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魔術師とオオヤマネコ  作者: 六福亭(テレンス・ブレーク)
2/2

後編


 一方何も知らない魔術師は、足が完治した喜びに浮かれ、洞窟の中をぶらぶらと見回っていた。昼間でも洞窟は薄暗かったが、明かりを魔法でつけることをすっかり忘れていた。一番奥まで来て、また踵を返して入り口の方向へ歩いて行った。そろそろ女が戻ってくる頃だ。出迎えに行きたかった。

 路を歩いているうちに、魔術師は奇妙なことに気がついた。

 

 地面に、黒っぽい筋がついている。何かを引きずった痕のようだ。それは奥の部屋から、洞窟の外まで続いていた。

 何かを洞窟の中に運んだのか、それとも外へ出したのか。興味を引かれて、彼は地面に顔を近づけた。筋が一番濃い部分に触れると、まだ完全には乾いていなかったのか、指が濡れた。


 指は赤く染まっていた。よく見るまでもなくそれが何か悟り、魔術師はぎょっとした。血だ。しかも、まだそこまで時間は経っていない。

 女が心配になり、洞窟の外へ飛び出した。辺りを見回し、草むらの中に何か尖った白い物が転がっていることに気がつき、彼は見つけてしまった。


 人間の骨が打ち捨てられていた。


 ひび割れた頭蓋骨に残る髪の毛は、彼の愛する女と同じくらいの長さだった。左手首の骨に、見覚えのある金色の腕輪が残っていた。

魔術師はその場に座り込み、茫然とその死体を見つめた。あまりにも信じ難く体が動かない。


 その時さっと風が吹き、魔術師の目の前に__彼女が降り立った。

 彼女は朝洞窟を出て行ったのと全く同じいでたちをしていた。女に抱きしめられながら、魔術師は一体全体何が起きているのかさっぱり分からないままでいる。


 ふと、彼は気がついた。彼女は、右手に腕輪をしている。


 女からゆっくりと距離をとる。彼女はきょとんとして魔術師が離れていくのを見ている。だが、彼の視線の先に女の骨があることに気がつき、彼女は青ざめた。


 魔術師は震える声で尋ねた。

「あれは……何だ」

 彼女は答えない。口を手で覆い、目を左右に泳がせている。

「お前の骨なのか?」

 彼女は首を横に振った。

「じゃあ……」

 魔術師は、別の仮説を口に出そうとして、躊躇った。

「じゃあ、あれは……」

 その時、頭上から腸から絞り出したようなうめき声が聞こえてきた。

 魔術師が動くよりも先に、彼女が飛んでいった。そして、そこに倒れていた者を抱え、再び魔術師の前に戻ってきた。

 

 足下に投げ出されたのは、魔術師もよく知っている男だった。ひどく傷つき、弱っていた。獣にやられた酷い傷から血がとめどなく流れ出していた。


 魔術師はその男に這い寄り、止血しようとした。魔術師の姿を認めた男の目が憎しみで光ったが、魔術師の後ろを見て恐怖に見開かれた。


 魔術師の後ろには、女がいる。咄嗟に振り向いた魔術師は、彼女のぎらつく琥珀色の目と、口からはみ出す牙に慄然とした。


 女は当たり前のような顔で魔術師に促した。魔術師にはその意味が分かる。


“食べて”


 魔術師は首を振り、死にかけの男から離れた。女は首を傾げ、一瞬で正体を現した。


 そこにいたのは、見事な毛並みのオオヤマネコだった。彼女は音もなく傷ついた男の側に寄り、真っ赤な口を開けた。

「やめろ!」

 魔術師が叫ぶ。オオヤマネコは魔術師の方を少しだけ振り向いて、それからまた獲物に向き直った。断末魔の悲鳴は、待機していた追っ手の耳にかすかに届いた。


 満足して顔を上げたオオヤマネコは、自分の首を両手でそっと掴まれていることに気がついた。

 その手は激しく震えている。首を絞めようとしているのが誰なのか、オオヤマネコは知っている。

「こっちを向け」

 今にも泣き出しそうな声だ。オオヤマネコはそれを可哀想に思った。

 

 振り向いたオオヤマネコは、もう獣の姿ではなかった。たった今殺された男とそっくりな姿をしていた。

 魔術師は歯を食い縛った。手をゆっくりと彼女の首から放しても、彼女は動かなかった。

「俺のことも、いつか食べるつもりだったのか」

 彼女は答える代わりに、顔についた血を拭い、魔術師に口づけした。

 その時魔術師は悟る。彼女が魔術師を食べるはずがない。魔術師は何故か彼女に気に入られたのだ。彼女は魔術師の傷の手当てをし、食べるものを持ってきてくれた。疑うのも悪いくらい、純粋に彼を愛している。

 それは彼も同じだ。彼女を愛していた。彼女に悪気などないことも分かっている。


 彼女は、自分が食べた男の姿のまま、魔術師を待っている。魔術師は再び彼女の首に手をかける。

「そうやって__今までに何人も殺してきたんだな」

 彼女は動かない。彼が何をしようとしているのか、悟っているはずなのに。

「だけど、お前には人間の善悪なんて関係ないんだろうな__」

 だが一つ、確かなことがある。今死んだ男は、魔術師がここに逃げ込まなければ、死ぬことはなかった。

 オオヤマネコに敵を殺させたのは、他でもない自分なのだ。


 ガサガサと草をかき分ける音と、話し声がする。オオヤマネコがはっと身構え、本来の姿に戻った。だがその時魔術師が、飛びだそうとする彼女を抱いた。

「やめろ。もうやめるんだ」

 彼女は魔術師の体に尻尾を巻きつけ、洞窟に入れと促す。魔術師は首を振った。

「俺はもう逃げない」

 だから、もうこれ以上俺を守ってくれなくていい。

 魔術師はオオヤマネコの豊かな毛に顔を埋めた。

「ありがとう__愛してる」

 洞窟に戻ってくれ。そう彼女に言うと、彼女は素直に従った。洞窟の入り口で一度だけ、魔術師を振り向いた。それから、洞窟の闇に消えて行った。


 魔術師はオオヤマネコと反対の方向へ、歩き出した。今までの罪を全て償うために。


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