第十章 たとえ死の間際でも
次のお話は一週間後、11月29日18時30分に投稿します。
よろしくお願いいたします。
『令状 出頭命令』
太陽歴一〇〇〇年一月一日正午、都市カバラのマグノリア広場にて執行される、王女アイリーンの公開処刑への参列を命じる。公開処刑を妨害する者、参列を拒否する者は拘束された後、執政官シモンによって裁かれるものとする。
天を仰ぐ。
灰色の雲が太陽を覆い隠していた。
私は今、石畳の通路の上に立っている。
前方の視界を遮る垂れ幕の向こうから、民たちの気配が伝わってくる。
この先はマグノリア広場。私が処刑される場所だ。
終わる。この国も。私も。
シャムスはソーレの植民地となり。
私の魂はここではないどこかに行く。
……この期に及んでもまだ、私は生きたいと思っている。
もう負けたのに。
もう、諦めたのに。
……最後まで。
最期まで王族として誇り高く立つ。
それだけが今の私にできる、精一杯の抵抗だった。
垂れ幕の先、マグノリア広場の方からシモンの声が聞こえた。
「皆の者、静粛に!」
暗い空、静まり返った街に、シモンの声が響く。
「聞け! 魔人国の民たちよ! 今日、一つの歴史が終わり、新しい時代が始まる! 魔人国シャムスは宗教連合ソーレと和平を結び、一年続いた戦争が終わる! これからはソーレの手を取り、共に新しい時代に進む! 我等は悪しき君主から解放され、自分たちの意思で国の未来を決めていくのだ! これまでの苦難はすべて、我欲を貪る圧制者と自由を求める民の闘争だったのだ! そしてついに、我等は勝利した! 犠牲になった者たちへの祈りを胸に、今ここに王位継承権第一位、アイリーン・ベルンシュタインの公開処刑を実施する!」
歓声は無かった。
ただ萎れた残花のような、無力感だけが伝わってきた。
奪われてしまう。
国民の尊厳が。
忘れ去られてしまう。
千年に渡り紡いできた、私たちの物語が。
垂れ幕を蹴破り有らん限りの声を絞り出して抵抗しなければいけないと、わかっているのに。
拳を握ることすら、できなかった。
……すまない。シャムスの民たちよ。
私では、お前たちを救えない。
仕方、ない。もう……仕方ない。
幕が開く。
視界を埋め尽くすほどの群衆が、私の姿を見ていた。
何の力も持たない、小さな娘の姿を。
「……っ」
情けない。みっともない。惨め。
そう言われている気がした。
彼らの目を直視できない。
しかしいくら顔の向きを変えても、その視線から逃れることはできなかった。
息が、苦しい。
――責任を。責任を取らなければ。
朦朧とした意識で考えることができたのは、命で償うことだけ。
木の階段を登る。
階段を登り終え、広場の全景が見えた。
広大なマグノリア広場に魔人たちが所狭しと並べられている。
四角い広場の中心に向かって木道が伸びていた。
道の両脇には、カバラの記章を胸に刻んだ騎士が十人ずつ整列している。
私を守るためではない。私の公開処刑に邪魔が入らないように。
登壇者の姿を遠くまで晒せるように作られた道。
その道の果て、少し高くなった位置に。
巨大な構造物が佇んでいた。
その場所に向かって、足を動かす。
泥濘の中を進むように、ゆっくりと歩いて行く。
歩いている途中でソーレの旗が見えた。旗の下で私を見据えている、黄金の瞳と目が合う。
強い瞳だ。私も彼女のように、美しく在りたかった。
鳥人の男が苦し気に顔を歪めていた。
嚙んだ唇から血が流れている。
……申し訳ない。
猫人の娘が俯いていた。
己で抱いた肩が震えている。
……申し訳ない。
頭を抱えた犬人の顔が目に入る。
今にも不安に圧し潰されそうな、苦悶の表情だった。
……ああ。
彼らにこんな顔をさせるために、頑張ってきたわけではないのに。
私は。
――間違えた。
ついに道の果て、構造物まであと少しの位置に辿り着いた。
辿り着いてしまった。
刃を吊り下げた、古木の塔を見上げる。
断頭台。
二百年ほど前、乱心した王族の首を落とした曰くつきの遺物。
樫の木で作られた固定台の上に、巨大な刃が吊り下げられている。
重そうな刃だ。三日月の形をしている。
ふと『運命剣』ミステリアが入れていた刺青を思い出した。
確かあの時も、私は首を落とされる寸前だった。
あの時助けてくれた父は、もういない。
だからもう、助けに来てくれる人は、誰もいない。
刃の魔物が大口を開けて、私が来るのを待っている。
私の首は、あの顎に食い千切られるのだろう。
……ああ。
とても、痛そうだ。
――いやだ。
怖い。死にたくない。
足が震えている。体幹の筋肉が不規則に痙攣している。
手がうまく動かせない。
心臓はおかしくなってしまったのかと思うほど鈍間に拍動していた。
視界が霞んで。前方は死の方向だ。
私は終わるために前に進み、頭を差し出さねばならない。
頭では理解している。これが停戦のための儀式であると。
しかしアイリーンという一つの命が、旅の終わりを狂ったように拒絶している。
だから。
動けない。心も。体も。
立ち尽くす私を見かねて、シモンが騎士たちに指示した。
二人の騎士が私の両脇に来て、魂の抜けた躰を引きずっていく。
断頭台までの距離は、あの時と同じ五歩分だった。
一歩。
私を掴む腕が震えている。
二歩。
遠くから雷のなる音が聞こえる。
三歩。
誰かがすすり泣いている。
四歩。
私の眼は陰ったままだ。
五歩。
木製の固定台に首が据えられる。両手に鉄の錠がかけられる。
震える騎士の手が何度も鍵を取り落としていた。
錠をかけ終え、騎士が剣を抜く。
標的は断頭台の刃を吊り下げている、私の命綱。
この綱が切られれば刃が落下し、必然私の首も落ちる。
最後に騎士が一言、私に言った。
「どうか私たちを、許さないでください」
――。
何を言う。
恨むことなど、するものか。
私は終わって、お前たちは続く。
それでいい。
それで……。
…………。
私も。
もう、疲れた。
そして。
あのときと同じように。
運命の剣が私を両断すべく、命綱を切り裂いた。
刃が降りてくる。
これで、私の物語は終わりだ。
お父様。
私は何も成し遂げられませんでした。
お母様。
私は結局、何者にもなれませんでした。
みんな。
弱くて、ごめんなさい。
「た」
虚ろな感情の中から。
「たすけて……」
何かが零れ落ちた。
魔物の断末魔が轟く。それは鋼の砕ける音。
耳を劈くような金切り声と共に断頭台の刃が吹き飛び、広場外縁の壁に突き刺さる。
魔人の王女の首は。
つながったままだった。
彼女の前に、処刑の邪魔をした不届き者が立っている。
灰の衣を纏い、片刃の剣を振るう者。
それは宿痾の銘を冠する四戒の剣の一振り。
彼女を一度、裏切った人。
人間は語る、自らの名前を。
「『宿痾剣』月影暁、己を識るため助太刀いたす」
断頭台の刃が弾き飛ばされた。
戒められた首を動かし、それをした者の姿を見る。
見慣れた灰色の背中がそこにあった。
私を守るように、真っすぐ立っていた。
宿痾剣。私の父の仇。魔人国を蹂躙した剣士。私と一週間共に過ごした、人間。
なぜ来た。
敵であるお前が。
なぜ私を守ろうとする。
静寂に包まれた広場で、私を縛る鎖が擦れた。
「馬鹿者。なぜ来た……」
「君を助けに」
彼の顔は見えない。
彼の目はカバラの騎士たちと天雷の聖女の方に向けられていた。
「……! 騎士二十名! 不届き者を排除せよ!」
シモンの指示を受け、二十の騎士が宿痾剣に襲いかかる。
彼は私を庇うように戦っていた。
白刃の前に立ち塞がり、飛んできた矢を体で止める。
飛散した彼の血が私の頬を叩いた。
「やめろ……」
彼は私の言うことを聞こうとしない。
直剣が彼の背を斬りつけ、火の魔術がその腕を炙る。
どくどくと流れる血が石畳の隙間を伝っていく。
「もうやめろ! お前には関係ない!」
「俺は、君を助けたい! 関係は、ある!」
なぜだ。
なぜそこまで、私に拘る。
「――っ! 迷惑だ! この期に及んで、まだ私に屈辱を味わわせるつもりか!」
「違う! 今までずっと道具として扱われてきた! 人間扱いなんてされなかった!」
それはそなたの過去だ。
私とは関係がない。
「失くしていた故郷を思い出させてくれた! 初めて見た星は綺麗だった! 涙の理由を教えてくれた! 太陽の下で夢を語る君の姿が眩しかった!」
それはそなたの感動だ。
私とでなくとも得られるものだ。
「君が……君の瞳だけが、俺を人として見てくれていた! 君が俺を人に戻してくれたんだ!」
それはそなたの思い込みだ。
そなたを尊重してくれる者は、私以外にも掃いて捨てるほどいる。
「俺は君と一緒にいたい! 何があっても君を守る! どんなことがあっても! どんな姿になっても! だから。だから……」
もうやめろ。もういい。もう、いいんだ。もう、私は……。
「泣かないで」
――――。
「あ……」
刹那。
光を見た。
それは現実か、あるいは幻か。
か細くも力強い一条の光が、私の胸を痛いほどに貫いていた。
ほどなくしてその光は解け、この世界にあった痕跡を欠片も残さず消える。
唯一つ。轟轟と渦巻く熱だけが、この胸に残っている。
「アカツキ……」
彼の名が口から零れた。
私の声を聞いて、彼が一瞬こちらを向く。
アカツキの、表情が見えた。
白藍の瞳が、溢れんばかりの涙で濡れていた。
「私が……好きか?」
「誰よりも」
一分の迷いもなく、彼は答えた。
「……そうか」
胸が熱い。いや胸だけでなく体中、周囲のもの全てが。
眩く、熱く、広がっていく。
これは、なんだ。
……否。この感情を詮索するなど無粋。
この熱に身を委ねて、心の赴くままに生きよう。
この燃え盛る意志と共に、私は夢を追い駆ける。
――。
この世界は地獄か?
人生は悲劇か?
我らが紡いできた物語は陳腐か?
絶望に屈するのは、仕方ないことか?
否、否、否!
断じて否!!
仕方なくなど!
無い!!
「ならば私と来い。我が第一の眷属よ」
「……! 委細承知!」
破れ、この戒めを。
覆せ、この盤面を。
拾え、砂粒の如き勝機を。
人民に、なにより自分自身にこの燃え盛る意志を証明しろ。
いかなる苦境にあろうと、その瞳を陰らせるな。
我らは皆頭上に太陽の冠を戴く、誇り高き王である!
輝け!! たとえ死の間際でも!!




