中編
それから週に一度は翔琉から連絡がくるようになっていた。
仕事の話からくだらない話まで色々と話した。翔琉は昔から話し上手だったが、今はさらに磨きがかかっていて、電話のやりとりが心地いい。琴葉にも話を振ってくれて、プライベートも愚痴もさらけ出せた。
そんなこんなを続けるうちに、琴葉はだんだんと週一だけの電話のやりとりでは物足りなくなっていた。
毎日でも連絡をとりたい。電話だけじゃなく……会いたい。
けれど会いたいと言われないということは、翔琉には会えない事情があるのだろう。
恋人はいるのか、結婚はしているのか……そんなことは勇気がなくて聞けなかったし、聞かれることもなかった。
──私はあくまで、昔の憧れの先輩でしかないんだなぁ。
琴葉は気持ちに蓋をするように、翔琉への気持ちを胸の隅へと追いやった。
***
ある日曜日のこと。
服でも買おうかと琴葉が出かけると、道端で偶然にも元彼である要に出会った。
「おー、琴葉!」
「わ、要、久しぶり!」
要とは円満に別れているので、会えば普通の友人のように話しかけられる。
「新しい彼氏できたか?!」
「それ聞くぅ? 要はどうなのよ」
「俺は来月結婚。式に招待してやろうか?」
「ちょっと、バカな冗談は勘弁してよ。自分だけ見せびらかすのはナシだからね!」
「はは、じゃあ琴葉も早くいい男見つけろよー」
「そうね、要よりもずーっといい男を捕まえて自慢しちゃうんだから」
「その意気その意気!」
要は豪快にハハハと笑いながら、頭をぽんぽんと叩いてくる。後腐れのない男なので、こんな話をするのも気が楽で一緒に笑った。
「ん? あれ、もしかして翔琉じゃないか?」
その言葉に振り返ってみると、確かにそこには翔琉の姿。
「あ、本当だ」
「だよなぁ! 懐かしー! おーい、翔琉ー!」
要が大きな声で名前を呼ぶと、翔琉がこちらに気づいて走り寄ってくる。スーツ姿なので、休日出勤のようだ。
「要先輩! お久しぶりです!」
「おおー、元気にしてたか! 大きくなったなぁ!」
「親戚のおじさんみたいなこと言わないでくださいよ、要先輩」
「はっはっは、俺には姪っ子がいるから、名実ともにオジサンだ!」
「じゃあ俺もおじさんっすよ、甥っ子がいるんで!」
男二人はそんな話をしながら楽しそうに笑っている。しかし琴葉はそのスーツ姿がどうしても気になって、二人の会話に割って入った。
「翔琉は日曜なのに仕事?」
「はい、先方がこの日じゃないと空いてなくて。今から商談なんですよ」
「あの翔琉が、真面目に仕事してんのかー、オドロキだな!」
「要先輩、そりゃないっすよ! 俺、こう見えて結構やり手なんですよー!」
「ハハハッ」
またしても二人は大きな口を開けて笑っている。
「もう、二人とも学生時代と変わらない。仲いいんだから」
くすくすと琴葉が笑うと、翔琉はどこか寂しそうな笑みに変わったように見えた。
「琴葉先輩と要先輩も、仲良いじゃないですか」
「ああ、まぁ俺たちは円満だからな!」
要はハハハと笑って琴葉の背中を叩いてきた。円満の別れは、確かにこうして久しぶりに会っても仲良しでいられる。泥沼の別れなんかじゃなくて、本当によかったと思った。
「あ、やべ、俺行かねぇと! じゃ、要先輩、琴葉先輩、失礼します!」
「おお、仕事がんばれよ!」
「慌てないで気をつけて行くのよ、翔琉」
「はい!」
琴葉と要がそう声をかけると、翔琉は早足と駆け足の中間くらいのスピードで遠ざかって行った。
その後ろ姿に手を振っていると、上から声が降りてくる。
「慌てないで気をつけて、翔琉……か」
「なによ?」
「お前、翔琉のこと、学生時代は天ヶ瀬って呼んでなかったか?」
「……学生時代はね」
「へぇえ〜」
見上げると、元彼である要がニヤニヤしていて、琴葉は口を尖らせた。
「違うわよ、ちょっと最近、仕事で会うことがあって」
「で、名前呼び?」
「だって、そう呼んでっていうんだもん」
「そういや琴葉、昔あいつに告白されたって言ってたよなぁ」
「ちょっとやめてよ、八年以上も前の話を出してくるの。翔琉だってそんなこと言われるの迷惑よ、きっと」
「ふふーん?」
琴葉がそう言っても、要のニヤニヤはおさまらず、むむっと口をへの字に曲げる。
「ま、がんばれよ!」
「な、なにがよ! 違うし!」
「あいつも満更じゃないと思うぜ」
「ばか、もうあっち行って!」
「はは、じゃあな! 翔琉によろしく!」
「もうっ」
要は楽しそうに手をひらひら振りながら、琴葉から遠ざかっていく。
満更じゃないと思うという言葉に反発心を抱きながらも、期待してしまう自分を情けなく思った。昔告白されたのは確かだが、八年も前の気持ちが今もずっと続いているとは思えない。
連絡を取り合っているのはただ、お互いに懐かしいだけなのだからと、琴葉は自分を納得させた。
その後も翔琉とは変わらず週一で連絡を取りあっていた。関係はこのまま一生変わらないだろうと諦めていたある日、また進藤と共にエフリープランツ株式会社の方へ応援に行くこととなった。
進藤と会場に向かうと、明日行われるというイベントの広場で、翔琉は準備に追われて忙しそうに働いている。
急いで近づいて声をかけると、翔琉はパッと顔を輝かせて振り返った。
「進藤さんに、こと──風鳴さん、ヘルプありがとうございます! うちの社の者は今、別プロジェクトで動かせる人員が少なくないので助かります!」
「困った時はお互い様です」
進藤はそう言い、慣れた様子で手伝い始めた。
「風鳴さんは僕と一緒に買い出しに付き合っていただけますか」
「はい、わかりました」
翔琉が『風鳴さん』や『僕』と言葉を使い分けているのが少しむず痒い。翔琉も同じかもしれないが。
「来てくれたのが琴葉先輩でよかった! 実はちょっと女性の意見も聞きたくて」
「私でよければ」
そんな話をしながら街中を歩いていると、デートのような気分になってしまう。
お互いスーツ姿で仕事の話をしているのだから、色気も何もあったものではないが。
「それで明日のイベントでは女性も参加しやすく……」
それまで饒舌に話していた翔琉の言葉が、急に止まった。どうしたのかと見上げると、翔琉の視線は道の向こう側に向けられている。
「どうしたの、翔琉」
「あれ……要先輩じゃないっすか……」
そう言われて、琴葉も道の向こう側に目を向けた。確かにそこには背が高くて底抜けに明るい要の姿が見える。そしてその隣には、見知らぬ女性の姿も。腰を抱いて歩いているところを見るに、きっと要の婚約者だろう。
「あ、本当。要だね。こんな朝っぱらからイチャイチャしちゃって」
「琴葉先輩……知ってたんですか?!」
「え? ……うん」
彼女がいることは偶然会った時に聞いて知っていたことなので、琴葉はこくんと頷いた。
「なんか言ってやらなくていいんですか?!」
「いや、うん、まぁ一応言ったし」
「琴葉先輩が言ったってのに、要先輩はあんな態度なんすか?! 俺、我慢できません!!」
「え、あ、ちょっと!」
なにがと問う前に、翔琉は走って行ってしまった。琴葉はわけがわからないながらも、彼を走って追いかける。
「なにやってんすか、要先輩!! 琴葉先輩という人がありながら!!」
琴葉が追いついた時には、翔琉は要の胸ぐらを掴んで詰め寄っていた。隣にいた彼女はその姿を見て目を白黒しているが、琴葉もわけがわからず頭がぐらぐらとする。
「か、翔琉? おいお前、勘違いしてるぞ」
「勘違い?! 浮気しておいて、よくそんなことが言えますね!!」
「浮気なんてしてねーって!!」
「はあ?! 琴葉先輩とは円満だって安心させといてこれかよ!! 要先輩のこと尊敬してたのに、幻滅させるな! 琴葉先輩を傷つけるようなこと、すんな!!」
「ばか、翔琉! やめなさい!」
今にも殴りかかりそうな翔琉に、琴葉は慌てて二人の間に入った。
「なんでそんな奴を庇うんすか、琴葉先輩!! 円満なんて嘘までついて!!」
「嘘じゃない、嘘じゃないから!!」
「浮気されて、どこが円満なんですか!!」
「円満だよ! 円満に、別れたの!!」
琴葉の必死の言葉に、「え?」と翔琉はキツネにつままれたような顔をしている。
「わ、別れ……?」
「おお。しかも別れたの、もう四年も前になるぞ。この間こいつに会ったのだって、偶然だったんだ」
要が気にもしない様子で笑いながら言っていて、翔琉の顔はゆでだこのように真っ赤になっている。
「そ、そうだったんですか……俺、てっきり今でも付き合ってるのかと……」
「もう、要の彼女さんに謝りなさい!」
琴葉が強く促すと、翔琉は振り返って要の彼女に頭を下げた。
「すみません、俺、はやとちりして……!」
「私からもすみません! 要とは本当に何もありませんから! 心配なさらないでくださいね!」
二人で頭を下げると、その彼女はふんわりと笑った。
「大丈夫です。私、要さんを信用していますから」
二十歳くらいの若い女の子。なのにしっかりとしていて、可愛らしい。琴葉は思わず彼女に見惚れてしまった。
「陽菜、びっくりさせて悪かったな」
「ううん、大丈夫」
「浮気なんかしてねぇからな」
「うん、知ってる」
ほんわりと笑う陽菜と呼ばれた彼女と要のやりとりが、なぜだか琴葉の背中をもぞもぞとさせた。
要が彼女を気遣って大事にしているということが伝わってきて、正直、羨ましさが募る。
「要先輩も、本当にすんませんっした!」
「わはは、まぁいいってことよ。んじゃあな、もう邪魔すんなよ!」
そう言って要は陽菜に優しい瞳を向け、まだ彼女を心配するように声をかけながら行ってしまった。要が本当に心から愛している人なのだということがわかる仕草。
自分には向けられたことのない顔だったことが、少し寂しく感じてしまった。
「琴葉先輩は、本当はまだ──」
「え?」
隣で何かを言っていた翔琉を見上げると、「いいえ、なんでも」と眉を八の字にしたまま口角を上げていた。
琴葉には、なぜ翔琉がそんな顔をしているのかわからなかった。