第十二章 白刃の輪舞、舌鋒の円舞
アイリーンの勇姿を見届けて、彼女の傍から離れる。
白銀の鎧に身を包んだ乙女と向かい合った。
俺と聖女以外誰もいなくなった空間を強い風がさらう。
先ほどまでここにいた魔人とソーレ兵は遠く離れた場所にいた。
俺と彼女の間に漂う鉄の匂いを感じ取ったようだ。
広場の端から静かにこちらを見ている。
「『天雷の聖女』リュミエール 神敵を討滅する」
正面から鈴のような声が聞こえた。
陽光を浴びる聖女の姿を見る。
ゆるぎない黄金の瞳。羽のように靡く金髪。額に描かれた灰の太陽。
心身ともに完成した戦士。その武力は四戒剣以上かもしれない。
運命剣。執着剣。慚愧剣。
右手の朱い月に目を向ける。
――行こう。
「『宿痾剣』月影暁 推して参る」
『いと尊き雷鳥よ、わが御手に留まり給え』
天雷の聖女の槍が雷を纏う。
向けられた殺気に呼応して、うなじの毛が逆立った。
……わかっている。
心を入れ替えても、魂に染み着いた血の匂いまで消すことはできないと。
けれど。
それでも俺は生きていたい。
今一度、刃紋に己を映し出そう。
『明鏡止水よ、月を映せ』
祝詞を唱えた。五感が研ぎ澄まされていく。
心臓の鼓動は速く、より疾く。
血は清水のように冷たく。
骨と筋肉は歓喜に打ち震えていた。
無理やりに意識が昂揚し、破壊衝動が頭を侵してくる。
大丈夫。戻ってこれる。
アイリーンが俺に、生きることを教えてくれたから。
――。
剣を握り。
大地を踏みしめ。
雷を振るう戦士を、真っ直ぐに見た。
「ゆくぞ天雷。宿痾の刃、捉えて見せよ」
瞬きより疾く両雄が激突した。
互いに決死。
死を覚悟して相手を屠ろうとしている。
彼らが武器を打ち合う度、大気が悲鳴を上げた。
火花が弾け衝撃の余波が土埃を吹き飛ばす。
間合いにおいてはリュミエールが有利。
彼女の槍はアカツキの刀より体一つ分長い。
正面から戦えばアカツキの斬撃より速く聖女の槍撃が届く。
しかし彼らが以前戦った時とは、戦域の状況が異なっていた。
ここは畑に囲まれた土の道ではなく、石畳が敷き詰められた広場。
『宿痾剣』の機動力が如何なく発揮される場所だった。
莫大な脚力が石畳を捲り上げる。
アカツキは広大な空間を驚異的な速度で駆け回り、リュミエールが構えた槍の反対側、彼女の背後に回ろうとした。
聖女が振り返り対応する。槍を短く持ち両足の間隔を狭め、近距離戦に備えた。
衝突。リュミエールの銀の籠手が砕け左腕に傷が付く。
黄金の瞳が僅かに揺れる。
白藍の瞳は動かない。
武装の取り回しにおいては刀の方が優れている。
移動時には納刀。攻勢時に抜刀。
襲撃。離脱。移動。
一連の戦法でアカツキが攻め続ける。
白刃が白銀を刻み、リュミエールの鎧が削れていく。
十四回目の衝突で聖女が仕掛けた。
迎撃すると見せかけ力を抜き、槍の柄で斬撃を受け流す。
アカツキは途中で騙しに気づいたが、勢いを殺しきれず体の向きが傾いた。
槍の適性範囲ではない間合い。リュミエールは敢えてそこにアカツキを誘いこんだ。
聖女はアカツキの僅かな隙を見逃さず、刀を持つ右腕に槍の柄を叩きこむ。
刀を取り落としかけた右手に追撃。
鋭い蹴りを放ち、刀を宙に撃ち上げた。
刀が地に落ちるまで三秒。この間武器を持つリュミエールが有利を取るかに思われた。
しかしここで『宿痾剣』の四戒剣たる所以が示される。
振り抜いた自身の足を聖女が地に付けるより早く、アカツキが彼女の槍を掴んだ。
天光ほとばしる、灼熱の槍を。
肉の灼ける音と共に白煙が上がる。されど彼は怯まず、槍の穂先を大地に突き刺した。
地に刺さった槍を中心にして、超至近距離の打撃戦が始まる。
聖女は右手で、アカツキは左手で槍の主導権を奪い合う。
空いた腕は相手の骨子を砕くために使われた。
アカツキの右肩に聖女の拳がめり込む、左胸に前蹴りが突き刺さる。
リュミエールの左腕にアカツキの裏拳が入る、右足に回し蹴りが当たる。
全く同時に頭突きが繰り出された。
肉が潰れ骨が軋む異音。
決して少なくない量の血が互いの額から流れ落ちる。
白藍の瞳と黄金の瞳が交錯する。
瞳が映す意志の色は、どうしようもないほどに同じ。
自らの望みを叶えるために。
立ち塞がる相手を粉砕する。
アカツキが歯を食いしばり全身に力を込めた。
頭突きで均衡した状態からさらに前進。リュミエールの体を押し出す。
天秤が傾く。体勢を崩した聖女の胸を、アカツキの肘打ちが捉える。
リュミエールの腕が槍から引き離された。
弾かれた彼女はその勢いのまま移動し、落下したアカツキの刀を拾い上げる。
リュミエールが刀を構えた瞬間、アカツキの槍撃が彼女に炸裂した。
速度は聖女の槍に及ばない。されど破壊力は担い手以上。
槍を迎え撃った聖女の体が衝撃を殺しきれず後退する。
互いの間合いが逆転した。
限界を越えた駆動に赤熱する頭を回して、リュミエールは戦法を機動力重視に、アカツキは戦法を破壊力重視に切り替える。
聖女は舞うように槍をいなし、すれ違い様にアカツキの心臓と足を狙う。
刀の間合いを熟知しているアカツキは損傷を最小限に留め回避の手間を省略し、浮かせた刻で攻撃を当てた。
得物を取り替えてもなお、両者の戦いの激しさは留まることを知らない。
骨が砕け、血液が飛散する音が断続的に響く。
それは天災と見紛うほどの力の暴走。
二人の英雄が、命を削って奏でる輪舞。
広場にいる他の誰も、近づくことさえできない。
「くっ……」
アイリーンを探して広場の中心近くまで来たが、これ以上進めない。
マグノリア広場の中心部は吹き荒れる砂塵に呑まれていた。
砂煙の向こうから地響きのような戦闘音が聞こえてくる。
宿痾剣と天雷の聖女の戦いによるものだ。
なんという暴力。これが英雄の戦いか。
このような爆音が響き渡っていては討論などできない。
戦闘が決着するまで待機するしかない。
砂嵐を見据えて、俺のやるべきことを思い返す。
この嵐が収まり次第、太陽魔王アイリーンを糾弾する。
民を扇動し困難な道へ進ませようとする彼女の意志を、現実的な視点からの批判で切り崩す。
お前が示す道の先には破滅しかないと。お前の勝手な願いに民を巻き込むなと非難する。
そうして彼女を言い負かし、再度公開処刑を行う。
それで終わりだ。
天雷の聖女と宿痾剣、どちらが勝つにせよ最後は民意がこの国の未来を決める。
天雷の聖女が勝てば良し。
魔人たちが聖女に抱く恐れを利用し、この場の民を心変わりさせる。
宿痾剣が勝っても関係ない。
手傷を負った宿痾剣ならカバラの騎士たちで十分押し潰せる。
アイリーンが『太陽号令』を発令してから起きた一連の騒動の本質は、戦力の多寡ではなく人民の意思だ。
俺が太陽魔王を論破すれば民の心は彼女の処刑に傾く。
周囲を見回しアイリーンの姿を探す。
この状況だ。戦闘能力を持たないアイリーンはどこかに避難しているはず。
人の身ならざる者たちの争いが終わったら、間髪入れず彼女を追及する。
……いない。
広場の外縁部にも、断頭台の近くにも。
――まさか。
まさか!
旋風の方へ目を向ける。砂塵の隙間から一瞬、赤い背中が見えた。
いる。
アイリーンが立っている。致死の攻防吹き荒ぶ、すべてを巻き込む嵐の中に。
「――いったいどこまで! 貴方は……っ!」
そこにいたところで何の意味もないのに。
巻き込まれて無意味に死ぬかもしれないのに。
己の眷属の勝利を信じて、雄々しく王が立っていた。
痛い。苦しい。吐き気が込み上げる。
吐いたら駄目だ。致命的な隙になる。
息から鉄の味がした。肺がいかれ始めている。
飛びそうになる意識を手繰り寄せて目の前の相手、天雷の聖女の表情を見る。
端正な白磁の顔に脂汗が浮かんでいた。
歯軋りして刀を振っている。
辛いのは自分だけじゃない。相手も俺と同じ人だ。
彼女の目がこちらを窺ってくる。
これだけ傷つけ合ったのに、その眼には怒りも憎しみも無かった。
強固な決意だけが映し出されている。
彼女の瞳の中の俺も、同じ眼をしていた。
聖女が俺の攻撃を紙一重で避け、そのまま槍の柄を両手で掴んだ。
聖女の手から離れて力を失っていた槍が、再び閃光を帯び始める。
危機。
怖気を感じ槍を手放し、すれ違い様に刀を掠め取る。
槍から閃光が飛び散り辺りを灼いた。
逃げ損ねた左足首が燃える。走りながら地面に擦り付け消火する。
「はあっ……はっ……」
「ふうっ……ふっ……」
間合いが開いた。
嵐が止み両者の間に距離が空く。
互いに自分の武器を取り戻し、戦闘の開始時と同じ位置に立っている。
しかし体力の状況は大きく異なる。
都合七十九の攻防で、二人の肉体は悲鳴を上げていた。
(相当な傷を負いました。左腕はもう当てにできません。右足の間接に打撃を食らったため機動力も低下。額の傷は軽微。胸の損傷は危険域。右掌の指は二本折れましたか。恐らく格闘した時。傷はあちらの方が多いはずですが、勝負は依然互角。致命的な傷を躊躇なく受け入れ、その代わりこちらにも痛手を与えてくる。過剰な生命力に頼った、防御度外視の特攻戦術――人間の戦法ではない。あちらの生命力が常識を越えていて、どの程度攻撃を当てれば倒れるのか不明な以上、長期戦は望ましくない)
(左掌火傷。矢傷二。右前腕擦過傷。右上腕打撲。左胸部肋骨挫傷。右胸心臓付近刺創。背面及び左大腿部に裂傷。出血甚大。戦闘継続――可!)
ほんの一瞬、彼らの間に静寂が訪れた。秒数にして一秒。
その僅かな時間で、両者は全く同じ結論に辿り着く。
詰まるところこの戦いは単純な消耗戦。
どちらの体力が先に尽きるかの我慢比べ。
拮抗した天秤がどちらに傾くかは運否天賦に委ねられる。
これまで自ら血路を切り開いてきた彼らが、そのような不確定要素を許す筈もなく。
自身の武力に絶対の自負を持つ両者は。
最大威力の奥義による、短期決戦を選択した。
実力は拮抗している。このまま続けても無駄に消耗するだけ。
俺は聖女を倒した後、アイリーンを連れてカバラを脱出しなければならない。
相討ち狙いは悪手。
あれをやるしかない。
すべてを裁断する、必殺の奥義。
それが当たれば俺の勝ちだ。あれは誰にも防御できない。
だから俺の考えるべきことは一つ。
どうやって聖女の槍を搔い潜り、刃の届く間合いまで入り込むか。
構えは正眼。刀の切先を彼女に向け、じりじりと近づいていく。
距離を詰めていることを悟られないように、少しずつ。
「月影暁。貴方では、私に勝てない」
半歩近づいた時、リュミエールが俺に槍を向けて言った。
――慈悲深いな。
ここまで来てもまだ、俺に逃げ道を用意してくれている。
「君は優しいな。リュミエール・ソレール」
金の瞳が僅かに細められる。すぐに元の険しい眼差しに戻った。
そう。俺はもう決めたから。
自分の意志で決めたから。
もう、逃げない。
「――俺は貴方を倒す。アイリーンのためじゃない。自分を見つけるために」
「――」
少しの間、静かになった。
黄金の瞳がゆっくりと閉じて。
雷鳴と共に開かれる。
晴天から舞い降りた霹靂が、天雷の聖女に直撃した。
槍を覆う閃光が膨張し、彼女の体を包み込んでいく。
白銀の鎧が赤熱。金色の髪が発火。額の紋章が一際強く輝く。
陽炎を伴って一言、リュミエールが俺に告げた。
「――灼けなさい」
来る!
『神託 アルギィス!!』
反射的に胸を守った瞬間、左脇腹が爆発した。
「ぎアっ――」
正面にいない。背後!?
振り向くと同時、眼前に槍の穂先があった。
軋む間接を必死に捻る。左のこめかみが燃えた。
飛んでいる。
とんでもない速度で天雷の聖女が動いている。
迅すぎて目で追えない。
伝わってくる熱と殺気でかろうじて方向がわかるだけ。
全力で右に跳ぶ。聖女の蹴りが背中に突き刺さった。
――反撃できない! 防御が間に合わない!
蹴り飛ばされている間の刹那、彼女の姿を見る。
雷の鳥。
浮遊している。足が地に着いていない。
天雷の聖女がやっていることは単純。
こちらに向かって槍で突貫する。そのまま通り抜けて俺の背後で停止。向き直って俺に再度突撃。
ただそれだけなのに、相手が迅すぎて何もさせてもらえない。
「ああっ……!」
体を縮めて耐えることしかできない。
どうやって飛んでいるんだ? 違うそんなこと考えてる場合じゃない!
どうやって――。
どうやって攻撃を当てればいい!?
徐々に体が削られていく。頭がぼうっとしてきた。
槍に弾かれて体勢が崩れる。刀を握る力が弱まり防御が遅れていく。
……あつい。とても。
火で炙られる魚はこんな気持ちかと、間の抜けた感想が浮かんだ。
駄目だ。もう。
「――あ」
防御の遅延が致命的な隙に達した。
左膝が地に着く。いつの間にか体中傷だらけだった。
左から灼熱の気配がする。
雷の鳥が、俺の心臓を貫かんと迫ってきていた。
防御はもう手遅れ。
死。
あと数舜で俺の命が灼き尽くされる。
――アイリーン。
最期に一目、彼女の顔を見たいと思って。
なんとなく右を見た。
そこに彼女がいるかどうか、わからなかったけど。
居たらいいなと思って、陽の光が差す方を見た。
「アカツキ」
太陽の瞳が俺を見ていた。
「勝て」
希望に満ち溢れた、微笑みを浮かべて。
「う」
太陽に導かれて――。
雷の中に飛び込んだ。
「おおおおおお!!」
体がぼろぼろでも関係ない! この一合に全て注ぐ!
相手がどんなに速くても関係ない!
天雷纏う槍の切先を――。
受けて、止める!!
本能だけで支えた刀の柄に、光が直撃した。
刃先を握った右掌から血が流れ、柄の端を持った左掌が燃え上がる。
「――!」
聖女の瞳が一瞬揺れた。しかし槍の勢いは緩まない。
刀の柄がひび割れ、押し込まれる踵が石畳を捲っていく。
止める! 必ず止める!
――止まれ!!
剣が砕けた。
柄は燃え尽き、刃が宙に浮く。
背中から二つ。暖かい体温が伝わってくる。
アイリーンが、両掌で俺の背を受け止めていた。
槍は、止まっている。
聖女の黄金の瞳が大きく見開かれた。
「馬鹿な――っ!」
背中から伝わる火種を魂に繋ぐ。燃え尽きた体に何よりも熱い血潮が巡った。
宙を舞う刃を両手で掴んで。
――解き放つ!
『抜刀 鏡花水月!!』
右から左へ渾身の力を込めて刀を振る。
刹那。影の太刀と光の槍が衝突した。
聖女が驚くべき反射速度で、刃と体の間に槍を捻じ込んだ。
黒鉄と白銀がせめぎ合い、闇と光が互いを喰らう。
「「「ああああああ!」」」
「く、だ、けろおおおお!」
一筋。光に黒くひびが入る。
「「おおおおおお!」」
「――ッッ!」
俺は道具じゃない! 俺は人だ!
それを証明する!
「これが俺の! 俺たちの意志だあああ!!」
鋼の刃を振り抜いた。
砕けた槍と共に聖女が吹き飛び広場の外、煉瓦の壁に叩きつけられる。
壁が崩れていき、やがて聖女の姿が見えなくなった。
静まり返った広場、太陽が照らす場所に、俺とアイリーンが立っている。
――勝った。
「……勝ったよ。アイリーン」
「ああ。頑張ったな、アカツキ」
アカツキが天雷の聖女に勝った。
「天雷が敗れた! 退却! 退却だ!」
旗を放棄したソーレ兵が聖女を抱えて走り去る。他のソーレ兵も彼に続いて撤退していった。
私とアカツキ、そしてシャムスの魔人たちがこの場に残った。
「うぐっ……」
「アカツキ! 大丈夫か!?」
よろめいたアカツキの体を支える。ところどころ傷だらけだ。彼はもう戦えない。
「アイリーン……ごめん。もう、戦う力が残ってない」
苦し気な顔をしてアカツキがうなだれる。
「大丈夫だアカツキ。よくぞここまで戦ってくれた……後のことは私に任せろ」
白藍の瞳を見て彼に語りかける。傷に障らないよう注意して、彼を座らせた。
かつかつと。
背後から足音が近づいてくる。振り返るまでもなく、そこに誰がいるかわかった。
――来たか。
最後の詰めだ。アカツキは私の声に応えてくれた。次は私が前に立つ。
踵を返し。
天空を仰いで。
瑠璃色の瞳を、真っ直ぐに見る。
短剣の先端を私に向けて、シモン・ハスターが立っていた。
「かかって来いシモン・ハスター。太陽の意志、砕けるものなら砕いて見せよ」
「とんでもないことをしてくれたな。天雷の聖女を退けても焼け石に水。停戦契約は白紙になった。どう責任を取るつもりだ」
「責任か。それは私個人ではなく国民一人一人が取るものだ。シャムスは今や国民が主導する国となった」
「戯言を……貴様が民を唆したせいだろう。貴様の宣言は敗北者が苦し紛れに吐いた詭弁だ。子供の駄々のような理屈をソーレが受け入れると思っているのか」
「受け入れないだろうな。だがそもそもソーレの了承など必要ない。シャムスのことはシャムスの民が決める。必要なのは他国の承認ではなく、自国民の納得だ」
「その結果多くの民が死ぬとしてもか!? 知識と理念を以て国民をより良い方に導くことが首長の責務だ! 貴様はそれを放棄している!」
「シモン。いつかした問いを今一度訊こう。そなたの理念は何だ」
「国民の安全を保障し幸福な人生を提供すること! 訊かれるまでもない!」
「そうだな。そなたはそういう男だ。初めて会ったときから変わらず」
だからこそ。私たちはここで道を違えなければならない。
「いつか言えなかった答えを今返そう。私の理念は、国民すべてが己の人生を肯定できる国を創ることだ。その理念を貫くためなら、彼らを荒野に導くことも厭わない」
「――ッ!! 愚か者が! 貴様の言葉を聞いた民の数はたかだか一万! 国民の総数に到底及ばない! 何も知らぬ民をも巻き込み死に満ちた荒野へ扇動する! 貴様の所業は暴君の愚行に他ならない! 今熱に浮かされている者たちもいずれ必ず気づく! 貴様が命惜しさに民を道連れにしたことを! 血の尊さで誤魔化すな!」
……そうだな。そなたの言う通りかもしれない。
「シモン。そなたは正しい。そなたはずっと、やるべきことをやってきた。だが……見てみろ。周りの者たちの眼を」
「……この議論と民の眼に何の関係が――」
「見るのだ。執政官シモン・ハスター」
ゆっくりと首を動かして、シモンが周囲にいる魔人たちの眼を見る。
傷ついた者。地に倒れている者。
皆真っすぐに、私たちを見ていた。
太陽の光が、彼らの眼に灯った希望を照らしていた。
「……う、あ」
民の眼を見て、呆然とシモンが呟く。
「……まちがっている。こんなことは、間違っている」
「そなたの言う通りだシモン・ハスター。私たちは間違っている。しかし、間違わなければ納得できないのだ。ここで間違わなければ、自分の人生を誇ることができなくなってしまう。ゆえに私たちはこの道を歩き続ける。遠き旅路の果て、自らが生まれ落ちた理由をこの手に掲げるために」
「…………」
シモンの持つ短剣が震えている。
「たとえ十分な食事を与えられようと」
瑠璃色の瞳を、今度は真っすぐ見て。
「たとえ安全な寝床を与えられようと」
言い放つ。
「籠の中では鳥は飛べないのだから」
するりと、シモンの手から短剣が落ちた。
静かな広場に金属音が響く。
短剣は石畳の上を滑り、私の足元に転がってきた。
シモンは顔を伏せ沈黙している。
彼が今何を考えているのかは、わからない。
互いに譲れない本音を打ち明けた。
これ以上語る言葉を、私は持ち合わせていない。
だから、ひたすら彼の返事を待つ。
「殿下……私は、貴方のようには生きられません」
シモンがゆっくりと歩き、私の前に跪いた。
「どうか、罪深きこの身に天罰を」
――罰することなど、するものか。
「善い。赦す。私の敵であることを赦そう。そなたには、私にできないことをしてほしい」
シモンの肩に手を置いて、願いを託す。
「ソーレの追及を防ぐため私は身を隠す。民を、頼んだぞ。執政官シモン・ハスター」
シモンが顔を上げ、瑠璃色の瞳が見えた。
「はい……!」
今まで一度も涙を見せなかった男の頬に、一筋雫が伝っていた。
「アカツキ、立てるか?」
「うん、歩くだけなら大丈夫」
『太陽号令』を宣言してからの一連の騒動が、ひとまずの決着を迎えた。
アカツキに肩を貸し、二人でマグノリア広場を去る。
石畳を踏みしめて広場の出口へ。
その短い道行きで、様々な王とすれちがった。
背筋を伸ばして立つ友。大きく手を振る犬人の青年。こちらを激励する猫人の娘。静かに敬礼する鳥人の男。
――ありがとう。
私の声を聞いてくれて。
出口まで来た。振り返って、愛しき人たちに別れを告げる。
「然らば。誇り高き者たちよ」
太陽魔王と宿痾剣が、マグノリア広場から立ち去っていく。
その後ろ姿を見送る魔人すべてが、二人の旅路が光に溢れたものになることを願っていた。
「さっきのは因果の相殺か。凄まじいな」
広場の外側、断頭台の残骸が突き刺さった壁の上に、商人クロムが立っている。
異質な雰囲気を放つ黒い箱の隣で、彼は一部始終を見守っていた。
かたかたと、黒曜石の箱が震える。
「昂っているのかい? ……どうやら、心を動かされたようだね」
黒曜石の棺は揺れ続けている。その中身に言葉が届いているかどうかは、誰にもわからない。
沈黙を貫く彼女に、薄く笑ってクロムが言った。
「君の願いも、叶うといいね」
太陽暦一〇〇〇年一月一日『魔王』がこの世を去った。
『太陽魔王』アイリーン・ベルンシュタインが国民と交わした契約は『太陽号令』と呼ばれ、それがもたらした情熱は世界に燃え広がっていく。
生まれ変わった国の名は『魔人国オセアナ』。
今ここに、新しい時代が幕を開けた。




