第九話
「クレア=イベリス=クッキーでございます。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
クレアは父に無理を言って、この日のためにマナーの再教育を受けていた。復習ができた事で、多少心に余裕をもち、落ち着いた挨拶ができた事に、クレアは安堵する。
「改めまして、アーミィ=デルフィニウム=カヌレと申します」
「グレイ=ラークスパー=カヌレです」
出迎えてくれた双子は、お揃いのモチーフをした服に身を包んでいる。今までクレアが見てきたのは、少しばかり生地の良い町の子供が着ている服と変わらなかったため、なんだか新鮮に感じる。つい見つめてしまっては、拍車のかかった美しい双子の今この瞬間を絵画に残したいと、クレアは心の中で叫んだ。
「アーミィ様、グレイ様、本日は」
「だめですよ、お姉さま」
「そうです。僕たちの名前にはちゃんと意味があるんですから」
今日からはかしこまって接しなければと心に決めていたクレアに、双子は今までのように飛びついた。柔らかな頬を膨らませて見上げる双子に、クレアはいつものように力いっぱい抱きしめたくなったが、歯を食いしばって耐える。
「試しに、敬称なしで呼んでみてください」
『意味がある』と先ほどの言葉を思い出し、クレアは首をかしげながら、言われるがまま双子の名前を口にした。
「アーミィ……グレイ……?」
表情を逃さないように瞳をまん丸にして見つめていた双子は、クレアの口が閉じると、鳥のさえずりのような愛らしい声を上げてくすくすと笑いだす。
「わたくしたちの名前を呼ぶと、口角が上がるでしょう?」
「お兄さまがあまり笑わない子供だったようで、僕らを呼ぶ時くらい笑顔になるようにって、つけられた名前なんです」
予想していなかった名前の『意味』に、クレアはぽかんとしてからもう一度二人の名前をゆっくりと口でなぞる。確かに口角が上がることを確認すると、クレアも自然と笑い声が零れた。
「だから、名前だけはそのまま呼んでください」
「怒っているときも笑顔になって面白いですよ」
花が咲いたような無邪気な笑顔に、クレアは負けたとばかりに肩の力を抜く。
「えぇ、わかりました。アーミィ、グレイ」
クレアの返事を聞いて、アーミィとグレイはその瞳の宝石を嬉しそうに見合わせてから、クレアに回した手に力を籠める。クレアも観念したように、今までと同じように二人を力いっぱい抱きしめた。
「ドレスのお気遣いも感謝いたします」
「ふふっ以前ご自分の身なりを気にしていらしたから、それを理由に断られないようにと思いまして。とてもお似合いです」
冗談交じりの声に、逃げ道を少しでも閉ざすためでもあったのかと、クレアはアーミィの入念さに声を零して笑った。
双子に挟まれながら屋敷までの庭園を歩くクレアは、物語の舞台のようなその庭園に、感嘆の吐息を洩らす。クッキー子爵家は海風の影響で育つ草花が限られていたため、色とりどりの花にクレアは目を奪われた。まさに小説の舞台のようにロマンスのうまれそうな華やかさは、資料として絵画を欲しいと思うほどだった。
(あのガゼボも使えそうだわ)
流石にこの場でペンと紙を取り出すわけにはいかず、クレアは庭園の隅々を目に焼き付ける。頭の中では文章やアイディアが浮かび、帰宅するまでどうか忘れないでくれと自分に言い聞かせた。
「失礼は承知で、お兄さまは部屋にいてもらっています」
「前回お姉さま腰ぬかしちゃってたから、僕らも考えたんだ」
不意に左右の手を握られたかと思えば、双子に説明を受ける。前回の自分の失態を思い出しては、こちらはどうか一刻も早く記憶から消したいと、表情が自然と苦くなった。
「お姉さまは、お兄さまの事、どう思っていますか?」
グレイから飛び出した質問に、クレアはソテルの顔を思い浮かべては、顔への評価を聞いているわけではないのだからとすぐにかき消した。
「『その質問にお答えできるほど、存じておりません』が正直な気持ちです」
左右にいる双子は、クレアを挟んで横目で瞳を合わせる。
「以前も思いましたが、噂で判断されないのですね」
きょとんと瞳を丸めたアーミィが、クレアを見上げる。クレアはその口ぶりから、例の『手術』についての噂だろうとすぐに気づいた。
貴族社会で平和に暮らすためには、自分の考えは押し込めて、口にしないに限る。しかし、自分ですら口にするのも戸惑う、自分自身にとって大切な物を堂々と肯定してくれた『友人』達には本音で話したいと、クレアは口元を緩めた。
「それについては、私としては勝手に感謝しております」
「感謝?」
「だって、人を救う新たな力を学び、それを広めようとしてくださっているなんてすばらしいじゃないですか。知識は財産です。その財産を自ら広めようとされるなんて、とても尊い御方だと思っております」
「それでもこの国の民の多くは、野蛮な行為だと蔑んでいますわ」
「おかしな方々ですよね。大切な人を救える範囲が広がっただなんて、感謝してもしきれないというのに」
クレアは、幼い頃から気心が知れたレイニーや家族以外に、初めて自分の本音と意見を述べる。口にするまでは少し怖いとも思ったのに、言い終わればなんだかすっきりとして気分が良かった。そして双子の影響があってこそ口にできた言葉だと気づいて、双子への友愛の気持ちが膨らんだ。
「ふふ、クッキー子爵は新しい事も受け入れてくれる柔軟さをお持ちでしたが、お姉さまもなのですね」
「あ、父もアーミィの話を少ししておりました。どこかで交流があったのでしょうか?」
「アーミィは、政策会議にも出席してるんですよ」
「えぇ!?」
クレアはつい大きな声を上げる。まだデビュタントも迎えていない、しかもご令嬢が政策会議に出るだなんて聞いたことがない。自身のもつ情報源が少ないにしても、そんな異例の……改革のような出来事を知らなかった事に目を見開いた。
「昨年からクッキー子爵領が大金をかけて、道を整備した話は知っていますか?」
「は、はい。そうした話を詳しく私にされることはないのですが、傍から見ていて保守的な父にしては大変思い切った政策でした」
クレアは、昨年あたりに食事が大変質素になったことや、まだ全領土とはいかないが、主要の道は馬車で走っても腰やお尻が痛くならなくなった事を思い浮かべる。
「一度赤字になってでも、海に面した領地は道を整備するよう提案したのはアーミィだったんです。輸送に時間がかかる事で、海産物が傷んで集団的に体を壊してしまう人や、売り物が傷んでしまった事で収入がなくなってしまう人を少しでも減らせるようにって」
「……まあ、実行してこの案に賭けてくださったのは、クッキー子爵だけでしたけど」
まるで自慢をするかのように、誇らしく告げるグレイ。しかし、アーミィは寂し気な笑顔を見せた。クレアはその初めて知った事実に、あんぐりと口が開いてしまい、すぐに口元を隠した。
アーミィが賢いことはこの数か月でさすがにクレアも知っていたし、皇帝陛下に気に入られるほどの頭脳の持ち主だとの噂も、領地を実質収めているのが彼女であることについても耳にしていた。しかし、あくまで同世代と比べて勉強ができるだとか、覚えがいいだとか、なんでもそつなくこなし要領がいいだとか、その程度に考えていた。
まさか国の政策をする会議に出席し、意見し、しかもそれを実行した領土がある程だなんて、思いもよらなかったため、クレアは頭の処理が追い付かなくなる。ズーパト国において女性の身分でそんなことができた人物を、クレアは知らない。ましてやまだ成人すらしていない少女がなんてと、驚かずにはいられなかった。
「挑戦好きな陛下は、幼い頃から交流があり才能を見出していたアーミィの可能性を知りたくて、試しに会議に加えたんです。そしたら、今まで進まなかった政策が新しい発想で進むようになって。父さまは外交に力を入れしたいし兄さまはお医者様の仕事があるしで、いつのまにか大公家からはアーミィが参加するようになったんです」
グレイは手をつないでいないもう片手に拳を作り、興奮しながら話す。クレアは話の内容へ驚きながらも、普段はこちらが驚く程成熟した対応をする彼が、自分の小説を読んで感想を語る時のような年相応に感じるその反応が微笑ましくなる。
「陛下や兄様を含めた少数の方は、アーミィが余計なやっかみをこれ以上うけないようにアーミィの参加を外では言わないようにしていて、多くの者は知識や発想で令嬢に負けたなんて思われたくないから、誰も外で言わないんです」
「な、なのに私に言ってよろしかったのですか?」
「誰も口にしないだけで、秘密じゃないんです。でも、兄さまや陛下の気持ちも理解できますし、でもでも、アーミィの凄いところは自慢したいってずっと思っていたので、友人にならしても大丈夫かなって。お姉さまに本当はずっと聞いてほしかったんです」
「やっとできた」と満面の笑みを浮かべるグレイ。反対側にいるアーミィの耳はほんのり赤い。定期的に顔を合わせる時の居心地の良さに、クレアはずっと、互いの名前すら知らない友人関係でもいいと思っていたが、身元を知れたことで、こうして深入りしてさらけ出すことのできる関係になれた事を実感し、胸にしみた。
「アーミィ、我が男爵領で採用させて頂いたのに、感謝が遅れてごめんなさい。おかげで私は馬車に乗る事が好きになったし、領地外の方にも美味しくて新鮮な海産物を食べて頂けるようになり、領地の民も活気づいています。毎年夏は、私も治療院を手伝って、食中毒で床に臥せた領民に薬を配達しておりましたが、それもきっと減るんでしょうね。ありがとうございます」
「……どういたしまして」
いつも堂々としたアーミィからは考えられない、ぽそぽそとした返事に、クレアとグレイの表情は綻ぶ。彼女のおかげで好転した事はきっと他にもあるだろうに、きっと今まで自分の功績として認識されず、感謝の言葉を聞くことがなかったのだとクレアには伝わった。アーミィの功績と並べるのはおこがましいと思いながらも、クレアは心血注いだ小説の貴族社会での扱いを思い返して、アーミィの気持ちが少しだけわかった。
クレアは膝を折り、両手につないでいた二人の手を重ねて、一回り大きな自分の両手で包み込む。
「私は、お恥ずかしながら政治については疎いのですが、友人としてお二人が頑張った事、辛かった事、この先何でもお話ししていただきたいと思っています。身分差は重々承知しておりますが、この短い期間で私はお二人のことが友人として大好きなので、もしお許しいただけるのなら、今後も仲良くしてくださると、嬉しいです」
クレアの手が微かに震えていることを感じた双子の胸は、きゅっと締め付けられた。
双子にとって、近づいてくる人間の多くは、幼いにもかかわらずその見目へ色の混ざった視線を送ってくる者や、地位や権力へ目がくらんだ者ばかりだ。顔も見えず、地位もわからない状況で、貴族の令嬢が汚れる事を考える間もなく湖へ入り、助けてくれただけで、双子にとってクレアは特別だった。
交流を深める間に、はっきりとものを言うアーミィを煩わしいと思うどころか、そういった姿がかっこいいのだと笑ったクレア。身体が弱いというグレイを気にかけて、いつもグレイの体調を最優先し、起き上がれない日も彼がベッドで楽しめる本を探してきては、二人にプレゼントをするクレア。そんな彼女を見てきて、飾らずに対等に、見返りを求める事無く、両手いっぱいの友情という愛をもってぶつかってきてくれるクレアと、この先の友情を誰よりも望んでいたのは双子も一緒だった。
「お姉さま」
双子の声が、ぴったりと重なる。
クレアの瞳に映る自分たちの瞳が潤んでいる事に、双子はふにゃりと表情を崩して笑った。
「大好きです」
抱き合う三人を一歩後ろで眺めていたレイニーは、三人の気持ちがやっと伝え合えたその光景を、優しく見守った。