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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

味わいメモリー

作者: 青葉たつ


過去は食材。思い出は調味料。人生を味わい深くするのはいつだって経験値だ。


都内、高層ビルの上階。大きなガラス窓の向こう側に、働く人々の光が一望できるフロア。

知る人ぞ知る高級レストランの個室には、七十ほどの老紳士と二十代半ばほどの若い女性の二人がいた。

 


「いかがかな。ここは私のお気に入りの店なんだよ」

「と、とても素敵なお店です。今日はお招き頂いてありがとうございます」

「なに。若い子には旅をさせよとね。今日は私のおごりだ。しっかり堪能しておくれ」


老紳士は柔和な笑みを浮かべ、穏やかな口調で話しかける。しかし女性は緊張でそれどころでは無い様子。ソワソワと視線を動かし、自分が場違いではないかと心配しっぱなしだ。


「緊張しているのかい?」

「えぇ、こういったお店は初めてなので……」


それもそのはず。女性はただの会社員。高級レストランなど人生で一度来るか来ないか。今日はわざわざドレスをレンタルしてきたくらいだ。

それがどういうわけか、突然オフィスにやってきたこの老紳士に声をかけられ、青い顔をした上司にあれやこれやと送り出されてきたのだ。


(多分めちゃくちゃ偉い人……。親会社の社長クラスとか、うちの大株主だったりして……)

そう考えると、女性は生きた心地がしなくなってきた。


「この店はね、客の思い出で料理の味付けをするんだ」

「思い出……ですか?」

「そうとも。君にも、苦い思い出や甘酸っぱい思い出の一つや二つあるだろう?」

「ええ、まぁ……」


女性……名前を理沙というが、理沙はこの老紳士が何を言っているのかよく分からなかった。

思い出で味付けと言われても、アンケートでも取ったりするのだろうか。そんなことよりも庶民派の自分は、普通に美味いものを食べたいところだ。


だが、相手がどういう目的なのか、何者なのかも分からないままでは、とりあえず話を合わせておくしかない。

いつも威張っている上司が青い顔をするくらいなのだから、失礼なことをしたらクビだろうし……と頭の片隅で考える。


「いまいちピンと来ていないようだね。大丈夫。料理がくればすぐに分かる」


そう言って老紳士はウェイターを呼び、一言二言話をした。


「ワインは軽めのものを頼んでおいた。若い子は苦手な人も多いからね」

「それはその、ありがとうございます……」

「本当は事前に苦手なものを聞いておくべきだったんだが……。今更だが、アレルギーや苦手なものがあれば、遠慮なく言ってくれたまえ」

「えと、大丈夫です。なんでも食べられます」


「それは良かった。でも嫌いなものがあるのは悪いことじゃない。私の息子が昔言っていたんだがね、嫌いなものは心のアレルギーだそうだ。体に害は出ないが、心に害が出るらしい。家族との食事を楽しみたいから、嫌いなものは出さないでくれとね」


「聡明な息子さんですね」


「ははは。当時は屁理屈と思っていたのだがね。息子が食事を自分の部屋に持っていくようになって後悔したよ。やはり食事は楽しまなくては」


「後悔ですか」

「あぁ。今は精神医療に携わっているようだが、中々顔を見せてくれない。昔からずっと、嫌われているんだ」


そう言って老紳士は自虐気味に笑った。理沙は笑うわけにもいかないので、苦笑気味に乾いた笑いを返した。


年配の話は大抵説教じみていて、かつ相槌を打つのに苦労する。理沙としては、まだこの老紳士との距離も測りかねているので、余計に会話に困るところだった。


と、丁度そこへワインが運ばれてきた。


「おっと。年を取るとついつい話過ぎてしまう。すまないね」

「いえ、おかげで緊張がほぐれました」

「それならよかった。さぁ、早速ワインを楽しもうじゃないか」

理沙は言われるがままにワインに口をつける。


芳醇な香りが口と鼻いっぱいに広がった瞬間、理沙はどこか懐かしいと感じた。


蘇るのは学生時代の記憶。将来の為にと塾に行かされ、勉強勉強と言われ続けてきた。つらい受験。歯を食いしばって耐えた感情が鮮明によみがえる。乗り越えた先には、輝かしい未来。ではなく、普通のOLとして働く自分だった。職場での評価は高い。だが給料は高くは無い。残業も多い。女性だから昇進は男性よりも難しい。果たして、自分はいつ幸せになれるのだろうか。


 理沙は思わず顔をしかめた。


「ははは。分かって貰えたかな? これが、記憶や思い出で味付けしてもらえるということだよ」


「なるほど……。このワイン、私にはちょっと渋すぎました……」


老紳士の言っている意味が分かった。味や香りは知らないはずなのに、なぜか昔の記憶や感情が蘇ってくる。


無理やり記憶を掘り起こされているようだ。


「もう少し年を取れば美味しく感じるかもしれないね。きっともう5年10年もすれば、その記憶もいい思い出になる。」


老紳士は、年に似合わぬ悪戯小僧のような笑みを浮かべた。


「さ、本番はここからだよ」


理沙はもう帰りたい気持ちでいっぱいだ。知らないお爺さんに食事に呼ばれ、話を聞かされ、嫌な感情を掘り起こされた。これから何を食べさせられるのか不安で仕方ない。


「そう嫌な顔をしないでくれ。ワインは苦手なようだったが、ここからはちゃんと楽しめる食事だ」


地獄が始まる。早く帰りたい……。そう身構えた理沙だったが、それは杞憂に終わる。

前菜はフレッシュな記憶。入学式や入社のときを思い出す。緊張と期待に胸膨らませた若い記憶。


メインの肉料理では、美味しい思い出。剣道で全国大会に行ったこと。受験に合格したこと。仕事で初めて任された大きな案件を無事終わらせられたこと。それが高い評価を受けたこと。あの時は本当にうれしかった。


次の副菜と魚料理では、日常のささやかな幸せが蘇った。誕生日や友達と旅行に行ったときの思い出だ。


老紳士も、昔のことに想いを馳せながら美味しそうに食べていった。彼は理沙が最初に持っていた印象とは反対に、上手に会話を盛り上げてくれた。


話し上手で聞き上手。特別なことなど特にないありふれた理沙の思い出話も、楽しそうに聞いてくれた。逆に老紳士は、今の地位に至るまでどんな事件があったか、どんな苦労をしたかを語ってくれた。

「七千万の借金を背負ったときは、流石に終わったと思ったね」

理沙にとっては完全に別世界の出来事ばかりで、まるでおとぎ話のようだった。


はじめの悪印象も、不信感も、お互いの緊張故らしかった。

会話の中でどう呼べばいいか迷ったので本人に聞いてみると、多くの人は彼を先生と呼んでいるらしい。

「皆とくに師弟関係もない、対等な友人のつもりなのだが……。年齢や立場を考えると、先生と呼ぶのが気楽で丁度いいらしい。調子に乗らないよう苦労しているんだよ」

とのことだ。


理沙はその先生というのがとてもしっくりきた。

その辺の老人のどうでもいい昔話とは違って、彼の話は説得力もユーモアもあった。

未だになぜここに呼ばれたのかは分からないが、この老人が気を使ってくれていて、かつ楽しませようとしてくれていることはよく伝わった。


「どうだい? ここの食事はいいものだったろう?」

「はい。こんな料理があるなんて知りませんでしたし……。それに、先生のお話も、別の世界のことのようでとても面白かったです」

「それは良かった。君のような子に楽しんでもらえるなら、多くを見てきた甲斐があったと思える」


――――


いつしかコース料理もすべて食べ終え、残すは食後のデザートとコーヒーだけとなった。

甘い、もしくは甘酸っぱい思い出をデザートで。ほろ苦い思い出をコーヒーで味わって締める。ということだろう。


旬の果物を使ったデザートと一緒にコーヒーが運ばれてきた。


理沙は、このデザートではどんな話を聞けるだろうか、と密かにワクワクした。

だがなぜか、先生はこのデザートだけは黙々と、何かを噛みしめるように黙って食べていった。


ここまでの流れからいえば不自然な行動。理沙は不思議に思った。しかし、甘酸っぱい思い出、ということは恐らくは恋の記憶。人並みに恋バナに興味はある理沙だが、それはむやみにひけらかしたり、聞き出したりするものではないことも分かっている。


これまでの食事の余韻を感じながら、甘い記憶に想いを馳せる。それがここの作法なのかもしれないと、1人で納得し、理沙は老人に見習って黙々とデザートを食べ進めていった。

思い出すのは、学生時代の恋愛の記憶。甘い記憶と、苦い記憶。それと、もう何年も会ってない親友の顔が浮かんだ。


全てを食べ終わり、コーヒーを味わい終え、満腹のお腹をさすり一息つく。そんなころに、しばらく口をつむっていた老人が声を発した。


「……私は、このコーヒーを飲むためにここに通っているんだ」


さっきまでの饒舌な様子とは異なり、ポツリポツリと、寂しそうに老人は語りだした。


そのどこか異様な雰囲気を察して、理沙は黙って耳を傾けることにした。


「私には、孫がいた……」


「息子夫婦の間に出来た、可愛らしい、愛嬌のある子だった。初孫で女の子だった。可愛くて仕方なく、これまでの自分では想像もできないほど甘やかして育てた」


「息子夫婦には内緒で小遣いをあげたり、服を買ってやったりした。座り仕事ばかりで足腰の弱った老人を買い物に連れまわし、パフェやらパンケーキやらに付き合わす。ついていくだけでやっとだった。可愛らしい店にも戸惑ったが次第に慣れた。わざわざ歩き、電車に乗って出かけるなどもうすることも無かった私だが、あの子との外出はそれも苦では無かった。幸せな思い出だ……」


「孫は大きくなり、服や小遣いをねだらなくなった。自分の稼いだお金で贅沢するのだと言い出したときは寂しかった。だが、立派に育ってくれたことが嬉しくもあった。自分の稼いだお金でお爺ちゃんに老人ホームを建ててあげると言ってくれた。嬉しかった。」


「孫が大人になり、恋人ができたから紹介したいと言ってきたときは心臓が止まるかと思った。いつかそんな日も来るだろうと覚悟はしていたが、私は酷く動揺した。だが孫には幸せになって欲しい。誰かのもとへ巣立っていくのは寂しくて仕方ない。本当は全力でダメだと否定したかったが、そのせいであの子が不幸になり、私に会ってくれなくなるのも嫌だった。だから、どうにか自分を納得させて、家内に全てを任せておこうと思い、そのように準備をした」


「あの子が連れてきたのは、可愛らしい女の子だった。私はとても驚いた」


「私は孫に幸せになって欲しかった。だから相手の子に聞いた。君たちは結婚するつもりなのか?君と一緒にいることで、本当に孫は幸せになるのか?と。もしも君と一緒になることで世間から好奇の目で見られ、苦しい思いをするのなら許すことは出来ないと。今思えばキツイ言い方だ」


「世間でLGBTが認められつつあることは知っている。だがまだ忌避の視線を向けてくる者もいる。好奇の目に晒されるかもしれない。私の数多くいる友人の中にも、そういう人はいる。だがまさか自分の孫がそうだとは微塵も思わなかった」


「相手の子はしっかりした考えを持っていた。制度のこと、世間の目のこと、マイノリティのこと。もし彼女が男であれば、結婚を許してもいいだろうと思える誠実な子だった。だが、女性であった場合の答えを私は用意していなかった。食事会は無事終わったが、孫との間にはしこりが残った。家内は驚きはしたが息子の嫁から多少話は聞いていたようで、二人で悩んで答えを出し、会いに来てくれたのなら文句は無いと答えていた」


「その後半年、孫には会わなかった。どんな顔をして会えばいいか分からなかったから、仕事が忙しいと嘘をついた」


「そして孫は死んだ。事故だ」


「再開したとき、孫の半身は潰れて無くなっていた。本当に、本当に無残な姿で死んでいた……」


「私は、どうすればよかったのだろうな……。あのとき何か違えば。何かかける言葉が違ったのなら、あぁはならなかったのだろうか……」



そこまで話して、老人は少し間をおいた。重い。重い間だ。


そして意を決したかのように再び口を開いた。



「君は、学生のとき孫と仲良くしてくれていたのだろう?」


理沙は心臓が止まったかと思った。

途中まで、自分のかつての親友によく似た人だと思って聞いていたからだ。裕福な家の子で、お爺ちゃん子。


「もしかして、ハルの……?」


老紳士はゆっくりと頷いた。


理沙は信じられなかった。ハルは学生時代の、親友……。たった今食べたデザートで思い出したのは、紛れもないそのハルのことだった。


誰よりも明るく、活力に溢れ、周りを自然と笑顔にする天才だった。お嬢様で世間知らずな一面も持っていたが、嫌味なところは一度も見たことがなかった。

ネガティブで、どちらかというと正反対な性格の私と仲良くなれたのが不思議なくらい、魅力的な人だった。


「え、それじゃあ、ハルは死んだんですか……?」


老紳士は、もう一度ゆっくりと頷く。


「じゃあ、今日私を誘ったのは……?」


思わず身構える。もし老紳士がなにか復讐心に取り付かれていて、これまでの話で癪に障ることがあったら……。

嫌な想像。失礼な妄想だ。

だが、この老紳士と理沙の間に、それを払しょく出来るだけの信頼はまだない。



「いや、安心してくれ。危害を加えるつもりは無いんだ。ただ、あの子がどんな子と仲良くしていたのか、それを知りたかっただけだ……」


「そうですか……」


その後は、ハルとの思い出をいくつか話した。きっと知りたいだろうから。老人はそうか、そうか、と噛みしめるように聞いていた。


――――




「いやはや、食事は楽しまなければと言ったのは私なのに、すまないね」


店を出て、いつの間にか用意されていたタクシーに乗り込んだところで、窓の外から声がかかった。


「いえ。ハルのこと、知れてよかったです。今日はありがとうございました。帰りのタクシーまで用意して頂いて……」


「孫の友人なら当然のことだよ。気にしないでくれ。それと、一つ頼みなんだが……」

「なんでしょう?」


タクシーの窓越しに、老紳士は再び目を伏せる。


「あの子のこと、忘れないであげて欲しい。どうか。頼む」


「もちろんです。忘れようにも、忘れられない人ですから」


「そうか。それもそうだね。ありがとう。それじゃあ」

「ええ。それでは」


タクシーは重い空気を振り払うように走り始めた。

車の中で理沙は想いを馳せる。


あの人は、きっとまだハルの死を受け入れられていないのだろう。この世に残された、ハルが生きていた痕跡を、証を、必死にかき集めているのだろう。孫の昔の友人を探して、聞いて回っているのだろう。


俯いて、ポツリポツリと話す様は、まるで懺悔するようだった。


私はまだ実感が沸かない。理解はできても感情が追い付いてこない。親友が死んだというのに涙が出てこない。


大切な人の死に涙を流せるのは、幸せなことなのかもしれないなと、若い理沙は思うのだった。


読んで頂きありがとうございます。


賞に応募するために書いたんですが間に合わなかった作品です。


評価、感想、お待ちしています。励みになります。



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[一言] 素晴らしい作品ですね! ☆5個つけさせて頂きました。 これからも頑張って下さい! 応援してます。
2021/11/14 22:12 退会済み
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