後編
琴葉が翔琉と再会してから、五ヶ月が経った。
要との誤解が解けた今では、たまに一緒に食事をする仲になっている。電話だけではなく会えるようになったことに、琴葉は喜びを感じていた。
最初、食事に誘われた時は「彼女に悪いから」と断ったのだが、「彼女は今、いないですから」と言われ、心の中で喜んでしまったのは内緒だ。
来週の日曜には、新しくオープンしたカフェに一緒に行くことになっている。
少し遠いところにあるので市場調査を兼ねているのだとは思ったが、それでも一緒に行けるのは嬉しかった。日曜は琴葉の誕生日だからなおさらだ。翔琉は琴葉の誕生日など、覚えてはないだろうが。しかし、である。
「えー……。お誕生日、おめでとうございます」
「へ?」
その連れられたカフェで目の前に座っていた翔琉がそう言って、小さな箱をスッと差し出してきた。
心臓がびっくりするくらいにバクバクとなっていて、顔が熱くなる。
「え、私の誕生日、覚えてたの??」
「初恋の人の誕生日は、特別っすから」
少し照れたように話す翔琉が可愛らしい。琴葉は震えそうになる指に力を入れてこらえながら、そのプレゼントを受け取った。
「ありがとう……見てもいい?」
「大したもんじゃないですよ。重いと思われても困るんで、安物です」
開けてみると、ふっといい香りが漂ってくる。
「わ、入浴剤? ありがとう!」
「香りものは好みがあるからどうかと思ったんですけど、大丈夫でした? 一応、女性に人気の入浴剤を選んだんですけど」
「うん、大丈夫。それに翔琉のその気持ちが嬉しいから!」
ポロッと本音が漏れてしまって、琴葉は笑みのまま顔をこわばらせた。気持ちを気づかれてしまったかもしれないと思ったが、翔琉は気づいた様子もなく嬉しそうに笑っていて、琴葉はほっとする。
昔、翔琉を振っておきながら、今さら好きになったなんて言えるはずもない。都合の良いように翔琉を利用していると思われるのは、絶対に嫌だ。
「喜んでもらえてよかったです! 来年はもっといいものをプレゼントしていいですか?」
「え、そんな、いいよプレゼントなんて。気を遣わないでね」
「……そうですか」
まさか、来年も何かをプレゼントしてくれるつもりだとは思ってもいなかった。
来年も翔琉と一緒に誕生日を過ごせるのかもしれないと考えただけで、口角が上がってしまう。それでもう充分だ。プレゼントなんて必要ない。
るんるん気分の琴葉が女性に人気のフルーツパンケーキを食べるのとは対照的に、翔琉は息を吐きながらコーヒーを飲んでいる。なにか嫌な気分にさせてしまっただろうかと心配していると、テーブルの隣を一組のカップルが通りかかった。
「あの、もしかして琴葉部長と翔琉先輩じゃないですか?」
「え?」
聞き覚えのある女の子の声に、琴葉は目を見開いた。
「未来ちゃん、竜介?!」
そこにいたのは、高校時代の後輩カップルだ。琴葉と翔琉が相談に乗り、背中を押してあげて付き合い始めた二人である。
「わ、琴葉部長、お久しぶりです!」
「びっくりした、ここの近くに住んでるの? あ、ここ座って! よかったら一緒に食べない?」
「はい、ありがとうございます!」
そう言って未来は琴葉の隣に、竜介は翔琉の隣に座ってくれた。
二人の薬指には指輪が煌めいているのが見えて、思わずじっと見てしまう。
「あ、私たち、結婚したんですよ」
「そうらしいね、翔琉に聞いた。おめでとう、すごいね、高一で付き合い始めて結婚までいくなんて」
「部長たちのおかげです」
「きっかけはそうかもしれないけど、ずっと付き合えるってすごいことだよ」
未来と竜介が目を合わせて微笑みあっているのを見ると、喜びと同時に羨ましさも込み上げてしまい、一生懸命押さえつける。
「けど、部長たちも付き合ってたんですね。知りませんでした!」
未来がいきなり澄んだ瞳でそんなことを言い出し、琴葉は慌てて手を振った。
「付き合ってない、付き合ってない!」
「え? でも今、二人でデートしてたんですよね?」
「デートっていうか、ただ会ってただけ。友達よ、友達」
自分で言っていて虚しくなる。恋人だと言えたなら、どんなによかったことか。
琴葉たちはしばらくの間、学生に戻ったような気分で語らった。長時間居座ってしまったが、喋り尽くして大満足だ。
店を出て未来たちと別れると、琴葉と翔琉は帰りの電車に乗る。座席は空いておらず、立ったまま電車は進んで行く。
「まさか、未来ちゃんたちに会えるとは思わなかったよねー!」
「そうっすね。竜介のやつもいっちょまえに旦那してるのには参ったなぁ」
「ふふ、翔琉も結婚したらそうなるんじゃない?」
「琴葉先輩も外じゃ強がってるけど、家庭では優しい奥さんしそうですよね」
「そ、そう? きゃっ」
ドキンと胸が鳴った瞬間、電車がガタンと揺れてバランスを崩す。その瞬間、翔琉がさっと背中に手を置いて支えてくれた。
「大丈夫ですか」
「あ、う、うん、ありがと……」
顔に熱が集まってくる。まともに翔琉を見られず、変に思われるかもしれないと心が慌てている。
「琴葉先輩?」
「な、なんでもないよ」
琴葉はグイッと突き放すように翔琉を突き放した。
──だめだ……そんな風に見つめられたら、私……っ
恥ずかしくて顔から火が出そうになっていた。好きすぎて、近くにいるのがつらい。
もしも好きだと言ったらどうなるだろうか。
八年も前に翔琉を振っておきながら、今さら付き合いたいだなんて都合のいい話だ。
なにも伝えなければ仲の良い友人としていられる。しかし気持ちを言ってしまえばこの関係までも壊れてしまうかもしれない。そう考えると、胸がぎゅうっと苦しくなる。
「どうしたんですか、琴葉先輩」
「なんでもないったら!」
捕まれそうになる手から逃げようとして、バシッと振り払ってしまった。
「あ……ごめ……」
「俺、なんかしました?」
明らかに傷ついている翔琉の顔。琴葉は慌てて首をぶんぶんと横に振る。
「ごめん、違くて……ごめん」
「……」
気まずい空気の中で電車が停車する。プシューと扉が開き、二人はその駅に降り立った。
「今日はありがとうね、翔琉。感じの悪い態度とっちゃって、ごめんなさい」
「送りますよ。もう暗くなってくるし」
「大丈夫。それにちょっと一人で帰りたいから」
翔琉の家は、琴葉の家とは反対方向だ。明日も仕事だし、余計な時間を取らせたくはない。
それに好きな気持ちが溢れすぎて、隣にいるだけで胸が破裂してしまいそうだ。
「じゃあ、また今度ね」
「今度って、いつですか」
なぜか突っかかってくる翔琉。いつもは翔琉もにこやかに『また今度』といってくれているというのに、なんだか変だ。
「それはわからないけど……」
「俺の気持ち、迷惑ですか」
「……え?」
目の前の視界が一瞬歪んだ気がした。翔琉がなにを言ったのか、理解ができない。
「え、と……?」
「俺、琴葉先輩が好きです」
「……はい?!」
唐突の言葉に驚いて目を広げると、翔琉の顔はほんのりと色づいていた。
けれどその瞳は真剣で、高校の頃に告白してくれたことが思い出される。
「高校の時もこうやって告白して振られましたけど……今度こそは上手くいくって思っていいですか」
「いや、でも、あの、私……前に翔琉のこと傷つけちゃったし、私に翔琉と付き合う資格なんて」
「今断られる方がよっぽど傷つきますって!」
「そ、そっか……」
頭が沸騰しそうなほどに熱くなり、酸欠のためか頭がくらくらとする。
信じられなかった。まさか、もう一度翔琉に告白される日がくるとは。
「俺、高校の頃からずっと琴葉先輩が好きでしたよ。再会した時は、もう運命だって思いました」
「翔琉……」
「俺とのこと、真剣に考えてくれませんか」
夕暮れ時の風が、ふわりと翔琉の体を纏う。
真摯で篤実な態度に、琴葉の胸は熱く打たれた。
「翔琉……ありがとう、嬉しい……」
「それ……オーケーって意味で捉えちゃいそうなんすけど」
不安そうになっている翔琉を見て、昔同じ言葉を紡いだことを思い出した。
『ありがとう、嬉しいけどごめんね』と。
「うん……オーケーで合ってるよ」
「本当に?!」
「私も……翔琉のことが好きになってたの。でも一度振っておいて、今さらこんなこと言えなくて」
琴葉がそういうと、翔琉はぎゅっと目を瞑ってぐっと拳を作っている。
「……翔琉?」
「まじか……嬉しいっす……!」
噛み締めるように言ったその言葉が可愛くて、琴葉はくすりと笑った。
「これからよろしくね、翔琉」
「はい、竜介たちみたいに早く結婚しましょうね!」
「え、ちょ、気が早すぎ!」
「だって俺もう、八年以上待ってますから!」
ハハハと、人懐こく、それでいて大人びた笑みを見せる翔琉に、ドキンと胸がときめく。
「いつか、結婚してくださいね。……琴葉」
そう言って差し出された手に、そっと自分の手を乗せて。
「……はい」
これ以上なく嬉しそうな笑みを見せる翔琉と、手を繋いで帰った。
-end-