ぼくのかんがえたさいきょうのプリキュア 浦木 英智
ぼくのかんがえたさいきょうのプリキュア
浦木 英智
あのときの光景を思い出すだけで、まだ体がぶるっと震える。私はただ、膝を抱えて薄暗い部屋を眺めていた。それが私の、不安と恐怖から心を守るための方法だった。
「メイ、大丈夫ですか? とっても元気がないように見えるのです」
スピカが不安そうに私の顔を覗き込む。私は、ぎこちなく笑顔を作って「うん、大丈夫だよ」と答えた。我ながら虚勢がにじみ出ていると思う。
「まさか、敵があんなパワーアップをしてくるなんて、思わなかったのです。でも、プリキュアは伝説の戦士だから、きっと大丈夫だと思うのです」
吸血鬼が作り出す悪意の塊、「メイワーク」。ただでさえ凶暴な怪物なのに、「サイヤーク」という更に強い怪物に進化することが分かった。その圧倒的な力に、私たちは手も足も出なかった。
「でも、『ミライ』取られちゃったね。ごめんね」
人々の夢見る力、希望を信じる力が結晶化したものが「ミライ」だ。奇跡を起こす力があるといわれている。
「それは確かに残念だったですけど、それより、メイとリオが無事だったのが何よりなのです」
吸血鬼に破壊された妖精の世界、「エトワール」を復活させるためには、「ミライ」の奇跡の力が必要で、スピカは「ミライ」を集めるために一人で人間界へやってきた。しかし今まで集めた「ミライ」も敵の吸血鬼に奪われてしまった。
「優しいね、スピカは」
小さな体に、勇気も優しさも併せ持っている。スピカはなんて強い子なんだ、と思う。
そのとき、階段を騒がしく登る音が聞こえたかと思うと、私の部屋の扉が騒がしく開き、騒がしい友人が姿を現した。
「メイ! 起きてるかいっ?」
「……チャイムくらい鳴らしなよ、リオ」
今日もリオのおかげで、落ち込んでる暇なんてなさそうだ。
第十四話「変身できない? プリキュア最大の危機です!」
南条 瞭は、私こと早乙女 明の幼馴染だ。いや正確には、五年程丸々会っていなかったから、ブランク付き幼馴染だ。小学生のとき別の町に引っ越して、再びの引っ越しでこの町に戻って来ることができた。リオとは久し振りの再開だったけれど、お互いにすぐ分かった。そして私たちは、以前よりももっと仲良しになった。
「……なぜ、こんなことに」
リオの持参したDVDを見ていた。「劇場版だよ!」とは彼女の談だ。「落ち込んだときは、もっときちんと落ち込んでおきたいんだけど」と言おうとしたが、楽しそうに目を輝かせて画面を見つめるリオを見ると、そんな言葉は出てこないのだった。
「変身! ガッシィーン!」
画面の中では、魔物の力をその身に宿すヒーローが、世界の滅亡を企む悪の軍団と戦っていた。魔物の力を使うことで、ヒーローは絶大な力を引き出し、人々を守る。しかしそうすることで、ヒーロー自身の体は魔物の力に侵食されていく。やがてヒーローも人ならざるものになる。魔物とそう変わらない存在になる。それが分かっていても、ヒーローは戦うことをやめない。今日も人々を守り続けるのだ。
「『愛がこの身にある限り、恐いものなど何も無い!』」
私には男の子みたいな趣味はないけれど、嬉しそうなリオと、その解説付きで見れば、悪くないと感じられる程度には、楽しかった。
物語はやがて終末に向かう。ひとまず危機は去ったが、ヒーローの戦いの日々はまだ終わったわけではない。ヒーローの孤独な戦いは……いや、ヒーローの傍らには、いつのまにか仲間がいた。魔物の力は無くても、ヒーローを支え助けようとする仲間がいた。そしてヒーローは気付く、仲間がいるから自分は戦っていけるのだと。
「ああ、楽しかった。メイもそうでしょ?」
「うん……どうだろう」
「じゃあもう一回見る? また解説するよ」
「いい、いいよ! 一回で十分だよ!」
慌てて言うと、リオは笑った。
「なんだ、元気みたいで、安心した」
「だから別に、落ち込んでたわけじゃないってば」
そう言って私はまた、ぎこちなく笑うのだった。
「リオ、ありがとうなのです」
嵐のように去ろうとするリオの背中に、スピカはそう言った。
「なんとなく、リオの気持ちは伝わったと思うです。なんとなくですけど」
リオは、少しだけ笑って「メイをよろしくね、スピカ」と言った。それから私の方を見て、今度はポーズを決めながら言った。
「男はいつ死ぬか分からない。パンツだけは一張羅を履いておけっ!」
そのとき、確かに時間は停止したのだと思う。しかしリオは気にした様子もなく、「また来るよ」と言って去っていった。
「……男じゃないし、意味分かんないし」
「リオの言いたいこと、分かった気がするです」
「本当に? すごいね」
「よく分からないけど、分かったのです」
それからスピカは私に向かって言った。
「メイ、どこかに出かけようなのです。星は、太陽の光に当たらないと、輝けないのですよ!」
高台から見る景色が好きだった。町が見渡せて、私の家もリオの家も見えて、学校も見えて、大きな川が見えて、地平線の端っこには海が見える。あるいは、この景色を守るために、私は戦っているのかもしれない。
「もっと高くて遠くにあると思ってたんだけどな」
「ここは、十分高いと思うのです」
スピカが不思議そうな顔をする。
「そういう意味じゃないよ。……小さい頃にね、リオと一緒に二人だけで、ここまで来たんだ。大冒険だった。とっても疲れたし、とっても大変だった。でも、そのときここから見た景色は、きっと今まで見た景色の中で一番キレイだったと思う」
風が吹き抜けて、汗に濡れた体を冷やした。自分たちは、凄いことをやり遂げたのだと思った。ここは空に手が届く場所なのだと思った。あの日見た景色は、きっときらきらしていた。
今、この景色がきらきらしていないのは、きっと私自身に原因がある、と思う。
「スピカ、『メイワーク』がもっと強くなったのは、どうしてか分かる?」
だから今は、ともかく前に進むしかない、と思う。
「……きっと、『ミライ』の力を使っていると思うのです。大いなる奇跡の力を悪いことに使うなんて、許せないのです」
「吸血鬼の人が『ミライ』を集めてるのは、『サイヤーク』を生み出すためなの?」
「スピカが思うには、敵にはもっと別の目的があるように思えるです。奇跡の力を使えば、もっと大きなこともできるのです」
「じゃあ、私たちが『サイヤーク』に勝つためには、どうしたらいいの?」
「簡単です。プリキュアもパワーアップすればいいです」
「パワーアップするためには、どうしたらいいの?」
「体を強くすればいいと思うです」
「体を強くするには?」
「たくさん食べて、よく寝るといいです」
「スピカ」
「何です?」
「今すぐにパワーアップする方法はないってこと?」
「その通りです」
私は、ため息をつく。現状を打破することはできなそうだ。
空が急に曇ってきた。黒い雲が町を中心に広がっている。
「なんだか、おかしな天気だね」
雲はやがて渦を巻き、町の中心を目指すように沈んでいく。
「あの雲、とっても嫌な感じがするのです。……きっと、吸血鬼の雲です!」
どきっとした。そして同時に、今の状態の私に、果たして戦うことができるだろうかと、不安になる。
「メイ、すぐに行こうなのです!」
「う……うん、わかった!」
私が自転車に乗ると、スピカがかごに飛び込んだ。
「しっかりつかまっててね、スピカ」
腰を浮かせて、強くペダルを踏む。来るときは自転車を押して上った坂を、今度は滑るように一気に下る。自転車はどんどん加速して、後ろに景色が流れていく。
ハンドルを握りながら、私は思う。あの日、高台から町を見下ろしていた私たちは、その後どうやって家に帰ったのだったか。体力を使い切って、二人でうとうととしてしまって、気が付くともう日は沈んでいて、きっと二人とも泣き出す寸前で、どんどん辺りは暗くなっていって……。
思い返している時間は一分程度だっただろうか。長い下り坂は、町に繋がる大通りと合流した。黒い雲がさっきよりもずっと近くに見える。
「急ごうなのです! メイ」
「うん!」
私はもう一度、ペダルを踏む足に力を込めた。
吸血鬼が空中で高笑いしているのが見えた。
「さあ、メイワーク! 破壊の限りを尽くせ! 人間どもに迷惑をかけるのだ!」
怪物は地面が震えるような低い声で鳴き、あたりの街路樹をなぎ倒し、信号や道路標識も壊し始めた。
「やめるのです!」
「や、やめなさいっ!」
吸血鬼はこちらを向いて、嬉しそうに笑った。
「来たな、プリキュア。今日こそはお前にとどめをさしてやる! この、より強くなったサイヤークでな!」
吸血鬼が右手を上げる。その手には、奪われた「ミライ」があった。
「悪に染まった闇の力に目覚めろ!」
怪物がもう一度鳴く。怪物の体は一回り更に大きくなり、見た目もより禍々しいものに変貌した。
「ひっ」
思わず息を飲んだ。ぞくぞくと全身が総毛立つような感覚があった。大きくて凶暴で……怖い。
「ごめん、遅くなった!」
「……リオ」
リオの登場に、吸血鬼は、もう一度嬉しそうに笑った。
「丁度いい、二人まとめて始末してくれる! 行け、サイヤーク!」
怪物がこちらに向かって歩を進める。
「メイ、リオ、変身するです!」
「わかった!」
「う、うん」
変身することにどこか躊躇している自分に気付いた。でも、私がやらなくちゃ。変身しなきゃ。戦って、みんなを守らなきゃ。大丈夫、きっとできる。だから……。
「プリキュア・リインカネーション!」
「戦場に響く乙女の歌、キュアワルキューレ!」
リオは白く輝く戦士に変身していた。しかし、私は……。
「メイ……どうして、変身してないんだ?」
リオが信じられないものを見るような目で、こちらを見ていた。
「どうしよう、変身……できないよ」
膝はがくがくと震えていた。奥歯がかちかちと音を立てていた。
「そんな! どうしてですか?」
「わかんないよ……こんなこと、今までなかったのに」
変身アイテムの「ウィッシュコネクト」を強く握りしめる。しかし手元のそれからは何の返答もない。
「メイ、逃げるんだ」
「え……」
リオの目は、サイヤークを見ていた。一人では敵わない相手だということぐらい、彼女も理解しているはずだ。
「でも……」
「大丈夫」
私の言葉を遮るようにリオは言った。そして次の瞬間、地面を蹴って跳んだ。
光の尾を引きながら、真っ直ぐにサイヤークに向かって飛んでいく。それはまるで、流れ星のようだった。
「だあああああっ! ヒーローパンチ!」
大きな衝撃音のあと、サイヤークの体が大きく傾く。
「やったです!」
「……すごい」
リオはすかさずサイヤークの体を蹴って上に跳んだ。
「逃がさない! ヒーローキック!」
しかしサイヤークはそのまま体をひねると、触手のように伸びる腕を振った。
「だめ! リオっ!」
空中で身動きが取れないリオにサイヤークの腕が直撃する。リオの体は木の葉のように舞い、地面に叩きつけられる。
私は、その光景をただ茫然と見ていた。
「よくやったぞ、サイヤーク!」
吸血鬼が高笑いする。怪物はまた、低く鳴いた。
「そのまま、もう一人も片付けてしまえ」
はっとする。次の標的は私。少し考えれば分かることだった。逃げなきゃ。でも、リオを放っておくことなんてできない。どうしよう。どうすればいい。
「メイ、早く逃げるです!」
足が動かない。体が熱い。心臓の鼓動が全身を揺らす。
「だめです! 逃げなきゃ、メイ!」
「撃て!」
サイヤークが口から黒い光弾を吐いた。しかし私は、どうすることもできず、立ち尽くしていた。
白い光が私の前に立ちはだかって、黒い光弾を受け止めていた。
「ワルキューレ!」
「……!」
「何! まだ動ける、だと?」
ぼろぼろになりながら、それでもリオは立っていた。私を守るために。
「メイに手出しはさせない!」
光弾が辺りに四散し、消滅する。リオは、右手を胸に構えて叫んだ。
「ヒーローの条件……それは、振り向かないこと、躊躇わないことだ!」
それが、自分を奮い立たせるための虚勢だと、私はすぐに分かった。
「何だそれは……下らない! 撃て、サイヤーク!」
怪物が低く鳴き、立て続けに光弾が飛んでくる。
「メイ、絶対に私の後ろから動いちゃだめだ」
「そんな……リオ!」
リオは、両手を前に伸ばした。全て受け止める気だ。
私は願った。リオが光弾を全て避けてくれるように。リオが無事でいられるように。私は叫んだ。私の願いも、リオへの思いも、自分自身の弱さへの絶望も、全て込めて叫んだ。
リオは、一歩も退かなかった。私の無事と引き換えに。
「そんな、馬鹿な……! ええい、潰せ!」
怪物の体が大きく傾いた。自身の体で私たちを押し潰す気だ。
「プリキュア……」
「もうやめて! リオ!」
怪物の体がもうすぐそこまで迫っている。
「……プリキュア・ワルキューレライトニング!」
突き出したリオの右手から閃光がほとばしる。辺りがまばゆい光に包まれると同時に、怪物の悲鳴が聞こえた。大きな音と共に、怪物の体は、私たちとは反対側に倒れた。
次の瞬間、リオは操り人形の糸が切れたように、膝から崩れ落ちた。
「リオ!」
私は、リオの正面に回り込んだ。全身ぼろぼろで、顔は泥だらけだった。
「えへへ……体、動かなくなっちゃった」
リオは笑顔を作って、私の顔を覗き込んだ。そのとき、私はどんな顔をしていたのだろう。
「メイは、私が守るから。だから、そんな顔しないでよ」
「……もういいよ。もう、いいから。お願い、もう立たないで」
「そういうわけにはいかないな」
「どうして、そんなに頑張れるの?」
リオは、「難しい質問だね」と言って笑った。それから、少しだけ真面目な顔になって、「私が」と言った。
「……私が、プリキュアだから、かな。誰かを助けるのに、誰かを守るのに、それ以外の理由はいらない、そう思うんだ」
私は、息を飲んだ。同時に、私の体の中にあった何かもやもやしたものが消えていくような感覚があった。
「……間違ってるよ」
「え?」
「『私』じゃなくて『私たち』。リオと私と、ふたりでプリキュア。そうでしょ?」
「メイ……」
私は、精一杯の笑顔を作って言った。
「ひとつ、今まで嘘を吐いてたことがあるの。……本当はね、戦うの、凄く怖いんだ。誰かを助けるのも、守るのも、怖い。傷つけられるのも怖いし、傷つけるのはもっともっと怖い」
「メイは、変わってない。昔のメイのままだね」
「うん。……だから、お願い。弱い私を」
「メイを、守るよ。助けるし、守ってみせる」
私は、「ありがとう」と言って、立ち上がった。振り向くと、吸血鬼と怪物がそこにいた。大きくて凶暴で……やっぱり、怖い。
「リオ、見ていて!」
弱虫で臆病な私は、きっといなくならない。私は私のまま、弱い自分でいるしかない。でもきっと、大丈夫。私にはリオがいるから。
「プリキュア……」
ウィッシュコネクトから、今まで見たことがないような強い光が発生して、私たちを包んだ。
「わっ、何……これ」
「……痛みが消えてく。体が、動くよ」
リオは、驚きと感動が混ざったような顔をしていた。
「メイ! メイはやっぱり、すごいです!」
「スピカ、これ、何が起こってるの?」
「メイの思いが、ミライの奇跡の力と共鳴して、プリキュアの新たな力を引き出したです! メイは、更に強いプリキュアに生まれ変わるです!」
どこか、夢心地のようなふわふわした感覚があった。それは、奇跡の力によるものだけではないだろう。きっと私は、嬉しいのだ。
「プリキュア・リインカネーション!」
そのとき、私は唐突に思い出していた。あの日、リオは私に手を差し出して、言ったのだ。
「二人なら、怖くない。大丈夫」
刻々と暗くなる空。黒くその姿を染めて、ざわざわと風に揺れる木々。どこか寒々しい景色の中で、握った手が温かかった。
「だから、泣いちゃだめだ。もしも、二人で家に帰るまでメイが泣かなかったら、これからもずっと、私がメイを守ってあげる。約束」
「闇を照らす星の光、キュアトゥインクル!」
力が溢れてくる。今までの変身とは明らかに何かが違う。それが私には分かった。
「おおっ、パワーアップフォームだ!」
「かっこいいです!」
よく見ると、プリキュアの衣装が以前と少し違ったものになっていた。しかし変化がそれだけではないことは、変身した私自身が不思議と理解していた。
光が薄くなり、吸血鬼と怪物がもう一度姿を現す。
「なんだ、その姿は」
「生まれ変わったの。あなたに、勝つために」
「笑わせるな。……行け、サイヤーク!」
怪物が怒ったように吠えて、突進してくる。私は、右手を前に伸ばして、叫んだ。
「プリキュア・トゥインクルイグニッション!」
閃光が真っ直ぐに伸びて、怪物の体を貫く。怪物の足が止まり、光が貫いたあたりからひびのようなものが入る。やがてひびが怪物の全身にまわり、怪物は苦しんだように悲鳴を上げる。
「リオ、狙って!」
「……わかった!」
リオは地面を蹴って跳んだ。
「プリキュア・ワルキューレライトニング!」
それはまるで、流れ星が怪物の体を貫くように見えた。
「……『二人なら、怖くない。大丈夫』って。『二人で家に帰るまでメイが泣かなかったら、これからもずっと、私がメイを守ってあげる』って」
夕焼けに照らされたリオの顔が、一層赤くなるのが分かった。
「な……な、なにそれ? 全然覚えてない」
覚えてない、割には反応が大げさな気がする。「本当に?」と言ってリオの顔を覗き込んだ。
「本当に、全然、これっぽっちも覚えてない!」
「ほんとにほんとに、本当?」
顔をもっと近付けると、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「……よくそんな、恥ずかしい約束、覚えてられるよね」
約束、という言葉遣いはまだしていなかったはずだ。でもまあ、リオで遊ぶのもこのくらいにしておこう。
「じゃあ、新しく約束して」
そう言って私は、リオに手を差し出した。
「これからもずっと、私の傍にいて。私を守って」
リオは、笑って私の手を握った。
「うん。……約束するよ」
「スピカも、一緒にいるですよ!」
二人の手の上にスピカがちょこんと乗った。
「そうだね、みんな一緒だね」
私は、笑った。握ったリオの手はやっぱり温かかった。
END