第十一章 太陽号令
「……っぁああああああっ!」
大地を揺らす雄叫びが広場を席巻する。
苦悶を嚙み砕き命を絞り尽くして鼓膜を打つその声は、先ほどまで死に体であった王女の喉から轟いていた。
「っ……ぐぅっ! おおおおおおっ!」
首を戒める固定台が軋みを上げる。
両手を縛る鉄の鎖がひび割れていく。
そうして。
戒めは破られた。
樫の木片がばらばらと落ち。
砕けた鎖が光を浴びて煌めいていた。
暗雲はかき消され、陽光が彼女を照らす。
戒めを破り、その眼に太陽の輝きを取り戻して。
新たなる『魔王』が立ち上がった。
乱入者とカバラの騎士。
彼らの戦闘から逃れていたシャムスの民たちの頭上に、天を衝く絶叫が轟いた。
思わず振り返り声の出所、遥か彼方広場の中心に目を向ける。
そして彼らは見た。
撓んでいく古木の首輪。
引き千切られる鋼の鎖。
王女アイリーンが自力で拘束を破り、立ち上がる姿を。
――。
鮮烈な光景だった。覚悟が伝わってくる絶叫だった。
だが……それだけだ。
それで何が変わる?
『金剛魔王』の代わりが貴方に務まるのか?
迫りくる敵を打ち払い、シャムスを守ることができるのか?
無理だ、できない。そんなことは誰にも。
アイリーン・ベルンシュタイン。貴方に何ができるというのだ。
今の貴方にできることなど、平和の礎として命を捧げることだけではないのか。
…………。
なのに。
なぜ貴方はそれほどまでに堂々と、我らの前に立っている。
叫びの衝撃から返ってきた魔人の騎士たちが、再度人間に襲いかかろうとしたその時。
『愛しき我が眷属たちよ』
『魔王』の声が、世界を鎮めた。
その呼び声に。
宿痾剣は耳を傾けていた。
天雷の聖女が眼を見開く。
赤獅子は炎の薫りをかぎ取り。
商人は息を飲んだ。
執政官の肌が粟立つ。
ほんのひとときの間、この場にいる者すべてが彼女に心を奪われる。
――始まる。
『遠からん者は音に聞け! 近くばその眼に焼き付けよ!
王女アイリーン!
この時をもって父ジブリールから『魔王』の称号を襲名する!
我が名は『太陽魔王』アイリーン・ベルンシュタイン!!
燃え盛る意志を抱き、戒めを破る先導者である!』
『今我らは試練の時を迎えている!
戦況は必死! 情勢は至難!
運命を呪い、自らの眼を閉じるのも無理からぬことだ!
しかし、私は諦めない!
天空に燦然と輝く太陽が!
私の答えを待っているからだ!』
『あまりにも多くの犠牲を払った!
あまりにも多くの尊厳を失った!
慚愧に堪えない思いだ!
されど、私たちは、まだ此処に在る!
本来そなたという一個の命を縛るものなど、何一つないのだ!
苦しみを越え己の内に光を見出すことこそ、人の本分!
自由に己の心のまま生きることこそが、人の原理である!
その魂の在り様を歪める権利などこの世の誰も持ち合わせていない!
たとえ『魔王』であろうともだ!』
『そもそも! 『魔王』という枷は未熟な我らの魂を律するため、千年前に求められた機構!
私がそなたたちを支配するための物ではない!
私が所有する権利はあくまで、尊き太陽に預けられたものである!
ゆえに私はその冠に対して、いささかの執着も持ち合わせていない!
千年、千年だ!
我らは千年という長い年月をかけて、道徳という自由の負の側面を制御するための信仰を育んできた!
保証しよう! 我らの魂の形は千年前とはまるで違う!
我らの魂は昇華している!!
自由の意味を履き違え、意図せず他者を傷つけることなど起こりえない!
今こそ『魔王』という揺り籠から旅立ち、太陽に手を伸ばすとき!
私はそなたたちに選択肢を与える!
隷属して死んだように生きるか!
自由を抱いて生きた末に死ぬか!
私がこれから述べる宣言は決して覆されない!
これまで述べた大言壮語が欺瞞ではないと言動で示そう!』
『『太陽魔王』アイリーン・ベルンシュタインが天に座す太陽に誓う!
始祖アルバートの時代より受け継がれてきた灰の冠を!
我らの父たる太陽にお返しする!
千年間魔王の血族のみに注がれてきた太陽の加護は!
この国の民すべてを遍く照らすだろう!
そなたたちを縛るものはもう何一つない!
そなたたちは自由である!!』
静謐。
やがて嘆息が降りる。
感動を孕んだ息は歓声に転じ。
無数の王たちが産声を上げる。
魂を焼き焦がす熱が広がる。
激情が渦を巻く。
『太陽魔王』に叫び声が求めた。
あの言葉を遣えと。
我らの門出に相応しき、彼の御方の福音を。
『今ここに『太陽号令』を宣言する!!!
我らは皆頭上に太陽の冠を戴く、誇り高き王である!!
同胞たちよ!! 新しい時代を始めるぞ!!』
処刑が行われるはずだったマグノリア広場で、シャムスの民たちの喝采が巻き起こっている。
その広場の外縁で執政官シモン・ハスターは立ち尽くしていた。
――何が、起こった。
意味がわからない。
いや意味はわかる。だが規模が大きすぎて理解が追い付かない。
落ち着け。わかれ。早く。わからねば。
順序立てて一つずつ飲み込め。
『金剛魔王』の跡を継いで、アイリーンが魔王になった。
魔王の冠の放棄を太陽に誓い、アイリーンは魔王でなくなった。
『魔王』という役職そのものが、この国から取り除かれた。
契約に基づき、これまで魔王が持っていた権限が国民すべてに分け与えられる。
王に集中していた権力が分散し、小規模ながら全ての民がそれを行使できるようになる。
職業選択の自由。婚姻の自由。農作物を栽培する自由。動物を育てる自由。
政治に参加する自由。言論を発表する自由。思想を広める自由。決闘の自由。
今まで魔王の許可を得なければできなかったことすべてが、国民の意思ですぐに実行できるようになった。
『太陽号令』が宣言され、一連の手続きに名前が付く。
国民との契約に名前が付き、それを魔王自らが発表している。
つまりこれは公式の声明だ。
魔王が天に座す太陽に誓うと言った以上、口約束でもそれが正となる。
それがこの国の信仰。
太陽と契約を重んじる、魔人の国シャムス。
君主が主導する国から国民が主導する国へ。
死に際に放たれた演説一本で、この国の未来が激変した。
「馬鹿な……ありえん……この状況であのような演説……まさか、以前から考えていたのか……? ありえない……」
千年間、魔王の血族はシャムスを統治し続けた。
魔王の血は国民のよりどころである反面、権力者への反抗を許さない呪いでもあった。
その呪いが今、断ち切られた。
他ならぬ魔王自身の言葉によって。
「こうなりゃヤケだぁ!」
犬人が吠えている。
「もう己を偽らぬ!」
鳥人が羽ばたいている。
「いいよ! やってやる!」
猫人が駆けている。
「ここは、俺たちの国だ!」
角人が猛っている。
広場にいる魔人すべてが、己の自由意志に従いソーレ兵に挑んでいた。
カバラの騎士すら鎧を脱ぎ捨て一般人と共に戦っている。
この場にいた一万の魔人は、死なないように生きることより、生きるため死に臨むことを優先した。
要するに。
丁寧に詰みの状態まで持っていった盤面が。
土台からぶち壊された。
「ふざけるなッ……!」
土壇場でアイリーンが魔王を襲名する可能性は予期していた。
魔王の威光を用いて処刑を中止し、反対勢力をカバラから追い出そうとすると。
だから俺は国民に戦況が極めて悪いことを伝え、自分たちが生き残るためには王女を差し出すしかないと説明した。
ただ魔王であるというだけでは、この状況を打破することは不可能だった。
想定外はそれ以降。
まさか自分が処刑される前に『魔王』という概念そのものを抹消するとは。その権限をすべての国民に移譲するとは。
魔王の権限を借りて行使されていた執政官の命令は力を失う。
魔人国シャムスの指揮系統は白紙になった。
ソーレが宣戦布告時に述べた声明も大義を失う。魔王は去りシャムスの民は解放された。
宗教連合ソーレとの停戦契約も白紙だ。
強引に揉み消すか?
いや不可能だ。
この熱狂は緘口令など容易く突き破る。
「……ふざけるなッ! ふざけるなッ!!」
考えれば考えるほど理解不能。
なぜ王族として育てられてきた十七の娘から、このような発想が生まれ落ちる!?
貴様は王になるために生きてきたはずだ!
貴様は王になるために努力を重ねてきたはずだ!
そうして勝ち得た玉座を、なぜ手放すことができる!?
理解できん! 全く、理解でき――
(叔父上、彼に機会を与えてやってはくれないか。確かに叔父上の言う通り、彼には何の力もない。しかし私は彼の瞳の中に、未来を求める輝きを見たのだ)
――!
在りし日の面影が、胸中に浮かんだ。
「…………ッ!」
「おーおー。とんでもないことになってるね。あの小娘、土壇場で大化けしやがった」
ぐらつく頭に聞きなれた声が入る。
赤獅子ベルベット。天雷の聖女との交渉を任せていた彼女が戻ってきた。
「アイリーンの首を取れるか」
「……少し落ち着きな。無茶だよ、誰も納得しない。あんたの計画はご破算だ。あの子はもう魔王じゃないんだから」
「それは屁理屈というのだ! ソーレがアイリーンの抹殺を望んでいることに変わりはない! 彼女を捕えなければソーレとの停戦は為されない!」
ベルベットはこちらの言葉に応じる前に、木箱から一枚の紙を取り出した。
それを俺の前に開いて見せてくる。
『王位継承権第一位アイリーン・ベルンシュタインの身柄の引き渡し、及び処刑への協力を以て、宗教連合ソーレは魔人国との停戦協定を結ぶ』
宗教連合ソーレとの契約書。
『宗教連合ソーレ 聖堂騎士団団長 天雷の聖女 リュミエール・ソレール』
俺が書いた署名の横に、天雷の聖女の名が刻まれていた。
「ついさっき調印してもらったところだ。しつこくサインをねだった甲斐があったよ。……あんたの用心深さと意地の悪さが功を奏したね」
「……その契約書を絶対に、誰にも奪われるな。再発行は不可能。腕を落とされようと汚れ一つ付けるな。今やその紙きれ一枚が我等の生命線だ」
「了解」
ベルベットが契約書を木箱に入れた。
拳でこめかみを押さえ、知識と直感を総動員して考える。
『魔王』の廃止。零になった指揮系統。国民主体の国家。ソーレの大義名分。天雷の聖女と結んだ停戦契約。シャムスとソーレの歴史・文化・国民性。ソーレの首長である太陽主教の性格。嵐の国ヤハトの情報。四戒剣の動向。
……ぎりぎり、か。非常に低い可能性ではあるが、交渉のやり方によっては一時的に戦争を止めることができる……かもしれない。
しかし本当に険しい道筋だ。ソーレが契約を反故にし問答無用で侵略してくればこちらに打つ手はない。
交渉の成否はソーレとヤハトの関係性にも左右される。ヤハトがまだ余力を残していて強引に戦争を継続した場合、ソーレがどう動くか全く予想できない。
やはり、厳しい。当初予定していたアイリーンを処刑する方針が最も安全だ。
――どうする?
この混沌とした状況下で俺がやるべきことは何だ?
誇りを守る苦難の道か、生命を守る盤石な道か。
俺はどちらを選べばいい?
「……どうする」
「というかさ。もういいんじゃないか?」
迷い悩む俺にベルベットが話しかけてきた。
「……もう、いいとは?」
「王女サマが作った流れに乗っちまおうって話だよ。あんたがのらりくらりソーレと交渉して、あたしがヤハトを追っ払う。それ以外はやる気になった国民に頑張ってもらう。お先真っ暗な道だが、その方がみんなすっきりするだろ。……あんたもね」
「……」
それは。
それは単なる感情論だ。
「なあ、もういいだろシモン。肩の荷を下ろして自分のやりたいように生きてみろよ。あたしも手伝うからさ。本当は今すぐにでもあの子の所に駆けて、一緒に戦いたいんだろう?」
それを、認めるわけにはいかなかった。
今更それを認めることだけは絶対に許されない。
彼女の命を切り捨てた俺が、恥知らずにも彼女と共にあろうなどと。
おれは。
俺は、執政官だ!
俺は決めた。決めたのだ!
これ以上民の命を、国を失わないためにアイリーン・ベルンシュタインの命を終わらせると、俺は考え抜いて決めた!
決意して裏切ったのだ! 間違っていても、汚辱に塗れていても、やるべきことをやった!
劣勢になったぐらいで揺れるな、半端者!
器の差など元より承知! 断罪も覚悟の上!
一度裏切ったのなら。
最期まで裏切り通せ!
「――お前は動くな。契約書を守れ」
動きにくい礼服を脱ぎ捨て、広場の中心に向かって歩く。
「おい、どこ行くんだよ?」
「愚問。『太陽魔王』のところに決まっている」
『太陽魔王』アイリーン・ベルンシュタインの魂の叫びを。
我が舌鋒で封殺する!!
天雷の聖女リュミエールは広場の中心近くに立ち、状況を静観していた。
ソーレの兵たちが彼女を守るように陣を組み、シャムスの民に応戦している。
「どうなさいますか?」
大柄な騎士が彼女に指示を仰ぐ。
「状況は混沌としています。ゆえに最も優先順位の高い目標のことのみ考えましょう」
「では」
「ええ。この騒動の中心は『太陽魔王』アイリーン・ベルンシュタイン。彼女の身柄を確保します。最悪命を奪っても構いません」
天雷の聖女が動いた。
激情が吹き荒れるこの場を鎮圧するため『太陽魔王』の元へ歩を進めていく。
その眼前に。
『宿痾剣』が立ち塞がった。
「――――」
「――――」
前座は終わり。剣士と聖女が対峙する。
太陽暦一〇〇〇年 一月一日 城郭都市カバラにて、一世を風靡する傑物が集う。
『太陽魔王』アイリーン・ベルンシュタイン。
『宿痾剣』月影暁。
『天雷の聖女』リュミエール・ソレール。
『■■■』■■■。
『■■■』■■■■■クロム。
『反逆の忠臣』シモン・ハスター。
勇者たちよ。
独りで生きる覚悟はあるか。
劣等を越える覚悟はあるか。
醜態を晒す覚悟はあるか。
誤謬を識る覚悟はあるか。
隷属に抗う覚悟はあるか。
よろしい、では物語を始めよう。
示してみろ。お前たちの魂を。
天に座す神々よ。我らの原理を照覧せよ。
「『天雷の聖女』リュミエール 神敵を討滅する」
「『宿痾剣』月影暁 推して参る」
いざ――勝負!!
次回予告。
第十二章 白刃の輪舞、舌鋒の円舞
夜の章 世は、ぬばたまの闇の儲け
終章 温かな木漏れ日の下で
12月5日18時30分。一挙公開。




