竜騎士の卵たち(3)
先生が一呼吸置いてから、いつも通りに始まりの号令をかける。
「いざ尋常に、始め!」
先生が右手を下ろすのとほぼ同時に雲雀はルリに飛翔の合図を首輪を引っ張り送る。
ルリは雲雀を乗せたままその翼を羽ばたかせて空を飛んだ。
「ルリ。いつも通りいけば、勝てる」
「あいあいさー」
ルリのとてもいい返事を聞いた雲雀は、ルリが旋回しやすいように身体を傾ける。まず狙いは右腕の風船だ。雲雀はルリから落ちない様にしっかりと首輪を掴み、そして両足で彼女の体を固定するように挟んだ。長い身体が左に傾く。雲雀は同時に、小指を内側にして修練剣を持ち、構えた。
鶫の右腕を狙おうと左に傾いた時だった。ルリの体から雲雀の体へと振動が伝わってきた。
「きゃあ」
ルリの短い悲鳴が聞こえた。雲雀は一瞬何が起こったのかわからなかったが、ルリが斜めに落ちていきそうになるのを軌道修正したことで、理解した。
上方で得意げな顔をしている鶫を見て、雲雀は唇を軽く噛んだ。ライムは先ほどの瞬間、ルリに体当たりしたのだ。
「いたたた」
「大丈夫か、ルリ」
雲雀はルリを心配して声をかける。
「うん」
ルリが頷く。
観客席が騒ぎ始めているのがわかる。地面に落ちなかったのは幸いだ。大けがをするところだった。
「どうしよう、雲雀」
「ん?」
「私、あの竜ちょっと怖い」
ルリには珍しく、不安げな声だった。
「大丈夫だ。お前はいつもの軌道で飛べ。後は俺がなんとかするから」
出来る自信はなかったが、ルリをこれ以上不安がらせるわけにはいかなかった。メンタルが弱れば負ける確率が増えてしまう。
「ルリ。できるだけ高くっ」
雲雀はいつになく真剣な表情でルリに言う。雲雀はルリを信頼しているし、またルリも雲雀を信頼してくれている。そうでなければ相方になどなれなかっただろう。だから相手が誰であろうと負けるわけにはいかないのだ。
ルリが飛んでくれる。怖いのか、先ほどよりライムと体を近づけることはできなかった。雲雀はそれを予測済みである。すると向こうから剣をしかけてきた。
雲雀は相手に風船を割らせない。一つも割ってやるつもりはない。
「ちっ」
相手の舌打ちが聞こえてくる。
ルリは相手の竜より小柄な分、小回りが利く。
「ルリ!」
雲雀の叫びに呼応するように、ルリがさらに高く舞い飛ぶ。次の瞬間、雲雀の剣が鶫の右腕の風船を突き割る。
「よっしゃ、一個目!」
風船が割れたことを理解した鶫の顔が歪む。雲雀は鶫が振り回す剣を必死に避ける。雲雀の次の狙いは左の腕に付いた風船だった。
「行けるか。ルリ」
「行く!」
ルリは大きく旋回して、相手の左側に回り込む。やはり体をぎりぎりまで左に傾かせて飛び、風船を狙う。
「二個目!」
雲雀は素早く鶫の左腕の風船を突いた。これで早くも雲雀は二つの風船を割ったことになる。残るは頭の風船だけだ。と、そう思った時だった。再び体に衝撃が走る。同時に後方に押し付けられる感じがした。
「きゃあ」
再びルリが悲鳴を上げる。今度は尻尾を思い切りぶつけられたらしい。
事故で済ませられるような方法でルール違反を二回もしてくるとは思わなかった。鶫は歪んだ性格をしているらしい。
「ルリ! 大丈夫か。飛べるか」
雲雀は顔をしかめた。
「前が」
ルリは、ライムの尻尾で目をやられた様子だった。右へ行ったり左へ行ったりと体が揺れている。
「くそ、ルリ。前に飛べないなら、上に飛べ!」
雲雀はルリの首輪をひっぱる。ルリは唸り声を上げながら上空へ飛んだ。
「今だ。下降しろ!」
「へ?」
雲雀の言葉に、流石のルリも驚いた様子だった。
「いいから!」
雲雀はルリに向かって怒鳴った。ルリの下に、鶫とライムがいた。
ルリの蹄は見事に鶫の頭の風船を貫いた。雲雀たちは三つ目の風船を割った。勝負に勝ったのだ。雲雀は勝ち誇った顔をした。
しかし、ルリは突然自分の足元で風船が割れたことに驚いたのか「うひゃああ」と声を上げて、翼を必要以上にバタバタさせて暴れた。
「おわああ。ちょっと、ルリ。落ち着け!」
雲雀は驚いてルリをなだめようとしたが、その声も届かず彼女は暴れた。お陰で雲雀は体の重心を崩し首輪を離してしまった。
「あ」
雲雀の体は急降下した。死ぬんじゃないかと思って顔が真っ青になる。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
雲雀は叫びながら地面へ向かって落ちていった。一体どれだけの高さを落ちたのか、見当がつかなかった。ただ、落ちる。死ぬかも。と言う思考を繰り返し、心のどこかでルリが助けてくれるのを期待していた。
ルリは頭上で目を半開きにして、やっとの思いで雲雀の姿を捉えたのか反射的に追いかけようとしていた。けれど雲雀とルリの距離は一向に縮まらない。雲雀は半ば諦めかけていた。自分は竜騎士になるという夢を叶えることができずに死ぬのかもしれない。そう思った。
「雲雀!」
もうダメだと思った瞬間だった。雲雀は何かの上に落ちた。
幸い衝撃はそれほどの物ではなく、雲雀はすぐにそこがどこの上なのか確認しようと起き上がる。
「大丈夫?」
それは、ワカバの声だった。
*
「まったく、無茶するんだから」
「すみません」
保健室で、先生に怒られながら雲雀は頭を掻いた。ワカバのお陰で無傷で済んでいたが、ルリは少し眼球を痛めてしまったようだ。
先生とルリが向かい合って椅子に座り、その後ろに雲雀と蓮太とワカバがいた。ルリの付き添いで試験会場から出てきたのだ。会場はまだざわついていることだろう。仕方がない。
保健室には瓶に詰められた薬草がたくさん置いてある。独特の匂いが鼻につく。先生は治癒士だが、あまり魔法を使わない主義らしい。
「すぐ治るわ」
竜人の治癒能力は人間より高いので、先生はそう言いながらルリの両目に包帯を巻いた。治癒するのが遅くなるため、しばらく目を開けて日の光を浴びてはダメなんだそうだ。
「ルリ。お疲れ」
「雲雀。雲雀ごめんね。私、私」
目に包帯が巻かれているので人型に戻ったルリの表情はよくわからなかったが、きっとすごく泣きそうな表情をしているのだろう。
ルリは口元を苦々しげに閉じた。
「いいよ。大丈夫だよ。俺はワカバのお陰で無傷だし、ルリは目が見えなかったんだから仕方ないよ。無茶をさせた俺も悪い」
雲雀がいくら優しい言葉を掛けても、ルリは自分を責めているようだった。
ワカバもずっと眉をひそめていた。
「あの、ワカバ。本当にありがとうな。お前に助けられなかったら俺は今頃……」
ワカバに向かって死んでいたかもしれない。と言いかけて止めた。そんなこと、考えたくもなかった。雲雀はほんの一瞬でも自分が夢を諦めかけたことを恥じた。自分の決意はそんなものだったのだろうか。
「驚いた。けど、助けられてよかった」
そう言って、ワカバはほっとした表情をする。心なしか顔色が悪い。
「それじゃああなたたち、今日はもう寮へ帰りなさい。そして安静にするのよ」
先生が優しい声で言う。
ルリとワカバはそれに頷いた。
「はい」
ワカバと二人で手を繋ぎながら女子寮に帰って行くルリの落胆した背中を見ながら、雲雀は思う。違反をした鶫とライムのことは許せない。けれど今回のことで鶫たちは減点を食らうだろう。自業自得だ。ルリに怪我をさせたのだから。
雲雀と蓮太は二人を見送った後、保健室の前で立ち尽くす。
「雲雀、どうする。まだ試験やってるけど見に行く?」
蓮太が雲雀にこれからの行動を聞いてくる。
「そんな気分じゃないよ」
雲雀は嘆息を吐く。
「そうだよな」
蓮太も後味が悪かったらしい。渋い顔をしていた。
「ルリちゃん、大丈夫かな」
「大丈夫だよ。すぐ治るって先生も言ってたろ」
「そっちもだけど、精神的な面だよ。ルリちゃんは雲雀を守れなかったって思ってるし、だからあんなに謝ってたんだろ。あの子は意外に、精神面が弱いんだよ」
「そんなこと、わかってるよ」
わかっているのにどうとも出来なくて、胸が苦しい。悔しい。
ルリのことだ。今回のことで飛べなくなってもおかしくはない。雲雀は何も考えていないようで、いつもルリが気分を落とさないようにこれでも気を使っている。心が飛行に影響する。それはよくわかっているつもりだ。
「あんま、落ち込むなよ」
蓮太が言った。
これぐらいで落ち込んでいられるか。と雲雀は思った。