5.元婚約者
ヴィクターの復学から一月が経った。
神童の復活だと騒がれたのは結局初日だけとなった。
ヴィクターの現状は初日のうちに広まり、それからはヒソヒソと陰口を叩かれるのが常の状況となっていた。
ある日の昼下がり、ヴィクターは学院にある噴水広場にあるベンチに右ひじを置いて頬杖をついて座り、静かにその瞳を閉じていた。
一見すると昼寝を満喫しているようにも見えた。
「まだ退学になってなかったんだあの元神童」
「昔は凄かったみたいだけど、今じゃ、ねえ?」
「もうゴミみたいな魔力しか持ってないのに、今でもあんなに偉そうとか気持ちわる……」
ヴィクターの周囲の人間は怪訝そうな眼で彼を見た後、遠慮のない言葉を浴びせた。
だが彼は浴びせられるそんな言葉を一切気にはしていなかった。
もしこの場にテオドールがいれば、穏やかに笑みを浮かべながら蔭口をたたく人間を追い払っていただろう。
だが生憎彼は二人分のコーヒーを買ってくると言って席を外していた。
そうして一人になっているヴィクターに近付く女性がいた。
「我に何か用か? リディア王女殿下」
ヴィクターは一切目を開けずに、近付いてきた女性の名を当てて見せた。
理由は至極単純で、彼はこの一月学院に通ううちに、全生徒と全教員の魔力の波長を記憶していたからである。今こうして目をつむっているのは、周囲に気を巡らしその精度が衰えていないか確認するためであった。こんな芸当ができるのはこの国で彼一人であろうが。
「うっすら目でも開けてるんですか……?」
訝し気に尋ねた彼女に、ヴィクターは静かに首を振って目を開けた。
キラキラとした金色の瞳がリディア第3王女の銀色の瞳を射貫いた。
ヴィクターと対照的な銀色の髪をクラウンハーフアップに編んでいる彼女は、ヴィクターに見つめられてほんの少し頬を紅潮させた。
「まさか。お主は一際特徴的な魔力の波長をしているからな。近付けば嫌でも気づくというものだ」
「い、嫌でも……っ」
苦虫を嚙みつぶしたような顔をするリディア。
「それで? 今日はどういったご用件で?」
相手が王女であろうとも、態度を改める気はないヴィクターに近辺にいた生徒は蔑むような視線をぶつけた。一応学院の規則で敷地内においては身分の差を撤廃するといったものはあるが、それでも最低限の礼儀は守る生徒は多かった。
5年前であったならばヴィクターは公爵家の嫡男であり、かつリディアの婚約者でもあったことから仮にそのような態度をとっていたとしても何も言うものはいなかっただろう。
しかし今の彼は平民であり、当然婚約破棄も正式になされているため余計に風当たりが強い状況となっていた。もしも彼が今も尚神童であったなら話は変わっていたかもしれないが。
「無駄な話は好みませんので単刀直入に聞かせていただきます。どうして手を抜くのですか?」
その質問に、ヴィクターは即座に答えた。
「その質問自体が既に無駄なのだよ」
「どういう意味ですか?」
「我は手を抜いていない。あの魔術が今の我の全力だ。ただそれだけの、これ以上言及のしようがない単純明快な事実さ」
ベンチに腰掛けながら飄々と答える彼に対して、リディアは強い怒りを覚えた。
「……ざ……なぃ……だ……っ」
俯いてプルプルと両の拳を震わせるリディア。
「何だ? ハッキリと申せばいいだろう」
「ふざけないでください!!!!」
リディアという少女の周囲の評価は立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という言葉の通りだった。
第3王女殿下として恥じない魔力を持ち、その所作も上品そのものであり王族の規範となる存在として振る舞っていた。
そんな彼女が怒りを前面に押し出してヴィクターに詰め寄っていた。
「私は! 貴方のことを誰よりも知っています! 少なくとも! 数年前の貴方はここまで無様では無かった!!」
彼女の言葉に、ヴィクターは僅かに眉を動かした。
「無様……か……」
「間違っていますか?」
ヴィクターの雰囲気が僅かに変わる。
「いや、間違いじゃない。きっと王族である君の価値基準で考えれば今の僕の姿は酷く滑稽に映るんだろうね」
無意識に、話し方を過去のソレに戻すヴィクター。
だがすぐに過去を振り払うように首を振るって、再び傲岸不遜な態度を取り始めた。
「だがお主がどれだけ無様だと思おうが、今の我には何の関係もない話だ」
「…………それは、今の私が貴方の婚約者ではないからですか?」
「それも理由の一つにはなるだろうな。今の我とお主は何の関係もない一生徒同士だ」
そう言ったヴィクターを見ながら、彼女は絞り出すような声で話す。
「わざと落ちぶれるほど、貴方は私との婚約が嫌だったのですか……っ」
「どう思うかはお主自身に任せるが、少なくとも我に言えるのはそんな理由ではないという事だけだな」
「では何故!?」
必死の形相で詰め寄る彼女に、尚も冷静にヴィクターは答える。
「何度聞かれようが、答えは変わらん。今の我の全力がアレだ。そこに理由などなく、揺るがない事実であり、それ以上でもそれ以下でもないのだよ」
二人の間に張り詰めたような空気が立ち込めた。
そんな空気を引き裂いたのは二人の男子生徒だった。
「ヴィクター!!」
「どうしたんだい?」
一人は赤髪の優男であるテオドール。
「大丈夫か!?」
少し息を切らして傍に来た彼は、リディアを睨みつけた。
「止めろ」
彼がその視線を向ける理由を察してはいたが、仮にも王族に対する態度としては不適切にもほどがある。自分のようにわざと尊大な態度を取るように務めているのならば別だが、テオドールは違う。いつどこで目を付けられるか分かったものではない。
ヴィクターはそう考え、即座に注意をする。
駆け寄ってきたもう一人はリディアの現在の婚約者である公爵家のオズワルド・グランウェルだった。
オズワルドは茶色の髪を携えた美男子だった。年の割には童顔気味で、ヴィクターやテオドールとはまた違ったタイプの整い方をしている。
オズワルドはキョトンとしてこちらへと近付いてきた。
そしてヴィクターの事を見た瞬間一瞬目を見開いたが、すぐに人当たりの良い笑みを浮かべた。
「久しぶりだね。ヴィクター」
ヴィクターも元公爵家であるため、当然同じ公爵家の生まれであるオズワルドとは交流を持っていた。尤も、それほど仲が良かったわけではなく家同士の薄い繋がりしか無かったが。
「うむ」
短くそう答えるヴィクターに、オズワルドは少々苦笑した。
「噂では聞いていたけれど、本当に人が変わったみたいだね……」
「気のせいではないか? 我は昔から変わらないが?」
「いやいや……、流石に僕でもそれは嘘だって分かるよ。それで? リディアと何かあったのかい? 彼女が声を荒げるなんて珍しいからね」
オズワルドがそう聞くと、リディアはバツが悪そうな顔をした。
話を端的に言えばリディアがヴィクターに突っかかってきただけなのだが、ヴィクターは特に気にした様子もなく言う。
「無礼な我が彼女を怒らせた。ただそれだけのことだ」
「いや、彼女がそんなことで怒るとは……。ましてや相手が君なら尚更……。でも、まあ、君がそう言うならそういう事にしようか。さあリディア、行こうか。テオドールもまたね」
オズワルドはそう言って彼女の手を取って踵を返した。
「はっ」
テオドールは去っていくオズワルドの背中に深く礼をする。
そうして彼らの背中が見えなくなった辺りで礼を解いた。
「それで、何があったんだい? ヴィクター」
「別に、ただの世間話だ。お主が気にすることではないさ」
「そうは見えなかったけど……。まあ、君が話したくないならそれでいいさ。ほら、コーヒー買ってきたよ」
彼はそう言ってコーヒーが入った紙コップを差し出した。
「うむ」
彼はそう言って、コーヒーに口付けた。
その様子は普段通りで、先程までのやり取りを一切気にしていないようであった。
だがその瞳はどこか退屈そうで、何を見ているのかも分からなかった。
ヴィクターの学院生活は、周囲に迫害されながらも進んでいくのだった。
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