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九想図                    灰白湯

  九想図

             灰白湯  



 ねえ、おとうさま。

 わたしは彼のことが好きです。


 わたしは彼のことが、大好きです。

 まだあどけなさの残る高く透き通った声も、わたしより少し低めな体格も、線の細い顔も。彼は病弱で、とてもはかなくて、そのくせ瑞々しい生をわたしに魅せてきて。ほんとうにどうしようもないほど彼に惹かれてしまったのです。

 彼のそばにいたい。

 とりとめもないことでもいいから、ずっとお話ししたい。その蠱惑的な声をずっと聞いていたい。彼に触れたい。息も触れ合うくらいに近くで、どきどきするくらいに彼を感じたい。とけあうようなぬくもりを、息遣いを、心臓の音を感じながら、彼を抱きしめたい。

 けれども、わたしには勇気がなくて。彼を思うと切なくて、苦しくて、汚らわしい欲望に溺れてしまうというのに、彼を好きだと言えなくて。

 だから、わたしは彼に『あなたを描かせてください』とお願いしたんです。

 お願いしたとき、わたしは胸がどきどきして、不安でした。

 断られるかもしれない、気持ち悪い女だと思われるかもしれない、嫌われるかもしれない。色々な不安感が渦巻いていました。でも彼は、

「別に、いいよ」

 と頷いてくれました。少し蒼い顔に微笑みを浮かべて。

 嬉しくて、仕方がありませんでした。思わず泣いてしまいました。

 それからわたしは毎日毎日彼のところへ行って、彼を描き続けました。

 幸せでした。彼の整った顔を見て、彼の身体をなぞるように描いて、終わった後には彼とお話をして――――彼と一緒に過ごす時間がとても楽しかった。お世辞にも私の絵は上手いとは言えない出来栄えでしたが、いつも彼に「ありがとう」と頭を撫でてもらいました。


 そうですよ、おとうさま。

 わたしは彼のもとにずっと通っていたんです。


 ところが数週間が経ったころから、彼はずっと寝たきりになってしまっていました。前にもまして蒼白くなってしまった彼。布団越しにしか話せなくなった彼。もうあの笑顔も見られない。もうわたしを撫でてくれない。

 わたしは怖くなりました。このまま彼のそばにいられなくなるのはいやだ。離れたくない。わたしなんかのわがままを許してくれた彼のそばにずっといたい。

 だからわたしはこれからも彼をずっと描こうと思ったのです。


 どうしてですか、おとうさま。

 それの何がいけないことだったんですか?


 落ちくぼんだ眼、痩せこけた頬、皮と骨だけのような彼は日に日に黒ずんで脹らんでいきました。

 髪は脂にまみれ、抜けおちてしまいました。皮膚がだんだんとはがれていって、赤黒色と濃い黄色の混ざった液体がにじみでてきました。

 異臭の中で、彼は膿んでとけていきます。肉と血と体液と脂の塊になっていきます。眼窩から白く濁った眼球がおちて、脳漿が口からあふれて、破れてしまったお腹からとけくずれた内臓だったものがこぼれて、粘ついた体液にまみれた骨がさらけだされて――――どこからか涌いて出てきた蛆を払っても、肉も一緒にそいでしまいました。

 それでも、彼は彼なんです。

 どんなかたちをしていても、彼は彼なんです。だから彼を描くのは止めませんでした。彼の匂いの中で、彼を近くに感じながら、ずっと、ずっとずっと――――


 だから……ねえ、おとうさま。

 弟はどこですか。わたしの大好きな弟はどこにいるんですか。


                   終

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