蘇らせられた姫君は死霊術使いの王子に囚われる
『狂愛』、すなわちヤンデレをテーマにして書きましたので、少し強引な表現があります。苦手な方はブラウザバックをお願いします。
ヤンデレ好きの方にはお気に召していただけると思います!
兄様に愛されていると知っていた。
腹違いの王子で、五歳の時に初めて出会った兄様。暗くて埃っぽい離宮の中で小さくなっていた彼に話しかけるのは私くらいなものだった。
この国でひどく忌まれている死霊術使いに生まれてしまっただけで、人並みの幸せを得られなかった兄様。
私の周りにはたくさんの使用人がいた。愛してくれる両親もいた。でも、兄様はいつも独りきり。
だから、兄様には私しかいなかったのだろう。
知っていた。知っていたけれど、私は彼の傍にずっといるわけにはいかなかった。
だって私は正当な姫で、王の愛娘で、政略の駒だ。祝福されながら隣国への捧げ物、もとい花嫁として旅立つのが役目だった。
「行かないでくれ、キャンディス。俺の手の届かないところに行ったら、可愛いお前がどこかへ消えてしまうんじゃないかと思えて仕方ないんだ」
「まあ、兄様ったらわがままなんですから。私、向こうの大公閣下に嫁ぐんですよ。こっそり手紙を送りますし、国賓として招かれることもきっとあるでしょう。その時は絶対、兄様に会いに来ると約束します」
「わかった。その言葉を信じているからね」
美しく潤む瞳で私を見つめて、兄様は私の手の甲に口付けた。
それが別れの挨拶。互いの幸せを祈りながら、国を発った……そのはずだったのだが。
――どうして私は、彼の腕に抱かれているのだろう?
「兄、様……?」
「ああ、やっと気がついたか。おはよう、キャンディス」
降り注ぐのは、天使のような柔らかな美声。
私の体を包み込むように抱きしめる両腕は、あたたかくて心地いい。なのに背筋にゾッと寒気が走った。
わけがわからない。
幼少の頃は、うっかり眠ってしまった私を兄様が自分の部屋に招き入れて、目覚めるまで腕の中で休ませてくれていたものだ。けれど、父に見つかって兄様に体罰を与えられて以降、そのようなことはなくなった。
それに私はすでに子供ではなく、隣国に嫁いだ身のはずなのに。
何かがおかしい、と寝ぼけた頭で思った。
眠い目を擦り、あたりを見回してみる。
煌びやかな天幕、贅の尽くされた家具や装飾品。その全てにうっすらと見覚えがあった。
両親、すなわち祖国の王と王妃にのみ許された寝室だ。
そして私たちがいるのはふわふわのダブルベッドの上だった。しかも、二人とも寝間着姿。
「……っ!?」
気づいて慌てて飛び起きようとしたが、兄様のガッチリと捕らえられて逃げられない。
「キャンディス、どうしたのかな? もしかして俺から離れようとしてる?」
「いや、そうじゃなくて……。こんなところで寝ていたら、叱られてしまうと思ったんです」
「そうか。そういうことなら心配いらないよ。俺が赦すから」
目尻を細め、兄様がにっこりと笑う。
笑顔なのに、優しげな目をしているのに、なぜ恐ろしく思ってしまうのか私にはわからなかった。
背筋の震えが止まらない。まるで、体の中に熱がないかのようだ。
「ああ、そうだよね。突然のことで戸惑わせてごめんね」
「そうです。どうして私は、兄様と――」
一緒にいるのですか、と続けようとした声は続かなかった。
だって、兄様の衝撃的な一言に遮られてしまったから。
ありえない言葉だった。あってはいけない事実だった。
でも兄様は当たり前のように言った。
「死んだからだよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
お前は死んだと言われて信じる人間がどれだけいるだろうか。
おそらく余程の変わり者か阿呆しかいないに違いない。
言われたことははっきりと聞こえているし、兄様の表情も鮮明に見えているわけで、とても自分が死んでいるとは思えなかった。
思えない……が、まるきりの嘘とも言い切れなくて。
「まさか、私は死霊になったということ?」
兄様が疎まれていた理由は二つ。
一つは、妾腹の子であり、高貴な血が薄いということ。そしてもう一つは、母親が特殊な家系で、呪術師だったということだ。
その息子である兄様には力があった。死霊術――この世から解き放たれた魂を呼び戻すというその力は、気味の悪いものとされていた。
「さすがキャンディス、話が早い。そう、お前は殺されたんだ。覚えていないかい」
ふるふると首を振る。
記憶が曖昧で、霞がかかったように思い出せなかった。
「死というものは恐ろしいとされているから、覚えていない方がいいのかも知れないね。俺は一生、忘れられないけど」
「本当……なんですか?」
言いながら、体を確かめた。
なるほど、確かに生気のない肌色をしている。胸に手を当ててみてもそこに鼓動はなく、空っぽの空洞のようだった。
死霊術は何度か見たことがある。
私を喜ばせようと、小鳥や犬を生き返らせては飼っていた兄様を思い出す。それらは人形のように冷たくて、ほんの少し怖かったっけ。
自分がそのような存在になっただなんて信じられない。信じたく、ない。
けれど「大丈夫、俺が滅ぼしておいたから」と兄様に微笑まれて、本当なのだと悟った。
「お前の嫁いだ国に言いがかりをつけて戦争をおっ始めるために暗殺者を送り込んでいた、馬鹿でどうしようもない自国の貴族たちも、それを管理できなかった間抜けな王族どもも、近くにいたくせに何もしなかった向こうの国も、全部今は塵の中だよ」
私が全て台無しにしてしまったのだろうか。
どうやって滅ぼしたのかは想像したくないが、国が丸ごと消えてなくなったのだとしたら。それを兄様が成したのだとしたら?
兄様には力がある。現にこうして私を生き返らせているのだ。
土に埋められた数多の亡者を使えば、できないことなんてないに違いない。
兄様がそんなことをしたなんて、思いたくないけれど。
「俺に手紙をくれるって約束だったのに、嫁いでしばらく経ってから届いたのは手紙ではなくキャンディスの訃報だった。まったくひどい話だよ。――キャンディスが死ぬなんて、他の誰が望んでも、俺は絶対に認めない」
兄様の掌が私の髪をそっと撫で回していく。
「小さい俺を救ってくれたのはキャンディスだけだった。俺の光はキャンディスだった。光が消えるなんてあってはならないことなんだよ」
「ごめんなさい。まさか命を落とすなんて思っていなくて……」
「可哀想なキャンディス。ひどい目に遭わされたのは、俺の元から離れて行ったからだ」
兄様は、多くいる兄弟姉妹の中で一番親しいと言っていい相手だった。
なのになぜだか全く見知らぬ他人のように見えて、心の底から気味が悪い。
逃れたい、と思わずにはいられなかった。
それがいけなかったのだ。
「キャンディス、『動くな』」
声がした瞬間、私の体に更なる異変が起こる。
身じろぎ一つできなくなった。
瞬きも、声を発することも、もちろん逃げ出すことも。まるで時が止まったかのようなのに、兄様がますます笑みを深めるものだから、止まっているのは――否、止められているのは私だけなのだとわかってしまう。
「お前は俺の僕だよ。だから、もう逃げ出さないで」
あ、と思った時には遅かった。
抵抗できないのをいいことに、兄様が私の顎を引き寄せる。そして、互いの鼻先が触れ合って。
私の唇は奪われていた。
「お前の心は美しい。美しいからこそ、正しいからこそ、間違えてしまったんだよ。もちろんそんなところも俺は愛しているけどね」
「あ……ぁ……」
「キャンディスはもう呼吸なしでも過ごせるからずっと止めていても良かったが、喋ってくれないのは寂しいからな。お願いだから俺だけを見て。俺だけを想って」
やっと体が動くようになった。
でも、逃げ出そうだなんていう気も、顔を背けたいと思うことすらもできない。
時を止められ、好き放題にされる恐ろしさを知ってしまったのだから。
キスの雨が降り注ぎ続けても、ただじっと耐え続ける。
嬉しいだとか。喜ばしいだとか。そういう感情は湧くわけもなかった。
死霊術使いは死霊に命令を下すことができる。すなわち死霊の私は兄様の望むがままになる。
それではまるで、操り人形ではないか。
きっと私の死が兄様を歪めてしまったのだ。
こんな力を持っていながら追いやられ続けていた優しい兄様は、もうどこにもいないのかも知れない。
それが哀しくて、苦しくて、頬に冷たい涙が流れ伝っていった。
泣いてはいけないことくらいわかっていたのに。
「俺じゃ気に入らない? そんなにも、『旦那様』が恋しいんだね」
――ああ、嫌だ。
「いいよ。会わせてあげる」
キスを中断し、ふらりと立ち上がった兄様が、洋服ダンスの中から何か布で包まれたものを取り出した。
鼻が曲がりそうな匂いのする、球体状の何か。
兄様の手によって布が剥ぎ取られた途端、私は甲高い悲鳴を上げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
完全なる政略結婚だった。
愛されているなんて思っていなかった。嫁いだ太公閣下とは夫婦の営みはしていたが、ただそれだけ。
けれどもいつかは心を通わせられるかも知れない――そう思っていたのに。
私の夫――『旦那様』と呼んでいた人の生首は、無表情にこちらを見つめていた。
微動だにしない。当然だ、どう見ても死んでいる。
死霊にならず、ごく普通に、頭部を断たれて殺されたのだろう男の亡骸が在った。
下手人が誰かは考えるまでもなかった。
先ほど『向こうの国も滅ぼした』と自分で言っていただけではなく、生首を見せびらかしたくらいだ。隠すつもりもないのだろう。
「に、いさま?」
「傍にいながらキャンディスを守れなかったんだ。こいつにキャンディスを愛する資格はない。愛される資格もない。そうだろう」
直後、ぐちゃ、とトマトが潰れるような嫌な音がした。
兄様の手を離れて地面を転がり落ち、靴の爪先で思い切り生首が蹴飛ばされる。球のように扱われたそれはもはや夫の原型を留めていないだろう。
その間、どれほど見ていたくなくても、瞼を閉じることはさせてもらえなかった。
「――片付けろ」
兄様が命じるなり、使用人たちが現れて生首を持ち去っていく。
使用人たちもまた死霊らしく、肌が焼け焦げていたり、肉が溶けていたりしていた。
平気な顔をしていられる兄様は、やはりおかしい。
「ん? ああ、使用人が気になったかな。彼らは心のない死霊奴隷だよ。思考する力とか痛みを感じる心とかは殺してあるんだ」
「ねぇ……」
「何だい、キャンディス」
「兄様は……兄様はどうして、こんなことをするのですか」
震える声で問いかけた。
死霊術を恐れなかったのを、兄様と仲良くなった過去を間違っていたとは思いたくなかったから。
でも。
「キャンディスを心から愛しているからだよ?」
人は愛だけでここまで狂えるのか、と驚いた。
本当に大切な人を失ったことのない私にはわからない。わからないけれど――私はこの先ずっと狂気に苛まれ続けるのだろう。
「ずっとキャンディスと二人きりになれたらなって思っていたんだ。これでやっと、お前は囚われの姫君になってくれた」
もう涙もこぼれない。
私は諦めて、ただ空っぽの笑みを浮かべて見せる。
もはや人間ではない以上、こうするしかないと悟ってしまった。
「私も本当はそう思っていたんです。兄様と離れるのが不安で、先ほどは嬉しくて泣いてしまいました」
兄様だって嘘とわかるはず。でも、それでもいい。
今は嘘でもいつか本当になる。本当にしなければ、ヤケになってしまえば、私は死より大きな恐怖を与えられることになるのだ。
ああ、なんておぞましい。
「生き返らせていただいてありがとうございました。お慕いしています、兄様」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
私の大好きだった兄様は変わってしまったのに、全てを滅ぼし尽くして無慈悲な死の国の王となってしまったのに、愛することを強制される地獄が幕を開ける。
死霊術使いは己にだけは術をかけられない。だからこれは、兄様の命の灯火が消えるその時まで続くのだ。
一体私の心はどこまで耐えられるだろうか。壊れてしまうのだろうか。それとも、今の兄様を愛するようになるだろうか。
考えても仕方のないことに想いを馳せながら、私は兄様との深い口付けに溺れていった。
お読みいただきありがとうございました。
面白い!狂ってた!などと思っていただけていましたら嬉しいです。