墓守の子守唄 灰白湯
墓守の子守唄
灰白湯
1
その唄を初めて聴いたのは、ノクトがまだ幼い頃だった。
幼なじみのクレイの母が、広場で子供たちみんなに聴かせていた唄。小さな村だったからか、その広場には村中の子供が遊びに来ていた。
どこか切なく、どこか甘く、静かな調子。
透き通るように響く旋律。当時の彼にでもわかるほど繊細で、同時に人の心を動かす唄。
彼女の唄は、聴く人みんなを惹きつけてやまなかった。
「どうして唄を唄うの?」
ノクトは子供ながらに訊いたことがある。
「みんなが幸せな気持ちになれたらいいな、って思うからよ」
綺麗な柘榴色の瞳をした彼女は恥ずかしげもなく、むしろ誇るように胸を張った。
それ以来、ノクトにとって彼女の唄は憧れだった。
こんな素敵な唄ならきっとみんなを幸せにできる。それはノクトを含め、広場に集まった子供たちみんなが思ったことだった。
しかし、
その村にノクトが予想もしなかった終幕が訪れた。
村の大人たちが彼女を殺害し、幼なじみの少女、クレイを村から追放するという、あまりにも唐突で残酷な形で――
2
春風は冬を忘れさせてくれる暖かい風だ。
ノクトはそう思っていたのだが、この春の夕暮を吹き抜ける風には未だ冷たい冬の残滓が混ざっていた。もう春も深まって、自分の住んでいる町では夕方もそれなりに暖かいというのに、ここは少し厚着をしてきたにもかかわらず寒いくらいだった。
茶色がかった髪を夕暮れの春風が梳く。
「やっぱり、ここは変わらないな」
ほんの少しの哀愁を含んだノクトの独り言は、茜の滲んだ薄青い空に吸い込まれていった。視界の開けた懐かしい田舎道が、暗く苦い記憶がノクトに再会の挨拶を告げていた。
この先は昔、彼の暮らしていた場所だった。
あの惨劇からもう七年が経つ。
今でも、鮮明に覚えている赤い――火と血の色をした記憶。
村の大人たちの憎悪と怨嗟の塊、『忌々しい魔女が!』という叫び声。磔にされ、火刑にされた幼なじみの母親。燃え落ちる彼女の家。追放された幼なじみ。
村ぐるみで隠したあの悲劇。
もちろん、ノクトはクレイの母が悪事をしていたのかなどわからない。けれど、「唄が人を幸せにする」とあれほど純朴に語っていた彼女がそんなことをしているとは思えなかった。
本当にあまりにも理不尽で、狂気に満ちた村人たちの魔手。あれはもう、悪夢の具現そのものだった。
その事件が起こってからすぐに、ノクトの両親はノクトを連れてこの村から立ち去った。当たり前だ。親友だった彼女を村人たちに殺されて、それなのにまだ村で暮らせる図太い神経があるはずない。もちろんノクトもそうだった。
ただ、殺害に加担した村人の子供たちはそんな感情すらも殺されているようだったが。
クレイもどこに行ったのかわからない。
追いかけることは村中が許さなかった。
「今更、だけどな」
もう二度とここへ戻ってくるつもりなどなかった。深い罅と傷だらけのガラクタのような記憶を思い起こすこの場所に、あんなことをした人間が平然と生きているこの村には。
しかし、ノクトは唯一できることをしようと思ったのだ。
子供時代の記憶を歪ませ、絶望を与えた忌まわしい悲劇の中に残った、たった一つの希望。
幼なじみのクレイを探すこと。
ノクトは自分が馬鹿で、どれだけ無謀なことをしようとしているのかを理解している。
精神的な落ち着きを取り戻し、自分の力でどこへでも行けるほどの資金を貯めるのに七年もかかった。時間の経過による周囲の環境の変化と記憶の風化は人にどうこうできるものではない。クレイの手掛かりを掴むには時間が経ち過ぎている。
それに彼女の母をこの村の人間が殺したのだ。こんなところに手掛かりを探しに来るのはお門違いもいいところだ。当時の村人に見つかったら、最悪な結果が待っているかもしれない。
それでもここは確かにクレイと一緒に遊んで、宝石のような思い出を作った場所なのだ。
「何か……あればいいな」
誰とも会わないまま村の入口へ到着する。先程まで夕方だったのに、いつの間にか辺りは暗くなっていた。
村の木々が春の夜風にざわめき、ノクトを歓迎する。暖かそうな家々の明かりにどこか懐かしく感じるが、同時に黒く汚れた思いも心の淵から湧き上がってきた。
冷たい夜空の下でもはっきりと自覚できる煮え滾った憎悪。
殺してしまえばいい。
村人たちを殺して、クレイの母の仇を取ればいい。今の自分になら、その力があるじゃないか。
「違う、俺はそんなことしにきたんじゃない」
脳裏をよぎる悪魔の囁きを消し去る。
クレイの手掛かりを、微かな希望の欠片を探しにきたんだ。俺は、そのために戻ってきたんだ。
溢れ出る黒い感情を抑え、まずは焼け落ちた彼女の家に行こうと思い、足を進めようとした。
その時――
夜の静寂に、かすかな唄声が混じった。
「――――!」
木々のざわめきに負けるほどの小さな音だった。けれどそれは、聞き間違えることのないあの唄の旋律だった。
優しく、切ない音階が作りだす、哀愁を誘うリズム。
風に乗って響く彼女の唄。
どこから聞こえる?
ノクトは必死にその音の出所を探ろうと村の中を走ったが、行けば行くほど聞こえなくなる。村外れの方か? そう思って村の外周を回ってみるがやはり聞こえない。
ざあっ、と周りの木々がうるさく囃し立てる。焦りが増してくる。自分の荒い呼吸すら、耳に残る唄をかき消す不協和音に聞こえた。
「うるさい!」
あの唄を唄っている誰かがこの近くにいるのだ。
見失うわけにはいかない。とは言っても、耳に残響した小さな音だけを頼りに見つけ出すなどあまりにも無謀な行為だ。
入口に戻ると、まだかすかな唄は続いていた。
息を殺して耳を澄ます。その唄の音だけに意識を集中させる。
村の入り口でしか聞こえないなら、外にいるのだ。歩きながら必死に声を辿ろうとするが、やがてその唄は夜の闇に呑まれていく。
「クレイ……っ!」
思わず握った拳が痛い。確かにあった手掛かりを失った歯痒さと悔しさが胸を締め付ける。夜風のざわめきが嘲笑のようにうるさく木霊している。無駄なことだ、と嗤っている。
「くそ……っ!」
ノクトは闇雲に走り出した。
道の周りには何も見えない。無駄に広い野原が拡がっているだけ。夜の闇の中に全てが呑まれている。空に浮かぶ白い月は道標にはならなかった。
それでも駆けていかなければ押しつぶされそうだった。見えない希望に縋りつくように、あてもなく彷徨う。
気付けば村のはずれにある墓地まで来ていた。
この先は山道、もう行き止まりだ。
「はあ、はあ……くっ!」
荒い息遣いが空しく闇に溶けていく。早鐘を打つ心臓がまるで別の生き物のようだった。疲労が足を蝕み、体が鉛のように重い。辺りに並ぶ影の深い、終わりを示す十字架の群れが、ノクトを深く絶望に沈めた。
どこにもない。また失ってしまった。見えなくても確かに聞こえた希望が、ここでまた潰えた。
力の抜けた、抜け殻のような体を墓土の上に横たえる。このままここで眠ってしまおうか。
動く気力もなくなったノクトが目を閉じようとしたとき、
「あ、あの、どうしたんですか? 風邪引いちゃいますよ?」
ざりっ、と土を踏む音が聞こえた。夜を裂く火色の灯りが澄んだ声と共に横から届いた。驚いたノクトの視界に映ったのは、白銀の長髪、闇に染まったような黒いローブ、そして――
クレイとその母親と同じ綺麗な柘榴色の瞳の少女だった。
†
「どうぞ……狭いところですが」
錆びついた音を立てて玄関の扉が開き、彼女の小屋の中に促される。クレイの話を聞いたらすぐに村へ戻ろうかと思っていたノクトだったが、「立ち話もなんですから」と彼女にここまで連れてこられてしまった。
天井に付いた小さなガスランプの黄色い明りが唯一の光源だ。中には一人分の小さなベッドと端の朽ちた小さなテーブル、錆びついたスコップがあるだけだった。ベッドとテーブルだけでもう部屋の三分の一を占めている。
墓守の小屋、とはあまりに粗末で小さかった。
「す、すみません。まさか人が来るなんて思ってなかったので……」
「構わないでくれ。こっちこそ、こんな夜中に」
「い、いえ、初めてのお客様ですから……ごゆっくり。お、お水汲んできますね」
少しだけ嬉しそうにそう言うと彼女は綺麗な銀の髪を揺らしながら、外の水桶にとてとてと走って行った。
彼女はこの村の墓守で、メルと名乗った。
その瞳のせいで村人に疎まれ、こんな場所で暮らしているという。村人が疎む理由はメル自身わかっていないらしいが、クレイたちと同じ瞳の色が原因なのは明らかだった。
メルがクレイの家族と同じ目の色をしているのは偶然のようだった。開口一番、ノクトはクレイの事を訊いたが、「わかりません」と言われてしまった。あの柘榴色の宝石のような瞳を見たときの衝撃が未だに覚めないが、どうやらクレイとの関係はなさそうだった。
そう思っているうちにメルが戻ってきた。
「お待たせしました。あと、この先の山で捕れた葡萄です。よかったら……」
「ありがとう。気を使わせてしまったかな」
「い、いえ、好きでやっているので……そ、その、どういたしまして」
端々にどこかつっかえる口調のメル。そのどこか人見知りなところも、クレイに似ていた。ゆっくり話してあげた方がよさそうだった。
クレイのことは質問したが、まだ一つ訊いていない事がある。
あの唄の事だ。
椅子をノクトに譲って、メルはベッドに腰掛けた。
「メルさん、訊きたいことがあるんだけど」
「は、はい。ど、どうぞ」
「この村に、唄を唄える人っている?」
「え……?」
「何というか、子守唄みたいな」
「子守唄なら、子供がいる母親なら誰でも……唄えるような気がしますけど」
「うーん、普通の唄じゃないんだ。特別な人しか唄えない曲調で、とても綺麗な旋律なんだ」
あの唄を思い出すことはできる。ただ、ノクトには唄えないのだ。どんな旋律で、どんなリズムかも知っている。
それなのにあの唄を唄おうとすると、途端に口が回らなくなる。昔も今も、あの唄を唄えたのはクレイの家族だけだった。
「特別な唄、ですか。……聴いてみないことにはわからないですけど、ノクトさんはその唄、好きなんですか?」
「ああ。それにクレイの手掛かりでもあるんだ」
「クレイ……さんの……」
だからこそ、この唄はクレイに直結する。
メルは今まで以上に深く考え込んで、
「ごめんなさい。やっぱり、わからないです」
と、申し訳なさそうに首を横に振った。
「そっか」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、いいんだ。メルさんが悪いわけじゃない」
「で、でも……ノクトさん、悲しそう、です」
「メルさんを責めても何もならないよ。この村に必ず手掛かりがあるはずなんだ。だから、きっと探しだして見せるさ」
ノクトはどこか自分に言い聞かせるように言う。もとより見つけ出すまでは帰るつもりもない。
「どうして、わかるんです?」
「その特別な唄をついさっき聴いたんだ。風に乗って流れた小さい音だったけど、確かに誰かが唄ってたんだよ」
「えっ……私には、聞こえませんでしたけど」
「幻聴なんかじゃない、きっと」
「そう、ですか。あ、あの……か、影ながら応援させてもらいますっ」
「ああ。ありがとう」
「あ、そうだ」
メルは何かを思いついたような表情をしたかと思うと、ベッドの奥に見える押入れをあけ、その中から薄い布団を取りだした。そのままこちらに手渡す。
「これしかありませんが……よろしければ、使ってください。今日はもう遅いし、村の宿もやってないでしょうから」
「泊っていいのか? こんな初対面の男が一緒でも?」
「そ、その、私はいいんです。ノクトさんさえ、いいのなら。ただ……その、変なこと……しないでください、ね」
恥ずかしさで耳まで真っ赤に染めながら、小さな声でメルは言う。きっと全て、下心も何もない親切心で彼女は言っているのだろう。メルが何故か自分を信用しているように、ノクトも会ったばかりだというのに何故か彼女を信用できていた。
もしかしたら、覚えていないだけで昔会ったことがあるのかもしれない。
「約束するよ。じゃあ、ありがたく」
「何かしたら……こ、このスコップで殴っちゃいますから」
物騒なことを言っているが、小さな声だからか威圧感がまるでない。明日から本格的に情報収集をしよう。布団を残り少ないスペースに敷きながら、ノクトはそんなことを考えていた。
「じゃあ、電気……消しますね」
明日も早い、とメルが言うので消灯することになった。ガスランプの灯りを消すと、月明かりだけが窓から差し込んでいるだけで、小屋に夜が降りてくる。
「クレイさんは……ノクトさんの恋人、ですか?」
「いや……幼なじみだよ、とても大切な」
「…………見つかると、いいですね」
「ああ」
メルと少しだけそんな会話をして、ノクトは眠りに就いた。
3
翌朝起きると、小屋にメルの姿はなかった。ただ、テーブルの上に『薬草を摘みに行ってきます』と書き置きがしてあった。
「俺も動くか……」
ノクトはその色の褪せた紙の余白に短く、
「昨日はありがとう。いってきます」
とだけ書いて小屋を後にした。
村に着くころには朝の冷たい空気が、昼の陽気に変わっていた。その陽気に誘われて、広場では何人かの子供が遊んでいる。
そんな彼らを横目に、ノクトはまっすぐあの場所を目指す。昨日のうちに向かうつもりだったクレイの家。
自分の家があった場所や広場を抜けて、ずんずん進んでいく。途中何度も溢れてくる懐かしさとそれに引きずられるようについてくる黒い記憶に、立ち止まりたくなった。しかし感傷に浸ってしまえばその泥濘から抜け出せなくなると言い聞かせ、目的だけを頭に留めて足を運んだ。
村から少し離れた丘の上、クレイの家があったところに辿りつく。その光景は最後に見たときと変わっていなかった。
焼け落ちた木造の家の残骸。炭化した家の骨だったものが辺りに散らばっている。地面には残骸の周りを避けるように草が生えていない。クレイの家の死体。まるでここだけ時間を忘れられたようだった。
「まあ、あるわけない……か」
ここにあるのは、灰に埋もれた思い出だけ。
全ては焼けてしまって、ここに何か残っているなんて期待は元からしていなかった。それでも、その無残に砕かれた遺物の跡に大きな喪失感が湧き上がってくる。
「……」
沈黙する。
ノクトは立ち止まるつもりなどなかったが、この襲いくる喪失感に今はこうして立ちつくすことでしか耐えることができなかった。取り戻すことのできない忘れ物、そんな言葉が彼の頭の中を埋め、胸に黒いシミを生む。
「……ここに、いても」
意味がないだろう。
昨日聞こえた唄は希望だったが、ここにあるのは希望を幻想だと一蹴ずる現実だけだ。自分のしている事の愚かさをこれ以上囁かれる前に、他の場所を探すことにした。
しかし、ノクトが踵を返すと、
丘の入口に、彼の行く手を塞ぐように四人の大人たちが立っていた。
「――――っ!」
見たことのある顔だった。
忘れるはずがない。忘れられるはずがない。
気色の悪い蒼白の顔。虚ろで、狂気じみた瞳がこちらを見ている。
あの惨劇の首謀者たち。
どうしてこんなタイミングで現れる? よりにもよってこんなときに。彼らに会わずに一人で探るつもりだったというのに。
最悪な展開が脳裏をよぎる。
それは村人全員を敵に回すこと。村ぐるみで隠蔽した過去に抵触しようとする自分など、邪魔者にしか映らないだろうから。
どうやってここにいることを誤魔化そうか、と考えていると四人のうちの一人がうわごとのように何か呟きはじめた。
「あの魔女はもういない」
「…………!」
その発言に頭に血が上り、先程までの悲しみが一気に真っ黒な怒りに変わる。奥歯がぎり、と音を立てて擦れ、思わず握った拳が痛い。
同調するように周りの三人も同じ意思もこもっていないような言葉で言う。
「わたしたちは助かったのだよ」
「自由になったのだ」
「あの魔女の娘もいない」
ノクトは握った拳に爪が食い込むのを感じながら、一つ一つの単語を咀嚼していく。
助かった? 自由?
それは恐らく自分が知らなかった事件の裏事情だろう。
突然語られた、自分たちの行為を正当化するための理由。
「魔女の呪いは解かれた。わたしたちがやったことは全て村の為なのだ」
意味がわからないのは言うまでもなかった。
そんなオカルトじみた答えがお前たちの動機なのか? そんな思い込みでしか生まれない敵視のせいで、クレイは、クレイたちはいなくならなきゃいけなかったのか?
その不快な音階をなぞっていくだけで怒りが燻ぶる。どうして彼らが今更そんな言い訳を並べ始めたのかなんて知りたくもなかった。
「ふざけるなよ……!」
そんな話を俺にするな。
「おまえたちこそ……」
まるでこの朽ち果てた思い出の残骸を自分たちの成果だとでも言うように、自慢するようにここに来るんじゃない。
「人の皮を被った悪魔だろうが!」
赤黒い殺意が頭の中を支配する。こんな狂気じみた生気の欠片もない目をした連中が、自分たちの勝手な理由でクレイを奪ったのかと思うと許せなかった。
「殺してやる!」
憎悪が粘着質の泥のように感情を汚していく。目の前にいる悪意の塊に復讐することしか考えられなかった。
足元に転がっている黒ずんだ残骸を手に取る。
四人は動じもせず、ただこちらを見つめているだけだった。ノクトは殺意だけを彼らに向け、一歩ずつゆっくりと進む。動かないならそれでいい。一人ずつ、殴り殺すだけだ。
しかし、クレイが一人に凶器の先を向けたとき、
「なのに……どうして唄は止まない?」
衰弱しきった声で、そう呟いた。
それと同時に辺りにあの旋律が響いた。
昨日聞いたのと同じ、彼女の唄。
「…………!」
まさか、こんなところではっきりと聴くことになるとは思わず耳を疑う。透き通るように響く旋律。
どこから聞こえてくる?
「ああ、また聞こえる……聞こえてくる」
怯えた声に彼らの方を向くと、全員耳を塞いで震えていた。かちかち、と歯が嫌な音を立てている。今まで虚ろだった瞳に急に恐怖の色が浮かんでいた。歪んだ顔はまるで唄を聞いたら破滅してしまうと言わんばかりだった。
「ああ、ああ、どうして……!」
「やめてくれ……もうこんな呪いは沢山だ!」
いったいどうしたというのだろうか。呪い? また意味のわからないことばかり話して、何なんだ。この唄のどこにそんな恐怖する理由がある?
風に流されるように唄声は少しずつ小さくなっていった。
「広場だ。広場でまた魔女が……!」
「くそっ、とにかく……!」
広場という単語に、ノクトは殺意すら投げ捨てて走り出した。あんな奴らを殺すことなんかより、クレイの手掛かりをつかむのが先だ。
広場へ向かうために丘を降りる。そして、村の中へ入った瞬間ノクトは目を疑った。
「やめて!」
「呪いが……!」
「もう聞きたくない!」
「また、まだ続くのか!」
「魔女め!」
「頭が……ワレ……る」
彼らと同じように蹲り、怯え、唄を恐怖する大人たちの悲鳴。
「なんだ……これ……」
村の中を走っていると、同じような呻きがいたるところから聞こえてきた。慟哭する者、激昂する者、阿鼻叫喚が家の中からも湧いてくる。
どういうことだ?
どうしてこんなにこいつらは彼女の唄を恐怖する?
この「幸せを願う唄」は彼らにとって一体何なんだ?
ノクトは自分のイメージと目の前の惨状に混乱する。これは一体――――
そして、ノクトの思考を中断させるように、まだ途中だというのに唄が止んだ。
「なっ……!」
再度襲ってきたクレイを見失った感覚。
残ったのは残響をかき消すように響く村人のコエと自分の地面を蹴る空しい足音。
「待て、待ってくれクレイ!」
広場に入ると、そこにいたのは元気よく遊ぶ子供たちだけだった。
†
「それは……残念でしたね」
小屋に戻るなり愚痴を溢したノクトを、メルは水を差しだして慰めてくれた。
あの後、広場の子供たちに訊いてみたものの稚拙な情報しか得られなかった。
つまり、唄い手は「きれいなおねえさん」である。
黒いローブを纏って顔も見えないらしいが、声でわかるのだろう。そして、どうやらあの唄は子供たちにはノクトと同じように綺麗な唄に聞こえるらしい。だが、どれもクレイに直接関係する情報ではなかった。
今日あの村で起こったことをメルに話しながら、どこかに手掛かりがないか思考する。
「黒いローブ……そういえばメルさんも」
「え? あ、あの……私は違いますよ? このローブ、顔まで隠せませんから」
メルはそう言いながら、実際にやって見せてくれた。
なるほど、印象的な白銀の髪は見えなくなるが、顔は隠せていなかった。
「そうだよな」
「そ、それに、私がクレイさんなら、きっとノクトさんに抱きついてしまいますよ?」
「どうして?」
「あ、あの……だ、だってクレイさんはノクトさんにとって大切な人だったんですよね? だったらそれはクレイさんにだって同じだろうし、そんな人が自分を探しに来てくれたら、喜んで抱きつきますよ、きっと」
「そっか」
慣れないことを言ったせいか、メルは恥ずかしさで耳まで茜色に染めている。
昨日会ったばかりのノクトに、そこまでして励ましてくれる彼女には感謝せざるをえない。メルは困っている人を放っておけない性格なのだろうと思った。
「それに……」
暫く黙っていると、メルが静かに口を開いた。
「それに、私その、クレイさんの唄一度も聞いたことないので……」
「今日も?」
村の中ではあんなにはっきりと聞こえたのに? メルは村に来ていなかったのだろうか。
「山にいたので……日中は墓守の仕事よりも、山菜とか食料確保を優先していますから」
「それなら……やっぱり違うんだな」
「はい……」
メルは村人から疎まれてここにいるのだ。わざわざ嫌な顔されにあそこに入ろうなんて思わないだろう。
結局、クレイの手掛かりはない、それが現状の結論だった。
しかし、他にも気になることはある。
村人たちの唄に対する反応。あれは一体何なのだろう。子供にとっては素敵な唄で、大人にとっては恐怖の唄。
聞こえ方が違う唄なんて訊いたこともない。とすると、考えられるのはあの唄に込められた意味だ。
その意味を知っているからこそ、大人たちは恐怖している。
しかし、ノクトはそんな怯えるほどの意味なんて聞いたこともなかった。大体、唄の意味だけであそこまで嫌悪するなど信心深いもいいところだった。
「あ、あの……今日、ノクトさんが村で聴いた唄……本当に、探しているクレイさんの唄なんですか?」
「どうして?」
聴き間違えるはずがない。そんな可能性は元からない。あの唄だけは色褪せるような記憶ではないのだ。
無意識に口調を強めてしまったようで、メルはびくっ、と怯えた表情を見せた。
「ご、ごめんなさい。でも、ノクトさんが言うように素敵な唄なら、村の人たちが呪いの唄なんていいませんよ」
確かに彼らは「呪い」と言っていた。自分のイメージとはかけ離れては、いる。しかし、どう頭の中で反芻しても、あれはクレイの唄だった。
気まずい沈黙が二人の間に降りてくる。
「そ、そろそろ灯り消しますね」
メルはどこかばつの悪そうに、控え目な口調でそう言った。
布団は今日の朝出ていったときと同じで、片付けられていなかった。ノクトはおとなしく横になる。視界の色が黄色から黒へ変わった。
思考の整理ができない。メルの客観的な小さい否定が自分の知る唄に罅を入れていく。その記憶も、クレイも、唄も幻ではないというのに……。
「ノクトさん」
月のない暗闇の中で、メルが悲しそうに呟いた。
「幸せを願う唄が人を呪うわけ……ないんですよ」
「メルさん……?」
ちょっと待て。どうして、メルがそれを知っている?
4
メルは何か知っていて隠している。
それも、絶対に口に出せない重要なことを。
全ては単なるノクト自身の妄想かもしれない。それでも、やはり彼女が何かを知っている確信があった。
メルは夜が深くなった頃に出ていった。
ノクトはその様子を見ながら、音を立てずに小屋を出た。
膨らんだ疑念はとどまることを知らなかった。
最初に思ったのは、たかが見てくれの情報、つまり同じ黒いローブ。こんなのはほとんど共通点としか見ていなかった。
しかし、今日、唄の話をしたときのメルのようすは昨日と比べればおかしいと感じていた。村から疎外され、コミュニケーションに乏しいはずのメルが、あんなに唄のことに関しては必死に否定してくるのだ。聴いたことがない、わからない、と。ノクト自身そこまで深く攻めたわけでもない。だから、一回違うと言えば、質問はそれで終わりだったのだ。
それなのに。
昨日の最後の会話、
「幸せを願う唄が人を呪うわけがない」
メルにクレイの唄が幸せを願う唄だとは言ってなかった。
メルはきっとあの唄を知っている。
外は暗く、何も見えなかった。拝借したランタンの明かりをつけると、辺りに灰色の墓標が見えた。気付かれないようにメルが出ていくのを待っていたため、すでに黒のローブを身に纏ったメルは夜に隠されてしまっていた。
「メルさん……」
どうして隠しているかなんてわからない。ただ、どんな理由があるにせよノクトはここにクレイを探しに来たのだ。教えてくれないなら、自分で見つけるまでだ。メルは恐らくあの広場にいる。彼女が何かしら唄に関係あるなら、必ず。
ノクトは村の入り口まで来ると、灯りを消した。
じっ、とその時が来るのを待つ。
夜の闇が一層濃く辺りを埋め尽くし、音さえもかき消している。静寂がノクトを包み、冷たい春の夜風が肌を薄らと撫でた。
そして、唄が始まった。
一直線に広場へと駆ける。
灯りのない村の中、自分の足音だけが響く。あの旋律に、クレイを見つけ出す希望に導かれるまま走る。
広場が見えた。
先程まで月を隠していた雲が晴れ、闇を裂く月の光が舞台のように広場を彩る。その中心に立つ、喪に服した漆黒のローブを纏う少女。あの唄を唄う少女。
「メルさん!」
唄が止んだ。
ゆっくりとこちらを向いた少女は黙ったままだ。ローブのせいで、口許しか見えない。
ノクトはランタンの火をつけ、彼女に近づく。少女は逃げようとしなかった。緊張を嚥下して一歩ずつ、しっかりと。
彼女に手が届く位置まで来た。
ノクトは全てを隠すように彼女を覆うフードを外そうと、震える手を伸ばす。
「どうして……来たんですか」
ノクトの動きを制するように、震えた小さな声が耳に届いた。それは確かに彼女の声。どこか恨みがましく、そのくせ申し訳ないという矛盾した感情のこもった言葉。それでもそれ以上の抵抗をしようとはしなかった。
フードをとりさると、夜にくっきりと浮かび上がる白銀の髪があらわになる。
メルの頬には透明な涙が一筋伝っていた。
「あなたには、知られたくなかったのに……」
「全部、話してくれ、メルさんの知っていること、全部」
沈黙が降りる。ノクトはもう待つしかない。
メルは何を思っているのだろう。隠したかった秘密を話してくれるだろうか。ノクトを責めるばかりで、何も言わないだろうか。
しかし、ノクトも譲るわけにはいかなかった。
やがて、小さな声でメルはうつむきながら語り始めた。
「ノクトさん。クレイは、お姉ちゃんはここにはいません」
「お姉……ちゃん?」
クレイに妹? それがメル? 確かに同じ赤い瞳の説明はできるが、昔遊んでいた頃の記憶には妹なんていなかった。
「私は元々、この村の人間ではなかったんです。お母さんが殺されて、お姉ちゃんも追い出されたと聞いて、それからここに来たんです。だから、お姉ちゃんのことは……」
メルは、その続きを口にはしなかった。
「そうか……クレイは」
音も立てずに絶望が押し寄せる。残っていた最後の希望が目の前で消えた。底のない深い闇に沈んでいく感情が、掴んだのはやるせなさと、怒りだった。
「ノクトさん、私はずっとこの村のことを恨んでいます。お母さんを殺して、お姉ちゃんを追い出したこの村を」
ノクトは黙ってうなずく。
「クレイお姉ちゃんとお母さんのために村の大人たちを恨みながら、ずっと生きてきたんです」
家族を奪われたメルの憎しみは計り知れない。その華奢な体にどれだけの絶望を抱えながら生きてきたのだろう。孤独に押しつぶされながらあの墓地の小屋で。
ノクトは慰めようにも、言葉が見つからなかった。
しかし、メルは少し間をおいて、
「けど、わたしは間違ってるんです。お姉ちゃんはこんなこと絶対望んでないんです」
予想もできなかった否定の言葉をかすれた声で、口にした。
「ど、どうして……どうしてそんなことが言える? 母親を殺されて、クレイを追い出して、全て壊した村の連中を恨まないで生きていくことなんてできないだろ!」
ノクトは困惑した。
自分がそうだったから、メルの抱く負の感情は当たり前なのに、どうして間違っているなんて言うのか。
あの残酷な惨劇に、憎悪しないなんてできるわけがない。
思わずメルの肩を掴む。顔を上げた彼女の目には大粒の涙が溜まっていた。
「だって……だって! お母さんがあんな唄、唄ったのが悪いんだもん! あんな唄なければ、お姉ちゃんも、追い出されずに済んだんだもん!」
悲しみとやるせなさに表情を歪ませたメルは大声で嘆く。彼女の口から出た言葉に、昼間の出来事の記憶が蘇る。
「また、唄なのか? 一体どういうことなんだ、メル。あの唄は、幸せを願う唄じゃなかったのか?」
整理が追いつかずに、ただ混乱するばかり。
呪いが唄の意味だとでも? そんな馬鹿馬鹿しいオカルトが、クレイたちの悲劇を招いたとでも言いたいのか?
「ノクトさん、あれは幸せを願う唄なんかじゃないんです! みんなの幸せなんかじゃない! 『誰も死ななければいい、いつまでも変わらないでいてほしい』っていうお母さんだけの幸せ! あれは、あの唄は……!」
感情と言葉が追いついていないメルが泣きながら叫んだ悲痛な言葉は、
「蘇りの呪い唄」
いつの間にか集まっていた村人たちの憎悪にかき消された。
†
まるで亡者のように生気のない蒼白い顔をした村人たちが広場の入口に並んでいた。
昼間見かけた人数よりも沢山の人、人、人。恐らく家の中から出てこなかった者たちもそこにいるのだ。
ある者は眼球が零れおち、異臭を漂わせていた。首のない者も混じっていた。墓土で汚れたローブを纏った者はどこか得体のしれない液体を滴らせていた。
明らかに生者としてはありえない残酷なまでの姿。地獄のような光景。
「その唄は死んだはずの我らを蘇らせる」
「毎夜毎夜、苦しみながら死に続けているわたしたちを」
「永劫に縛り付ける」
「ねえ、魔女の娘」
「なぜ唄い続ける、なぜ苦しませ続ける」
「お前は……いなくなったはずなのに!」
口々に囁かれる呪詛。あの唄の意味。
死者を蘇らせる唄。
屍が蘇るというあまりにも狂気じみた理解できない現実に、ノクトはもうその場に立ちすくむしかなかった。
「これが、あの唄の……」
こんなのが、あの思い出の唄?
悪夢の中にいるような、目の前の事実を肯定したくなかった。
「ノクトさん、私の知ってること、これで全部です。全部お母さんの唄が招いた悲劇なんです」
メルがどこか悲しげに、静かに告げた。
これがメルの隠したかったこと。「綺麗な唄だ」と言ったノクトの幻想を壊さないように、秘密にしていたこと。
ノクトは何も言えなかった。頭の中を、いくつもの真実と言う残酷な黒い渦がかきまわしていた。
村人たちが、ノクトとメルに向かってゆっくりと歩みを進めてくる。その手にあるのはクレイの母を奪った赤い魔女狩りの篝火。
「そして、これが……私がこの村にずっとしていた復讐です」
ノクトに背を向けて、死者へ届くように、
メルは唄った。
あの旋律を、悲しく切ない、子守唄のような唄を。
母と姉の復讐のために、唄い続けたのだ。
「魔女め……! 魔女め!」
唄が始まったと同時に、死者の波が押し寄せる。魔女を殺す赤い篝火を持ちながら、メルを殺しに。あの日のように、悪意の塊が唄う彼女に迫る。
しかし、迫りくる彼らを見てもメルは逃げようとしなかった。
「メル!」
ノクトは彼女の腕を掴んで、こちらに引き寄せる。彼女はどこか悲しそうで、諦めたような表情を見せた。
「ノクトさん、私はずっと間違ってきたんです。あの時のことを恨みながらも、必死にお姉ちゃんを探そうとしてるノクトさんを見て、思い知ったんです。お姉ちゃんなら、こんなことしない。絶望の中にも希望を見出して生きていく。ノクトさんみたいに」
だから、とメルは続けて、
「できなかった私を放っておいてください! 呪われた唄しか唄えない私を置いていってください!」
そう叫んだ。彼女の目には涙が浮かんでいた。
全て自分が弱くて、間違ったのがいけないのだから、ここで死んでしまおうと、そうメルは言うのだ。
「ふざけんな……」
迫りくる死者の波に、足元のランタンを投げ付ける。放物線を描いて彼らの先頭に当たったそれは、黄色い火種を蒔きながら砕け散った。
炎が屍を焼いた。苦悶の声を上げながら倒れた仲間を見て、押し寄せる狂気の波が止まる。
メルはその様子を信じられない目で見ていた。
「メル、間違ったって構わないんだ」
「え……?」
「間違ったら、やり直せばいい」
「やり直せないんです、こんなの! わたしが村の人たちにしたことは……」
「やり直せばいいんだ。お前なら、違う唄もきっと唄える。誰かを呪う唄じゃなく、誰かを幸せに出来る唄を、唄える」
「な、何を言って……」
「お前は絶対死なせない」
恨むことは弱さなんかじゃない、人間はそんなに機械的じゃない。当たり前のことなのだ。恨んでいい、そしてそれは間違いじゃない。それでもまだ間違いだと言うのなら、間違った分だけ何かを返せばいい。たとえそれが大きい間違いでも、生きていれば償いもお返しもできる。たったそれだけのことなのだ。
全ての事実を知った上でも、メルを見殺しにすることなんてできなかった。
ノクトがここに来たのは、希望を掴むためだ。
あの忌まわしい記憶の中に残った唯一の希望を。
その希望は、今、目の前にある。
ノクトはメルを、助けようと決めたのだ。
「邪魔を……するな!」
再び屍の群れが迫る。
ノクトはメルを抱えて、走り出した。あんな人数をまともに相手にしても逃げきれるかはわからない。しかし、それでもここからメルを助けなければならなかった。
腕の中に抱えた彼女が涙声で言う。
「ノクトさん、駄目です! 私なんか放っておいてください! 追いつかれたら、ノクトさんまで……!」
「俺は諦めたくないからさ」
「そういう問題じゃ……!」
「思い出の唄がすべての元凶だった。そんな話を聞かされて、本当に絶望したさ」
「…………」
「けどな、メル、お前は希望なんだよ。この悲劇の中で残っていた最後の希望なんだ。だから、必ず守ってみせる」
メルはおとなしくなり、ノクトの腕にしっかりとつかまった。
気付くと、クレイの家の丘まで来ていた。
少し白みかけた空の下、見えたのは無造作に散らばった家の残骸。
「そうか……!」
これで、あの迫りくる屍を動けなくしてやればいい。
一番大きな家の残骸を押す。しかし、太い丸太のようなそれは重く、少しずつしか動かない。その間にも彼らは赤い篝火と共にこちらへ近づいてくる
「くそっ……!」
このままでは追いつかれてしまう。やはりこのまま森の中に逃げ込むべきか? いや、このまま森に入れば奴らはそこに火を放つ。そうすれば助からない。どうすればいい。
「ノクトさん!」
もうひとつの角材をメルが手渡す。それを丸太の下に刺し、渾身の力を込めて押す。
メルと共に、二人で助かるために。
「落ちろ!」
斜面の重力に引かれて、それはゆっくりと下へ落ちていった。
屍の群れを押しつぶす。怨嗟の呻きと苦悶の叫びが木霊した。後に残ったのは、肉の焼ける嫌な臭いと赤い炎に彩られた朝焼け。
「ノクトさん、……わ、私、私……!」
「いいんだよ、メル。メルは生きて、ここにいていいんだ」
泣きじゃくるメルを、ノクトはそっと抱き寄せた。
5
墓守の小屋に帰るなり眠ってしまったノクトが目を覚ますと、もう夕方になっていた。
窓から差し込む夕日は穏やかで、暖かかった。どこか希望のように眩しく、落ち着いてくるように感じた。
寝ぼけた意識に唄が聞こえた。聞いたことのない唄。どこかやさしく、暖かい旋律。呪いの唄とは違う、純粋な印象の唄。
それは外から聞こえてくるようだった。
「メル……」
「あ、すみません……起こしてしまいましたか?」
夕焼けに映える白銀の髪がそよ風になびく。彼女の頬は少しばかり茜色に染まっていた。恥ずかしそうに目をそらす。
「その唄……」
「下手……ですかね? 即興で創ってしまいましたから」
「いや、とっても綺麗な唄だよ」
「クレイさん、私、この村で、レクイエムを唄おうと思うんです。墓守として、お母さんと村の人たちの鎮魂を」
「それは……」
恐らく、彼女なりのこの悲劇へのけじめ。自分がしてきたことを背負って生きようとする決心の証。そうノクトは感じた。メルの決心を無駄にはしたくないと思った。
「そしていつか、ノクトさんから言われたように、唄を唄いたい。誰かを幸せにできる唄を」
「そっか」
「ノクトさんは……これから……」
「俺はクレイを探すよ。何年かかっても、必ずここにクレイを連れて、帰ってくる」
「はい……!」
希望の唄を唄うメルのところに。
「……墓守の子守唄、かな」
「え?」
「曲の名前」
「ノクトさん……!」
ノクトはそっとメルを抱きしめる。
絶対にこの温もりのあるところに戻ってくる。そう心の中で誓い、
「行ってくる」
「いってらっしゃい、ノクトさん」
ノクトは希望の唄の響く故郷を後にした。
終