002
グツグツと釜の中身が煮えたぎる。
そこに、ミコトは視線を集中させる。
「あの、お客さんって言っても誰もいませんけど」
芽吹が話しかけると、ミコトは人差し指を口に当てた。
静かな空気が店内を流れる。
釜の中の緑の液体が、よりいっそう激しく煮えたぎる。その時。
「ここかしら。随分と時間がかかったわね」
釜の中から羽の生えた、可愛らしい女の子が飛び出して来た。
その羽は濡れている。
芽吹は思わず周囲を見渡した。
「今どこから……?」
「どこからって、そこに決まってるじゃない」
そう言って釜を指差す。
顔に似合わず、勝ち気な雰囲気が漂っている。
「へっ!?釜」
驚く芽吹を尻目に、ミコトと少女は話しだす。
「あたし、セシルって言うんだけど、この羽!これが破れちゃって困ってるのよね」
ミコトが真剣に頷いている。
「確かにこの破れかたは酷いですね。これでは上手く飛べないでしょう?」
「その通りなのよ、飛んだと思ったらすぐ落ちちゃって」
セシルは声を一際大きく話す。
「では代用できるものを今すぐ、探しますね」
そう言うとミコトは目を瞑った。
ミコトの額にシャボン玉のように丸い光が現れる。
そこには、どこかの体育館のような映像が映っていた。そして、透き通るように青い布。
「これで代用できるようですね」
「助かるわ。じゃあ早いとこ持ってきてくれない?」
「お任せください、それでは芽吹くん。今映し出した場所まで行ってきてください。貴方はこの場所をよく知っている筈です」
「え、?!」
芽吹は今、見た光景が信じられなかった。
目を三度擦って見たが、目の前には羽の生えた少女とミコトが当たり前のように存在している。
これら全ては夢ではない。
そう知覚することで精一杯だった。
戸惑う芽吹に痺れを切らしたセシルは、ふらふらと力なく飛び背中を押した。
「早く行ってきてね」
押された芽吹は店内から追い出される形となった。
歩きながらミコトが映した不思議な映像を反芻する。「あれ?あそこはまさか」
確かに見覚えがあった。
歩く速度を早める芽吹。
ついたのは普段、通っている高校だった。
足早に体育館に向かい併設された準備室の戸を開ける。
「あった。これだ」
そこには秋の体育祭で使った、透き通るような青い布があった。
それを手にとる。
「それにしても、何でこれが必要なんだ?」
体育館はいつもより静まりかえっている。
その静けさが心細さを煽る。芽吹は布を抱え足早に体育館を跡にした。
魔法堂についた時、芽吹は心底ほっとした。歩いている間、気味の悪い気配が背中に張り付いている気がしたからだ。
「ミコトさん、これでOKですか」
「バッチリです。では早速はじめましょうか」
ミコトは布の一部をハサミで切り取り、セシルの羽に当てる。
そして、なにやら呪文のような言葉を唱える。
「・・・ ―――――」
その言葉を聞き取るのは容易ではない。
みるみる羽と布が同化し、破れている羽が修復され輝きを取り戻している。
「これで、飛べるわ」
部屋中を軽やかに飛び回る。
「じゃあ、あたしはそろそろ元の世界に戻るわ」
ミコトは頷き言った。
「お大事に。また何かありましたら当店に是非」
セシルが釜の中へ飛びこもうとした時、振り向き二人を見た。
「そういえば、あっちの世界の汚染が酷いのよ。またすぐ、世話になるかもしれないわ」
そう言うと、あっという間に釜の中へ消えてしまった。
セシルを見送ったミコトは首を傾げる。
「今の言葉気になりますね。あっちの世界では、この世界とは違って汚染とは無縁のはずなのに」
♦♦♦
午後八時。
ミコト魔法堂の前には『close』の文字が掲げられた。




