第八話
恩を感じさせてしまっているのか、なんだかんだと双子はクレアに無理強いはしない。だから、クレアは安心しきっていた。
――――しかし、その日はついに来てしまった。
「お初におめにかかります」
いつの間にか、取材よりも双子に会うことを目的として湖へと向かえば……そこには、湖の精霊のような御方が立っていた。
「先日は弟妹を救って下さりありがとうございました」
「とっとんでもございません!!」
クレアは慌てて腰を折り、頭を下げる。
とてもじゃないが、直視できなかった。あれだけずっと見ていたいと焦がれた自身にとっての理想を具現化したような顔だったが、自分があの宝石のような瞳に映る事が許せなかった。それに、外出禁止とされていたらしい双子と定期的にこんなところで会っているというのは、印象が悪いにもほどがある。怒られるだけならまだしも、最悪誘拐だなんだと罪に問われたりなんてしたらどうしようと、今更ながらクレアは怖くなった。
ぐるぐると最悪の事態を想定しては蒼くなるクレアの前に、大きな足が止まる。ひゅっと息を吸い込んだ時には、クレアの目の前に膝をつき、ソテルが顔を覗き込んできた。
「頭を下げるのは私の方です。どうか顔を上げてください」
その美しさを間近で浴びたことで、腰が抜けたクレアをレイニーが背後から支える。震える程にレイニーが力を込めて支えねば、クレアは立っていられなかった。
「改めまして、ソテル=カヌレと申します。突然保護者が同伴して申し訳ありません」
「とんでもございまっあっあ、え、申し遅れました!クレア=イベリス=クッキーと申します」
皇帝陛下の前以外だとクールな印象だったその整った顔は、眉を柔らかく下げて微笑んでいる。失礼な貴族相手にも丁寧に接していた表情とはまた違い、クレアの頭の中にはない新たな表情だった。
これだけの緊張の中、祝福花の名を聞けなかったことを悔しむ自分に気が付いて、クレアは自分が思っていたよりも強かな性格をしているのかもしれないと自分に呆れた。
基本的には祝福花も含め本名を名乗る事が多いが、中には花が気に入らなかったり不吉な連想をされそうなもの等、それぞれの理由で名乗らない事も少なくはなかった。神殿や王族へ名乗る際にのみ、本名で名乗る義務があったが、そもそも王族の血が少なからず流れている大公家の人間ということもあり、ソテルの本名を知る者は少ないのかもしれないとクレアは心の奥深くで考える。
「あぁ、クッキー子爵家のご令嬢でしたか。どうりで」
クレアの中で、『どうりで』という言葉が残るが、はにかんだ笑顔を前に今はそれどころではなかった。今自分が息を吸っているのか吐いているのかすらわからない。
「怖がらせないようにお礼をさせていただきたかったのですが、うまくいきませんでしたね。すみません」
クレアの慌てように、ソテルは申し訳なさそうに一歩距離を置いてくれる。そうしてやっと、彼の後ろに友人である双子の姿があった事に気が付いて、そのあまりの眩しさに、クレアは瞳を瞑った。そのあまりにいっぱいいっぱいなクレアの姿を見て、この作戦はよろしくなかったのではないかと訴える視線と共に、ソテルは双子の頭をこつんとつついてから、こほんと静かに咳払いをする。
「本来ならこちらからご自宅へ伺うべきところですが……」
ソテルの言葉に、クレアは慌てて瞼を上げると、必死に首を横に振る。マナーなんてあったものじゃない。しかし、双子もソテルもそんなことは気に留めている様子はなく、レイニーはクレアへハラハラしながらもその様子には胸をなでおろした。
「ご迷惑かと存じます。なので、正式にお礼をさせていただくため、代わりに屋敷へ招待させてください」
怯えさせないようにと務めた、優しい笑顔で差し出された家門の蝋封付きの招待状。クレアはそれを手に取らない方法はないかと悩みながらも、身分の問題でそれが失礼に当たることくらいは、貴族の端くれとして理解していた。
◇
「き、着る服なんてないよおお」
間近でうけたソテルの美貌に、一晩中放心状態になった翌日。現実を直視したクレアは自室で叫び声を上げた。
クレアは、数少ない招待されるお茶会も、参加者を見ながらうまくドレスを着まわしてきたし、新しく仕立てるのだって、皇族主催のパーティーの時くらいだった。そのため、一番新しいドレスは先日仕立てたばかりのものだ。恐らくソテルは先日のパーティーでクレアの服装なぞ覚えてはいないのだが、『自宅へお呼ばれ』に着ていくドレスではなかった。
クローゼットから着ていけそうなものを取りだし、ベッドへ並べてはみたが、どれも新品ではなく、あの見目麗しい三人の瞳に映すにはどれもくたびれて感じる。
(どうしよう……貯金に手を出すしかない?それとも両親に話してみる?)
そうでもしないと新しいドレスを手に入れられないと、涙を見せた時だった。廊下から兄たちの幼少期以来聞いていない、ばたばたとした足音が聞こえる。その音はだんだんとクレアの部屋へ近寄ってきて、その勢いのまま、ノックもなく扉が大きく開かれた。
「クレア!どういうことだ」
息を切らせた父の声に、クレアは動きを止める。
(どういうって、どういうことですかお父様!どっち?!どっちを知ったの!?)
クレアは墓穴を掘らないよう、口を一直線に結ぶ。内心では小説の件なのかカヌレ大公家との話なのか、何度も父に問う。しかしなかなか言葉が続かない父に、クレアが口を結ぶ理由を唯一理解しているレイニーが、大きな箱をもって父の後ろから顔をのぞかせた。
「カヌレ大公家から、お嬢様あてにドレスとアクセサリーが届きました」
その言葉に、クレアは目に見えて安堵する。そんな彼女を見て、父であるクッキー子爵はあんぐりと口を開け、「い、いつから……」と呟いた。その戸惑いの混じった声を聞き、クレアは勘違いをされている事を察する。
「レイニー、『大公家』からなのね?」
「はい!ただ、封筒のご趣味から察するに、ご令嬢からかと思われます」
機転を利かせて言葉を加えてくれるレイニーに、クレアはウインクをする。クッキー子爵はというと、レイニーの言葉を聞いて、首を傾げた。
「たまたま出先で、大公女様とお友達になったんです。今度ご自宅へ招待されたので、きっと気遣ってくれたのでしょう」
クレアの嘘の混じらない返答に、レイニーは心の中で拍手を送った。クッキー子爵は肩の力を抜いてホッと一息つく。
「てっきりあのご長男と恋仲にでもなったのかと……」
「お父様ったら。私が見初めて頂けるわけないじゃないですか」
「クレア、君は素敵な子だよ。ただ私は、あの御方が相手だとしたら、君が苦労するのではないかと驚いただけだ。自分で選んだのなら構わないが、貴族社会に疎く育ててしまったから、心配になっただけなんだよ」
優しい声色で言い聞かせてくれる父の姿に、クレアは心が温かくなるのと同時に、数年にわたって隠し事をしていることへ胸が痛んだ。この優しい父を巻き込みたくはないと、改めて市井へ下る決意を固める。
ふと、先日のパーティーでソテルに向けられた貴族の瞳と、父の瞳が違うことを感じて、クレアは少し悩みながら口を開いた。
「大公女様と仲良くする事については良いのですか?」
「あの神童とうたわれる御方だね。あの方の発想や頭の回転の速さには本当に驚かされる。でも、まだまだ幼いご令嬢には間違いないんだ。個人的には、支えてくれる友人ができると良いと見守っていたから、その相手がクレアだったら嬉しいと思うよ」
クッキー子爵家は、少しではあるが海辺の含まれた領地であることから、物珍しい輸入品を献上するために皇城へ出入りする事も少なくない。そうした経験からか、クッキー子爵は少女の事を心配そうに思い浮かべる。
「大人に混じって意見を言える彼女は堂々としているけれど、あの嫉妬にまみれた視線を受けるのはつらいはずだ。どこかで子供らしく笑えていてほしい。友人とはいえ、クレアの方が年齢も上なのだから、気にかけて差し上げなさい」
自身が尊敬し、愛してやまない父が、家族以外に対してもこうして心を砕いてくれる姿に、クレアはうるりと瞳を濡らす。しかし、未だ双子の名前を知る事はおろか、いつもどちらかと言えば気をまわしてもらっている側であるクレアは、父から視線を逸らすしかなかった。