。さっきの男性を毛嫌いする理由もだった。
「あんな奴が親戚だなんて……クリザリング家は呪われてるよ」
冗談とも本気ともとれる皮肉を吐くレッド。彼は頭を振りながら、後部座席の窓を数センチ開け、そこから流れ込む風で気を静めた。
直線道路に入るとエリックはギアをチェンジした。猛獣が荒い鼻息で威嚇するようにエンジン音を轟かせ、一気にジャガーは加速した。時速九十キロをメーターが振り切り、レッドの髪が一気に後ろに煽られる。エリックは気持ち良さそうに雄叫びを上げた。彼にこの道路は短かすぎる。アメリカのハイウェイぐらいないといけないなとレッドは思う。
高速の夜風に吹かれ、完全冷却された髪が落ちる間もなく、しきりに揺れていた。その下の肌も冷たくなってきたので、レッドはボタンを押して窓を閉めた。
先程衝突していた男性は彼らと同業者で、別の一家のボスの息子だ。そのファミリー(犯罪組織)は頭脳派で、詐欺師集団として地味に活動している。法をかい潜るためだけに法律を学び、政治家などの闇金を動かす橋渡し役として影に君臨し、活動は他犯罪組織との共存を図るため、制限していた。そのファミリーの中で彼はガンマン、詐欺師などのスカウトマンを任されていた。才知に恵まれず、銃の腕にも乏しい彼に唯一与えられた情けの役目と言ってもいいだろう。
しかし、それが功を奏したのか、彼が見付けてきた人材は優秀な人材ばかりだった。その彼が次なるターゲットに選んだのが“レッド”なのだ。
レッドより十歳以上も年上の青年――“ウォルター”、それが彼の名だった。 彼とレッドが出会ったのは、とあるバー……
<二年前>
エディンバラの町外れにある白塗りのプレハブ小屋に簡素な看板を下げただけの造り。その店の片隅で四角い木製のテーブルを囲んでトランプをする連中の姿があった。
「くっそ〜〜やられた!」
「まったく、お前は末恐ろしいガキだなぁ、レッド」
大の大人達が観念して唸り声を上げている。その中に一人の少年が混ざっていた。一見して普通の少年だったが、同席する大人達は柄が悪く、どこかうさん臭い連中ばかりだ。ベージュのテンガロンハットを被った男、葉巻を咥え、わいせつな英単語をプリントしたTシャツを着た男、無精髭を生やして黒いニット帽を被った男。配色こそ目立たなかったが、そこだけ異質で近寄りがたいオーラのようなものを発している。
「いらっしゃいませ」
ドアベルの鳴る音が店内に響き、一人の客が訪れた。赤いシャツにジーンズ姿の若い男性だった。
髭面のマスターのよそ者を訝るような眼差しが光る。男性はわざとらしく金色の髪を掻き上げ、左手首に填めたゴールド加工の時計を閃かせた。
『金ならあるぞ』
の主張だった。
「ふん」
マスターは鼻を鳴らし、彼から目線を外す。男性はカウンターの空席に腰を下ろし、ダイキリを注文した。店内には聞いたこともないBGMが流れていた。
ウクレレに似たエレキギターの軽快な旋律に乗って男性がコミカルに歌っている賑やかな歌だ。
「兄ちゃん!」
突然、テンガロンハットを被った男性が彼に声をかけた。手招きされ、仕方なく若い男性――青年は席を立つ。
「そいつを後ろから見張っててくんねぇか。もし、小細工でもしたらすぐに教えろよ」
わけも分からず少年の後ろに立たされる。同席の大人達の表情は真剣だった。子供相手に何をそんなに向きになる必要があるのかと半ば呆れる。
しかし、不可思議な現象を次々と目の当たりにした。
「おい、兄ちゃん。ちゃんと見てたか!?」
「あ、ああ……」
少年は延々とゲームに勝ち続けたのである。何度見ても細工らしき疑いは確認できなかった。まるで機械のように、数学の公式を解くように、相手が出す手札が何であるかを導き出しているようだった。その的中率は相手が負けを重ねるごとに上がっていく。
――読心術ができるのか?……
青年はそんなことを思ったりもしたが、予想するにもトランプでは種類が多いため、特定しずらい。訝りながらテーブルの下を覗いてみるが、隠しミラーなどの細工などはいっさい見られず
「何してるの? お兄さん」
と無邪気な笑顔を返されるだけだった。
この出来事は青年“ウォルター”の脳裏に強烈に焼き付いた。少年“レッド”の持つ未知なる能力と可能性に彼は完全に魅せられてしまったのである。
一方、当人のレッドはというと、この時の記憶は極めて薄かった。青年がどんな顔をしていたのかも全く気にも止めておらず、思い起こすことすらなくなっていった。
それから約一年半が経過した頃……
「主よ。どうか我が身をお守りください」
ロザリオを首に吊るし、アジトの一室に設けた祈祷台の上に手を組み合わせてそう呟き、十字を切る。父親のカドマスは敬虔な信者でもないのに縁起を担ぐためか、日曜は決まってそのように形だけの祈りを捧げていた。
神様も大変だ。犯罪に手を染めた人間の願いまで聞かなきゃならないなんて……
祈祷する父の傍らで同じく形だけの祈りを捧げながら、レッドは心の中で皮肉った。
イギリスに拠点を置くマフィアやギャングに混じって、ウルフガング一家は存在している。レッドの父親はそのボスだ。半年ほど前、前ボスを務めていた祖父のアーロンが持病の心不全を患って他界してから、遺言に従って後任したのである。
「レッド、お前は変装を覚えたほうがいいな。この業界の人間としては特徴のない顔のほうが目立たなくて良かったが、お前の顔は一目を引くかもしれん」
「変装ね……」
レッドは意外とそれに興味を持ったのだが、彼の想像とは違っていた。
「お前はまだ小柄だし、そうだなぁ……女装するのがいいだろう」
「女装?」
驚いたというよりレッドは唖然とした。
「やり方は “エイブ” に教わるといい」
エイブというのはウルフガング一家の一員で、元特種メイクアーティストの男性だ。彼の手に掛かれば人間を類人猿に、男性を老婆に変えることだって可能だ。
「なかなか面白そうだね」
行動範囲が広がるな。
あれこれ企みながら、一人ほくそ笑むレッドだった。
この後レッドは射撃の練習をする予定だった。珍しく父に先導され、屋内に設けた射撃場へと向かう。
ウルフガング一家の人間はあまりそこで練習はしないのだが、時々誰となく試し撃ちに利用していた。
レッドは武器庫から32口径の軽量な拳銃を持ち出し、ショルダーホルスターに収めた。
「銃の扱いには、もうなれたのか?」
「まぁ、的に当てるぐらいはね」
「そうか」
父親は何か含むようにそう頷くと言葉を紡いだ。
「場合によっては、人間のほうが当てやすいかもしれん。動くといってもたかが知れている」
それは自分の動体視力が優れていると言いたいのか。人間程度の動きなら見切れるという見栄のようにも聞こえる。そんな風に感じてしまうのは、破顔した彼の薄茶色の瞳が偽物の光沢を発しているからかもしれない。そうやっていつも強がって来たのかな、ボスとして。ブラッドは冷ややかにそう分析した。
射撃場の重厚な鉄扉を開けると銃声がした。どうやら先客がいたらしい。端寄りのコースに長身の男性の後ろ姿があった。彼はリボルバーの輪胴式弾倉を回転させて弾を装填し、的に向けてトリガーを引いた。
それは見事に的の中央付近に命中した。
「へぇ〜〜やるじゃないか」
一目でレッドは興味を持った。その男性の鮮やかな射撃は
照準器を覗く――狙いを定める――撃つ――をほぼ同時、もしくは身体に染み付いた感覚で行っていた。レッドはその優れた技術と自分の持つ三感(見る、判断する、動く)同時起動能力という特種能力とを重ね、彼に親近感を覚えていた。
「あれは狙撃者だ。お前の射撃のコーチをしてもらうことにした」
値踏みするような目で男性を見やりながら父が言った。
「へぇ〜〜、狙撃者か。結構、報酬が高そうな人をコーチに選んだね?」
「まぁな……だが、お前に早く一人前になってもらうためだ」
苦笑が混じるその根底には、ボスを任された責任感への重圧に押しつぶされそうな現状から、早く抜け出したいという心理があった。
彼は臆病になっていた。頂点に立つものは狙われる――そのことに苛まれ続けていたのだ。早く世代交代をしなければならない。息子のレッドには才能がある。早く一人前に育て上げ、この座を譲らねば……
この真意を誰も知らなかった。彼は延々と頂点に君臨するべくボスとして、威厳をふりまかなければならない。それを悟られぬうちに……
逸る気持ちを包み隠し、その真意は固いプライドという甲羅に覆われた胸中の奥に満ちていた。
「彼はフリーの狙撃者で、コードネームは羽音を意味する“Wings”だ」
「羽音?」
「虫の羽音のように静かな犯行――そこから付けたネームらしい」
「それならなんで“Boom”にしなかったの?」
羽音は英語で“Boom”なのに、とレッドは腑に落ちない表情で小首を傾げる。
「さぁな、自分で聞け」とそっけなく返して父親は息子に向けた視線をスナイパーに戻した。
「技術者としては申し分ないはずだ」
「そうだね」
同意してレッドは含むように微笑した。それに、と続ける。
「男女種別問わず、美しいものは好きだよ」
十一歳の少年にはそぐわない、濃厚な視線でスナイパーを眺めながら
「“Wings”か……気に入った」
念願の商品を手に入れたかのように、満足気に眼を細めて悦に入る。
「私は用事があるから、港に行く」
そう言って父は射撃場から出て行った。
港で……行き先を明確に言わなかったが、おそらくコカインや麻薬などの密売取引か、女にでも会うのだろうとレッドは予想した。
一家に女の影はない。この仕事に女は邪魔だと先代が偏見を持っていたからだ。レッドの父親はそれに対し疑問を感じることも、反論することもなかった。彼は仕事と女遊びを分けている。行く先々で違う女と関係を持つ――それが自分にも相手にも都合がいい。そういう後腐れない女しか抱かないし、そういう人間とは匂いで分かるものだ。見返りを気にせず、欲望のままに快楽を貪る。それは獣の発するムスクに似ていた。媚びることのない誘惑、残り香を残さない官能的なロマンス。
いずれ歳をとれば、自分もああなるだろうとレッドは思う。
「ハロー」
レッドは好感的な笑みを浮かべながら、射撃をしている男性に近付いた。
「……」
男性は振り向き、握っていたリボルバーをホルスターに収めた。銀色のフレームに黒の銃把が特徴のそれはS&W60(スミス・アンド・ウェッソン)だ。
「僕はレッド。射撃のコーチをよろしくお願いします。ミスター・ウイングス」
「はじめまして」
握手をしてみると“ウイングス”の掌はゴツゴツしたものではなく、傷も見当たらなかった。
これが狙撃者の手?
見れば見るほどその外見からは想像し難い。指が長く、ピアニストのそれにも見紛うほどだ。
それだけではなかった。彼の容姿その物が別格なのだ。筋肉質ではあるが、すらりと伸びた長身、金糸のような光沢のある柔らかなハニーブロンド、それとは逆に氷上を思わせる清涼なグレーの瞳の陰影。それはまさに光と影の見事な調和と言えるだろう。
「では、始めよう」
ウイングスが横に退き、レッドが的の正面に立つ。するとウイングスがある物をレッドに差し出した。
「リボルバー? 僕にこれを使えって!?」
ただただ戸惑うレッドだった。彼が練習用に使っているのは小口径の自動式拳銃だ。反動が小さく、的を捕らえやすいので気に入っていた。その彼が、この重くて狂犬のように暴れて危険だと、父に聞かされていたマグナム使用のリボルバーを、使いこなせるわけがない。実戦に利用できないような物を何故、練習用に使えと言うのか訳が分からなかった。 レッドは納得いかない表情でウイングス(コーチ)を見るが
「ここにそれしかなかったと思え」
と冷淡な言葉が返って来た。
「むちゃくちゃだな……」
もう一度ウイングスを見ると、彼は眉一つ動かさず、けっして険しい表情ではなかったが
『やれ』
目がそう言っていた。
「分かったよ〜〜やればいいんでしょ……」
レッドは観念してリボルバーの残弾数を確認した。
「弾は三発入れてある。全部撃ってもいいが、一発は的に当てろ」
「……っ」
思わずレッドは顔を歪ませた。反動さえなければ当てる自信はあったが、何しろ馴染みのない型だ。だから――『リボルバーは不得手だ。使いたくない』――と言ったらどうなるだろう……
「反動は少し大きいが、そのうち慣れるだろう。まずは撃ってみろ」
美しい狙撃者はレッドにその拒否権を与えてくれそうもない。
「……」
『沈黙』に『直視』という重圧で攻めてきた。
一発当てればいいんだろ?
「……っ!」
レッドはトリガーに指を掛けた。ダブルアクション式のやり方だ。慣れないせいもあるが狂犬リボルバー(レッド命名)のトリガーは堅かった。それを思い切り引いて銃鉄を起こす。輪胴が回転し、発射位置に弾が移動……
発砲した。
「っ!」
狂犬の名のごとく、飼い主(射主)の手から飛び上がりそうになる。レッドはそれを落とさぬよう、しっかりとグリップを握り締めていた。
「ちっ!」
弾は隣りのコースとの間隙をすり抜け、奥の闇に吸い込まれて行った。
「……」
ウイングスは無発言だった。
アドバイスもなしか?
感情を全く表に出さないウイングスのその沈黙が嫌だった。
才能のある奴はどこか癖のあるもの……かな? とレッドは強引に自分を納得させ、再度銃を構えた。
また暴れるんだろ、こいつ?
本来の力を発揮できないのがもどかしかったが、できないことが逆に彼の闘争心を掻き立てる。
“狂犬くん”を手懐けてやろうじゃないか……
ここからサイトで真正面を狙って撃ち、その反動で銃身が5センチほどぶれた。的からⅠメートル近く外れ、そのぶれを調整すると……
右手で顎を摘み、左手を反対側の腰に回す――レッドが考えごとをする時の癖だった。
「よし、この位置だ!」
レッドは決意を固めると移動した。先程より腰を落とし、やや左寄り斜めに身体を傾け銃を構えた。
すぐにズドン! とは行かなかった。前回よりも慎重になる。
照準器で的の中央地点を捕えると同時にトリガーが引かれた。
「良い姿勢だ」
言葉少ないウイングスの初めての賛辞か(?)
「何で……?」
しかし、惜しくもまた的を外してしまったレッドは頭を抱えて苦悩する。
「うまく距離を狭めたな。短時間でよくやった。だが――“計算通り”に動くのは難しいだろ?」
ウイングスが微笑した。それは木漏れ日のように柔らかな笑みだったが、レッドは顔をしかめて長身の彼を下から睨み返す。
「痛いのか?」
レッドが無意識に触れていた親指にウイングスは目線を落とした。
「……別に」
「貸せ」
やせ我慢するレッドの手からウイングスがリボルバーを奪い取った。
「あっ?……」
その鮮やかな手捌きに成す術もなく、唖然とするレッド。
「見てろ」
そう言い、ウイングスがリボルバーの銃口を的に向けた。
「的の位置は照準器のど真ん中だ。リボルバー(こいつ)は発射時、上に跳ね上がる。その位置を計算して撃つのも一つの方法だろう。だが、持ち方を替えればぶれにくくなる。銃把の上部をしっかり握り――撃つ」
トリガーが引かれ、秒遅れで弾が飛び出した。
「……」
口を半開きにしたまま、レッドはそれを目で追いかける。
弾は的の中央付近の渦に吸い込まれて行った。
「……当たった」
呆気に取られるレッドだったが
「今日はこれで終わりだ。来週、オレが来る時まで、その手を休めておけ」
「もう終わり? やっとこつを教えてもらったのに〜〜」
嫌だったはずなのに、急にやる気が沸いて来たレッドであった。
「その手が腱鞘炎にでもなったら練習どころじゃなくなる」
消炎器の冷め具合を確かめてから、リボルバーをホルスターに収めるウイングス。レッドは彼を引き止めたかったが
「オレはスパルタをしに来たわけじゃない。――その手を大事にしろ」
最後の一言に、『こいつ、優しいのか冷たいのか分からない』……と困惑するレッドだった。
さっさと射撃場を出て行こうとするウイングスをレッドは追いかける。ウイングスは足が長く歩幅が広いので、レッドは軽く小走りした。
「ねぇ、“コーチ”」
ウイングスが立ち止まって振り返る。
「フリーの狙撃者だって聞いたけど、どこにも所属してないってこと?」
「そうだ」
「あれだけの腕があるなら、どこかに入ればいいのに……宝の持ち腐れだなぁ」
コーチとしてだけでなく、ファミリーの護身用として是非ともウルフガング(うち)に来てほしいものだ、とレッドは思った。
「うちに来れば? 僕が推薦するよ」
ウルフガング一家に所属する人物は皆、“元○○”という肩書きを持っている。その中に“元陸軍出身”で自称ウルフガングの狙撃者担当の男がいるが……
アル中だ。それに歳もかなり行っていて、いつ死んでもおかしくない。全く頼りにならない存在だ。
「考えておいてほしいな」
レッドはあえて控え目に頼んでみた。とりあえず最初は耳に入れておく程度でいい。徐々に好条件を出して、引き寄せるつもりだった。
ウイングスが床に視線を落とす。密集した長い睫毛が、下瞼に影を落とした。
「この仕事はもう引退するんだ」
「え……?」
「オレはある目的のためにこの仕事を始めた。その目的がもうすぐ達成する」
「目的って何?」
「それは言えない」
「……」
錠前が下ろされた。他人からの一切の介入を遮断する見えない鉄格子が、ウイングスの私情を完全に保護していた。
美しいこの狙撃者には冷静さと、どこか“哀しい色”がある。彼の言う目的となにか関係があるのかもしれない。
それは犯罪者の目に宿る腐敗した色ではなく
『純粋な悪の結晶』
そんな色だった。
ウイングス
何を“隠してる”……?
ウイングスがコーチの狙撃教習はその後も何度か行われた。
「飲み込みが早いな。もう教えることはない」
そう言われるのに一月とかからなかった。
レッドにとってウイングスの射撃は理想だった。芸術の域に達しているとさえ思った。レッドはそれを自分のものにしようとした。ウイングスの姿勢、銃の持ち方を特技であるあの特殊能力を使って、まるでコピーしたように自分の身体に技術として取り込んだ。
「目的はもう達成したの?」
既に技術を手に入れたレッドは余裕の笑みを浮かべて尋ねた。
「いや、もうすぐだ」
ウイングスも笑みを返す。
それは互いに別の思考を抱きながら、対立するような笑みだった。
ウイングスという射撃のコーチがいなくなってから、レッドは自動式拳銃しか使わなくなった。時々反動で体が吹っ飛びそうになるような威力を持つ銃器ををいじっていると
「お前に必要なのは威力のある銃ではない。技術を磨け!」と父に叱られた。レッドはそんな父を見ているとおかしかった。
『パパ、何をそんなに 焦っているの?』
心の中で、そう呟く……
「これで撃てば、あの狙撃者にも勝てるかな……」
レッドはアジトの武器庫に置いてあった自動式拳銃――デザートイーグルを手に取り、独語した。番犬を撫でる飼い主のように“それ”を視線で撫で回す。
あいつのWings(翼)をこれで……
撃ち落とせるかな?
「ふふ……」
レッドはじっくりと思考の中で味わいながら、薄っすらと笑みを浮かべた。
彼はウイングスの技術を模写した。だが、あの才能が妬ましい。ウイングスはレッドの技術を認めたが、レッドには満足していなかった。自分は彼の真似をしているだけにしか思えなかったのだ。
ここにいてくれたら許してあげたのに……
その妬みは憎悪に変わりつつあった。
「ここにいたか」
父の声がしてレッドは振り向いた。何やら良い知らせでも持ってきたのか、口の端から笑みが零れていた。
「ロンドンに行って来い」
「ロンドン?」
改めて行く様な所なのか と思い、レッドは問い返す。
「面白いものが見られるぞ……」
父は不気味な眼をしてそう答えた。
レッドは生まれてからずっとウルフガング一家にいた。自分の境遇というものに苛むようなことは一切無かった。母親はいなくともここまで育った。これが馴染みの、彼にとっては安住の地だ。そう思っていた……
「お前と同じ姿の遺伝子操作双子がロンドンに住んでいる。そいつを捕まえろ」
自分のこの特殊能力が遺伝子操作によるものだということは聞かされていた。それを誇らしいとさえ思った。普通の人間を睥睨することができる、そんな気がしたからだ。それが……もとは同じ遺伝子を持つ双子となりえた人間が、一般社会という平穏な世界の中で暮らしていると言う。
自分だけが悪に染められ……
『二つの能力を一つの力にするんだレッド。彼とお前は二つで完成形なんだ』
父が言ったその言葉は暗示のようだった。
レッドはその暗示にはかからなかったが
“利用してやる”――そう決めた。同じ濁ったどす黒い闇世界に住まわせる。彼だけに平穏な暮らしを与えはしない。必ずそれを壊してやると……
薄く灰色を帯びた空が驟雨の前触れのような肌寒い午後の日、十二歳になったレッドはロンドンの地に降り立った。この時、父の言っていたあの“少年”がここを訪れることは調べ済みだった。
「来たぞ」
男がそう告げた。彼に追跡させていたのである。レッドがチップを渡し、彼は鼠のように素早い動きでどこかへ消えた。
レッドは通行人を装った。完全に景色の中に溶け込む。不自然さは全く感じられないだろう――“普通の人間”の目には……
レッドは石畳を歩き出した。反対方向から来る人の中に……
見付けたよ
僕の――“分身”
『ブラッド・クリザリング』
レッドは微笑した。左指で顎を摘み、右手を反対側の腰に回す。値踏みするような目で、“少年“を見詰めた。
「……」
「……!?」
それに気付いた“少年”の表情は蒼白した。それは決して見てはならないものを見てしまったかのように絶望的な色。
“少年”は背を向けて駆け出した。
逃げちゃった……
レッドは愉快気に笑みを零し、その後ろ姿を目で追うように眺めていた……
もちろん続きがありますから、 『途中で終わってる』 なんて言わないでくださいね(汗
次回、第三弾で対決するのは……!?