暗黒騎士
「……怖かったんだ」
クレイドは息を吐いた。
テスもクレイドも気付かぬうちに、夜になっていた。
「悪かわからない人間を殺すことよりも、自分の手が血で重くなることよりも……あいつとの関係を壊してしまうことが、何より怖かった」
剣を持つ手がわずかに震える。
「俺はあいつと同じ場所で育ち、同じ景色を見てきた。魔王になる前のあいつは……怠け者で、少し口の悪い友人だった」
視線が遠くなる。
遥か過去に思いを馳せるように。
「だからこそ、逆らえなかった。間違っていると分かっていても、それでも俺を必要としているという事実に、縋ってしまった」
路地裏の血溜まりが月光を反射する。
「魔王軍幹部として剣を振るうたび、俺は自分に言い聞かせてきた」
――これは平和のためだ。
――これは必要な犠牲だ。
「だがな……それを続ければ続けるほど、意見を言える友人ではなく、命令に従う剣に成り下がっていく自分が見えてしまった」
テスは無意識に腕を組んでいた。
「……だが、貴様は違った」
クレイドは顔を上げ、テスを真っ直ぐに見る。
「俺を見て何者かを知ろうともしなかった。恐れも、憧れも、敵意も向けなかった。ただ、道を踏み外した友人を叱るように、人斬りに用はないと吐き捨てた」
そこまで深い意味はなかったんだが。
口に出すことはできない。
「それは、俺が恐れて言えなかった言葉そのものだった」
クレイドは、ゆっくりと剣を地面に置いた。
「……カイザー。おそらくは雌伏の時だろう。だからこそ貴様に聞いてみたい。貴様の目指す未来はなんだ?」
「無論、平和だ」
村での平和なスローライフ。
それだけは変わることがなく、澱むことのない希望。
考える間もなく言うことができる。
ただし、その意味が正しく伝わっているかは別だった。
見定めようとしている男の答えを聞いてクレイドは――迷いなく膝をついた。
「……カイザー。俺は魔王を裏切るつもりはない。あいつは俺の、たった一人の友なんだ」
頭を垂れ、そのまま続ける。
「だが、友が道を違えた時、それを正してやるのが……俺の役目だと思う」
「それは……そうだろうな。だったら、地面に転がっている剣を取り、今から魔王へ殴り込みに――」
「そう言ってくれるな……ちゃんと言えるさ」
意地悪をするなと言わんばかりに。
対するテスは、変な奴と関わり持ってしまったという予感だけは感じとっていて、この場から離れようとしていた。
だが、逃げるにはもう遅い。
「――俺は魔王軍を抜ける。そしてこれより、カイザー。貴様の軍門へ降る。友の目を覚まさせるため、その主として、あなたを選びたい」
プロポーズのような言葉。
テスは呆けた顔で聞いていたが、やがて首を横に振って――。
「ちょっと待て。俺はギルドを作ったばかりの一般人で、お前のロールプレイには――」
「分かっている。俺を試しているんだろう? 安心してくれ、いつまでも良いようにされていた俺だ。……待つことはできるさ」
完全に誤解されている。
かなり致命的な方向で。
「いや、だから待て。俺は――」
そこまで言いかけて――。
「――おい! そこで何をやっている!」
路地の入口から怒号が響いた。
松明の光が壁に揺れ、複数の影がこちらへ向かってくる。
(……あ、これヤバくない?)
テスは理解した。
この状況で説明を始めて許される未来は存在しない。
クレイドは一瞬だけ振り返り、舌打ちした。
「……憲兵か。早いな」
「早い!?」
「行動の周期くらいは頭に入っている。今日は普段よりも早い」
ロールプレイに本気すぎるだろ。
思わず脳内でツッコんだテス。
「お前達! 武器を捨てて両手を上げろ!」
憲兵たちが剣を抜き、包囲を狭めてくる。
倒れている死体。床に転がる業物。その隣に立つ二人の男。
(……どう見ても共犯だ)
冷や汗がテスの背中を流れ落ちた。
「カイザー」
クレイドがテスを見た。
「走れるか」
「……は?」
「今ここで捕まれば俺達の望む世界は作れない。逃げるしかないだろう」
憲兵の一人が叫ぶ。
「逃げる気か! 包囲を――」
「仕方がない」
言葉が終わる前にクレイドが動いた。
剣を振るう――のではなく、姫を抱えるようにテスを抱えて地面を蹴る。
「――失礼する」
「うおおぉぉぉぉおおぉ!?」
視界が回転した。
クレイドは路地裏の壁を蹴り、屋根へ。
常識外れの跳躍力で、テスごと街の闇へ飛び込む。
「止まれぇぇぇ!」
背後で数人の怒号が響く。
だがクレイドは止まらない。
屋根から屋根へ、夜のログレアを疾風のように駆け抜ける。
「ちょ、ちょっと持ち方ってもんが――」
「安心しろ。落とさない」
「そういう問題じゃない!」
細身の男が大男を抱えている図は歪で。
だが、抱えている腕は驚くほど安定していて、揺れも衝撃も最小限だった。
どれほど走ったのか分からない。
屋根の傾斜が緩やかになり、街灯の数が減り、代わりに木々の影が増えた頃、クレイドは足を止めた。
そこは見慣れた森。
テスの案内の元、幸せの森本拠地へと帰ってきたのだった。
クレイドは最後に一度だけ跳躍し、地面へと静かに着地する。
そして、ようやくテスを下ろした。
「……到着だ」
「ずいぶんと強引だったな」
軽く抗議すると、クレイドは肩をすくめた。
「結果的に生きている。問題ないだろう」
「……まぁな」
心臓がまだうるさい。
足が少し震えているのを悟られないよう、深呼吸をする。
「それにしても、まさかギルドを隠れ蓑にするとはな。考えたものだ」
「いや別に、そんなつもりはないんだが……」
ここに来るまでの道中で説明したものの、クレイドはギルド運営を信じきれていなかったらしい。
「とはいえ基盤ができているのなら安心だ。俺は魔族だ、登録はできないが、これからは俺も参加するとしよう。他の配下への挨拶もその時だな」
ボズもレイラも今のところ姿は見えない。
どうやら、ここには俺達しかいないらしい。
このロールプレイ男を見て彼らはどんな顔をするのだろう。テスはため息を吐く。
「……ともかく、世話になったな」
テスがそう言うと、クレイドはわずかに目を細めた。
「礼を言うのは俺の方だ。……悪くない時間だった」
言葉と同時に、クレイドの口元がほんのわずかに緩んだ。
笑顔だった。
一瞬だけ月明かりに照らされたその表情は、路地裏で見せていた冷たい騎士のものとは違っていた。
「……なぁ」
テスは思わず口を開く。
「お前は笑顔の方がいいな」
一瞬、クレイドは言葉を失ったように見えた。
それから苦笑する。
「……あいつにも、同じように言われたことがある」
月を見上げ、静かに息を吐く。
「……俺がお前と出会ったのは、運命のようなものなのかもしれない」
しばしの沈黙。テスは「イケメンとはいえ男と運命の糸が繋がっているのは嫌だな」なんて考えていた。
やがてクレイドは、外套の内側に手を入れた。
「そうだ。これを渡しておこう」
差し出されたのは小さなガラス瓶だった。
その中では、淡い光を放つ液体が揺れている。
「……これは」
「流石の慧眼だな。そう、エリクサーだ。先ほどの男を殺した目的はこれだった」
エリクサー。どんな傷であっても、命を失った瞬間であれば死さえも克服できると言われている伝説の薬。
テスも存在は――前世でプレイしたゲームの影響で――知っていたが、この世界にもあるとは思っていなかった。
(まぁ十中八九、これは偽物だろうけどな)
仮に殺された男が悪の商人だったとして、せいぜいハイポーションくらいの代物だろう。
そう考えるが、ここまで運んでくれた礼として乗っかってやることにする。
「……魔王がこれを必要としていたんじゃないのか?」
「そうだが、もういいんだ。これは命を繋ぐものだ。命を奪う俺や魔王ではなく、貴様のような男が持つべきだろう」
「……ありがとう」
受け取ると、クレイドは満足そうに頷いた。
対するテスは目の前で捨てるのも可哀想だと、とりあえず着ていた服のポケットへ入れる。
「借りはこれで一つ返した。残りは……また今度だ」
「貸した覚えはないんだが」
「ふっ……あくまでお前は対等に扱ってくれるわけだ。だが、そうもいかない。貴様は俺の主なのだから」
「とりあえず、人は殺さないように」
「努力しよう」
信用できない返事だった。
「今日は帰る。片付けるべきことが残っているからな」
クレイドは森の奥へと歩き出し、途中で一度だけ振り返る。
「カイザー」
「なんだ?」
暗黒騎士は、ひどく真面目な顔でこう言った。
「朝会は何時からだ? 昼飯は持参した方がいいか?」
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