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「この度は大変申し訳なかった」
「あら。伯爵様がご指示なさらなければ、こんな事にはならなかったのではなくて?」
このまま話を終わらせたら間違いなく貴族殺しの罪を公表されるだろうと、話を続ける為にかけた言葉だった。
苦し紛れの、みっともないただの負け惜しみだ。
しかし、それまで反応が薄かったにも関わらず、かちゃり、と伯爵の持つカップが音を立てた。
ーーー瞳の奥に、興味の色が見えた。
不可解な言動と、推測される犯行理由。
そうか。この男の狙いは。
「これは女の戯言でございますから、本気にはなさらないでくださいね」
「分かりました」
世間話でもするように、にこりと笑いかける。
脚を組み、手を組み微笑む男の顔はやはりどこか楽し気で。
ああ、全くなんて歪んだ男なのだろうーーーまるで、私みたい。
「伯爵様に私の身を拘束するようにと指示されたのは、とある高貴なお方。何故なら私が拘束されていた三日間は、王権に関する法の改正が審議されていた」
王位継承権についての審議ーーーそう、病弱な現王には一人しか子が居ないのだ。
先王が亡くなった前回の戦争で、王位継承権を持つ者はほぼ死に絶えていた。
王の子にもしもの事があれば、シャーリーは王族としてその戸籍を移される事となる。
さもなくば、虎視眈々と我が国を狙う敵国に王不在の国の隙を狙われる事となるだろう。
だというのに、その継承権を永久に剥奪する旨の法改正を王が推し進めた。
「私にも参考人として招集がかかっていた事をご存知なのでしょう?」
「それは勿論。一応は、貴女の婚約者ですから」
今まで会った事すら無いのに、と含み笑いを浮かべつつ目を閉じる。
生まれながらの婚約者とは言いつつも、姿絵と季節の手紙でしか遣り取りは無かった。
そう言う関係だと割り切っているから、そこに思う事は何もない。
だが、私の噂など何時でも何処でも流れるのだから、伯爵が知らないはずはないのだ。
「なら話は早いですわね。ーー私、見た目だけには自信がありますの」
「……それは、確かに。君はとても美しく王族の色を継いでいる」
青年は唐突な言葉に目を少しだけ瞠りながらも定番の賞賛の言葉を口にした。
聞き飽きた言葉だ。
けれどそれに対して、ありがとうございます、と薄っすらと笑ってみせ紅茶を口に含む。
「偉大なるお方の色を綺麗に継いだ娘が、あまりお継ぎになられなかった高貴なお方の前に出てしまっては色々と不都合だったのでしょうね」
奔放な噂話には一定の軸があり、それと状況証拠を鑑みるにーーー現王には、恐らく子をもうける能力は無い。
王妃に産まれた子は王には似ても似つかない顔立ちをしており、恐らくは血筋として王族とは別のものなのだろう。
ただでさえ実しやかに囁かれる疑惑なのだ。
王族として認められないながらも先王の娘であるシャーリーが公式の場に顔を出せば、王子の血筋に疑問をはっきりと呈する存在は幾らでも現れる。
それでは、王国が荒れる事は必至。
その一方で、もしもシャーリーが子を成せば、その子は正当な王の血筋なのだ。シャーリーが王位に立たないとしても、将来的にはその子供が王位を継ぐ事となる。
かの王ーーー血の繋がった兄は温厚で道理に反した考えをする方ではなかったが、愛する王妃に唆されて王家の血筋を残すという責務を放棄したのかもしれない。
「そして、あわよくば自然死に見せかけて…というお指示があったのではないかしら。だから、あの暴漢は私に食事をくださらなかった」
現時点では王位継承権が無いとは言え、騒動の種であるシャーリーが今日まで生きてこれたのは、王には他に兄弟が居らず、王子にも疑惑の目が向けられていたからである。
平穏を望みながらも刺激に飢えた貴族の一部は、シャーリーに対して厳しい干渉が入りそうになると頼んでもないのに声高にそれは不当だと声をあげていた。
シャーリーが暴力に依って死ねば、不貞を疑われる王妃に更なる疑惑が積み重なる。
王の異母妹には死んで欲しい勢力には、死に方に問題があればそれは諸刃の剣となる。
故に、食を自ら絶ったと見せかけようとしたのだろう。
「成る程。これは計画的な犯行だったのだと思われているのですね」
「……ただ不思議なのは、私があの屋敷を出る前に一人の男の訪問があったのです。暴漢が屋敷を出ていたちょっとの間に」
夕陽が沈む。
紅い光が、私の頬を染める。
青年の頬も、紅く染まる。
「黒ずくめのフードを被った人物でしたわ。ーー丁度、伯爵様くらいの背丈だったかしら。見覚えのあるナイフを私のドレスの中に忍ばせて、何も言わずに去ってしまわれたのだけれど」
「……それを使って暴漢を撃退し、懐中時計を奪ったと」
「いいえ、まさか。ここまで計画的に私を監禁しておられたんですもの。もしもあのナイフが私の家の物だったとしたら、私に罪を被せたい誰かさんの思い通りですから。………椅子で殴ったんですの」
でも、立派な正当防衛でしょうと嗤うと、男は張り付いたような表情を崩して、口元を押さえて笑いを噛み殺した。
「シャーリー。君は冗談がとても上手だね。うっかり本気で惚れてしまいそうだ」
「ありがとうございます。伯爵様のような優しい方と恋が出来たらどんなに素敵な事でしょう」
青年は苦笑いを浮かべながら呼び鈴を鳴らし、メイドに室内の灯りを灯させた。
冷めた紅茶を下げさせると、上機嫌にメモに走り書きをして侍従に渡す。
先程よりも、長く、詳細なメモを。
この様子ならば恐らくはあの暴漢の始末をさせるのだろう。
この男は趣味が悪いが、私に通じるものがあるから良く分かる。
たとえ甚振る為の鼠だとしても、彼を充分に愉しませればそれに見合った返しをするのだろう。
そして私は、充分にそれを果たした。
「ところでね、聡明なシャーリー嬢。君はきっと知らないだろうから、贈り物としてこの報せを贈らせてくれないか?」
「まあ、何かしら?」
足を組換えながらリラックスした様子で笑う彼の瞳は、その凡庸な容姿に似合わない狂気さえ覗かせて。
低く穏やかな声が、背筋を冷ややかに撫でた。
「さる高貴な方はね。病状が悪化してて、最近は寝台から出れない日が続いてるんだ」
「……最近?」
「そう。王宮に出入り出来た人間が最後に彼を拝見出来たのは、二月前なんだよ」
ーー二月前、継承権についての議会招集があった頃だ。
それまでは無干渉、もしくはシャーリーを王族な一員に加える手立てを探っていた彼が、急にシャーリーに対して明確な態度を示した。
ああ、でも。
もしもそれが隣国から嫁いで来た王妃による乗っ取りならば。
王は、本当にまだ生きているのだろうか?
王権を隣国に移されるばかりではないのか?
問題は、何故この男はそれを知りながらこの計画に乗ったのかだ。
実質的に王位に一番近いシャーリーに直接手を下そうと考えるなんて、随分と感情的で、穴だらけな計画なのだ。
親子間の仲が冷えていたとしても、父親を犠牲にして遂行するような計画だとは思えない。
あまりにもリスクが高い。
ーーもしかしたら。
この男はどちらに事態が転んでも、良かったのかもしれない。
私が無事に死んで、王妃一派から多大な褒賞を貰い受けても。
私が生き残って、父親の罪が明るみに出ても。
王の陰謀疑惑を煽り立て、私を掲げて革命を起こし、王位を剥奪するつもりだったのだろう。
莫大な富か、刹那的な権力。
そのどちらも手にいれられる立場に、王位継承の血筋の婚約者という立場に、この男は居たのだから。
理由なんて無い、ただの愉快犯なのだから。
他人の生死も、自分の人生も、婚約者の将来も、全てを踏みにじって愉しさを追求してるだけなのかもしれない。
そっと逸らした目を、もう一度男に向けたいとはとても思えなかった。