第二章 運命の邂逅
守護龍シャマトの逝去から七日後の午後四時、魔人国の王都ベルーナは戦火に包まれた。
「東の平原に展開した兵五千、壊滅!」
「帰還兵を東城壁守備に回せ! 防衛結界を張り続けよ!」
「中央戦線から消失していたソーレ軍の騎兵五千、天雷の聖女と共にスラバ渓谷から出現! あと一時間で北城壁に到達します!」
「西城壁の兵三千、南城壁の兵千五百を北城壁前に布陣! ソーレ軍に応戦させろ! 西部戦線からの援軍はまだか!」
「『赤獅子』は現在カバラに! 最短でも二日かかります!」
まずい、まずい、まずい! 反撃の手札がない。このままでは磨り潰される!
「報告します!」
「なんだ!」
「王都内部に敵対勢力が出現! 東城壁の結界棟が破壊されました!」
士官は続けて述べる。今や魔人国で最も恐れられる、怪物の名を。
「兵数は一、四戒剣の一振り『運命剣』ミステリアです!」
「離さぬか!」
激昂し、将校の手を振り払う。
「脱出だと! 臣下たちを置いて逃げることなどできるか!」
「申し訳ありません殿下。これだけは譲れません」
将校は厳粛な態度で言葉を続ける。
「結界棟が落ちました。じき東城壁は破られます。北からソーレ軍も迫っている、王都は陥落するでしょう。こうなった以上、殿下の命だけでも御守りしなければなりません」
「しかし!」
「殿下、どうか聞いてください。魔王の血はこの国で最も尊ばれるもの。貴方様が生きていれば、人民はまた光を見出すことができるのです」
「くっ……」
時間がない。退くにせよ残るにせよ、決断しなくては。
――王都は、落ちる。
すまない戦士たちよ。至らぬ私をどうか許してくれ。
「武運を祈る!」
「ありがたきお言葉」
士官を二人伴い、アイリーンがその場から走り去っていく。
小さくなっていくその背を見送り、将校は彼女の無事を祈った。
「アイリーン様、どうか貴方に、太陽の祝福あれ」
「殿下、こちらです」
士官二人に先導され、私は王都の南にある大聖堂へ向かう。
大聖堂には古の時代より存在する魔法陣がある。
現代の技術では再現できないそれは、遠く離れた地への転移を可能とする。
未だ解読できていない詩文も多く、どこに転移するのかもわからないが、この状況下ではそれを頼るしかない。
裏路地を抜け、大聖堂に続く広場に着く。
階段を登り聖堂の扉に手を掛けた時、背後から士官の声が聞こえた。
「殿下! お逃げっ――」
声に反応して振り返ると、士官たちは石段の上に倒れ伏していた。
頭と胴を切り離された状態で。
「ごめんね」
遺体の傍ら、桜色の髪を揺らめかせて女が立っている。
その手には血塗られた剣が握られていた。
女は遺体の前にしゃがみ込むと、悼むようにその背に手を当てる。
「ふざけているのか。その者たちは国に仕えた誇り高い戦士だ。侮辱するな」
私の言葉に応じたのか、女は彼の背から手を放す。
女の顔がこちらを向き、蘇芳の瞳が私を射抜いた。
接近の気配を感じ、私は女を迎撃するため腰帯から剣を抜く。
私と女の間には、階段五つ分の距離が空いていた。
一段。女が階段を上る。
「私たちはこの戦争に、絶対に勝たなくちゃいけないの」
二段。女は灰色の軍服を着ている。腹部だけが露出しており、そこに三日月を象った刺青が彫られていた。
「太陽の光差す、恵まれた大地を手に入れるため」
三段。上腕と前腕に薄い金属の防具。機動力を重視したのか下肢には何も付いていない。
「どんな相手が立ち塞がっても斬る」
四段。返り血一つ見受けられないその身体から、強烈な血の匂いが放たれていた。相反する特徴の共存に、私は戦慄した。
「……外道が、綺麗ごとを抜かすな」
「……そうだね」
五段目。女の右太腿を狙った短剣は片刃剣の柄に呆気なく叩き落とされた。
短剣が玩具のような音を立てて転がり落ちていく。
斬られて、死ぬ。まだ何も、成し遂げていないのに。
「『運命剣』ミステリア、お命頂戴いたします」
運命の剣が私を両断すべく、闇の中で閃いた。
観念した私は目を閉じて襲い来るであろう痛みに備えていたが、それは一向に訪れなかった。
恐る恐る目を開くと、そこには我が父、魔王ジブリールが立っていた。
ミステリアは予想外の敵が出現したため、私を斬らず飛び退いたのだ。
「お父様……」
「我が娘アイリーン。今そなたが何をすべきか、わかっているな」
父の言葉で我に返った私は、頭の中を整理する。
今やるべきこと。それは大聖堂に向かい、転移の魔法陣で脱出することだ。
「はい。わかっています」
正面のミステリアから目を離さずに、父は私に答えた。
「ならばよい。ここからは父から娘への最期の願いだ。アイリーンよ、この国の民を守るのだ。嵐の中にあってもその眼を開き、我らの魂を光差す場所に導いてくれ。アイリーン。私はそなたを愛している。そなたはずっと、私の太陽であった」
両の目から涙が流れる。嗚咽を飲み込み、私は父の願いを受け止めた。
「必ず」
「……往け」
「ご武運を!」
涙を振り払い、大聖堂の扉を開けた。躓くのも構わず一心不乱に走る。
父の想いに報いる。私がこの国の民たちを、太陽のもとへ導くのだ。
アイリーンが大聖堂の奥へ消えていくのを見届け、魔王ジブリールがミステリアに向き直る。
「待たせたな」
「ううん。こっちも時間が欲しかったから」
懐から拳銃を取り出したミステリアが、その銃身を上へ向け発砲した。
いくばくかの間を置いて弾丸は破裂し、薄暗い夕闇を照らす。
その破裂音が響くのと同時、東城壁の歩廊が爆ぜた。魔人国の兵たちが羽虫のように落ちて。
歩廊に舞う粉塵の中から影が三つ飛び出し、照明弾の発砲地点へ集まっていく。
影たちは烏のように家々を飛び回り、蛇のように人の隙間を縫い、狼のように命を噛み砕いた。
そして。
獣が四匹、魔王に群がる。
「貴様らが四戒剣か」
無機質な声で魔王が問う。
問いに対し、それらは何も語らない。
一斉に抜き放たれた剣の響きのみが、魔王ジブリールへの返答だった。
「我は金剛魔王、ジブリール・ベルンシュタイン。我が弟の仇、ここで取らせてもらうとしよう」
魔王が構えた瞬間、剣が四本宙を舞う。
大聖堂前の広場は、命あるものが立ち入ること叶わぬ死界と化した。
大聖堂の奥、転移魔法陣のある部屋に辿り着いた私は、すぐに魔法陣の起動に取りかかる。
部屋全体に記述された詩文は読み取れないが、部屋の中心には魔力を陣全体に行き渡らせる宝玉が配置されていた。
この宝玉に魔力を注げば、王都から離れた場所に転移できるはずだ。
「ふっ……!」
一息に魔力を注ぐと、徐々に視界が歪み始めた。
壁に書かれた文字が芋虫のようにうねり、続いて周囲の物体の輪郭が把握できなくなる。
遠近感も消失し、自分の立っている場所を見失う。
私はわけのわからない空間に取り残され、その状態が継続した。
遂には時間の感覚もおぼろげになり、朦朧とした私の意識は闇の中に落ちていった。
頬を撫でる砂の感触で目が覚める。
いつの間にか気を失っていたようで、私の体は砂岩の床に横たわっていた。
起き上がり周囲を見渡すと、そこは朽ちた遺跡だった。
今まで王都で暮らしてきたが、このような場所は見たことがない。
気絶している間に運ばれた可能性は低く、転移が成功したとみていいだろう。
遺跡は壁も天井もところどころ崩れ落ちていて、隙間から朝日が差し込んでいる。
掠れた壁画と苔むした柱が、長い間ここに人が来ていないことを私に教えてくれた。
一般的な教会ほどの広さの遺跡が、鬱蒼と茂った森の中にぽつんと取り残されている。
周囲を確認するが、町や村に続く道のようなものは一つも見当たらなかった。
……空腹だ。ここに留まっていても仕方ない。私は立ち上がり、林に向けて歩き出す。
どこかで水と食料が手に入ればいいのだが……。
ふと違和感を覚え、立ち止まる。
血の匂いだ。
それは右手にある小部屋から漂ってきていた。
そこにいる何かの正体を確かめるため、少しずつ近づいて行く。
その者は壁にもたれて座っており、傍らにはその者の得物と思われる剣が落ちていた。
顔は陽光が作り出した影でよく見えない。右腕に大きな切り傷、左胸に突き傷があった。
重傷だ。このまま放置すれば命を落とすだろう。
相手から一メートルの距離まで近づき、その顔があらわになる。
そこにいたのは人間の男だった。
黒髪の隙間から覗くその瞳は、清流のような青をたたえていた。
「名乗るがいい、人間。遺言ぐらいは聞いてやろう」
アイリーンは白藍の瞳を見据え、毅然とした態度で問いかけた。
男が顔を上げ、二人の視線が交差する。
彼は自らの死を受け入れているのか、微動だにしない。
数秒の沈黙の後、彼は自らの名を明かす。
「アカツキ……。ただのアカツキだ」
太陽の魔王と暁の剣。
二つの運命が、今ここに邂逅した。