真田ムラマサ (1)
怒号と悲鳴が耳朶を打ち、炎に煽られ生まれた熱風が雪を孕む冷風とともに頬を撫でる。 ドクンドクンと胸を打つ鼓動が速くなるのを感じる。
真田ムラマサは知らず知らずに精神が昂揚していくのを自覚する。
「あはっ!」
不意に声が洩れた。
楽しい。
凄く楽しい。
わくわくする。
ドキドキする。
真田ムラマサは気付かない。
その感情が如何に異常であるのか、を。
何故なら、真田ムラマサの目の前に広がる夢のような情景。平穏・平和といえる平成の日本という世に生まれた者にとっては悪夢のような目を背けたくなるような光景。
血飛沫が舞い、悲鳴が木霊する暴力が支配する空間。
そこは正に戦場だったのだから。
後にロゴス大陸全域に広がることになる戦雲。その始まりを告げる北方の大乱と後に呼ばれることになるアテネス第二帝国に対する北方亜人種族連合による蜂起。
その幕開けを飾ることになる北方亜人種族連合によるクリシュナ大地峡に築かれた北壁城砦に対する攻略戦。これは、その一場面である。
前衛であるオーク前衛槍兵隊の損耗は戦いが始まって既に二刻経過している現在に置いて酷いものになっていた。
開戦時総数千を数えていたが、今では三百を切るほど減少していた。隊列を組み、槍を振るうその誰もが皆傷ついていた。それでもなおその顔は戦意を湛え、敢闘の意志を感じさせるものであった。
その隊列の後方、自らの背よりも高い槍に寄りかかるようにその場にへたりこんでいる男がいた。もう動けないのだと。もう無理なのだと。そう全身で語るように傷つきつかれきっていた。
その場にいる誰もが皆、彼の存在を無視していた。
その場にいる誰もが皆、しょうがないことなのだと理解していたし、たった一人に関わっていられるほど暇でもなかった。ただ我武者羅に只管に、目標に向かって突撃する。それが義務であり、命令であった。
だけれど、ただ一人。そう一人だけ納得し妥協することが出来なかった。だからこそ、彼は行動する。それが異邦人──真田ムラマサの生き方だった。
「おい、こらっ、なにぼさっとすわってんだよ、こらっ!」
そういいながらムラマサはへたりこんでいる一人のオークの尻を蹴る。
「──っ!」
背後からの突然の罵声、そして感じる衝撃と痛みに思わず声にならない悲鳴をオークは上げた。
そして胸倉をつかまれ、無理矢理立たせようとするのだが、足に力が入らず吊り上げられているような状態で顔と顔を無理矢理向き合わされる。
「あぁ? んな声上げられんならやれるよなぁ? まだまだ元気が有り余ってるよなぁ?」
オークの瞳にはにやにやといやな微笑を浮かべる人間が映る。刹那の瞬間かつて己に石を投げ、逃げ惑う姿を嘲笑っていた人間達の姿を思い出す。何故ここに人間がいるのか? 一瞬そんな疑問が浮かび直ぐに思い出した。そうだ、こいつは──。
「異邦人──ムラマサっ!」
半年前、突如としてこの世界に現れた人間。
人間にして人間以上の力を持ったナニカ。
そして亜人以上に人から迫害を受けた人間。
それが異邦人──真田ムラマサである。
「ははっ! 叫べんじゃねぇか!」
ムラマサは鬼のように大笑する。その貌に自身気付かぬまま。
そしてムラマサは戦場の一角、最激戦地区である城塞へと指をむけた。
「ならヤるぞ。お前の征くべき場所はあそこだ! お前が死ぬべき場所はあそこだ! ただ我武者羅に只管に戦えよ。殺せよ。てめぇで選んだことだろう。てめぇで望んだことだろう? 守りたいって、自由が欲しいって、手前らが決めたことだろう? 始めた戦争だろう? 尻は俺が持ってやる。だったらやるしかねぇよなぁ、やらないわけにゃいかねぇよなぁ。あぁ? 分かったら立ち上がれよ。じゃなけりゃ──」
俺がお前を殺しちまうぞ?
そう瞳で語っているのを彼は確信した。
恐怖が全身を駆け巡り、我を忘れ立ち上がると、雄たけびを上げ、敵に向かって吶喊する。後に彼は語る。アレよりもまだ戦うほうが恐くない、と。
「やりゃあ、できんじゃんかよぉ」
呵呵大笑とばかりにその後ろ姿を見て笑うと、要塞の上空へと目を向ける。次いで生物の肝を震わすような咆哮が戦場に響き渡った。
そこには亜人種族連合の隠し玉であり切り札──竜騎兵隊──の出陣である。
「騎兵隊の登場ってか。ははっ、おもしろいなぁ。すっげぇおもしれぇ」
ムラマサの目にはアメリカの西部開拓時代に活躍した騎兵隊のように写り無性に笑い声が湧き上がってきた。
げらげらと笑いながら、腰に佩いていた一振りの太刀を抜く。それはムラマサが滞在していた村の倉庫で埃を被っていたモノ。真田ムラマサと同じく、この世界に流れ着いたモノであり、銘を二世村正(銘が磨り潰されているためムラマサ自身はそのことを知らない)という。つまり世に名高い、妖刀村正であった。
「じゃあよぉ、逝こうか。きっと面白いぞ」
ムラマサの背後に控えていた十数人ほどの兵達に言った。彼等は亜人種族連合からはムラマサ隊と呼ばれ、遊撃隊のような役割を期待されていた。そしてムラマサ隊を構成する人種は様々ではあるが共通する部分があった。誰もが皆、ムラマサの為なら命は惜しくない者たちだった。狂信といってもいい。だけれど、ムラマサ自身はそれに対して頓着していない。好きにすればいいとすら思っている。自分の命なのだ。自分の好きにすればいい。例え誰かのために死のうが、自分で望んだことなのだから責任は自己にある。
ムラマサの言葉を彼等は了解の代わりに行動で持って返事とした。無駄な言葉を発さず無言で整然と行動する彼等の練度は見るだけで判るほど高かった。彼等は志願者の中から振るいにかけられムラマサ自身の手により選抜された精鋭だったのだから、それも当然であった。
築城されてより百年近い間、アテネス第二帝国の北辺の守りの要であり、北壁と呼ばれその地の亜人種族及び、北方蛮族と呼び忌み嫌っていた少数民族を睥睨していた砦がいま燃えていた。
雪の舞う夜空を焼く様に朱紅に燃え上がっている。
元々、空に対する守りは薄く精々弓矢程度の備えしか無く、初期の防衛戦で恐るべき威力を誇った魔術師も終末段階に入った現段階に置いてはその魔力もほぼ尽きかけており、時折思い出したような光弾が空を駆け、竜騎兵隊に若干の被害を与える程度で推し留めるには到底足りず実質無防備とすら言えた。だからこそ、空を竜が好きに舞い、容赦のない紅蓮の炎を撒き散らしていた。
灼熱のドラゴンブレスが鎧もろとも兵士を焼く。絶叫を上げながら城塞から転げ落ちる兵士達。投石器により放たれた岩石により所々粉砕される城壁。魔法によって壊され、場合によってはファイアーボールの直撃により融解されたゴーレムの残骸。力尽き折り重なる雑多な傷を負った多種多様な兵士達の屍骸。
そんな激戦が続く城壁に掛けられた攻城用のはしごを上り、攻め寄せる亜人種族連合の兵士達の手により遂に大門が開かれた。
それを見ていた兵達の仲から鬨の声が沸きあがる。
一気呵成に内部へと攻め上がる兵士たち。ムラマサ達も城塞内へと駆けた。
至るところで金属同士のぶつかり合う甲高く硬質な音が響く。施設ともども破壊するような魔法が随所で炸裂する。
それらにかまうことなくムラマサたちは走る。疾る。
角を曲がるたびに帝国兵の悲鳴が上がり、血風が舞う。
その血を拭うことなく、気にすることなく、ただムラマサ達は駆ける。
もはや後がないと悟っているのだろう、文字通り死力を尽くし向かってくる帝国兵たち。ムラマサに付き従う兵士たちも一人二人と傷つき落伍していく。
だがムラマサはそんな損害に構うこと無く進む、進む。
直きに目当ての広間に出た。
謁見の際に使用される大広間である。
そこには最早己が運命を受け入れたこの城塞の主が居た。
北壁城砦の主に相応しい威厳を纏い、悠然とした風に玉座のような椅子に座っていた。
既に城塞の放棄は決定されており、退却のための指揮は次席指揮官に委任している。故に、現在城塞内にいるのは少しでも退却の援護になるように時間を稼ぐため志願した死兵といえる兵士達である。そして彼もまたその一人であった。
黒色の鎧に身を包んだ彼は思う。どうしてこうなったか、を。
予兆はあった。
アテネス第二帝国が成立するより以前からあった亜人種族および北方蛮族に対する強圧的な搾取及び弾圧。そしてここ数年にわたる凶作による慢性的な食糧不足。
これらが折り重なり度々、小規模な反乱が起きた。その都度、武力で持って鎮圧した。彼等にとって畜生も同然だと思っている亜人に対して融和など持ってのほか、誰の目にも明らかな武という威をもってしかこの地を統治するしかないと思っていたのだから、当然の行為であった。
だが、鎮圧されたからといってアテネス第二帝国に対する敵愾心が消えるわけも無く、目に見えない火種の様に燻り続けていた。そして、それが強力な指導者の出現により一つに纏まり一気に噴出し、燃え上がった。
それに対して、有効な手を打てなかった自分が、そして甘く見ていた帝国上層部が悪いのだろう。彼は思う。この蜂起を鎮圧できたとしても大きな傷を帝国は負うだろう。もしかしたら致命傷になるほどの。
乱世が来るな。
内心でそう呟き、少しばかりそれに参加できないことを惜しんだ。
もう少しばかり若ければ、この場に留まることなどせず生き残ろうとしたのだろうが。その結果、北壁城塞がここまで粘ることもなく陥落するだろうがしょうがないだろう。傍目から見て有力と呼んで差し支えない程度の戦力が駐屯していたとはいえ、戦力差が有り過ぎた。特に制空権を決める竜騎兵隊が居ないのは致命的だった。酷く手間と金がかかる兵種である竜騎兵が要所とはいえアテネス第二帝国にとって紛れもない辺境であるここに常駐する道理はなかったし、いまこの瞬間まで必要であるとも認識してこなかった。
そして彼の脳裏に重苦しい表情の医者から数ヶ月前に宣告された病のことを思い浮かべ、それが未練だということを自覚する。まあいい、精々楽しませてもらおうか。何せ人生最後の戦だ。
年甲斐もなく気分が滾るのを自覚する。笑い声さえあげそうになるほどだ。
つまり、最早勇ましく死んでみせる以外に辺境伯である私が祖国に対する忠誠を示す術は残っていないわけだ。
出来の良い冗句を思いついたような気分だった。苦笑する。一体、偉大というしかない建国王である初代国父が今の現状をみたらどう評するのだろうか。
第一帝国の崩壊より数百年。群雄割拠の戦乱期を潜り抜け、第二帝国が成立し、その建国の理想が失われて既に百年以上が過ぎていたが、果たして帝国とはいつの間にここまで零落れてしまったのか? と自問するが簡単にその答えがでそうには無かったし、そもそも時間があまり残されてはいない。
まあいいさ。
帝国軍に奉職して数十年。家は既に息子が継ぎ、孫の顔も見、抱くことさえ出来た。ならば思い残すこともない。
そして、まるで賓客を出迎えるように彼は椅子から立ち上がった。己が首を求めやってくる者のために。
「化け物どもがくると思っていたが、真逆人間が一番で来るとはな……」
ムラマサの姿を見ると、彼は皮肉気にそう言うとくっくと喉を震わすように笑う。
「はんっ、んなこたぁどうでもいいだろう? どうせ死ぬんだ。誰の手にかかっても大した問題じゃぁねぇだろう。お前にとっては、な」
「大した問題だよ、まぁ見解の違いだといえばそれまでだがね」
彼は見事な装飾の鞘から両刃の剣を抜いた。常日頃から手入れを欠かさずにいるのだろう刀身に刃こぼれや曇りひとつなく、鈍く灯火を反射していた。
「正直、手前には恨みはないが、受けた恩がある。返しても返してもなくなんねぇ大恩だ。だから悪ぃが死んでくれや」
「死んでくれといわれて素直に死ぬ奴がどこに居る? その恩とやらを聞きたい気もするが、……最早、是非もなしか」
諦観の混じった声で呟くと、彼は剣を構える。ムラマサの目から見ても隙のない見事な構え。
「いいねぇ、そうでなくちゃ」
いいな、いいぜ。興奮するよ。
自然とムラマサの頬が緩む。
そんな喜色を隠すこと無くムラマサは言った。目の前の相手は強い。目を見るだけでそれが判る。だから楽しい。わくわくする。どきどきする。
「お前ら手ぇだすなよ。出したら、出した奴の首を叩っ切っからな」
視線を城主から離すことなく背後に向かってムラマサはいった。
その言葉が至極本気であることを付き従う彼等は充分に承知していた。
正直な人だった。
素直な人だった。
愚直な人だった。
だからこそ自分は、自分達はここまでついてきた。
「ご随意に」
彼等の中でムラマサの副官格である者がそう応え、残りの者達に指示を出す。指示を受けた者は彼等の戦いの邪魔が入らぬように警戒態勢に移行する。
「はは、あんがとよ」
後ろに片手を上げ軽く振りながらムラマサは言った。素直な感謝の言葉である。
さて、始めようか、ね。
剣道も含め、刀に対して心得は寸毫もないどころか竹刀や木刀すら握った事がなかった。故に無造作に刀を構える。素人丸出しであるものの、不思議と致命的といえるほどの隙もない。
才能である。
そうとしか言えないほど、短期間でムラマサは強くなった。
そう、強くならなければならなかった。でなければ、今この瞬間を生きていることが出来なかった。
文字通り、ムラマサにとってこの世界に来て以後、生きるということは戦うということと同義であった。そして、ムラマサは生死をかけた戦いの中で楽しみを見つけた。それは歪みというには少々大きすぎ、だけれど誰も矯正する者もいないため、大きくなるほか無く、いまや壊れていると称してもいいほど大きくなっていた。
傷つき、傷つけ、生を実感する。
正しく戦争狂。或いは死狂い。
だからこそ、これから始まる短く熱い時間に思いを馳せ、知らず知らずに唇の端が歪む。爛々と怪しく輝く双眸と供に、異相と呼ぶに相応しい形相。
『鬼に逢うては鬼を切り、仏に逢うては仏を切る』
仏教の言葉である。
そしてムラマサはその言葉を体現していた。
真田ムラマサは情の人である。
受けた恩は忘れず、報いるべきだという信念を持っていた。
受けた仇は忘れず、報いるべきだという信念を持っていた。
だからこそ善も悪も無く。ただ己が受けた恩を返すため。ただ己が受けた仇を果たすため。刀を振るう。
血飛沫の中舞うその姿は人にして人に非ず、正に鬼。
現人鬼。
故に──悪鬼ムラマサ。
これは、後にそう呼ばれることになる一人の男のはなしである。
次話は出来る限り早く投稿します。