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湯を借り、用意されたドレスを身に纏い、軽食を口にした頃には既に日は傾き始めていた。
あの監禁部屋から脱出したのが日が登る前だったのだから、今日は珍しく充実した日だ。
普段の私は日がな一日お茶をしているのが仕事のようなものではあるが、貴族の女性はそれが普通だ。
一日をこんなにも目まぐるしく動くなんて、国王陛下ぐらいなものだろう。
王族は大変そう。
「それで、我が伯爵家の人間が貴女に何かしたとの事でしたか」
ぼんやりと外を眺めていると、対面に座った婚約者がようやく口を開いた。
客間の応接室で椅子にゆったりと座りながら紅茶を口に含む様子は、確かに穏やかな青年なのだ。
だが、この毒気を抜くような柔らかな物腰や表情は少々ーーーー計算され過ぎだ。
やはりこの男がこの事件の首謀者、もしくは主犯の一人と見て間違いないのだろう。
誘導して腹の内を探ろうかとも思っていたのだが、この様子なら直球に聞いてしまった方が早い。
「ええ。大変申し上げ難いのですけれど……貴方の家の者に監禁されてましたの」
「そうです、か。何処に監禁されていたのかお聞きしても?」
歳下の女性に対しても、それがどんなに荒唐無稽な話であっても聞こうとする姿勢。
教科書通りの紳士である事は間違いが無いな、とどこかおかしな気分になる。
「伯爵家では、王都の東区の外れに別宅をお持ちでしょう?そこに三日程。逃げる際に屋敷の紋章をお見かけしまして、伯爵家の物だと確信致しましたの」
「東区の……ああ、確か父の所有の私邸ですね」
「あの屋敷、は?」
「ええ。東区には父の思い人がおりましたから」
伯爵は、屋敷と自由を与える代わりに伯爵位を譲って頂いたのです、と恥ずかしそうにはにかんで言った。
……女に現を抜かして貴族の地位を放棄したとなれば、確かに恥ずべき事なのだが。
そこははにかむところじゃない。
話が逸れ始めている、と気付きながらも指摘せずに紅茶を口に含むと、青年は咳払いをして自ら話題を戻した。
「シャーリーの見間違いだったとは思いませんが、紋章だけでしたら誰かが我が家を騙ったのかもしれません」
「ーーええ、その可能性はありますわね。ですから私、屋敷から逃げる際に、様子を見に来ていた暴漢からこの懐中時計を奪ってきましたの」
監禁事件の犯人を示す、私のたった一つの切り札。
もしもこれすらも、贋作であったならーー私は侮辱罪に問われる。
鎖を青年の前に垂らした。
ちゃらり、と硬い音を立てて揺れる鎖の先に吊るされた懐中時計の裏側を見せると、はにかんだような淡い微笑は困ったような表情へと変化した。
懐中時計は隣国から技術が伝わって来始めたばかりで、金を積み、伝手を活用し、職人に一つ一つ丹精込めて作成してもらう物。
裏側には依頼主の名前と、製作者のサインが刻まれる。
当然、こんな贅沢品を作れる貴族は数が限られてくる。
同じ意匠で造らせる、同名の貴族なんてまず存在しないと見て間違いがない。
証拠としてこれ以上の物はない。
さあ、これでどう出るかーー。
「……確かに父の名前だ。これは大変な問題です。シャーリー・ウッド嬢、伯爵家を代表して貴女に謝罪を申し入れたい」
「………」
予想に反し、否定するかと思えばあっさりと肯定し謝罪まで口にした。
シャーリーの複雑な立場を考えれば、この事件について罪を認める事は自殺行為に等しい。
豪胆なだけのうつけか、それとも何か策でもあるのか。
謝罪の申し入れに対する返答は口にせず、目線を逸らした。